56 人類史の終わり(2) 果たされる約束


「ヴァーダー、貴様、殺し損ねていたのか」
「そうらしいな」
「そうらしいなで済むか馬鹿が! 俺ではこいつらは手に負えん」
「俺がやる。お前は結界を破って中のゴミどもをぶち殺してこい。それで全部、終わりだろ?」
 ヴァーダーとガーラドールが、呑気に会話をしている。
 十一番の迎撃魔法陣に駆け付けたトライド、イシュ、テイニが見たのは、レイとルーアが二体の人型魔物を前にしているところだった。しっかりと正対しているのはレイだけで、ルーアはレイの後ろで呆然と立ちすくんでいる。彼女らの周辺を、数十もの魔物の死体が取り囲んでいた。
 レイが魔法剣を薙ぐと、ヴァーダーはレイと同じような線状の光を右手から放ち相殺、ガーラドールはその場に高く跳んで避けた。魔法剣は、線上の光を伸ばしたあとの隙が大きいと聞いたことがある。トライドはヴァーダーの指先がレイに向きかけたところで、慌ててレイに加勢し、横から炎弾を発した。
 すると、ガーラドールがヴァーダーの代わりに反応した。トライドの方へ走りながら、腕で炎弾を受け止め、その腕を切り離した。明らかな危険の匂いをかぎとったトライドは、簡易結界魔法を張りながら後退した。
 しかし主人に置き去りにされた両腕は何も反応せず、ただ落ちただけだった。
 そちらに気をとられている間に、目の前にガーラドールの脛があった。簡易結界魔法は絶対ではない。衝撃に備えて身構えると、構えた両腕に、熱した鉄板を押し当てられたような痛みが走った。簡易結界魔法を突き破ったその蹴りに呻きながら、土魔法を発動させ、ガーラドールの足元から、魔法土をするどく隆起させた。
 ガーラドールは素早く避ける。ヴァーダーはレイに向かって右手の閃光をぶつけていて、レイはそれを魔法剣でかろうじて防いでいる。ヴァーダーが一歩一歩近づくが、レイはその場から弾き飛ばされないようにするのがいっぱいいっぱいで、後退すらもできていない。
 そこで、ガーラドールの落とした腕が、爆散した。
 魔法剣の使い手は普通、ミスティのように、魔法剣と簡易結界魔法を同時に使いこなすことはできないらしい。レイは、丸腰だった。そんな彼女の体を目がけて、緑色の液体が降り注ぐ。トライドは簡易結界魔法をレイにまで伸ばした。どうにか防いだが、辺りには、ガーラドールの肥大化した腕が次々に散乱していく。
 トライドはそこでようやく、自分とレイ以外がまともに戦っていないことに気付いた。
「見殺しにするつもりですか!」
 今までの自分では考えられもしないような声が、腹の底から出ていた。
 ヴァーダーへの恐怖からか、立ち尽くしていたイシュとテイニが、弾かれたように動き出し、風魔法を乱射し始めた。ルーアもきっと動き出したはずだ。
 ガーラドールの腕が次々に爆散したが、レイ以外が重ね掛けした簡易結界魔法と、イシュが展開させた闇魔法で、どうにか防ぐことが出来た。
 そして、爆散に気をとられている間に、敵は、青い膜のような結界を自らにまとったヴァーダーしかいなくなっていた。
 ヴァーダーは風魔法を結界で弾きながら、右手でレイの魔法剣を相手にしていた。
 トライドはヴァーダーのまとう禍々しい気配に気圧されないよう、叫びながら両手剣を抜き、振り下ろした。
 するとヴァーダーは、開いた左手をこちらに向けてきた。左手の爪が急激に伸び、両手剣が弾かれる。薬指と小指の爪がさらに伸びる。トライドは両手剣から手を放しながら慌てて横に飛んだ。それでも間に合わず、左腕をかすめた爪が、鋭い痛みを残した。
 イシュは闇魔法でヴァーダーを包もうとしていたが、ヴァーダーは、五本の刃物のようになった左手で、イシュ本人を攻撃した。イシュは簡易結界魔法と黒い霧を操作して、その左手を受け止めた。
 テイニが片手剣を振るうと、ヴァーダーは一旦すべての攻撃をやめて素早く後退した。息を吸い込みながら上を向き、牙をむき出しにして咆哮した。簡易結界魔法が吹き飛ばされそうなほどの振動が伝わってくる。
 空から飛行型の魔物が集まって来て、その背中から、次々に魔物が降りてくる。
 レイが即座に魔法剣を使って掃討したが、一体だけ、薄い青色の結界を張って避けた人型魔物が生き残った。金色の毛並みに彩られた、ヴァーダーと同じく獣に近い人型魔物だ。
「お呼びですか」
「騎士団長だけ引き離せ、すぐに加勢する」
「はい」
 人型魔物同士で二言三言、交わし合った直後、金色の人型魔物が、右手をかざし、うねうねと蠢く太い糸のような物体を射出した。レイが魔法剣を解いて簡易結界魔法を張ると、簡易結界魔法に吸着した太い糸は、金色の人型魔物の右手に繋がっていた。金色の魔物は糸を掴んだまま、レイを思い切り放り投げた。レイの体が浮き、簡易結界魔法ごと放り出された。
 助けに入ろうとしたが、ヴァーダーの右手から発した閃光が、こちらに飛んでこようとした。するとその閃光は横から飛んできた風魔法によって、進行方向を強制的にずらされた。レイエド砦まで一直線に伸びていった閃光が、結界魔法に呑み込まれて消えた。
 視線を戻すと、ヴァーダーはイシュに顔を向け、笑っていた。
「お前、北部城塞にいた腰抜けじゃねえか」
 後ろに回り込んだテイニが片手剣を構え、右側面に回ったルーアが光弾を生み出して構え、イシュは左側面で闇魔法を構え、トライドは正面で両手剣を構えた。
 目で合図を交わし合い、四人は同時に攻撃を仕掛けた。ヴァーダーはその場から何の助走もなしに跳躍すると、四人の包囲から軽々と抜け出し、空中で右手をかざした。ヴァーダが跳んだところには、イシュの闇魔法が待ち構えていた。黒い霧がたちまちヴァーダーを包む。初めて余裕の表情を崩したヴァーダーの身体の大部分が、餌食になった。
 しかし、イシュは
「まだ生きてる!」
 と怒鳴った。
 ぽつりと残ったヴァーダーの腕に、黒い霧が、テイニの風魔法が、ルーアの光魔法が、トライドの炎魔法が迫ったが、ヴァーダーの再生能力はそれよりも早かった。腕は瞬間的に膨らみ、繭のような物体を形作った。
 イシュの闇魔法を拒むかのように、赤黒い繭のなかから、激しいつむじ風が辺りにまき散らされる。闇魔法以外の全ての魔法が直撃しても、その繭はびくともしなかった。繭が三度ほど大きな拍動をしたあと、中から、ヴァーダーが再び姿を現した。
 黒と黄色の織り交ざった毛並みは、黒一色になっており、筋肉の鎧はさらに厚みを増していた。
 ヴァーダーは笑うと、最も近くにいたテイニに向かった。テイニが簡易結界魔法を張る間もなく、五本の爪が、テイニを襲った。テイニの身体が、串刺しになった。トライドはすぐに両手剣を振り下ろした。けれどヴァーダーはすでにそこにはおらず、代わりに見えたのは、いつも眠たそうなテイニの目が力なく閉じかけ、テイニの右肩から右腰にかけて、赤い血があふれ出していくところだった。
 ヴァーダーがどこに行ったか見えなかったが、直感で右に目をやる。ヴァーダーの放った光の線が、避けようとしたルーアの、左腕のあたりを通過して、尾を引いている。トライドがヴァーダーの背後から両手剣を叩きつけようとすると、ヴァーダーの身体と、刃物のような長い爪が動き、ルーアを切り裂きながら、こちらへ反転してきた。
 トライドは咄嗟に、土魔法で自分の足元の地面を隆起させた。足元を見ると、ちょうど自分がいたところに、ヴァーダーの爪が刺さっていた。
 刺さった爪を魔法土で固定させようとしたが、すぐに爪は引き抜かれてしまった。ほんの一瞬しか持たなかった。けれどその一瞬を利用して、イシュが、黒い霧をヴァーダーの足元から這わせていた。イシュの黒い霧よりもヴァーダーの動きの方が一歩、早い。イシュは全身を覆うことを断念し、ヴァーダーの足だけをとらえて、潰した。
 トライドは魔法土で強化した両手剣の剣先を、下に向けて握りしめ、隆起した土の上から飛び降りた。地面を這う状態になっていたヴァーダーの背中のど真ん中に、両手剣が突き刺さる。地面に突き刺さるほど深く両手剣を押し込んだトライドは、手を離した。イシュの邪魔にならないよう、炎魔法を連射しながら距離を取った。
 ルーアを守る。
 ただその約束を果たすためだけに、体が動いている。恐怖心をどこかに忘れてきてしまったかのようだった。
 両手剣によって地面に縛りつけられたヴァーダーだったが、人型魔物に常識は通用しなかった。背中から生えた手が、両手剣を引き抜き、放り捨てた。新しい足が生えるほうが、イシュの黒い霧が体を覆い尽くすよりも早い。黒い霧はヴァーダーの腹から下だけをだけを貪り食らった。
 ヴァーダーは断末魔の叫びを上げながら、また新しい体を生やす。けれど、再生速度は見るからに鈍い。トライドはそのあいだに片手剣を引き抜いてヴァーダーのすぐ近くまで走っていた。ヴァーダーの体を覆う青い結界は弱くなり、トライドは片手剣で首を跳ね飛ばすことができた。転がった首のほうからゆっくりと体が生え始めるが、それまでにヴァーダーが捨てた体をすべて、黒い霧が覆っていった。
「約束は、守ったよ」
 右手を掲げたイシュが呟き、右手を強く、強く握りしめた。
 ヴァーダーは、消滅した。
 トライドは、ようやくになって襲ってきた恐怖心に震えが止まらなくなり、片手剣をその場に取り落とした。がちがちと歯をかみ合わせ、浅く速い呼吸を何度も繰り返す。
「トライドくん! 早く!」
 気分が悪くなり、かすみがかっていきそうになっていた視界が、イシュの怒鳴り声で、急に晴れた。
 駆けつけると、イシュはテイニの傷口を闇魔法で覆っているところだった。
「ルーアの止血をお願い!」
 ルーアに目を遣ると、仰向けに倒れ込んでいるルーアの右脛のあたりから先が、なくなっていた。左腕も、ひじから先がない。
 トライドは呆然と、ルーアの右足に手をやった。ルーアの身体の一部が、消えてしまった。ルーアの身体から、血が、どんどん流れ出ていく。
「何ぼうっとしてるの! 止血!」
 その声に殴りつけられ、トライドは慌てて魔石に魔法土を吐き出させた。
 左肘と、右足の患部をそれぞれ締め付けるようにまとわせると、ルーアが、悲鳴を上げた。
 ややあって、ルーアは左手を突きながら体を起こそうとした。けれど、支えになる左手は、すでにない。ルーアは仰向けに倒れ、頭をしたたかに地面に打ち付けた。
 ルーアは、泣きだしそうな声で言う。
「トライド……わたしの体、どうなってる?」
 トライドは答えなかった。
「さっきから、左腕も、右足も、なんだか、すごく、痛くて……。怪我、相当、酷いと思うの」
 トライドにはどうしても、答えられなかった。
 ルーアは涙を流しながらも、どこか軽い口調で、
「ねえ、こういうときって、仲間がとどめ、刺してくれるんだっけ?」
「こんなときにまでふざけるの、やめてくれよ!」
 トライドは、思わず怒鳴った。
 ルーアの涙は、止まらなかった。
「わたし、とどめを刺されるならトライドがいいなあ……。大好きな人に、とどめを刺されるなら、そういうのも、いいかなって……」
「嫌だ! 絶対に嫌だ!」
 トライドはあふれ出る涙に視界が狭まるのを感じた。
 するとルーアは、首を動かした。
「イシュ」
 トライドの知る限りでは初めて、ルーアが、イシュの名前を呼んだ。
「もし、わたしが死んだら、トライドを、お願いね」
「どうしてあなたの願いなんて聞かなきゃいけないの」
 テイニの手を握っているイシュが、視線も向けずに言うと、ルーアが、呻いた。
「それなら、お願い、せめて、とどめを。我慢してるつもりなんだけど、ほんとうに、痛くて……。トライドにはできないだろうから、代わりに」
「腕の一本や二本で喚かないで!」
 イシュがテイニの手を放して、立ち上がり、ルーアを見下ろした。
「臓腑をやられたわけじゃない。血さえ止まれば生還できるんだから、じっとしてなさい!」
「死なないのに、こんなに、痛いの? こんなに、力が抜けてくの?」
 ルーアは弱々しい声で、イシュに反論した。
「これまでわたしが、どんなに多くの戦場を経験してきたと思う? そのわたしが言うんだから信用して。テイニも、あなたも、重傷だけど、絶対に助かる」
「北部城塞のときは、見殺しにしようとしたくせに」
「あのときと今では、状況が違う。今は、あなたを……」
 イシュは、そこで言葉を詰まらせたが、言い直して、
「今は、あなたを、同じ隊の仲間だと思ってる」
 今度は最後まで言い切った。
 イシュの言葉に、ルーアは力なく笑った。
 それからルーアは、口をつぐみ、ずっと、空を見上げていた。
 トライドはそんなルーアの髪をかき上げて、空を見やすくしてやった。
 額に手を当て、髪を撫でながら、
「ルーア」
 と囁いた。
 ルーアが目だけを動かした。
「今は、イシュさんの言葉を信じて」
 ルーアは瞬きをして、応じた。
 トライドは、泥で汚れたルーアの額に、そっとキスをした。
 朝焼けの空には、魔物と人間の叫び声がこだましていた。
 トライドは唇を離して、ルーアの右手を手に取り、両手で硬く握りしめた。
「生き延びよう。何が何でも」
 人類の存亡を左右する戦いは、まだ、始まったばかりだった。



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