20 正しいはず

 魔法剣を素早く発動させ、黒い帯状の光を、横と縦、十字に飛ばした。
 人型の魔物が、簡易結界魔法のようなものを張ったが、ミスティの攻撃はそれを貫通した。
 魔物の上半身と下半身が分かれ、それぞれがまた半分に分かれ、四つ切りになって地面に落ちる。
 仕上げに闇魔法の黒い霧で魔物を覆い、右手を握りしめる。魔物は粉々になった。
 目以外を覆った白い頭巾を外す必要もなく、戦闘は終わった。
「被害の様子を調べさせて」
 ミスティは近くにいた、カロル兵団二番隊隊長のヴィーヴィに言った。血のように濃い赤染めの布を頭に巻いている彼女は、頷いて走って行った。頭に巻かれたその布は彼女の手作りで、赤い布の中央に、カロル兵団の団旗が白く刺繍されている。正方形のなかに斜め十字――ロド王国で『無』を意味する記号だ。
 ヴィーヴィと出会ったのは十年前、ログナと別れて国外に向かう途上だった。暴走した魔物による大虐殺が起こったグテル市に立ち寄った際、徒党を組んで必死に毎日を生き延びようとしていた孤児たちのひとりだ。
 当時、ミスティたち四人はその孤児たちを見捨てることができなかった。
 それが、今につながっている。
 ミスティは柄《つか》だけしかない奇妙な剣を手に持ったまま、眺める。黒い魔石で出来たこの柄は、ある遺跡に眠っていたものだ。クローセが、グテル魔法研究所の厳重に封印された禁書棚で見つけ出した文献をもとに、この古い魔法剣の柄を手に入れた。人間の住めない場所を行き交う強力な魔物たちを、幾十も、幾百も、幾千も、幾万もの魔物たちを、肉塊に変えてきた。
 柄だけの剣を、腰に差した小さな鞘に"はめ"、ヴィーヴィが戻るのを待つ。
 しばらくして、ヴィーヴィが息を弾ませて戻ってきた。
「わたしたちよりも後ろの場所にいた兵士たちは無事でしたが、わたしたちよりも前にいた兵士たちの中で、呼吸があるのは二人だけです」
「二十四人も殺されたの?」
「はい」
 ログナたちから奪い返したラシード砦、その中央にある石造りの建物で、ヴィーヴィとともに作戦会議を行っていたところを強襲された。
 初めは、カロル兵団の勢力範囲を押し上げる計画に勘付いた、ロド王国側からの攻撃かと錯覚した。しかし違った。派手な爆発音とともに砦の正門が吹き飛ばされ、土塁の防衛線を瞬く間に突破されたと思うと、建物から出たミスティとヴィーヴィの前に目の前にあの人型の魔物がいた。
「まあ、いいよ。王都に近づいていけば、兵士はいくらでも補充できる。ヴィーヴィが無事ならいい」
「士気の低い、降伏した兵士をかき集めても、たかが知れてます。ミスティ様が兵士たちを嫌っているのは知ってますが、少しくらいは気を配ってやってください」
 ミスティは笑みの形をつくって、やり過ごした。
「遺体回収班を呼んで。残りの兵士たちには待機命令を。王都の密偵からの連絡を待つ」
 遺体回収班、という言葉を聞いたヴィーヴィは、少し曇った表情で頷いた。再び駆けていく彼女の後ろ姿を眺めてから、ミスティは作戦会議室の中に戻った。
 机の上には、おおまかな王国全土の地図が置かれている。王国西部にある砦の名前の上にはどんぐりが置かれていて、どんぐりひとつで兵十人を意味する。
 もともと前線哨戒用として、駐留する兵士を八人にとどめていたラシード砦が急襲されたのは、六日前の事だった。今日、開始する予定の侵攻計画の為、すでに隣接するラオ砦に入っていたミスティは、狼煙があがったのを見て、ラシード砦に急行した。そして、いつもの王国軍や騎士団を相手にするようなつもりで、攻撃を仕掛けた。するとその兵士は、こちらの攻撃を耐えきって見せた。
 ログナ。
 十年以上前、まだミスティが子どもだったころに出会った、戦士の中の戦士。カロルのことを思い出すとき、いつも一緒に思い出される、あるいは、彼個人についてだけでも思い出す、懐かしい人。
 しかし彼は、王国側についていた。
 ミスティたちは、カロルは、王国に裏切られた。王国の徹底した印象操作によって、いまカロルは王国でもっとも悪名高い人間になっているようだった。降伏させた王国軍兵士や騎士のなかにも、カロルを英雄だと思っているような人間はひとりもいなかった。
 そのカロルの親友だったはずの彼は、王国側につき、ミスティを殺さなければならないと言った。
 あの時感じた苛立ちがまた、全身を支配する。
 彼は、弱かった。思い出の中の彼よりもずっと。あるいは、自分が強くなったのか。わからなかったが、思わず侮蔑の言葉を吐いていた。それでも、殺す理由はなかった。殺せるわけがなかった。戦闘で間の抜けたことをやって、よく叱られていたのを思い出す。よく助けられていたことを、よく盾になってくれたことを、思い出す。
 二年前にリルとバルドーが自分のもとを去ったことが、結びつきそうになる。ミスティは耐え切れなくなって、近くの石壁を蹴りつけた。彼と敵対しなければならないなんて、リルとバルドーが自分のもとを去ってしまうなんて、考えたこともなかった。
 自分は道を誤ったのだろうか。
 ……正しい。正しいはずだ。
「また、物に八つ当たりですか」
 石壁に爪先を押し付けた姿勢のままじっと考えていたミスティは、足を下ろしたあと、髪を触ろうとした。頭巾があって触れなかったのでやめた。
「密偵からの鳩はまだ?」
「最近、ミスティ様はおかしいです。いつも苛々しているように見えます」
 無視して、机の手前にある、横に長い木の椅子に座った。
 ヴィーヴィはしばらく入り口から動かなかったが、やがてわざとらしいため息をついて、机を挟んだ正面に座った。
「そんなに、ログナとかいう男のことが気にかかるんですね」
「クローセは、もう、王都北部城塞に攻め入るころかな。あっちでも、何か起きていないといいけど」
「クローセ様に任せておけばあちらは大丈夫でしょう。あの男の話に触れられるのが嫌ですか?」
 ミスティはまた問いかけに答えなかった。
 それが肯定を意味するとわかっていても、答えたくなかった。
「ここにわたしがもっと早くついていれば、殺して……」
 と、ヴィーヴィが言いかけ、慌てて口をつぐんだ。
 ミスティがヴィーヴィのことを睨んだからだ。
「いまはそんなことはどうでもいい。密偵の報告次第では一気にザグバ砦まで落とす。そのために少しでも体を休めておいて」
「わかりました」

 密偵からの報告書を携えた鳩がたどり着いたのはそれから間もなくだった。密偵は、ここから連れ出した帰巣限定の鳩を携えて王都付近にいるため、あちらからの連絡は早く着く。
 報告書によるとどうやら、王都は魔物の手に落ちたようだった。信じがたいことに、王、王を守る近衛兵長、王族、そして五長会議すべての長と副長が殺されたという。ミスティはそこに記された情報を頭の中で言い換えた。
 ロド王国が、滅亡した。
 王や王子たちはともかく、厄介な敵になると踏んでいた神学長リンド、そして騎士団長レイまでもが、そろって同日に殺されたことが、ミスティには簡単に信じられなかった。レイについては伝聞のようだが、リンドのほうは、魔法を発動する間もなく、背後から一瞬で首を飛ばされたと書いてある。
 王や王族の項目は飛ばして、王都の人々の様子が書かれた項に目を遣る。
 王都の人々はいまのところ、まとめて移動させられているだけとある。その下に注釈の形で、『奴らは人間を飼おうとしている』という、王都中心部から運よく逃げ延びた兵士のわけのわからない証言が載っている。
 王と五長会議を真っ先に潰し、ロド王国と敵対しているミスティにまで、強力な魔物を送り込んできた。
 これまでの魔物とは段違いの知性、情報収集能力、周到さ、狡猾さ。
「クローセたちが危ない」
 ミスティは呟き、
「ヴィーヴィ。全部隊をレイエド砦まで後退させるよ」
「レイエド砦? そこまでの砦はどうするんですか!? 十二箇所もあるんですよ!」
「すべて放棄する」
「そんな。せっかく……せっかくここまできたのに……」
「敵はわたしのところにまで魔物を送り込んできた。グテル市のことも、おそらく知っている。グテル市を、また廃墟に戻してもいいの?」
「それは……したくありません。それが一番、怖いです」
「わたしがいる。また、立て直せばいい」
 ミスティはこわばった面持ちのヴィーヴィに微笑んで見せた。
 ヴィーヴィもほっとしたように笑った。
「そうでした。ミスティ様がいれば、大丈夫です」
「クローセへの伝令は……」
 ミスティは少し考え、
「ヴィーヴィ。二番隊から精鋭を好きに選んでいいから、クローセにレイエド砦への集合を伝えに行ってもらえる? あなたくらいの力がないと、今の状況では向こうには辿り着けないと思う」
「わかりました」
「人型の魔物を見かけたら、すぐに逃げて。レイが殺されたほどの魔物なら、あなたには勝てない。絶対に欲は出さないで」
「はい!」
 ヴィーヴィは作戦会議室から出て駆け出しながら、
「勇者カロルの加護を!」
 と大きな声で言った。ミスティも小さく呟いた。
「勇者カロルの加護を」



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