55 人類史の終わり(1) 夜明け前


 やけに明るい太陽が昇ったな、と初めに思った。
 一番の迎撃魔法陣の近くで、麻で重ねがけした寝袋に包まり、うつらうつらとしているときだった。
 ログナはすぐに、いまは夜明け前だということに気付いた。
 辺りに煌々と焚かれたかがり火が、きらめく星々のなかに浮いた、純白の人型魔物の姿を照らし出している。ログナは慌てて寝袋から這い出し、やや離れた位置で眠っているミスティとチャロを叩き起こした。飛び起きたチャロが、小柄な体を跳ねるように動かして、伝令係の兵士たちを起こしていく。
 ほとんど同時に、レイエド砦の方から激しい鐘の音が響きわたる。闇夜に、簡易結界魔法の薄紫色が出現した。それが濃い紫色に変化し見えにくくなった。
 太陽の位置が、急激に動き始める。
 やがて、レイエド砦の四分の一ほどの大きさはあろうかという太陽が――薄闇に橙色の尾を引いた、とてつもなく大きな火球が、レイエド砦を守る結界にぶつかった。
 『始まりの石』を使った本式の結界はびくともせず、その火球を呑み込んでしまった。
 胸をなでおろす間もなく、今度はその太陽を生み出した人型魔物が、次の太陽を生み出しているところだった。あんなものが次々に降ってきては、すぐに東門の戦線が崩壊してしまう。
 彫像のように均整のとれた純白の身体に、純白の翼をはためかせているその人型魔物は、考えるまでもなく、ヴァーダーやガーラドールよりも、はるかに力が上だ。
「反則だろ、あの化物」
 ログナが呟くと、その人型魔物の後を追ってきたように、次から次へと、空に飛行型魔物が姿を見せる。簡易結界魔法の薄紫色も、次々に暗闇を彩る。地鳴りが、怨嗟の声が、遠くから聞こえる。壁に空いた穴から向こうの様子を窺っていたチャロが、声をあげる。
「地上からも、来ます!」
 ログナも慌てて別の穴から外を覗いた。一番の迎撃魔法陣、最前線のこの場所から遠く離れた場所まで設置されたかがり火が、次々に消えていくのが見えた。魔物の大群に押し潰されているのだろう。
 対空迎撃用の櫓《やぐら》から飛ばされた、様々な魔法が、一直線に空へと向かっていく。
 反対に、空から、魔法剣のようなきらめきが一直線にこの場所に降ってきた。ミスティが右手を掲げると、それは彼女の目の前で掻き消えたが、魔物や、大蛇のようなかたちをした何かが、ぼとりぼとりと空から降ってくる。
 ミスティは簡易結界魔法を張りながら、鞘から柄だけの剣を抜き去り、空に向けて魔法剣の帯状の光を飛ばした。
 それに気付いたのか、純白の人型魔物が、先程よりも小さな太陽を、生成途中で地上に落とした。闇夜で際立つ純白の身体が、ミスティの正確無比な魔法剣から逃れるように、目にもとまらぬ速さで動く。しかしそのまま、魔物たちがやってくるほうへと逃げる途中で、ミスティがその体をつかまえた。翼に魔法剣が当たったらしく、きりもみするような格好で、魔物の群れの中に落ちていった。そのあまりにも素早い空中戦に目を奪われていると、轟音と地面の揺れを感じた。振り向くと、純白の人型魔物が落としていった火球が、六番の迎撃魔法陣の辺りを跡形もなく消し去っていた。そこにいた五人が消え、近くにあった石壁が、影も形もなくなっている。
「伝令! 用意はいい?」
 ミスティは魔法剣で空の敵を蹴散らしながら、言った。
「はい!」
 チャロを含めて十二人いる伝令係の兵士たちが、同時に声をあげる。
「イシュとテイニとトライドを十一番の援護へ向かわせて。おそらくその付近にヴァーダーとガーラドールが降下する」
 ミスティがチャロに伝えると、チャロが伝令のなかから六人に声をかけて、走り出した。
 ログナとミスティと六人の伝令だけがこの場に残った。
 七十五番の迎撃魔法陣までの四百名をウィルフレドが動かし、七十六番から百五十番までの四百名の指揮をシャルズが執ることになっている。百五十番以降の約二百名は東門以外の守備要員で、東門に敵が集中した場合は、欠員の補充要員だ。
「俺も十一番へ向かっていいか?」
 皮膚を刺すような緊張感の中、ログナはミスティに訊いた。
 十一番の迎撃魔法陣は、ルーアひとりの担当だ。すぐさま走り出しそうになるのを必死でこらえていると、
「ログナはまだ動かないで。伝令とともに待機です」
「どうしてだ! 部下が危ないのに俺だけ待機なんて……」
「ログナは、ヴァーダーとガーラドール以上の人型魔物がいた場合に備えていてください。魔力が少ないんですから、序盤戦で消耗させるわけにはいきません」
 そう言うとミスティは、自分の目の前を塞ぐ石壁を、魔法剣で粉々に砕いた。ログナと伝令はそれぞれ、左右の石壁に隠れた。ログナたちを覆う簡易結界魔法を張りながら、自らは迎撃魔法陣を闇魔法で移動させ、その上に乗り、魔法剣を構えた。ログナは石壁の小さな穴から覗いて、カロル以上の圧倒的な攻撃力を、改めて目の当たりにした。暗くてよく見えないが、魔物たちの悲鳴、ノルグ族兵士たちの断末魔が聞こえた。
 けれど相手も負けてはいない。屍を踏み越えて、ミスティが再度魔力を補充して魔法剣を放つまでの間に、敵軍の前面は、簡易結界魔法の薄紫色の光を多重に重ね合わせていた。その上を、青色の光が包んでいる。おそらく青色のほうは、人型魔物の張った結界だろう。
 闇に溶ける黒い帯状の光が、一瞬だけかがり火に照らされ、敵軍目がけて飛んでいく。簡易結界魔法も、人型魔物の張った結界の形を崩し、突き破ったように見えた。あれほどの多重結界を突き破ることが出来るというのは、人知を超えた力としか言いようがない。
 しかし最初のときよりはずいぶん敵方の被害が少ない。魔物やノルグ族兵士たちの勢いは衰えず、ミスティの三度目の帯状の光が飛んでいく頃には、第一迎撃魔法陣の近くまできていた。
 そのあいだに、遠くのダタ山脈の後ろから、徐々に太陽が姿を見せ始めて、付近の様子が確認できるようになってきた。
 ログナは我慢しきれずに辺りを見回した。ミスティの簡易結界魔法が張られている範囲を確認すると、近くの櫓も入っていた。薄紫色の膜の中を駆けて、櫓の梯子を駆け上る。ひとりの兵士が必死になって弓を連射しているので、邪魔にならないよう、梯子から櫓の外側に手足をかけて、体を伸ばし、敵がやってくる方を見た。
 ミスティの魔法剣の餌食になっている前面の敵、ノルグ族や上級魔物は、ただ無秩序に突っ込んでくるだけだった。しかし、その背後には、きちんと整列して、部隊としてのかたちを保ちながら、一糸乱れぬ行進を続ける部隊が展開していた。
 見間違いでなければ、ひとつの大きな部隊の塊につき、ひとりの人型魔物がついている。
 魔王討伐隊は、たった一体の人型魔物――魔王を倒すのに、六人がかりだった。
 激しく脈打つ鼓動を感じながら、その塊を、ログナは数えた。
 十。
 人型魔物の率いる部隊は、見える範囲だけで、十部隊、存在していた。



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