30 再構成


 下からかすかに上ってくる、淀み、凍えた空気は、先ほどまでとは別物だった。思わず身震いするほどの冷たさに、土臭さまで伴っている。
 光弾を灯り代わりにしたまま、長い梯子をひたすら降りていく。
 やがて最後の一段に差し掛かり、静かに足を踏み下ろした。
 広い空間に出た。以前、王国で見た、魔法の源泉よりも、さらに広い空間だ。巨大な魔方陣が描かれているのは変わらないが、辺りには、魔石の代わりに、数多《あまた》の棺が置かれている。そのぶん、空間は、広さを必要とする。
 さらに奥に進むと、光魔法や炎魔法の明かり、ろうそくの明かりがちらほら見え始める。視界は確保できるようになったので、自分の光弾を消した。
「調子はどうですか?」
 ミスティが声をかけた先には、椅子に座って例の書物を読みふけっている研究主任、シャルズと、その助手たちの姿があった。
 シャルズは老年に差し掛かった男性で、もとは王国の上級魔法研究員、グテル魔法研究所の所長を務めていた。老年に差し掛かったとはいえ、てきぱきと様々な雑事をこなし、研究も精力的に行っており、まだまだ衰えたという印象はない。シャルズはグテル大虐殺の混乱のさなかにあって、グテル魔法研究所に籠城し死守したことから、ミスティは、敬意をもって接している。
 もしこの建物が――グテル魔法研究所が残っていなければ、グテル市の復興には三十年、四十年かかっただろう。魔法研究所に所蔵された数々の本から得られる知識や、王都より分け与えられていた『始まりの石』、その大部分が失われず、きちんと使える状態で残ったことの意義は、それだけ大きい。
 闇魔法の研究に従事している者にありがちな、小賢しい権力欲や支配欲、力への渇望、冷酷に過ぎる人間性といったこととは無縁なのも、ミスティがシャルズを高く評価している理由のひとつだ。彼は、闇魔法がロド王国においてもっとも重用されてきた魔法であるという歴史的事実に惹かれ、光魔法でなく、闇魔法を、神聖で高貴な魔法としてとらえている。始祖リリー・ロドによって最も巧みに使用されたとされる闇魔法が、ロド王国において果たしてきた役割の解明に心血を注いでいる。
「ああ。ミスティ様。もう間もなくですよ」
 顔をあげたシャルズの表情に隠し切れない喜びを感じ取り、ミスティは安堵する。
 ログナはあんなことを言っていたけれど、常識にとらわれているだけだ。
 カロルは、生き返る。
 この十年のあいだ、話したいことはたくさんできた。あのときは子供だったけれど、いまなら、カロルも、自分をひとりの大人として扱ってくれるだろう。
 あのころ、彼等の見ていた景色は遠かった。守られてばかりだった自分は、対等に並び立つ二人の、あの背中に、少しでも追いつきたいと思った。けれどそれは永遠にかなわない願いになってしまった。カロルと背中合わせに戦う、危機に陥ったカロルを助けて感謝される、そんな些細な望みをかなえる機会すら、永遠に奪われてしまった。あのころカロルに対して抱いていた淡い思いと一緒に。
 そのはずだった。ある洞窟で『再構成の書』を見つけるまでは。
 カロルが蘇れば、ログナだって、喜ぶに違いない。今でこそ弱気な言葉を洩らしているけれど、カロルに刺激されて、きっとまた、十年前のような闘志あふれる姿を見せてくれるはずだ。またあの二人の並び立って戦う様を、今度は遠くからではなく、近くで見られる。対等に、助け合う仲間として、戦える。あのときは、曖昧に濁されて終わりだとわかっていて言えなかった気持ちも、カロルに、伝えられる機会があるかもしれない。
 人語を解す魔物たちとの戦いにだって、カロルが復活した時点で、もう勝ったようなものだ。
「嬉しそうですね、ミスティ」
「それはそうですよ。また、カロルと、会えるんですから」
 シャルズは書物を隣の椅子に置き、魔方陣の中心に据えられた髪の毛の束に視線をやった。それは、カロルが死んだあの場所でミスティが拾った、彼の唯一の名残だった。髪の毛の周囲には小さな五芒星と古代文字が描かれており、それぞれの頂点には、しっかりと『始まりの石』が置いてある。
 ミスティが今立っている場所は放射状に伸ばされた線と線の間で、線の上には棺が置かれている。
 棺は全部で、五百。
 中に入っているのはすべて、土魔法を使って原型をとどめたまま保存された、遺体だ。
 魔法は、源泉側の魔石の周囲に置かれた贄《にえ》を吸収し、その力を術者側の魔石に送り返すことで発生する。
 この魔法は、土魔法によって生前の姿を留めたこれら五百体の贄を用いて、贄と同種の生命体を一体、復元、再構成する。
 『再構成の書』には、百三十年という常人にない寿命を全うして死んだリリー・ロドを、さらに生き長らえさせようとした孫のラディス・ロドの命により研究が始まったと記されている。結局、リリー・ロドを蘇らせることはかなわなかったが、その後も研究自体は続き、失敗が繰り返された。動物実験では高い確率で成功するが人間では成功しないという例が続いた。
 とうとう一度も人間の蘇生が成功しないまま、賢王ロシュタバの代に至り、ようやくある事実がわかったらしい。それは、寿命や病気で死んだ生命体は、たとえ復活しても、結局病気や寿命まで再現されるので、すぐに死んでしまうこと、蘇るのは、不慮の事故などで寿命に及ばず、健康なまま死んだ者に限るということだった。
 前線で戦うことがなく、不慮の事故で死ぬことがほとんどない王族は、以来、急速に研究への興味を失った。王族による研究への資金提供は打ち切られ、この研究成果をすべて無に帰すことはあまりに惜しいと思った一部の魔法研究員が細々と引き継いでいった。それからさらに幾代かののち、研究は、完成された。おそらく研究を完成させた魔法研究員が書き残したものが、この、『再構成の書』なのだろう。蘇生実験が成功した直後まで記載があり、その後の経過は書かれていないが、最後のページには確かに、成功の二文字が躍っていた。
 『再構成の書』をシャルズと解読し、動物実験を何度も成功させた後は、とにかく遺体を集めることに奔走した。遺体回収班はどんな時でも同行させ、兵士が死んだ場合はすぐ遺体回収班に処置をさせて、ここグテル市まで持ち帰った。盗賊の根城が割れて襲撃する際も同様だった。
 盗賊や、グテル市外で雇い入れた兵士など、無法者に限定した、五百体もの遺体。
 この棺を埋めるのに、六年、かかった。長かったともいえるし、短かったともいえる。
「シャルズ、本当にありがとうございます。シャルズが協力してくれなければ、もっと長くかかっていたでしょうから」
「それは、成功したときにお聞きしましょう」
 微笑みながら言ったシャルズに、ミスティは頷いた。



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