8 道具が道具を


 目を覚ますと、膝を折り曲げ、座っている状態だった。体が何かに揺られている。
 気を失う直前にルーアが見たのは、ログナが光弾の直撃を受けようとしているまさにその瞬間だった。死んでいるだろうと思いながらも、
「隊長」
 と、返事を期待せず呼んでみる。
「目が覚めたか」
 死んだはずの人間の声が後ろから聞こえて驚き、態勢を崩すと、頭が何か固いものにぶつかった。痛みに呻く。
「もうすぐ砦に着くぞ」
 ……そうか、この揺れは荷車の揺れか。
 納得してまた眠り込みそうになり、慌てて立ち上がった。
「代わります」
「いい。寝てろ」
 荷車から飛び降りる。湿地帯のようで、ぬかるんだ地面に足を取られそうになったが、荷車の取っ手を掴んで堪えた。
「代わります」
 荷車の取っ手をはさみ、ログナの左側を歩きながら、もう一度言う。
 ログナは何も返事を寄越さなかった。荷車を引く場所を譲ろうとする気配もない。
 ルーアは取っ手を掴んだまま、歩き続けた。
「お前、荷車運ぶの、嫌なんじゃなかったのか」
 やがてぽつりと、ログナが零した。
 ログナの言葉の合間に聞こえるのは、荷車の車輪が回る音と、その車輪が泥をはねる湿った音だけ。
「だって、あの場面では、荷車を曳くのはノルグ族の仕事だったじゃないですか。今は、違います」
 ルーアが思ったままを言うと、ログナがこちらを見て、何も言わずにまた正面を向いた。
 その動きに冷めたものを感じたルーアは、目をそらして呟く。
「隊長はそういうの、嫌いそうですね」
 口うるさくはないが、態度で様々なことを語る。少しログナの人となりが掴めてきた気がした。
「面倒なことは嫌いだ」
 先程の戦闘で、繰り広げられていた光景を思い返す。
 イシュだけが前衛に指名されてから、ルーアとトライドは砦の正門まで退いた。
 そこでまずルーアは、ログナに触発されたトライドが見せた、初めての行動に驚かされることになった。
 ルーアとトライドは、小さなころから同じ町で育った。子供のころ、トライドが家に帰らず、魔物に喰われたのではないかと大騒ぎになったとき、庭の牛車に積まれたわらのなかで眠りこけている彼を見つけ、叩き起こしたのはルーアだった。優秀な成績を残し、実地訓練の先陣を切る役目を仰せつかった彼が、下級魔物相手に無様に腰を抜かして殺されかけたとき、それを救ったのもルーアだった。トライドは牛車事件以降も、周りを巻き込む大騒動を何度か引き起こし、そのたびにこっぴどく叱られてきた。そのせいか、自分に自信がなく、敵を必要以上に強く評価し、怯えて慌て、使い物にならなくなるようだ。ルーアが軽率な言葉遣いで上官からの体罰――連帯責任の体罰を誘発し恨みを買ってきたように、トライドも他の人々からはあまり信用されていなかった。なにせ、自分の背中を預けられそうにもない人間だ。
 そのトライドが、出会った中で最も強いあの敵に対して、震えながらも逃げ出さず、二人の援護を始めた。けれどその理由はほどなくわかった。ログナはあの敵を目の前にしても冷静だった。戦闘力に劣る盗賊の一般兵に対するときと同じような立ち回りで、敵と渡り合っていた。後衛という配置に加え、ログナが守ってくれるだろうという漠然とした期待、ログナを死なせてはいけないという漠然とした思いが、トライドを戦いに向かわせたのだろう。
 そして、そのトライドの行動よりもさらに驚かされたのが、ログナのあの行動だ。ルーアが気絶する前、ログナは、攻撃されようとしているイシュのもとへと全力で走った。イシュを庇《かば》うように彼女の目の前に立ち、敵の魔法を受け止めた。
 ルーアの記憶の中で、魔物に取り囲まれた奴隷剣士を助けに行くような上官は、今までいなかった。奴隷は見捨てられるのが常だった。
「戦闘中、必死にそこのノルグを庇ってましたね。面倒だと言うなら、そっちのほうが面倒だと思いますけどね。おかしいですよ。奴隷をああまでして守るなんて。一目惚れでもしたんですか?」
「殴られたくなかったらその口を閉じろ」
 言い終える前に、ログナが投げやりに遮った。
 ルーアは気にせずに言葉を繋げた。
「わたしでも、ああしてくれましたか。ノルグ族を平然と差別する、わたしのような人間でも」
「お前なら、どうしてた。イシュを助けたか?」
 ログナは、試すように言った。
「どうって……」
 ノルグ族は、この大陸に災厄を持ち込んできた、穢れた人間どもだ。
 少なくとも、ルーアは――騎士団員になるため養成されてきたルーアは、その前提を強化する言葉にしか触れる機会がなかった。ノルグ族から徴発する奴隷剣士を、道具としてうまく扱えるようにするための講義が必修だった。ノルグ族は道具である。道具には限りがあるので大事に扱うべきだが、必要以上に愛着を持ってはいけない。
 十二歳の時、単位認定試験のひとつに、同じ学校にいるノルグ族に動物の真似を強制させるというものがあった。対象になった彼とは、訓練でよく一緒になるので、何度も言葉をかわしていた。その素朴な人柄に、ルーアは強く惹かれていた。
 豚や馬などの真似をさせられていく彼を見て、体中の皮膚をかきむしりたくなっていたルーアは、彼の目の前に立った時、どうしても命令できずにいた。すると彼は、四つん這いの態勢のままルーアのことを見上げてきた。彼は目に涙をためていた。彼の言おうとしていることは一瞬で理解できた。
 ……早くこの辱《はずかし》めから解放してくれ。
 ルーアは彼に、『雄鶏《おんどり》の鳴きまねをしろ』と言った。雄鶏の鳴きまねは、近所のうるさい子供たちがふざけてやっているのを見たことがあった。大したことがないと思った。けれどその文脈の中で行われた鳴きまねを聞いて、ルーアはぞっとした。彼はその瞬間、人間であることをやめていた。やめることを強制されていた。誰も彼もが冷たい目で彼を見つめていた。
 彼は涙を流していた。ルーアは涙を流すことを許されなかった。無表情で、雄鶏の鳴きまねを続ける彼を見下ろすことしか許可されていなかった。そうしなければ講義を修了できないからだった。騎士としての次の過程に進めないからだった。
 それ以来、彼と会話を交わすことはなかった。視線を合わせることすらなかった。ノルグ族は同じ人間ではなくなってしまった。
「ノルグ族は道具です。そこのノルグも、物を運んで戦闘をする道具です。道具のために命を捨てる人間はいません」
 それきり、会話が途絶えた。二人は何も口にしなかった。
 ルーアは荷台に視線を遣った。
 ノルグ族の女が、荷台に横たわっていた。
 ルーアは奥歯を強く噛み、取っ手を強く握りしめた。
「どうして殴らないんですか? そうする価値すらないからですか?」
 沈黙に耐えきれなくなったルーアから、言葉を投げつける。
 ログナは荷物に加えて人ふたりを乗せた荷車を引きながら、淡々とぬかるみを踏みしめていく。
 やがてぬかるみが途切れ、舗装された石の道に切り替わった。
「魔王とは」
 とログナは言った。
「リルというノルグ族と一緒に戦った。それ以外にもたくさんのノルグ族とともに、俺は戦った。あいつらは、生き残ったり、死んだりした。あの戦争で、俺たちはみんな、道具でしかなかった。剣を握ることでしか存在を証明できない道具だった」
 道具。
 用が済んだら切り捨てる道具。
 失敗したら責任を押し付けるために用意された道具。
「お前も俺も、道具だよ。道具が道具を守って何が悪い」
 自分の奥底に眠っていたはずの痛みが、十二歳のあの時からずっと目をそらし続けてきた痛みが目を覚まして、同時に、その痛みが少しやわらいだような気がした。
 ルーアたちを道具として扱う者たちの住まう、堅牢な王城が、はるか彼方にぼんやりと見える。
 まだ隊長の名前が伏せられていた段階で、騎士団長であるレイに、隊長について尋ねたときのことを思い出す。彼女は確か、こう言った。
『できるならお前たちに代わって、あいつとまた旅をしたい。そんなふうに、思える奴だよ』



inserted by FC2 system