39 ヴィラ砦防衛戦(1) 全滅の戦場


 魔物の大群は北東や東や南東方向からそれぞれ攻め寄せてきていた。
 北門はイシュ、東門はログナ、西門はテイニとナフド、南門はルーアとトライド、東門と南門の中間にラヴィーニア、壁上の遊軍は他の兵士全員というように、ログナは隊を分けた。この少人数部隊で隊を分けるのはあまり上策とはいえないが、ある一方だけを固めても、ここヴィラ砦の防備ではどうにもならない。どうにもならないからといって、ヴィラ砦を放棄してレイエド砦に逃げ込むことも許されない。敵がやってきてすぐに逃げ出してしまえば、ヴィーヴィが兵士たちを納得させた説明と矛盾することになり、もともと王国を憎悪しているカロル兵団との同盟は、簡単に破綻してしまうだろう。
 ログナにはかすかな勝算もあった。魔物に追われ逃げ込んでくる兵士たちを収容して、戦力にしてしまうというものだ。魔物の大群から逃げている兵士たちは、おそらくレイエド砦を目指している。しかしカロル兵団が、王国軍あるいは王国騎士団の敗残兵のために危険を冒して門を開くとは思えないから、次に来るのはこちらだ。その兵士たちに梯子を使って城内へ逃げ込むよう誘導し、壁上から魔法で援護させる。特に戦意のある物は各門の防衛を手伝ってもらう。
 壁上の兵士たちに、木材を加工して簡単な梯子をありったけ作って降ろすように言ってから、ログナは散開を指示した。人間と違って魔物は梯子など使わない。掘を飛び越え、あるいは跳び越え、石壁を破壊して、中にいる人間を食い尽くして終わりだ。
 ログナは、荷物を満載した荷車をがしゃがしゃと曳いて東門に着くと、さっそく上から降ろされた梯子を、空堀の一部に架けた。
 そこでふと思いついたことがあり、
「誰かそこにいるか!」
 壁の上に向けて叫んだ。
 顔を出したノルグ族の兵士に、指示した。
「誰か一人、カロル兵団の旗に、違う布を巻きつけ直して、東門の上から振ってくれ! 王国の敗残兵を収容したら、そいつと交代だ!」
 頷いた兵士が消えていく姿を見たあと、ログナは荷車に積んだ荷物に手をつけた。荷車の中には、小型弓に、通常の矢と、魔法を伝える特別製の矢が積んである。特別製の矢は上級魔法研究員だけが作り出せるが、カロル兵団には、ミスティの儀式を手伝ったシャルズという上級魔法研究員がいたから、おそらく彼が作っていたのだろう。弓矢の他にも、ありったけの両手剣と片手剣、ルーアが作りだめしていた干し肉、水の入った小さな樽がたくさん積んである。東西南北それぞれの門の担当にも、一定の装備を分配した。短時間で戦闘が終わるとはとても思えないから、備えは必要だ。
 背中に背負った両手剣の鞘とそれを支えるベルト、腰に差した片手剣の鞘、小物が入った麻袋。腰のベルトを除いてそれらをすべて外し、荷車に放り投げる。両手剣や片手剣の鞘を一本一本抜き去り、地面に突き刺したり、放り投げたりしていく。小型弓を入れるための箱を、背中にベルトで備え付け、特別製の矢筒をありったけ、腰のベルトに備え付けた。
 雲霞《うんか》のごとき魔物の大群が、まるでこちらを――レイエド砦やヴィラ砦を目指しているかのようにして向かってくる。びりびりと伝わってくる地鳴り。地面の揺れがどんどん大きくなって、小刻みに揺れ始める。
 後ろで、門の閉じる音がした。背水の陣ならぬ、背門の陣だ。門を突破されれば、ログナ支隊は仲良く全滅する。イシュが守る北門、自分の守る東門はいい。だが、ルーアとトライドが守る南門、テイニとナフドが守る西門が怖い。策はない。誰も死なないように、祈るしかない。
 南東に向けて、小型弓を構えた。
 まず接敵するのは、どうやら東門になりそうだ。弓を引き絞り、矢に土魔法を込める。放たれた矢が、名前のわからぬ新種の魔物へ一直線に向かっていく。それは魔物の胸を突き抜け、後ろにいた魔物にも突き刺さった。
 ログナは弓の行方を確認して思わず顔をしかめた。その魔物の後ろには、龍族種が幾体も控えていたからだ。その鈍重な体を支えて飛ぶことが出来ず、使い物にならない羽を引きずって、地面を走る姿は滑稽ですらあるが、龍族種の吐く火炎はとてつもない威力がある。グテル大虐殺にも大きく役割を果たしただろう。
 動いている魔物の頭を吹き飛ばすほどの達人ではないから、ログナは一番当たりやすい腹を狙って射る。特別製の矢でも、一本当たっただけでは倒れない。龍族種を目がけてとにかく矢を放ち、近づいてくる前に、運よく一頭を仕留めることができた。だが、それだけだ。幾頭かが、トライドとルーアのいる南門に進路を向けている。ログナは注意をこちらに向けようと、指を口に持っていき、指笛を吹きかけた。するとその前に、北門から指笛が聞こえた。空を飛ぶ魔物が、仲間を呼び集めるときに使う鳴き声を、見事に模している。イシュの特技はどれも野性的だ。
 南門に向かっていた多くの魔物が、東門と北門の方角へ向かってきた。弓を射かけながら横目で北の方角を確認する。北東からも魔物は来ていて、追われる敗残兵たちは次々にレイエド砦へ助けを求めにいく。おそらくあの兵士たちは見殺しにされる。弓を放って矢筒から矢を抜き、構えて、放つ。また横目で見ると、壁の上で、旗が振られているのが目に入った。それに気付いた一部の敗残兵たちが、こちらへ走ってくる。東門付近には、すでに梯子がいくつも降ろされている。
 構えて放ち、構えて放ちしているうちに、どんどん敵の姿がはっきりしてくる。ルダス、ミングスといったおなじみの魔物に、龍族種も数十頭、新種が数えきれないほど。ログナは笑い出したくなった。王都北部城塞のときですらきわどい戦いを強いられたのに、それよりもはるかに敵の数が多い。
 確実に、全滅する。
 しかしただで命をくれてやるわけにはいかなかった。この命を助けるために爆散した、あの馬鹿の為にも。
 龍族種の体当たりを受ければ、石壁はそう長く持たない。他の魔物は放置して、龍族種目がけてとにかく射った。龍族種に当らなくとも、何かしらの魔物に当たった。ふざけた密度だ。イシュの闇魔法が視界の隅に広がり、少しだけ見ると、北東からくる群れの中の龍族種を、包み込んでいるようだった。さすがにイシュは優先順位をわかっている。南門の二人も同じ認識だといいが。
 ログナはここ最近よくしていた、魔法土で体の近くを覆うやり方をやめて、出来るかぎり体から離して、辺りに魔法土の塊を漂わせておくようにした。最前線に復帰してしばらく経ち、全力で魔法土を使う機会がいくつもあった。そのおかげか、昔の自分に近い――といってもたかが知れているが、魔力を取り戻せつつあるようだった。
 弓を魔法土の隙間から放てるだけ放った。けれどまだまだ減る気配はない。足元の両手剣を拾い、いつものように魔法土の一部で覆う。
 間近に迫った龍族種が、雄たけびをあげた。身のすくむような大音声《だいおんじょう》が轟く。ログナは雄たけびの途中で耳を魔法土で塞いで、駆け出した。どの魔物もすべて、人間を敵とみなして、攻撃にかかっている。常識外の動き。龍族種の火炎の息に、新種の魔物が飛ばした飛沫上の液体、ルダスの振り下ろす爪、三方向からそれぞれ攻撃が襲ってきた。浮かせた魔法土をそれぞれの攻撃に当て、攻撃が止まった隙に抜け出して、地面に刺しておいた両手剣を引き抜きながら、ルダスの腹をかっさばく。魔法土が体を覆うような状態だと、攻撃を受けた衝撃で一瞬動きが止まるが、このやり方ならそれを避けることができる。
 そのままの勢いで龍族種の側面に飛び込んだ。それを嫌った龍族種の尻尾が飛んでくる。魔法土を一時的に壁の形にして防ぎ、魔法土に当たって勢いの死んだ尻尾を斬り落とした。悲鳴が上がる。後方を守るため、魔法土を背後に浮遊させた状態で、尻尾を失い体勢を崩した龍族種の太ももを裂く。緑色の血が飛び散る。その血と、右側から向かってくる二本角の新種を、一歩下がって避ける。ログナが避けたことで、新種の魔物の頭から突き出した二本角が、龍族種に突き刺さった。ログナは両手剣を捨て背中の小型弓を取り出し、土魔法を込めた矢で、二本角の新種と龍族種をまとめて射ち抜いた。
 何かの焦げるにおいが漂い溶ける音が横で聞こえるが、魔法土に任せる。弓をしまって拾い直した両手剣を、飛びかかりながら振り下ろす。危機を察知し羽をばたつかせたが飛べるはずもなく、ログナはそのまま、龍族種の柔らかな頭を叩き潰した。着地と同時に、両手剣を横なぎに振り回す。加速した剣先が、先ほどから魔法土に対してがちゃがちゃと攻撃を加えていた魔物を三体まとめて葬り去った。上半身がそろって切り離された魔物の姿が視界の端に映る。青色の新種だった。
 二頭目のルダスの爪が振り下ろされ、そのルダスを斬り払うと、全身に鋭い矢じりをつけたような四つ足の新種が、体当たりを仕掛けてきた。すぐに移動させた魔法土で受け止めると、魔法土の一部が突き破られてほんの少し、矢じりの先が見えた。ログナは魔法土をどけてから激しい掛け声とともに両手剣を振り回し、全身矢じりの新種の胸を叩き潰した。その後ろに控えていた新種の魔物は鞭のようにしなる尻尾で足払いをかけてきたが、ログナはその場に跳んで避けた。着地と同時に全方位から攻撃の気配が殺到する。一度魔法土を集中させて、周囲を囲む球体を作ったあと、攻撃がぶつかるかどうかのところで、魔法土を一気に弾き飛ばすようにした。魔物の爪や魔物の魔法が別の魔物の首筋や腹に刺さり、何体かが絶命した。背後でも同じことが起こったかもしれないが、背中に目はついていない。
 また別方向から、全身矢じりの新種が突っ込んできたが、それは壁上から飛んでくる風魔法の太刀の餌食になった。あまり両手剣ばかりを振るいすぎると体力を消耗するので、両手剣を新たに迫ってくる二頭目の龍族種に投げつけ、弓矢に切り替えた。飛んできた両手剣がぶつかり一瞬ひるんだ龍族種に矢を連続して放って射殺した。
 少し上がった息を整えながら、開戦前に地面に突き刺しておいた片手剣を掴み取った。壁上の兵士たちによる風魔法を受けてもなぜか膨張していく一方の、半透明の体をした気味の悪い新種の群れを次々に切り伏せる。爬虫類型の新種たちがせわしなく手足を動かし魔法土をすり抜けようと群がってきたので、体を覆う形に魔法土を戻し、王都北部城塞のときのように斬ってねじりきって踏みつぶした。
 そうしているあいだにまた別の龍族種が来て、口から吐き出された業火が飛んでくる。舌打ちして魔法土を離し、ぶつける。その間に足に噛みつこうとしてきた爬虫類型の新種を蹴り飛ばす。全身が鱗に覆われた虎のような新種――王都北部城塞でルーアが食い殺されそうになった新種の巨大化したものが、左方向から突っ込んできた。速さはとてつもないが跳んだ瞬間から着地まで、やはり直線的な動きだ。片手剣を垂直に構えて突き出すと、そこに自ら飛び込んできて、空中で勢いを止めることができずに頭の半分を剣に裂かれ、死んだ。けれど鱗が異様に固く、片手剣が刃こぼれしてしまった。
 使い物にならなくなった片手剣を三頭目の龍族種に向けて投げつけ、続けてまた弓矢を叩き込んでやろうとした。だが、何か右後方で大きな音が聞こえたので振り返る。ログナの正面にいるのとは別の龍族種が、石壁に体当たりしていた。梯子を上っていた敗残兵が地面に落ちて呻き、体勢を崩した壁上の兵士が壁の上から落ちそうになっている。
 四頭目の龍族種に弓を放ったあと、後方、右後方、左後方の魔法土に時間差で衝撃が走った。正面から三頭目の龍族種が、左から、右から、鱗の新種がぶつかってきていた。後方正面の魔法土に、ひびが入っている。その魔法土を戻し、新たな魔法土を生成しているあいだに、石壁への二度目の体当たりを、四頭目の龍族種が敢行していた。今度は石壁の一部が崩落して、東門壁上の通路の一部、半ばほどまでが崩落してしまっていた。
 舌打ちして、胸のあたりを狙って弓をまた放ち、走って足元の両手剣を拾い、その背中に斬りかかった。避けようとした龍族種の足が輪切りになって転がり、激しく吹き出した緑の返り血をログナは避けることが出来ずに浴びた。目をつぶったまま、両手剣を突き出す。手に、確かな手ごたえが残った。深く突き刺さったそれを引き抜かず放置して、背中を向ける。
 返り血を避けてふたたび開いた目には、最初に接敵したときとほとんど何も変わらない風景が映っていた。
 これだけやって、全く魔物の減る気配がない。ログナは笑って、次の標的に向けて弓を構えた。


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