31 捜索


 トライドが土魔法で作ったらしい、簡単な取っ手だけに全体重を預けて五階の高さからぶら下がる。いちいち手をかけて下りるのが面倒だったので、一階分降りたところで、魔法土で全身を覆い、飛び降りた。
「ちょっと、何してんの!?」
 上から聞こえるヴィーヴィの悲鳴を聞きながら、地面に着地する。
 鈍い衝撃が伝わるが、それだけだった。以前、巨大な飛行型の魔物と戦った時に、背中に乗ったまま戦わざるを得ない状況になり、魔物を殺した後にもっと高いところから飛び降りたことがあるが、その時も怪我はしなかった。
 ヴィーヴィがおっかなびっくり足を出し、手をかけ、慎重に降りてくる。
「本当なのか、あの話」
 魔法土を魔石に戻しながら、近づいてきたトライドに話を振る。トライドはログナと同じくきちんと革の鎧を着ているのに、なぜか唇を紫色にして寒そうだ。
「わかりません。わかりませんが……あの暴力女が、僕達に助けを求めて、魔石まで寄越すということは、かなり信憑性が高いと思います。本当だったら、時間があまりありません」
 ヴィーヴィが水魔法を使い窓ガラスを破って入ってきたのはつい先ほどのことだった。ヴィーヴィがトライドの名前を出しながら勝手に始めた説明によれば、ミスティは、おかしな術に以前から手を出していたらしい。それは、土魔法で腐敗を防止した五百人の遺体を用意し、人が、人を、蘇らせるという術。
 ヴィーヴィはミスティを心の底から慕っているようだが、以前から、そのことについてだけは何度も疑念を差しはさんできたという。普段嫌いあっているクローセとも、そこだけは意見が合った。けれどミスティは、二人がいくら言っても、それに関してだけは耳を貸さなかったという。
 魔物との長い戦いの歴史の中で、人を治療するための術は、いつの時代も強く望まれてきた。魔法研究所でも、何にも優先して研究されているのが、治癒魔法だ。
 それなのに、いまも、治癒魔法は存在しない。
 まして、治癒魔法のはるか上層に位置するはずの、死者を蘇らせる術など、存在するはずがない。
 十年前、魔王の拠点から脱出したあと、先代騎士団長ラッツを頼り、ロステト村に寄った。その森の中で、ミスティは、すすり泣いていた。いくら早熟とはいえ、十歳の子供だ。事あるごとにカロル、カロルと話しかけていたミスティが、あの時に受けた衝撃は計り知れないだろう。
 ミスティは、明らかにおかしな妄想に取りつかれている。死者を蘇らせる方法、そんな妄想が載った本を、魔法研究所が編むはずがないから、きっと、どこかの野良研究者が著した本だろう。正式に魔法研究所に認められた本の利点は、その術式や知識に添って魔法を発動すれば、百回やっても百回同じ結果が得られることだ。逆に言えば、魔法研究所に認められていない本は、その情報の正確性について、最大限の疑いを向け、慎重に運用することが必要だ。この世には、魔法を使った窃盗も、人殺しも、厳然と存在する。魔法を扱うものに、悪意がないとは限らない。もし、ミスティが参考にした本に術を実行する方法が書かれていたとしても、それが本当に書かれている通りの術なのかどうかは、発動させてみなければわからない。
 わかっているのは、人の能力を明らかに超えた術、あるいはそのまがい物に手を出した者が、無事で済むはずがないということだけだ。
 考えている間に、ヴィーヴィがようやく降りてきた。
 いまミスティについての情報を持っているのはこの女しかいない。いないが、殺されかけたことにひとまずけじめをつける。
「ちょっとこっち来い」
 ヴィーヴィに言うと、今まで見せてきた挙動の割に、素直に近づいてきた。ログナはヴィーヴィがこちらに来る間に、魔法土を密かに展開させ、足元に這わせておいた。
 ヴィーヴィが立ち止まったところで魔法土を使って、彼女の足を固めた。
「これで水に流してやる」
「え?」
 そう言いながら、右手を振り上げ、握り拳をヴィーヴィの頭に振り下ろした。避けようとするが足は魔法土にがちりと抱え込まれている。
 げんこつ。
「い、痛……いったー! え、なに……何なの? いきなり何すんの! 何それ?」
 怒りよりも先に戸惑いが来ているらしいヴィーヴィが、目を白黒させている。
 魔法土を解いても、ヴィーヴィは反撃しようとはしなかった。こぶくらいはできたはずだが、痛みには、かなり耐性があるらしい。頭を軽くさすった後はさして気にするふうもなく、首を傾げながら、横並びしたログナとトライドの前に立った。手の仕草でついてくるように言い、建物と建物の隙間にある人が一人通れるかどうかの裏路地に進んでいく。
「なんか納得いかないけど……。今から、ミスティ様を止めに行きます」
「そもそもミスティがいまどこにいるのかわかってるのか」
 ログナは体を横にして歩きながら言う。
「あー、もう、口を挟まないで。全部説明するから」
 横歩きをしながら、ヴィーヴィが不機嫌に言った。
 ヴィーヴィの説明によると、ミスティは地下にある施設に五百の棺を置き、そこに順次、土魔法で加工された遺体を運び込んでいたという。そこには巨大な魔方陣が描かれており、その中心には、ミスティが魔王の拠点に赴き持ち帰ったカロルの遺髪がある。ヴィーヴィがミスティから聞いた限りでは、髪以外のものは残っていなかったらしい。ログナはそこまで聞いて、ここ何年か鈍くなっていた痛みがふたたび鋭さを取り戻すのを感じたが、ヴィーヴィは気にせず話を続けた。
「で、その場所への入り口は闇魔法でしか開かないわけ」
 裏路地を出て、ログナが軟禁されていた建物の正面に回った。あまり人けのない場所らしく、ヴィーヴィは不用心と思えるほど堂々と進んでいく。正面の大きな扉に鍵がかかっていたので、ヴィーヴィは近くの窓ガラスに向かった。細い水の線を出して、静かに窓ガラスを切り取った。窓ガラスを壁に立てかけているヴィーヴィを横目に、建物の中に入った。トライド、ヴィーヴィと続いてくる。
「だから、闇魔法の使えないわたしには、内部を見せて、クローセには内部を見せてない」
「なら、闇魔法の術者を連れてこないと駄目じゃねえか」
 ふたたび先頭に立ったヴィーヴィについて、廊下を走る。
「いなかったの。クローセは帰ってきてすぐレイエド砦の周囲の警戒活動に行ったって」
「じゃあどうすんだよ……」
「わたしが壊す」
「壊れなかったら?」
「うるさいなあっ! とにかく、壊す!」
 目つきの鋭い顔は、すでに子供の丸みは削ぎ落ちて大人びているのに、言動はまるで子供だ。
 トライドに視線をやる。彼も苦労したのか、ログナの言いたいことがすぐにわかったらしく、頷いた。
 そのまま廊下を左に折れたヴィーヴィのあとについて走っていくと、階段になった。一気に気温が低くなったように感じられた。
「他人事みたいに言ってるけど、あんたが説得するんだからね、ミスティ様を」
「わかってるよ。お前が俺を引っ張ってくるなんて、それしか考えられない」
「猪みたいな男なのかと思ってたけど、そうでもないみたいね」
「お前は、思慮が足りなさそうだな」
「しりょ?」
 ヴィーヴィが肩越しにログナを見る。
 悪口は相手がその言葉を悪口と認識しなければ意味がない。ログナは虚しくなった。
 話しているうちに階段は終わり、その、入り口とやらについた。
「ここ」
 言うが早いか、ヴィーヴィが両手を掲げて水魔法を発動させた。しかし、窓ガラスをあっさりと絶ち切ったその魔法が、ただの石壁の前に、傷一つつけられなかった。
「え、嘘……嘘っ!」
 ヴィーヴィが何度やっても、結果は同じだった。
「どけ」
 ログナは焦れて、ヴィーヴィの肩を掴んで退かせた。魔法土で包んだ右手を、思い入り叩きつける。けれど、これもまた、傷一つつかない。
 舌打ちして、
「トライド」
「はい」
 すぐに意図を察したトライドが炎弾を作り激しくぶつけたが、やはり駄目だった。
「他に入り口は」
 一つの入り口が壊せなかっただけでもう諦めかけているヴィーヴィに、ログナは問いかけた。
「ん……っと……わたしが入れてもらったのは、ミスティ様の部屋から。でも、ミスティ様の部屋の入口もきっと、闇魔法じゃないと壊せないし、開かないと思う」
「いいから行くぞ。案内しろ」
「な、何よ。え、ら、そ、う、にー!」
 威勢を取り戻したヴィーヴィが、先に立って、階段を数段飛ばしで駆け上がっていく。
 ミスティに連れられたときと同じように、円柱に中央を貫かれた螺旋階段を上って行く。
 扉の前について同じことを何度も繰り返してみたが、やはり駄目だった。
「どうしよう……」
 ヴィーヴィがログナの前で初めて弱気な言葉を洩らした。
 ログナは辺りを見回しながら、
「お前、部屋から入ったって言ったよな? そもそも部屋のどこからだ?」
「どこからって……あんたがいた場所みたいに、床から」
「なら、道を探せばいい」
「え、道? 何のこと? 道なんてどこにも」
「なんで地下にある施設に、五、六階の床から行けるんだよ」
「梯子をひたすら降りてけば、地下に着くでしょ」
 ログナは頭を抱えたくなった。予想以上に頭の回転が悪そうだ。
「そういう意味じゃねえよ。この建物のどっかに、降りてくための空間が掘ってあるってことだろうが。そこならまだ、備えが甘い可能性がある」
「馬鹿にして……。穴から降りて、こっち側に歩いて、また扉があって、それからまた降りて、ずっと……だから」
 ヴィーヴィは目を閉じて、ぶつぶつとひとり言を言いながら、空中で手を動かす。
 やがて、
「位置は、ここ」
 目を開いたヴィーヴィが、階段の中心にある円柱を手のひらで叩いた。
 ログナは早速、魔法土を右手にまとわせて殴りつけたが、傷はつかなかった。
 けれど、部屋の扉の石壁よりは、手に感触が残る。脆《もろ》いというほどではないが、一部なら、壊せるはずだ。
「こうなったら、ひたすら試してみるしかねえな。俺が真ん中をやるから、トライドは炎弾を下に」
「わたしは上ってことね。やってやろうじゃない。絶対わたしが壊してやる」
 ヴィーヴィの両手から噴き出した激しい水の奔流が、壁に激しくぶつかる。
 ヴィーヴィは右手を壁に向けたまま、階段を駆け下りていった。
「あいつ馬鹿なのか?」
 二度も殺そうとした相手が目の前にいるのに、復讐されてもおかしくないのに、簡単に背中を見せ、言動がすでに普通の人間に対するようなそれになっている。
「馬鹿なんでしょうね……」
 トライドが呆れたように言った。
 おそらく、一つの事に集中すると、他のことをあまり考えなくなり、視野を犠牲にしたぶん、目の前のことに能力を発揮する人間なのだろう。
 子供なのがいいところ、というミスティの言葉の意味が、少し、わかった。



inserted by FC2 system