十年という時間


 物見櫓《ものみやぐら》で見張りを続けていたトライドが声をあげた。
「隊長」
「どうした」
「北のラオ砦の方から、人の乗った馬が一頭、走ってきます。そのはるか後方に、敵の軍勢らしきものも見えます」
 先程、敵方があげていた狼煙に反応したのだろう。
「いま行く」
 櫓の近くで休んでいたログナは、直接自分の目で状況を確かめようと、腰を上げた。
 櫓のすぐ下まで行って、備え付けられた梯子を上る。
 男二人が並ぶと手狭……というよりも、ログナがいるために手狭になった櫓の中から、トライドが指し示した北の方角を確認する。整備された街道と、その両隣に散見される廃墟が連なる北の方角。休息をとった後、続けざまに落としに向かおうとしていたラオ砦が見える。ここからあまり距離はない。ラオ砦から出撃したらしい数十名ほどの軍勢から遠く離れ、先行して走ってくる馬が見えた。馬上の人間は頭巾のようなもので顔を隠している。
 斥候《せっこう》のようには見えない。部隊に先行して単騎駆けとは、よほど腕に自信があるのか、油断しているのか。
 ログナは梯子を駆け下りながら、
「砦を出る!」
 と怒鳴った。
 櫓に寄りかかって眠っていたルーアが後ろ髪の尻尾を揺らして飛び起き、櫓の近くに膝を組んで座り瞑想をしていたイシュが目を開けた。
 さすがに、人間相手の四対数十は分が悪い。防御魔法でたいていの攻撃を無効化できるログナはともかく、他の三人は、確実に防ぎきれるとは言えない簡易結界魔法だ。
 単騎駆けしてくる人間をこちらから迎え撃ち、四対一というこの願ってもない優位を使い、数十の軍勢がなだれ込んでくる前に決着をつける。そのあとは、ラシード砦に運び込んだ物資を全員協力して素早く運び出し、もと来た道を逃げればいい。カロル盗賊団の指揮官級を確実に減らせる、またとない機会だ。
 駆け出し、砦の正門――木でできた粗末な枠組みをくぐって、櫓の上から見えた方角に走る。間もなく、馬と馬上の人間の姿を視界にとらえた。
 馬上の人間もこちらの姿を認識しただろう、と考えたところで、突然、その人間は走っている馬を急停止させ、自らはそこから飛び降りた。
 実力のほどはわからないが、常識外れに身軽だ。気を引き締め直そうとすると、その人間は、腰のあたりに手をやった。剣を抜いた、事実だけ見ればそうだろうが、この距離で剣を抜く人間たちを、ログナは知っていた。
 ラッツ、レイ、そしてカロル。
「全員、俺の後ろに隠れろ! 理由は聞くな!」
 魔力を大急ぎでかき集め、魔石に送り込む。魔石からすばやく吐き出され続ける魔法土《まほうど》が体の前に縦に長い長方形の壁を作る。
 三人が後ろにいるかどうかもわからない状態のまま、黒い、帯状の光がこちらを目がけて一直線に飛んできた。その場にいるものすべてを刈り取るように飛んでくる、幅の広い帯状の光だ。ログナは身をかがめて、魔法土に顔を隠した。途端、魔法土が帯状の光の攻撃に負けて、ログナの腹の辺りに急激に押し付けられてくる。それは腹を抉るように食い込んできて、ログナはえずいた。すぐにでも諦めて膝を折りたくなった。ここで諦めれば後ろにいる三人も死ぬが、どうあがいても押し返せない。鉄よりも数段硬いはずのログナの魔法土ですら、耐え切れない。
 このまま、腹から上と下に引き裂かれる、そう覚悟したとき、ようやく威力が薄まった。イシュか誰かの、簡易結界魔法による援護だろう。おかげでどうにか体をばらばらにされずに済んだ。
 早く消えろと思うほど長いあいだ、黒い帯状の光の攻撃が続く。ようやくそれが止んだ時、ログナは断続的に続いた鈍い痛みに、体中から脂汗を垂れ流す状態になっていた。こらえきれなくなって前かがみになり、今日食べたものをすべて吐き出した。
 フォード。
 十三年前、騎士団を割る計画に勘付いたレイをあっさりと気絶させ、腹心の部下たちとともに行方をくらませた男。
「隊長、こっちへ来ます! 隊長! たいちょお!」
 背中を揺さぶる手と、ルーアの泣き出しそうな声があった。
 ログナは三人に背中を向けたまま、自嘲の笑みを浮かべた。
 ――『勝てる可能性があるのはわたしとお前だけ』。
 ……冗談じゃない。あんな化物に勝ててたまるか。
 それでもログナは退こうとは思わなかった。
 ログナは次の一撃が来る前に走り出した。いくらフォードと言えど、いくら手加減していようと、あの攻撃を連発はできないはずだ。
「俺とイシュが前衛、トライドとルーアは後衛! 後衛は正門のあたりまで引き、簡易結界魔法での防御援護!」
「はっ!」
 ルーアとトライドが震える声で応じた。
「勇者……じゃねえ、聖母リリーの加護を」
「聖母リリーの加護を」
 二人は後方の土塁に走り、イシュだけがログナに続く。
 本来ならログナとフォードの実力が拮抗していることを前提に、その支援に徹することを目的として結成された急造部隊だ。だが、この三人はレイによって騎士団の中から選りすぐられた精鋭でもある。自分一人ではかなわなくとも、全員でなら、一縷《いちる》の望みが残されていると信じた。反対に、この四人で駄目なら、魔物どもに王都を占拠されるのを覚悟の上で、レイと王国軍の大多数を駆り出さなければ勝てない。
 イシュの横顔を盗み見る。明らかに顔がこわばっている。
「怖いか?」
「怖くは」
 とイシュが応じた。
「ただ、わたしは今日ここで死ぬのだろうなと」
 ログナは笑った。
「正常な反応だ。俺も怖い」
「そうは見えませんが」
「魔王とやり合えばお前もこうなるよ」
 近くでフォードの面構えを拝もうと思っていたが、しかし、フォードは、着ている外套と同じ色をした白い頭巾をかぶっていて、目以外を覆っている。青い瞳だけしか見えない。
 剣を正面に構えて、こちらを見向きもせずに集中力を高めていたフォードが、二発目をぶつけてこようとしていた。
 ログナは背中の鞘に納めた両手剣を抜き去った。
 間近で見ると、フォードの体は想像していたよりも小さかった。この小さな体のどこに、こんな力があるのか……レイに対しているときにいだくような疑問を、ログナはフォードにもいだいた。
 フォードはログナとイシュが接近するのを見て、魔法剣の二発目をぶつけるのをすぐさま諦めた。判断が早い。
「やれ!」
 俊足のイシュが、ログナを置いて先に行く。
 イシュは右手で、大きな刃物が乱舞しているような切れ味鋭い風の攻撃魔法を飛ばしながら、フォードに近寄っていく。
 しかしフォードが右手を掲げると、どういう原理か、イシュ渾身《こんしん》の攻撃魔法がすべて力なくかき消えた。どんなに高位の魔法使いでも、相手の魔法を打ち消すなんてことはできない。
「いかれてる」
 ログナはまた笑った。
 イシュが片手剣を抜き接近戦に切り替えると、フォードも剣の柄だけを構えた。途端、魔力の奔流が起き、柄だけでしかなかった剣に、再び刃が宿った。フォードはイシュの剣を一太刀受けるとそれを軽々と横に払った。間に合わないと感じたログナは両手剣をいったん捨て、腰にある片手剣を抜き去った。そしてそれを、フォード目がけて投げつける。あっけなくバランスを崩されたイシュに魔法剣が振り下ろされようとしていたところだったが、フォードは片手剣を弾くために魔法剣を使った。
 態勢を立て直したイシュと、両手剣を拾い直してフォードに近づいたログナとで、ほんの一瞬の時間差で剣撃をぶつける。同時に斬りかかるのを避けるのは容易いが、わずかの時間差で別方向からくる攻撃は避けにくい。簡易結界魔法は魔法剣と並行して使えるような代物ではない。魔法剣だけでは二人の攻撃を防げないが、この状況では簡易結界を展開するのも間に合わない。
 勝った。そのはずだった。
 けれど瞬時に吐き出した左手の光弾でイシュの体ごと吹き飛ばしたフォードは、ログナのほうを見もせずに、ログナの振り下ろした両手剣を、魔法剣で受け止めた。
 フォードの被っている頭巾にログナの両手剣の刃先が少し触れているのではないかと思うほどだったが、ログナは負けを悟った。いくら力を込めても、そこから微動だにしない。右手にもつ魔法剣でログナの両手剣を受け止めたまま、フォードは左手をログナに向けた。両手剣を離せば魔法剣にやられる。両手剣をこのまま押しつけ続ければ左手の光弾にやられる。どうしようもなかった。魔法土と、トライドとルーアの張ってくれた簡易結界魔法が体を覆うが、この男が全力で叩き込む光弾は、すべてを貫くだろうという予感があった。
 光弾による攻撃の直前、ログナが魔法土で顔も覆おうとした直前、イシュを吹き飛ばして余裕ができたのか、ずっとイシュのほうばかり気にしていたフォード――おそらく、イシュのほうが厄介だと判断していたフォードが、初めて、しっかりとこちらを見た。唯一頭巾に覆われていないそこには、水のように澄んだ青色をした瞳があった。
 フォードの目が、大きく見開かれた。
 左手に集まっていた光が急に消え、今度は小さな光になってログナを襲った。威力が弱まったとはいえその攻撃は重かった。ログナがその重みに耐えているそのあいだに、フォードは距離をとった。
 なぜ、と思っていると、突然、フォードが頭巾を脱ぎ捨てた。
 なめらかな金髪が頭巾から吐き出される。肩にかかるかからないかの白に近い金髪と、白い肌。左耳の下から顎の左側にかけて、左のもみあげの下から唇の左下にかけて、魔物の爪で切り裂かれたと思しき二本の大きな傷跡があるが、それ以外は、目元も、鼻も、口元も、懐かしい少女の面影を残していた。
「お久しぶりです、ログナ」
 ミスティは、驚きの表情をすぐに引っ込め、淡々と言った。
「退いてください。このままだと、あなたを殺さなければならなくなります」
 十歳のときのミスティと、いま目の前にいる、二十歳になったミスティが、頭の中でうまくつながらない。
 カロル盗賊団。
 窃盗、拷問、殺人、強姦、なんでもありの最悪の連中。
「笑えねえ冗談だな」
「どのような話があなたに伝わっているのかは知りませんが、わたしが、ロド王国に敵対するカロル兵団の団長です」
 ミスティはきっぱりと言い切った。
 混乱に拍車がかかる言葉だったが、どんな事情があれ、とログナは頭を切り替えた。
「お前を殺害するようにとの命令が出ている。俺は、今のこの国では二番目の強さだそうだ」
「その口ぶりだと、ログナに直接命令を出したのはレイですね。旧世代の遺物がいつまで最強を気取っているのでしょうか」
 ミスティは無表情のまま、魔法剣を長くしたり短くしたりして遊んでいる。
「それはいいです。問題は、魔王討伐という偉業を成し遂げたカロルに汚名を着せ、わたしたちまで殺そうとした王国に、なぜあなたが服従しているのかです」
「カロルに汚名を着せてるのはお前も同じだろうが」
「わたしはわたしのなすべきことをなしているだけです」
「なすべきこと?」
「王国側についたあなたには関係ありません。退きますか。それとも退きませんか。勝ち目はありませんよ」
 いつもころころと笑っていた目元が、いまは何の感情も感じさせなかった。
 そこで、ログナが話している間に背後に回っていたイシュが、左手の風魔法を連射しながら、片手剣を構えて飛びかかった。
 大きな正方形の、簡易結界魔法が即座に出現した。イシュの風魔法も剣の斬撃も、どちらも弾かれた。しかも、ミスティの右手にある魔法剣は消えずにそのままだ。左手には光弾の力を集めている。どうやら先程までは、手を抜いていたらしい。
 それなりに魔力と集中力を必要とする光弾に力を込めながら、大きな魔力と集中力を必要とする簡易結界魔法を発動させ、膨大な魔力と集中力を必要とする魔法剣を発動させ続ける。
 そんなこと、カロルでさえもできなかった。
「イシュ、こっちへ走れ!」
 ログナはイシュを呼びながら走った。
 間違いなく、十歳にして魔王討伐の任を受けた、あの馬鹿げた魔力の塊だった少女だ。
 化けた。
 このままいけば、千三百年続くこの王国は攻め滅ぼされる。
 魔物にではない。
 たったひとつの盗賊団に。
 王国を心の底から憎む、たったひとりの女に。
 イシュと合流してすぐ、ログナはイシュの前に立った。そして両手剣を地面に突き刺した。両手剣に魔力を込め、ありったけの魔法土で両手剣と全身を覆い、即席の防御陣を張った。
 ミスティの張った簡易結界がちょうど光弾の通るぶんだけ開き、そこから、光弾が飛び出し、また簡易結界が閉じる。
 あまりにも強い光、目のくらむような光に、ログナは目を細く開いて待ち構えた。
 やがてそれは目前に迫り、両手剣を易々とへし折った。
 死を覚悟したそのとき、急に、光弾が消えた。見れば、光弾の強烈な光に隠れていたミスティが、そこにいた。
 どうすることもできずに、魔法剣の斬撃を体に受けた。
 しかし、痛みはなかった。魔法土だけが体から引き剥《は》がされていた。
 おそるおそる体を見てみたが、傷はついていない。
「わたしは救援部隊からひとり先行して砦の救援に来ました。本隊が到着するまでは時間があります。彼らの前で見逃すわけにはいきませんが、今なら見逃せます。その人たちも連れて帰ってください」
 言われて周りを見回すと、イシュが地面に仰向けで倒れていた。血が出ている様子はない。光弾にやられたのだろう。
 きっと、トライドとルーアも砦の正門近くで気絶しているはずだ。
 ログナはみたび、自虐の笑みをこぼした。
 ……ここまで、差がつくか。
 その笑みを見たのか見ていないのか、
「ログナ。わたしは十年前のあのとき、あなたにも命を救われました。あなたへの感謝を忘れたことはありません。だから、あえて問います」
 ミスティは侮蔑まじりに呟いた。
「十年間、あなたは何をしてきたんですか?」



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