38 合流


 儀式のときに生まれた不気味な魔物たちは、クローセとシャルズが闇魔法で片づけた。どうにか事態は収束したといえた。
 翌日から、体調を崩したミスティの代理を、クローセが務め始めた。
 トライドとヴィーヴィとシャルズが同席する中、ログナと、ミスティにすべてを委任されたクローセとのあいだで、話し合いがもたれた。結果、王国滅亡によって独立した状況にあるとされたログナ支隊十八名は、カロル兵団と同盟を結んだ。兵士を集めて発表したときは、元敵方である少人数部隊に便宜を図る異例の出来事に、もちろん疑問や反発の声も上がった。だが、クローセが、ミスティを危機から救ったログナの功績をたたえ、ログナが王国に人質を取られて戦っていた事実を伝えたことで、その不満は表向き、消えた。
 しかしそれはあくまでも表向きに過ぎない。グテル市やレイエド砦に留まることは兵士たちが許さないだろうと、クローセもわかっていた。折衷《せっちゅう》案として用意されたのは、放棄した十二ある砦のうち、レイエド砦のすぐ目の前にあるヴィラ砦に、ログナ支隊が拠点を構えることだった。
 最前線で囮《おとり》になる捨て駒として働かせればいい、腐っても元魔王討伐隊の人間だ、これでレイエド砦の危険は減らせる。ログナたちがいないところで行われることになっていたその説明は、ログナを殺そうとしていたヴィーヴィが担当したはずなので、説明を聞いた兵士たちは、そういうことだったのかと納得したはずだ。
 厳格な指揮官として軍団を統制し規律を求めるクローセと、兵士たちと近い位置にありクローセやカロル兵団そのものに対する不満の受け皿になるヴィーヴィ、そして圧倒的な力で兵士たちの信望を集めるミスティ。カロル兵団はこのようにして上手く無法者たちを統率してきたようだった。人間を総動員せざるを得ない魔物との戦いのせいで、ロド王国の男と女の役割にさほどの区別はない。それでも、ここまで女中心の軍団というのは珍しい。
 ぼんやりと今後のことやカロル兵団について考えていると、閉じた西門の上にカロル兵団の団旗が翻る、石造りの砦が見えてきた。
「着きましたね!」
 トライドは、荷車を曳くのをやめて、トライドからだいぶ遅れて荷車を曳くログナに向けて、大声を出した。ログナも遠目から大声で返してくる。
「悪い。先に開門を頼んできてくれ!」
 カロル兵団の兵士に好き放題暴行されたとき、すぐに回復してしまったログナでも、さすがにまだ、ミスティに刺された足の怪我は痛むらしい。
「いえ。ゆっくり歩いてきてください!」
 荷車を静かに停め、取っ手をまたいで西門に向かって走って行く。
「開門を願う!」
 クローセによれば、放棄したヴィラ砦を何者かが占拠したらしい、と、レイエド砦から報告があったという。間違いなく、ここにいるのはルーアたちだ。
 念のため簡易結界魔法を張りながらトライドが怒鳴ると、同じく簡易結界魔法を張った人間が、西門の上に一瞬だけ顔を覗かせた。その一瞬で、トライドは、それが誰なのかわかった。
「名乗れ!」
 二週間ほど会っていないだけだったのに、どうしようもなく、懐かしくなる声。
「ログナ支隊所属、二等騎士、トライド・レイナト!」
 しばらく待つと、西門が内側から外側へ、静かに開いた。西門の前に、二列に横並びしたログナ支隊の兵士たちが足並みをそろえて歩んでくる。
 隊列が止まり、そこからさらに二歩、前に進み出たルーアが、直立不動の姿勢で立つ。
 肩越しに荷車のほうを見遣ると、まだ軽く左足を引きずっているログナが歩いてきて、ルーアの前で立ち止まり、姿勢を正した。
「ご苦労だった。これより、指揮は再び俺が執る」
「はっ! これより、再び指揮下に入ります」
 ルーアがまっすぐログナの目を見て、言った。ログナが、ぴしりと立てていた左足を崩す。ルーアも、少し足を開き、体から力を抜いた。
「訓練は、うまくやってたみたいだな。足並みがきれいに揃ってた」
 訓練は、という部分を強調したログナの気持ちは分かる。
 あのルーアが、ノルグ族の人々とうまくやっていたとは到底思えない。
 ノルグ族を侮辱する言葉が出る、そう思って身構えていると、
「はい。彼らがきちんとやってくれましたので」
 耳を疑うような言葉が返ってきた。
 こちらの驚きを目ざとく見つけたルーアが、不機嫌そうに睨んでくる。トライドは慌てて、驚きをしまい込んだ。
「ああ。そうだ。今のうちに言っておく。カロル兵団との同盟に成功したぞ」
 ログナは全員に向けて言う。
 一部から、おお、という声が上がった。
 ルーアの後ろにいるラヴィーニアが、ぱちぱちと小さく拍手した。
「これで、当面の敵は、絞られたわけですか。あとは、騎士団の生き残りを……あのギニッチ団長補佐を、どう説得するか、ですね」
 ルーアが大した感動もなく、応える。こちらはいろいろと大変だったから、そうあっさり応えられると、少し寂しい。
「なかなか、難しいだろうがな。やるしかない。ひとまず、東門の見張りを除いて大休憩にしよう。そのあいだにルーアから引き継ぎをする。お前らは仮眠をとるなりなんなりしていてくれ」
 ギニッチは、騎士団において抜群の武功を挙げてきた団長補佐だ。ルーアから話を聞く前、トライドも名前だけは知っていた。実際のギニッチは、ノルグ族をルーア以上に敵視しているらしく、会話に加わっただけのテイニを切り捨てようとした、とんでもない男だという。
 ノルグ族が大多数をしめる部隊の隊長として、ノルグ族に反乱の嫌疑を向ける男と話し合わなければならないのは、ログナの言うとおり、なかなか難しい。ノルグ族とは別れたと嘘を言うにしても、もし戦闘で一緒になれば、すぐに知られてしまう。
 ぼうっと考え込んでいると、
「ルーア、俺は先に指揮所に行ってるから、後から来い。トライドは南門の見張りを頼む」
 ログナがそう言って、歩き出した。
 すると、ルーアがこちらに近づいてきて、
「ひっさしぶり!」
 と言いながら、まるで男同士がやるように、肩を組んできた。革の鎧の硬い部分が首の辺りにぶつかり、かすかな痛みを運んできた。
「なんだか、ずいぶん久しぶりに感じる。トライドもそう思わない?」
 ルーアが、嬉しそうに言う。
 間近で発せられる言葉に、顔が熱くなってくる。香水でもつけているのか、やさしく軽やかな香草の香りが、ルーアから伝わってくる。
 普段はいくらこんなことをされてもなんとも思わないのに、ログナの気遣いのせいで、変に意識してしまう。
「うん。久しぶり」
 そう言うと、ルーアが離れた。
 少し残念に思いながら、ルーアに向き直る。
「無事で、良かった」
 トライドが言うと、ルーアが穏やかな笑みを浮かべて、やや俯き、
「トライドも」
 と言った。
 それから二人して、黙り込んでしまった。
 いつもなら他愛ない言葉がつながっていくはずの会話が、全くつながらない。少しの間離れていただけなのに、数年ぶりに会う友人に対するようなぎこちなさを、どことなく感じる。
 ルーアが少し落ち着かない風に髪を撫でて、うなじの辺りで束ねられた部分が、尻尾のように揺れた。
「あー……えーっと、引き継ぎあるから、また、後で」
「あ、うん」
 ルーアが足早に離れていく。
 そこで、ログナとミスティに言われたことが、頭をかすめた。
「ルーア!」
 慌てて出した声が、なんだか必死の呼びかけのように響いてしまった。
 ルーアがびっくりしたように振り返る。
 幼いときからずっと、自分のことを助け続けてくれている人の目が、トライドをじっと見つめてきていた。絶対に、失いたくない人の目が。
「ごめん、なんでもない」
 怖気づいたトライドがそう言ってしまうと、ルーアは特に言葉を返さず、苦笑いをしてから、歩いて行ってしまった。
 トライドは自分の意気地のなさに改めてがっかりしてから、南門へ昇る梯子の前まで歩いた。
 梯子を伝って南門近くの石壁の上に立つと、途端に冷たい風が吹き付けてきた。王都に比べて暖かいとは言っても、吹きさらしではさすがにこたえる。冬の本番が近付いている。
 東門のほうには、誰か一人が立って、遠くを見つめている。
 カロル兵団の団旗が風に翻る西門、それに北門は、レイエド砦のすぐ東側に広がる穀倉地帯と、前線防衛施設が多数ある方向だ。そのためいまは誰も見張りが立っていない。
 ここヴィラ砦は、砦そのものこそ、鉄の門に石壁づくりで堅牢なつくりだが、周囲には掘もない簡素な作りの砦のようだ。堅固な砦を量産することよりも、レイエド砦の備えを固めることに重点を置いてきたのだろう。平野にぽつんとたてられたこの頼りない砦は、王国軍がかつて狂ったように建造した砦のひとつを再利用したに違いない。
 射手が身を隠す石壁に両手をかけて、付近を眺める。
 作りかけの空堀や板塀といった頼りない備えが、一応は砦を囲んでいる。ルーアたちが造成している最中だったのかもしれない。何もしないよりはいいでしょ、というルーアの言葉が聞こえてくるようだった。そういったことを次々に思いついて、即座に実行していけるのは、ルーアの長所だ。決まった拠点の防衛、攻撃をする場合なら、隊長としての資質は、イシュの方がはるかに上だが、臨機応変な行動が求められる場合なら、ルーアも負けていない。
「トライドくん」
 そんな身びいきの考えを遮るように、イシュの友人、テイニの声が聞こえた気がして、周りを見回す。どこにもいない。
「トライドくーん!」
 テイニの声だ。
 もしかして、と思って東門の方を見遣ると、輪郭のおぼろげな人影がこちらを向いているように見えた。
「南門! よく見て! なにか来てる!」
 どうやらテイニには、トライドの姿がはっきりと見えているらしい。イシュは、王都北部城塞に伝書鳩の群れが飛んできたとき、遠くの鳥の姿を見て、飛んでいるのが鳩だとすぐに見抜いていた。テイニも目がいいのだろうか。
 トライドは慌てて南門の上から身を乗り出して見たが、何も変化は確認できなかった。
「見えません!」
 と怒鳴ったとき、テイニがそれに被せるように、
「東から、一人! いや、二人、三人……何かの旗を振りながら走ってる!」
 思わず南から目を離して東を見る。すると、テイニが石壁の上から、砦の内側に向けて身を乗り出し、
「イシュ! ログナ様をすぐに呼んできて!」
 呼びかけた。
 トライドも、再び南に目を向けた。
 先程まで何の変化も感じられなかった方角に、土煙が上がっていた。
 目を精いっぱい凝らして、土煙の影から出てくる何かを待ち構えた。
 このままずっと何も起こらなければいい。懲罰房にいるあいだずっと考えていたことが、ただの妄想に過ぎなかったことを、改めて突き付けられ、トライドは叫んだ。
「南東の方角から魔物の大群! 敵襲! 敵襲っ!」



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