58 人類史の終わり(4) 後退できない


 ログナは魔物の攻撃に混じってぶつけられた片手剣を弾いて折り、相手の腕を取ってねじった。そのまま第一迎撃魔法陣近くの石壁まで引っ張って行き、背中を突き飛ばした。
 もうすでにそこには、三十人以上のノルグ族がいる。よろめいた女の兵士を、同僚と思しき女の兵士が抱き留めた。
 最初の五人までは、説き伏せるのにはずいぶんかかったが、ここまで増えればもう、仲間からの説得に耳を貸す。そもそも、ノルグ族は人型魔物の圧倒的な武力に支配されているだけで、王国とならともかく、カロル兵団との戦いでまで、魔物に義理立てする必要はない。万が一、説得に応じずカロル兵団の兵士に攻撃を仕掛けようとしたところで、最前線ではもう、一般兵の攻撃など歯牙にもかけない連中しか生き残っていない。
 開戦からしばらくたって参戦し、ノルグ族をひとりも殺していないログナはともかく、開戦当初、ノルグ族を蹂躙したミスティのことは、許せないだろう。
 だが、そのミスティ本人には、決して近寄ることはできない。
 今も、百八十度に対して黒い魔法剣を飛ばしまくり、ノルグ族だけを避けて攻撃するという離れ業を見せつけている。魔法剣を前に震えて体が立てなくなったものや、ミスティの意図に気付かず、組しやすいと見たログナへ攻撃を仕掛けてくるノルグ族を、ログナは次々に誘導している。ミスティからはまだ、魔法土を消費する許可は出されていない。
 また前線に行ってノルグ族を助けに行こうとすると、ふと、後ろの石壁から、声が聞こえた。
「俺たちも手伝います!」
 ログナが最初に説得して隠れさせたノルグ族の男だった。十人ほどの面々が、それぞれノルグ族を助けに散って行った。
 ログナはそれからも黙々と、ノルグ族の誘導を続けた。
 そしてある出来事が起きてから、人数は加速度的に増えていき、ノルグ族の説得は、ログナの手を必要としなくなった。第一迎撃魔法陣付近には収まりきらなくなり、第四迎撃魔法陣辺りまでを、ノルグ族の兵士たちが占拠するような形になった。
 ノルグ族が戦うのをやめたのは、ノルグ族たちと魔物の群れの背後から飛んできた、極大の火球が原因だった。火球はノルグ族も魔物も巻き込みながら、兵士たちを溶かしていった。ノルグ族も上級魔物も、まるで用済みとでも言わんばかりの、無差別な攻撃だった。
 ついに、人型魔物とその直属の配下たちによる攻勢が始まっていた。
 ミスティも出来る限り火球を防ごうとした。けれどそれは、結界魔法に関して右に出るものがいないクローセが展開させた、本式の結界魔法でどうにか防げたほどの攻撃だ。ミスティひとりで支え切ることは不可能だった。
「チャロ! レイとフォード隊をここへ呼んで! レイの代わりにはビューバーとグラッセとスハドを、フォード隊の代わりにはログナ以外の魔王討伐隊を! 救護したノルグ族たちは第六迎撃魔法陣まで後退させて!」
「はい!」
 チャロをはじめとした伝令係が、一斉に駆け出す。残ったのはひとりだけだった。
「ログナ! そばに!」
 ミスティが怒鳴ったので、ノルグ族の救出援護を中断して、ミスティのもとへ駆け戻った。
 ミスティは魔法剣を放ってから、ログナに顔を寄せてきた。
「わたしの正面に来た火球はどうにか防ぎますけど、それ以外の攻撃は防げません。わたしやレイやフォードをうまく壁に使って、かわしてください。いいですか?」
「俺、炎系の魔法を受けて怪我したことがないんだよな。あれも大丈夫そうな気がするんだが」
「それを試すのは絶対によけきれないとき限定ですからね。開戦してすぐに試したら殺しますよ」
 ミスティは涼しい顔で言ってから、視線を外した。
 ログナは小さな声で、
「わかりました」
 と呟いた。
 ミスティが魔法剣を細く、細切れに分散させて放った。
 恐ろしいほど正確な魔法操作技術で放たれた黒い光は、ノルグ族たちだけを綺麗に避け、彼らが逃走する時間を作った。
 それが、捨て石にされた部隊の最後尾だったらしい。
 ついに敵の主力部隊が姿を現した。統率された人型魔物の直属部隊が、隊列を見出さぬまま、前進してくる。一部隊につき百名ほどはいるだろうか。
 部隊を構成している魔物は、再三見ている新種の群れだった。魔力を吸収する半透明の魔物、鱗に覆われて直線的に走る魔物、強靭な顎でこちらの身体を食いちぎろうとしてくるイボだらけの青い魔物、これまで相手にしたものよりも巨大な爬虫類型の魔物。王都北部城塞などで見てきた、新種の魔物が、勢ぞろいしていた。茶色い毛玉の塊にしか見えない魔物、体は大蛇で顔のあるべき部分に食虫植物のような口をぱっくり開けた魔物など、見たことのない魔物もたくさんいる。
 ミスティの姿を確認すると、素早くログナとミスティを押し包むように展開し始めた。
 部隊の練度はかなりのもので、前進してくる敵を後退しながら相手にしているうちに、すぐさま囲まれてしまった。
 正面と左右を三部隊が囲み、後方を二部隊が囲んでいるようだった。
「一、二、三、四、五」
 ミスティは包囲されても落ち着き払っていて、部隊の中で明らかに異質な空気をまとわせた人型魔物たちの数を数えている。
「まずは、真ん中の人型魔物を殺しましょう。際立って魔力が濃いです」
 ログナは左肩のあたりに手をやり、両手剣を抜き去った。
 ミスティは魔法剣を構え、ログナは魔法土で増強した両手剣を構える。こうして戦うのは、ずいぶん久しぶりだ。
 ミスティが魔法剣を全方位にまき散らしたと同時に、ミスティとログナを同時に包み込めそうな大きさの火球が、真ん中の魔物から放たれた。同時に、他の人型魔物からも一斉にさまざまな魔法が放たれ、新種の魔物たちが一斉に前進を始めた。
 ログナはさっそくミスティとの約束を破り、魔法土を大きく展開させた。
「失敗したら簡易結界魔法で頼む」
 ログナは自らの眼前に魔法土を展開させて、二人が隠れる大きな盾を作り出した。
「勝手なことを!」
 ミスティがすぐさま、魔法土を除くかたちに、簡易結界魔法を張った。
 火球が魔法土に直撃したが、ログナの予想通り、火球は魔法土を突き破れなかった。
「よし」
 崩れることなく耐えきった魔法土を、体にまとわせながら、突っ込んできた新種の魔物たちに対して両手剣を構えた。ミスティの攻撃のおかげでそれなりに減ってはいたが、人型魔物の張った青い結界が多重に魔物たちを防護している。ログナは構わず、土魔法で防護した両手剣を振り抜いた。両手剣は青い結界を突き破り、新種の魔物たちの首や胴体をまとめてはね飛ばした。
「やりますね、ログナ」
 ミスティはどこか嬉しそうに言った。
 ミスティの、全方位に渡る攻撃が、魔物を寄せ付けずにいてくれる。それでもなお、魔法土に次から次へと直撃する魔法は、魔法土と、ミスティの簡易結界魔法が弾いてくれる。魔法土はどうやら、人型魔物や新種の魔物が使う魔法とは、相性がいいらしい。
 援護を受けたログナは、突っ立ったままレイエド砦へ向けて火球を放っている、真ん中の人型魔物に近づいた。その魔物は燃えるような赤い肌をもち、魔王を彷彿とさせる一本角が突き出している。ログナの三倍以上の高さ、三倍ほどの横幅まで、両手剣の刃が通らなかった魔王を彷彿とさせる体つきだ。ログナは腹を裂いてやろうと両手剣を振り抜いたが、人型魔物は青い結界に守られた腕でかばった。両手剣は、魔王のときと同じように、真っ二つに折られてしまった。両手剣を捨て、片手剣を抜きながら怒鳴った。
「こいつは俺には無理だ!」
 包囲している敵の対処に手間取り、やや遅れていたミスティが、魔法剣を放つ。
 それも、他の四名の人型魔物たちも加わったと思しき、多重結界を張って防いでしまった。
 ログナは素早く後退してミスティのもとへと戻った。
 赤い人型魔物は、また新たな火球を作りだしている。その左右を守る人型魔物は、真ん中の魔物と同じように一本角の赤い肌の人型魔物だったが、真ん中の人型魔物よりは小さい。二体は両手を掲げて、半透明の新種へ向けて、ありったけの魔法を放ち始めた。半透明の新種が、魔法を吸収してどんどん膨れ上がっていく。
「ログナは膨れ上がってく化け物と、後ろの人型魔物への防御をお願い! わたしは前面の三匹を殺す!」
 ログナは言われる前から、半透明の化物を斬りつけていた。刃先が入ると、魔力を吸い込んで巨大化していた体が、空気が抜けていくようにしぼんでいった。
 人型魔物の二段目の部隊に動きがあった。正面の敵がミスティを押さえている間に、二段目の部隊が一段目の部隊の両脇をすり抜けて、レイエド砦を目指し始めていた。
 ミスティとログナは、レイエド砦から明確な意思をもって分断された。
 力があっても知性はないと、さんざん侮ってきた魔物たちに。
「前言撤回します! いったん後退しましょう!」
「だめだ! 今の状況で俺とミスティが後退すれば戦線が崩壊する!」
 後退すれば、それこそ敵の思う壺だ。
 後退したぶんだけ、敵はレイエド砦に近づくことができる。敵はレイエド砦に近づけば、あらゆる手段で結界を破ろうと試みるだろう。一気呵成に攻め立てる敵を、抑え込むのは容易ではない。こうしてミスティを抑え込むという目的がある以上、この部隊は、攻撃に参加できない。ミスティとログナが生きている限り、この場に釘付けになる。
「じゃあどうしろっていうんですか!」
 ミスティがさすがに平静を失った声で叫んだ。
「殺すしかない! 少しでも早く! それまではレイとフォードがどうにかしてくれる!」
 後方を固める魔物二体が後方部隊の一列目にやってきて、何かを練り合わせたような、紫色の稲光のようなものを飛ばしてきた。ログナはまた魔法土を盾の形に変形させて、それを受け止めた。
 そして盾を押さえつけたまま、駆け出した。突っ立っていれば押し負けてしまいそうな、重い稲光を、両手で力いっぱい押しやる。目も開けていられないような激しい閃光の中を、突進する。
 途中で稲光が消失したので体にまとう形に戻すと、魔法でログナの魔法土を破壊するのをあきらめた人型魔物が、二手に分かれて逃げていくところだった。その動きを見ていて、人型魔物にも、接近戦が得意なものと、不得意なものがいるという、当たり前のことに気付いた。
 魔王もそうだったが、接近戦の得意な人型魔物は、絶対にログナでは倒せない。両手剣や片手剣ではそもそも刃が通らないし、カロルの魔法剣でも傷をつけるのがやっとだった。きっとヴァーダーも同じ系統だろう。
 けれどこの二体は、違う。明らかに、ガーラドールに似た形質だ。ログナの片手剣を避けきれずに体を傷つけられた、あの人型魔物。
 ログナは、左に逃げた人型魔物を追って、数々の新種の間をすりぬけ、先回りした。魔法土に次々にぶつかってくる攻撃を無視しながら、人型魔物が来るのを待ち構えた。そして茶色の毛で覆われた巨大な新種の陰から、ログナは飛び出した。ログナを見失っていたその人型魔物は、自分たち人類と――ログナと少しも変わりないように見える、目という感覚器官を、見開いた。
 ログナは一瞬覚えた戸惑いをすぐに消し去り、魔法土を一気に吐き出させて、片手剣の柄に継ぎ足した。急激に攻撃範囲の伸びた片手剣を、そのまま、振る。青い皮膚のうえに紫色の斑点がそこらじゅうに浮き上がっている以外は、人間と大差がないように見えた人型魔物は、真っ二つに斬り飛ばされた。
 ログナは周囲の半透明の新種を殺しながら、体が再生するのかどうかを待った。しかし、しばらく経っても、死体はそのままそこにあった。イシュの話では、ヴァーダーは再生能力のある人型魔物だったらしいが、これは、違ったようだった。十年前に倒した魔王も、再生はしなかった。
 その人型魔物の周辺にいた新種をあらかた倒し終えると、甲高い叫び声のようなものが耳に突き刺さった。
 何か、涙を誘うような、もの悲しい響きの音だった。
 音の発生源の方へと眼をやると、先程右へ逃れたもう一体の人型魔物が、ログナのほうを見ていた。その人型魔物も青い肌で、右肩のあたりに、ガーラドールと同じように男の顔が埋め込まれている。
 人型魔物は、ログナにはまったくわからない言語を叫びながら駆け寄ってくる。その顔を、ログナはよく知っていた。鏡でよく見た、昔の自分の顔。憎しみに歪んだ者の顔。
 ログナは先程の人型魔物を斬り飛ばす瞬間に感じた違和感を、また、ここでも覚えた。それは無視してはいけない違和感のような気がしたが、無視するしかなかった。人型魔物がどのような存在だろうと、殺すか、殺されるか、その選択肢しか、今はなかった。
 ログナの近くまで来ると、人型魔物の顔が急に飛び出し、そのまま首を伸ばして、ログナに噛みついてこようとした。それに気を取られている間に、人型魔物の左手には、赤黒い球体がばちばちと音を立てて火花のようなものを散らしていた。ログナはすぐさま新たな魔法土を生成した。
 左手の魔石から出た魔法土を硬く丸めて、人型魔物の左手から放たれたその球の右横から、思い切りぶつけた。球同士がぶつかりあって、ログナの正面から、左横の方へ、わずかに進行方向がずれた。ログナは左半身をねじってどうにか避けた。球体が左わき腹のあたりの魔法土をかすめて飛んでいく。ログナはそのまま、一回転しつつ、片手剣を振り降ろした。人型魔物の右肩に、刃の腹が刺さる。
 手がずぶずぶと沈んでいくような重く鈍い感触。魔法土で強化された片手剣が、骨をも断ち切っていく。
 途中で差しかかった、胸のあたりが、膨らんでいた。人型魔物にも女がいるらしい。思わず片手剣に込めた力を抜きかけたログナは、雄たけびを上げながら片手剣に左手も添え、そのまま股まで斬り降ろした。緑色の血しぶきが激しく吹き出し、避けようのない距離にいるログナは、思い切り返り血を浴びた。
 とっさに目を閉じ、返り血が目に入るのをかろうじて避けながら、人型魔物の体に背を向けた。
 革の鎧の袖口に顔中の返り血をこすりつけながら、目を開け、ミスティを探す。
 深追いしすぎたように感じられたが、人型魔物を追っているうちに、ログナはミスティのそばへ戻って来ていた。
 ミスティは簡易結界魔法を張りながら、膝に手を突き、肩で息をしていた。
 三体いた人型魔物は、ちょうど、最後の一体が闇魔法で消滅したところだった。
 ログナに気付くと、ミスティはぽつりとつぶやいた。
「あの人型魔物、まだ子供だった」
 そして三体の人型魔物がいた場所へと目を向けながら、
「大きいほうを殺す直前、古代語で、『父さんを殺さないで』って……」



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