59 人類史の終わり(5) 教わったこと


 トライドとイシュは、テイニとルーアの出血が止まってきたのを見計らい、もっとも近い救護班がいる三十番の迎撃魔法陣まで送り届けた。そのままレイへの加勢に向かうと、彼女はすでに、ヴァーダーの配下と思しき人型魔物を殺していた。何度も再生するそれの周囲に陣取り、他の魔物を魔法剣で潰し、人型魔法の再生を地道に光魔法で阻んでいた。すっかり途方に暮れていたレイを助け、イシュが闇魔法で消滅させた。
 三人で十一番の迎撃魔法陣へと戻ったとき、伝令が到着していた。レイは最前線へ、魔王討伐隊の人間は、フォードが北東からの敵を相手にしていた十九番の迎撃魔法陣へと移動しろとのことだった。
 息つく暇もなく駆けずり回っているはずなのに、イシュはほとんど疲れの色を顔に出さない。そんな彼女のあとを必死で追いかけて、十九番の迎撃魔法陣へとたどり着く。フォード隊が一時的に離脱した影響か、十九番の迎撃魔法陣を守っていた石塁は、もうほとんど崩れてしまっていた。近くにある対飛行型魔物の櫓は、足元を守る兵士のおかげで無事だが、うっすらと積もった雪の上に、兵士たちの遺体が転がっている。また、魔法剣にばらばらにされた魔物の死体も転がっていて、においが酷かった。乱れた息を整えるために何度も空気が出入りするので、腐臭が体の中に充満していって、吐きそうになった。
 それでもトライドは耐えた。殺到する新種の魔物たちを相手に、両手剣を振るい、土魔法と簡易結界魔法で防ぎ、炎魔法で燃やした。ヴァーダーに両手剣を突き刺したときから、自分が自分でないような感覚が、常にあった。五感が研ぎ澄まされ、相手の一挙手一投足に反応できている。これまで訓練でしかできなかった動きが、できるようになっている。あまりにも上手くいきすぎていて、気持ちが悪いほどだった。
 いっぽうで、片手剣と風魔法と闇魔法をうまく使い分けているイシュの動きに、あまり機敏さがない。当然と言えば当然だ。ヴァーダーとの戦いで、闇魔法を乱発していたのだから。
「イシュさん、少し休憩を。きっとまだ、人型魔物がいるはずです」
「ひとりで大丈夫? ……いえ、大丈夫みたいね」
 トライドのほうを一瞥したイシュは、迎撃魔法陣の上に座り、簡易結界魔法を張って一休みの態勢に入った。
 上手くいきすぎているときは、何かが起こる。
 トライドは自分の弱気な考えが外れていることを祈りながら、ひたすら新種の魔物を狩っていった。
 やがて、テルセロと元決死隊の二人だけが、合流した。
 人数が少なすぎる。
 半透明の新種を切り裂きながら理由を訊ねると、他の人々は、戦線を維持するために持ち場を離れられなかったり、負傷して戦線を離脱したそうだ。特に、最前線で戦い続けていたナフドは腕を飛ばされ、カギラは足を折られて動けないとのことだった。
「あと、ノルグ族の兵士は一人も来ない」
 とテルセロは付け足した。
 イシュが血相を変えてテルセロを見上げたので、代わりにトライドが訊く。
「何か、起きたんですか?」
「ああ、いや、違う。変な言い方してごめんな。あいつらは、逃げてきたノルグ族たちに、一緒に戦うよう呼びかけてる。そのまま、そこで一緒に戦うつもりでいると思う」
「つまり、この人数で、フォード隊の代わりをしなければならないんですね」
「そういうこと!」
 テルセロは空元気で応えると、矢筒に手を伸ばした。特別製の矢が、土魔法に包まれて、風魔法で宙に浮く。それを一斉に、正面へはじき出した。十数本の矢が、十数隊の魔物の腹や頭を、一息に突き破った。ほとんどはまた、テルセロの手元に戻ってくる。
「ルーアとテイニは? 無事?」
「命は落とさずに済みました」
「そうか……。もう、俺たちがやるしかないんだな」
 短く刈った黒髪に、魔物の返り血がまばらに模様を作っている。
 トライドはその彼に背中を預けて、増えていく一方の新種の魔物に相対しようとした。すると、対飛行型魔物の櫓から、
「統率された新種の魔物たちが、側面へ回り込もうとしてる!」
 報告が聞こえた。
「いま側面からも攻撃されたら、ほとんどの部隊は壊滅してしまうな」
 テルセロが呟いた。
 トライドも同意見だったが、指示もなしにこの場を離れることはできない。フォード隊が支えてきたこの場を離れれば、十九番の周囲に陣取る人々は、そう間を置かずに全滅してしまう。小さなほころびから、戦線崩壊へつながるのは、どの場所でも同じだ。今の局面で、重要でない持ち場は存在しない。
 側面へ向かう敵の情報に動揺したのを察知したわけでもないだろうが、敵の攻撃が苛烈になった。とても追い切れない速度で駆けてくる、鱗に覆われた四つ足の新種と、その背後から、食虫植物のような新種の放った消化液が飛んできた。消化液は、鱗で覆われた新種には弾かれるが、人間はおそらく、溶かされてしまう。お互いの特性を把握し合っているとしか思えない攻撃だ。トライドは左手で魔法土の壁を作り出して、鱗の新種を防ぎ、消化液は簡易結界魔法で防いだ。
 今までの自分なら、きっと慌ててしまい、魔法土も簡易結界魔法も突き破られていた。けれどヴィラ砦で何度も死にかけて以来、魔法の発動が驚くほど安定している。植物型のほうへ炎魔法を放ち、魔法土に正面衝突した鱗の新種を、魔法土で強化した片手剣で切り捨てる。植物型の新種は見かけどおり炎に弱い。
 新種は、魔物にしては工夫した攻撃もできるようだが、人型魔物と比べてしまうとさすがに応用がきかない。経験すればするほど、その攻撃に慣れてくる。数で押されさえしなければ、どうにかなる相手だ。
 ……数で押されさえしなければ。
 イシュのほうをちらと見遣ると、こちらを心配そうにじっと見ている彼女と目が合った。
「休むのも戦いのうちですよ」
 無意識のうちでイシュに頼ろうとした自分を鼓舞するために、強がりを言って、巨大な爬虫類型魔物に鋭くとがらせた魔法土を突き刺した。半透明の新種を片手剣で斬りつけながら、横目でその魔法土を操作し、次々に魔物のはらわたを突き破らせる。片手剣を鞘にしまってから、分割した炎弾を植物型の魔物にそれぞれお見舞いし、また魔法土で、巨大な爬虫類型魔物の体をずたずたにした。
 雪が舞っているのに、喉のあたりから臓腑の辺りにかけて、焼けつくような熱が充満している。汗もとめどなくあふれていく一方だ。
「回り込んでいた敵部隊が突撃を開始! 四番のあたりが、空輸される敵と右側面の敵の攻撃にさらされ、五十番のあたりの兵士たちがレイエド砦に向かおうとしている敵に突き崩されている!」
 五十番は、レイエド砦がもう目と鼻の先だ。
「五十番はあとどのくらい持ちそうですか!」
「ここからだとおそらく今すぐにでも向かわなければ持たない! 他の部隊も目の前の敵に手いっぱいで動く気配すらない!」
 自分にも、ログナのように、多くの人を守る力があれば。
 そんなことを考えていても、仕方がない。自分は自分にできる範囲で、戦うしかない。そのはずなのに、どうしても、助けに行くという選択肢が外れてくれない。
 目の前で、ルーアの腕を、足を失わせてしまった自分に、誰かを守ることなんてできるはずがないのに。
 ログナという唯一無二のあの存在に、是が非でも追いつきたいと、焦がれる自分がどこかにいる。
 トライドは、思わず、
「テルセロ様!」
 と怒鳴った。
 テルセロが振り向くことなく、
「どうした?」
 新しい矢束を雪に向かって放り投げながら、応える。
 ただひたすら、目前の敵を殺すという役割――英雄になれない自分たちの職責をまっとうしているその後ろ姿が、トライドの目に飛び込んできた。
「なんでもありません」
 すっかり恥ずかしくなったトライドは、返事を待たずに目を切り、右手を植物型魔物へ向けて構えた。
 後ろでうっすら、笑い声がしたような気がした。
 ややあって、テルセロが呟く。
「トライド、まだ俺たちにもツキは残ってるらしい」
「そんなもの、とっくに見放されたはずですが」
「うちの隊のノルグ族たちが戻って来た! 五十番へ救援に向かえるぞ!」
 最後の方は、まるで踊り出しそうな声音だった。
 植物型魔物へ炎弾をぶつけて、一瞬だけ視線をやる。十一人よりも明らかに多いノルグ族たちが、敵を蹴散らしながらこちらへ向かってくるところだった。
 余裕の出来たトライドたちはすぐに事情を説明して、この場を、トライドたち三人の中のひとりと、ノルグ族たちに任せることになった。
 トライドは先ほど、思い上がった言葉を吐き出しかけた恥ずかしさもあり、自分がこの場に残ろうと申し出ようとした。
 けれどテルセロは、
「さっき、言いかけた言葉、忘れてないよな」
 と、肩を組んできた。
「え、いや、あれは、その……」
「イシュとお前で行って来い。この場は俺たちが必ず守り通す。命令違反なんて霞《かす》むぐらい、でっかい武勲を立ててこい!」
 肩をばしばしと叩いたテルセロが、トライドから離れながら言った。
 それでも返事できずに口を開いたり閉じたりしていると、テルセロが笑った。
「俺のじいさんの言葉に、こんなのがある」
 魔法剣を使えた、レイの前の騎士団長。
「私欲なき命令違反に幸運あれ」

 五十番の迎撃魔法陣付近にいた兵士たちは、ほとんど壊滅状態だった。
 付近にある二つの櫓は薙《な》ぎ倒されて堀に沈み、その横をうつ伏せで浮かぶ兵士の遺体が漂い、どこにも怪我をしていないのに錯乱して自分の腕を探している兵士が、トライドのすぐ横を徘徊している。
 その惨劇を引き起こしたと思しき魔物たちの中心にいるのは、二体の人型魔物。
 半透明の魔物が、首なしで人の形をとったものと、四足の鱗に覆われた魔物が人の形をとったもの、それぞれ見慣れ始めた新種の、複製元とでも言えそうな人型魔物だった。
 青く鈍く光る鱗に覆われた人型魔物が、何も言わずに手を振った。何かが飛んでくるとは分かったが、反応できなかった。そんなトライドを、イシュの張った簡易結界魔法が助けてくれた。
「こいつはわたしがやる。トライドくんはもう一体を!」
「分かりました!」
 トライドは、こちらに気付いていない――そもそも感覚器官がどこにあるのかわからない半透明の人型魔物に対して駆け寄り、断ち切ろうとした。しかし、表面がぬるぬると滑り、まったく刃が通らない。攻撃に失敗したトライドの超至近距離から、球のようなものが吐き出されようとしていた。トライドは慌てて魔法土と簡易結界魔法を展開させながら、離れる。
 人型魔物の放った、半透明の球をどうにか受け止めきったが、かなりの魔力を持っていかれた。そのあいだに、二体の人型魔物の後ろにいた魔物たちが、一斉に動き出した。
 ヴァーダーのときは、四対一だった。それでも、ヴァーダーによって、二人が重傷に追い込まれた。
 人型魔物との一対一、それどころか、一対数十になりそうな状況を前に、あれほどログナに近づきたいと焦がれていたはずの自分は、どこかへ消え失せてしまっていた。
 まだ、死ぬわけにはいかない。
 ルーアと約束した。
 何が何でも生き延びる、そう、約束した。
 植物型の消化液が、茶色い魔物が放つ不気味な魔力の塊が、鱗に覆われた四つ足の新種の突進が、半透明の魔物が一斉に吐き出そうとする球が、そして人型魔物の放つ球が、目に見えない衝撃波が、一斉に、トライドとイシュに向かってきた。
 イシュが叫びながら黒い霧を大きく広げた。王都北部城塞で見たような、大規模すぎる闇魔法だった。あのときよりもずっと早く収縮を始めた黒い塊は、そのまま、大多数の魔物たちを始末してしまった。
 イシュがその場に右膝をつく。無防備なその体に、生き残った人型魔物と魔物たちの攻撃が、殺到する。トライドは魔力を使い切ることも厭《いと》わない、そのくらいの勢いで魔法土を展開させた。魔物たちの足元を地盤沈下させ、攻撃が届かない位置へと押し下げた。そのあいだにイシュを連れて逃げようと思っていたが、足からかくりと力が抜けてしまった。
 鱗に覆われた人型魔物が跳び上がってきて、右手を構えた。
 トライドも右手を構えて炎弾を飛ばす。空中で避けようがなかった人型魔物に、炎弾が直撃した。沈下した地面へ逆戻りした人型魔物を横目に、トライドはどうにか立ち上がってイシュの腕をつかみ、走り出した。けれど回復しきれていないイシュが体勢を崩してしまい、倒れてしまった。
 いつの間にか、半透明の人型魔物がすぐ後ろにいた。無駄だと思いながら、小さな可能性に賭けて炎弾を当てたが、やはり体が膨れ上がっただけだった。
 刃は通らない、魔法もきかない、もう何も、思いつかなかった。
 それでもイシュの前に立ち、両手剣を引き抜き、構えた。
 誰かを守るということ、それを、身をもって教えてくれた隊長がいる。
 せめてその教えに、殉じたかった。
 感覚を研ぎ澄ませて、半透明の人型魔物が吐き出す球を、当たる寸前、魔法土でがちがちに固めた両手剣を振って、弾いた。両手剣は折れてしまったが、球のほうも、近くの堀のなかに突っ込んで、水しぶきを上げた。
 魔力はもう、この魔法土の生成で完全に尽きたはずだった。そんなトライドの身に、不思議なことが起きた。魔力がまったくの空になり、容器ごと――右腕ごと破壊しかねない状態になったというのに、魔力がどこからかわいてくるような感覚が、してならなかった。
 両手の魔石が、何やら光り輝いている。トライドの使う魔法は、土魔法と炎魔法だ。光魔法の魔石は、はめていない。
 球に折られた両手剣を捨て、自らの両手を眺めたが、何の光なのか、わけがわからなかった。
 トライドの戸惑いなどお構いなしに、敵が次の球を吐き出そうとしている。慌てて片手剣を抜き去り、構えると、片手剣全体が淡い光を帯びた。
 何か凄いことが起きている、そんな感覚はあったが、それが何なのか、トライドにはつかめていなかった。
 そのとき、鱗に覆われた人型魔物が、沈下した地面から再度這い上がってきた。
 人型魔物との一対二。
 逃げ出したくなるような状況なのに、片手剣を包んだ不思議な光が、逃げるな、戦えと、強い意志を持って呼びかけてきているような、そんな感覚があった。
 簡易結界魔法を張る。底をついた魔力のせいで腕が吹き飛ぶどころか、以前よりも強い力で、身を守ってくれているような気さえした。
 トライドは駆け出した。
 鱗に覆われた魔物が腕を振って、何かが簡易結界魔法に当たった。球も直撃した。かなりの魔力を削られたが、簡易結界魔法はかろうじて耐えてくれた。
 まず数の不利をなくそうと、動きの鈍い半透明の人型魔物目がけて剣を振る。先程は表面がすべって刃が通らなかったが、今度はしっかりと刃が通り、体を真っ二つにすることができた。もともと、攻撃さえ通れば、敵ではない魔物だ。
 これで、一対一。
 すでに鱗に覆われた人型魔物がすぐ背後に迫っている気配を感じて、片手剣を振りながら体を反転させた。すると鱗に覆われた人型魔物は、その場に跳び上がり、あっさりと剣を避けていた。
 跳び上がった鱗に覆われた人型魔物の膝が、顔面を狙って突っ込んでくる。直接の打撃にやや弱い簡易結界魔法では、攻撃を弱めることができても防ぎきることができず、顔面に膝が入った。
 体が少し浮いて、地面に背中から叩きつけられた。鱗に覆われた人型魔物はそのまま、のしかかって来て、右手をかざしてきた。トライドは魔法土を鱗に覆われた人型魔物の横からぶつけて吹き飛ばし、当てずっぽうで片手剣を振った。当たる前に避けられ、また、距離を取られてしまった。トライドは笑った。鱗に覆われた人型魔物の腰の辺りに、魔法土がくっつけたままにしておいた。魔法土を思い切りしめつけて、下半身の動きを完全に抑え込んだ。
 安全な距離を保ったまま、魔法土を飛ばし、鱗に覆われた人型魔物の全身を魔法土で覆い尽くさせた。そして駆け寄り、片手剣を振り抜く。当たる瞬間に腹のあたりの魔法土だけを外して、あらわになった敵の腹部を、切り裂いた。
 転がった上半身と立ったままの下半身をそれぞれ魔法土で地面と固着させたまま、イシュを呼んだ。魔力を使いすぎて、トライドの戦いを眺めるばかりだった彼女は、立ち上がり、よろめきながらもこちらまで来て、二体の人型魔物を、闇魔法で覆った。イシュが右手を掲げた瞬間、魔法土を自分のもとへと引き戻した。
 二体の人型魔物を消滅させたあと、トライドとイシュは、トライドが地盤沈下させた場所から這い上がれずにいた新種の魔物たちを、すべて倒した。
 そのころには、片手剣に帯びていた光は消えてなくなっていた。
 ひと段落したところで、二人とも、五十番の迎撃魔法陣に戻り、並んで、迎撃魔方陣の上にへたりこんだ。
「変なことを聞いてもいい?」
 同じ方向――敵がやってくる東の方角を向いて座っていたイシュが、トライドに視線を投げてきた。
「戦闘中、両手が光ってなかった?」
 イシュは言った。
 トライドが上手く答えられずにイシュの目を見返すと、彼女は自分で言った言葉の響きがおかしくなったのか、微笑んだ。
「ごめん、土魔法と炎魔法なのに、光るわけないね。変なこと聞いた」
「いや、僕も、光ってたような気がするんですよね」
 トライドが真面目に応えると、イシュは、笑みを消した。
 急に真剣な表情になり、
「トライドくん、それ、もしかすると」
 と言った。
 自分は知らないだけで、何か、凶事の前触れなのだろうか。
 どんな恐ろしい宣告が飛び出すのかとどきどきしていたが、イシュの口から出たのは、真逆の言葉だった。
「魔法剣を、発現したんじゃないの?」



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