32 どうしてわかってくれないんですか


 ヴィーヴィは、水魔法で円柱に亀裂を入れたにもかかわらず、気付かず先に進んでしまった。ログナとトライドは息を合わせて同時にその亀裂に向かって攻撃を叩き込んだ。するとこれまでまるで手ごたえのなかった壁に、しっかりと攻撃の届いた感触があった。石壁が大きな音を立てて崩れた。すぐさまトライドがヴィーヴィを呼びに走る。
 ヴィーヴィを連れてきたトライドが中に入り、炎魔法で辺りを照らすまで待つ。
 炎魔法に照らされた場所はちょうど梯子の途中で、すぐ降りられるようになっていた。
「わたしが先に」
 ヴィーヴィが素早く梯子に足をかけ、降り始めた。続いてログナ、最後にトライドの順番で降りる。梯子の間隔は一定なので、足がそれを覚え始めたあたりで、トライドに炎魔法を消させた。もう壁の崩落する音で気付かれているかもしれないが、それでも、わざわざどのあたりにいるかまで教えないほうがいい。
 やがてヴィーヴィが、
「着いたよ」
 と小声で言った。
 地面に気をつけながら足を動かし、梯子から降りる。横にずれて、トライドの降りてくる場所を空けた。
 遠くに――巨大な部屋の中央と思しき場所に、炎魔法や光魔法の明かりがある。
「棺があるからぶつからないようにして」
 ヴィーヴィの囁き声に従い、明かりの方へ向けて慎重に歩く。
 ぼんやりと、魔法に照らされた幾人かの姿が確認できるところまで歩き、そろそろ棺の影に隠れるよう提案するかと思ったとき、どん、と後ろで棺を蹴飛ばす音がした。
 ログナはすぐさま力を抜いて地面に這いつくばり、手近な棺の影に隠れた。
 ログナはため息をつきたくなった。トライドが棺にぶつかったのだろう。
「誰ですか?」
 すぐさま、男の声が飛んでくる。
「わっ……わたしです」
 ヴィーヴィが機転を利かせて、やや声を裏返らせながら名乗り出た。ヴィーヴィだけならば、理由も聞かずに突然、攻撃されることはされないだろう。
「どうしてここに? 懲罰房から脱走したの?」
 今度は、ミスティの声だ。
「わたしをあそこに入れている間に、全部、終わらせるつもりだったんですね」
「見てわからない? いま、あなたに付き合ってる暇はないの」
 聞いているだけのログナでも、少し、気後れするような、あまりにも冷たい言いぐさだった。
 ヴィーヴィはその冷たさがよほど応えたのか、何も言い返さなかった。
「戻って。いくらヴィーヴィでも、邪魔したら許さない」
 口ぶりから、クローセ以外ではヴィーヴィのことを最も信頼しているのだろうと思っていた。まだ何もしていないその相手に対して、怒りさえにじませている。儀式を無事終わらせることに、それだけ執着しているということなのだろう。
「上へ戻りなさい。今すぐ!」
 誰かが、土埃を引きずる音を出した。
 おそらく、ヴィーヴィが一歩、下がった音。
「戻らないなら……」
 小さな衣擦れの音と、その不穏な間に、ログナは明らかな殺意を感じ取った。
 ログナは慌てて立ち上がった。
「待て!」
 防御魔法をかけながら、駆け出し、ミスティのほうへ近づいていく。
 柄だけしかない剣を構えたミスティが、自分の前に水の壁を作ったヴィーヴィと相対している。
 いつもの白い頭巾で目元以外を覆っているミスティの後ろには、机や椅子が並んでいた。いまは部下と思しき人間たちが、ログナたちの登場も気にせず、手分けして部屋の奥に机や椅子を運び出している。
 ミスティはログナを一瞥した後で、ヴィーヴィに視線を戻した。
 続けてミスティが何か言おうとしたところで、ログナは言葉を挟んだ。
「頭を冷やせ! カロルは死んだんだ。もう二度と蘇らない!」
「うるさい……」
「お前、自分がおかしいって、気付かないのか? 俺は、リルとバルドーが居なくなった理由が、いまわかった。魔物や王国軍と戦った兵士の死体を、自分の部下だった兵士の死体を、こんなくだらねえ実験のために使われて……」
「うるさいって言ってるじゃないですか!」
 ミスティはログナに向けて魔法剣を構えたが、怒りに震えた状態でまともに集中できるわけがない。膨大な魔力が固まらずに辺りに分散し、ミスティの周りに飛び散ってしまっている。可視化できるほどの、魔力。ログナは今をおいてミスティに勝てる機会はないと、駆け出した。
「トライド! ヴィーヴィ!」
 視野の外からヴィーヴィの水魔法とトライドの炎魔法が飛んでくる。
 魔法剣を諦めて、柄《つか》だけの剣を鞘に戻したミスティが右手を掲げると、その二つの魔法が、かき消えた。この間戦った時、イシュの風魔法が、ミスティが右手を掲げただけでかき消されたのを思い出した。
 魔法でどうにもならないなら、直接、ミスティに打撃をくわえるしかない。ミスティの右手後ろに控えた男が、手を掲げた。男から発した光弾がこちらにぶつかる前に、水魔法が弾き飛ばした。
 男の方はヴィーヴィに任せ、駆けながらミスティを睨みつけると、ミスティは視線をそらしかけてから、またログナを見た。その様子には、戸惑いを感じ取れた。放たれた光弾が体に直撃するが、威力は魔法剣の比ではない。魔法土が少しだけ引き剥がされるのを感じながら、ミスティに向かって右の拳を叩きつけた。ミスティは簡易結界魔法を張った。ルーアやトライドのように、苦し紛れにかけた簡易結界魔法はまともに機能しない。そのはずだったが、ミスティの簡易結界魔法はしっかりとログナの魔法土を受け止めた。舌打ちした。両手剣なら、突き破れたかもしれない。
 後手後手になっていたミスティが、その間を利用して、腰に手をかけた。横に回ろうとしたが、すでにミスティの手が、ログナの脛に向けられていた。ミスティの手に握られているのは、魔法剣の柄。魔法剣の剣先が、魔法土を突き破って、左足の脛に刺さっていた。ふくらはぎまでを貫いたそれが、勢い良く引き抜かれる。ログナは、その鋭い痛みに呻きながら、また、拳を繰り出そうとした。左足にうまく力が入らなかった。踏ん張れずに放った拳打は、またしても簡易結界魔法に跳ね返された。
「動かないでください」
 言われずとも、動けなくなっていた。いつの間にか闇魔法の黒い霧が、下半身を覆っていた。
「ヴィーヴィ。あなたも、水魔法を解いて」
 首だけ動かして目をやると、ヴィーヴィとトライドが、数人の男たちに囲まれていた。抵抗は難しいと判断したのか、ヴィーヴィが、水を両手に戻す。トライドはログナが捕えられた時点で抵抗を止めたらしく、手袋を脱いで両手を挙げている。
 勝負は、決まった。
「そうして黙って見ていれば、カロルが、生き返るんですよ。ログナ」
 簡易結界魔法を解いたミスティは、呟いた。
 足から流れ出る血が、靴の底にたまっていく。早く血を止めなければ、そう思うと、黒い霧が傷口の部分より上を、強く圧迫してきた。止血のための気遣い。
 ログナは痛みに顔をしかめながら、努めて冷静な声を出す。
「いいから聞け、ミスティ。人は、死んだら、終わりだ。その先は何もない」
「いいえ。まだ間に合います」
「こんな術に手を出した人間がどうなるか、知らないわけじゃないだろう」
「並みの魔法の使い手なら、そうなるかもしれません。わたしは、そんなものにやられたりしません」
「思い上がるな! 人の生死を自由にできる人間がいてたまるか!」
「カロルは体も残らなかったんですよ!」
 ミスティが、今にも泣き出しそうな声で叫んだ。
 白い頭巾の隙間から覗くミスティの目は、潤んでいるように見えた。
「ログナ、あのとき、カロルが死んだとき、振り返りましたよね。わたしも、つられて振り返って、見たんです。カロルの腕が、なくなってたのを。そのあと、ログナは、いったん目を離したけど、わたしは……わたしは、カロルが自爆するまで、ずっと見てました。カロルの体が、魔物に、食いつかれている瞬間も、カロルが、わたしたちに気付かれないよう悲鳴をあげるのを堪えて、苦しそうに顔をゆがめた瞬間も、カロルの体が、魔物を巻き込んで粉々になる瞬間も……」
 十年前のあの時の光景がよみがえって来て、ログナは目を伏せた。
 ミスティはきっと、自分のことを、ログナと同じように認識しているのだろう。
 カロルの意図に気付きながら、カロルを餌にして、生きのびた人間。
 ミスティは鼻をすすりながら言う。
「だって、あんな、あんな死に方は、ひどいじゃないですか。あんまりじゃないですか。だから、だからわたしは、カロルを……」
 近づいてくる足音を感じてログナが再び顔を上げると、俯いたヴィーヴィとトライドが、男たちに追いやられるようにして、隣を通り過ぎて行った。
 現実に引き戻されたログナは、自責の念を改めて奥にしまい込んだ。
 もしこのような、人の道から外れる魔法に手を染めた場合、ミスティが今この場で、カロルのようになってもおかしくないのだ。
 確かにミスティは強い。圧倒的に強い。
 だが、そのせいで、自分の力を過信している。
「カロルの死を受け入れたくないのはわかる。わかるから、もうやめろ!」
「どうして、わかってくれないんですか? 言ったじゃないですか。俺はお前の敵にはならないって、言ってくれたじゃないですか!」
 涙をこぼしながら絶叫したミスティを、黙って見つめた。
 軟禁されていたとき、部屋でログナが言ったのは、自虐の意味を込めた『俺じゃお前の敵にはなれない』だったが、ミスティの中で変質したその言葉も、嘘とは言えなかった。
 ログナは、静かに答えた。
「お前にまで、死なれたくないんだよ、ミスティ」
 ミスティは目を見開き、そして、ログナの目を見つめ返してきた。
 しばらく互いに無言のまま時間が過ぎ、
「準備が整いました」
 術を手伝っていた男の声が、遠くから聞こえた。ミスティは頷くと、ログナに背を向けた。
「やります」
「やめろ!」
 ミスティはログナの言葉を無視して、その場にしゃがんだ。巨大な五芒星の中心に書かれた、ミスティとログナの足元に広がる小さな五芒星。その端に、手を置く。
 五芒星が、ぼんやりと薄紫色に光り始めた。その光は、魔方陣の中心部から、放射状に伸びた線を通って、部屋全体にめぐっていく。
 ログナはあらん限りの力を込めて体を動かそうとした。左足に激痛が走り、血が再び激しく溢れ出したが、ミスティの闇魔法は強力で、びくともしなかった。
 やがて、五芒星の中央から、何かが浮き上がった。それは、束ねられた毛髪のようだった。
 ミスティの名前を叫ぶ。
 薄暗い地下室に、目が潰れるかと思うほどの強い光が走った。


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