3章 カロル兵団
19 カロル兵団別働隊


 カロル兵団の一、三、四、五、六番隊を率いて、ズヤラ砦を基点に、王都北部城塞を落とす。
 それが、ミスティからクローセに与えられている命令だった。
 その王都北部城塞を落とすための作戦を開始する直前になって、大規模な魔物の襲撃が起こった。ミングスやルダスといった強力な魔物たちが、王都北部城塞を集中攻撃し始めたのだ。異変を感じた時点でクローセはそれまでに考えていた作戦を捨て、魔物を背後から切り崩しつつ王都北部城塞にそのまま攻め入る作戦に切り替えた。現在は、二ノ砦までの制圧が終わったところだ。
 二年前、リルとバルドーがカロル兵団を退団して以来、クローセは最古参の団員として別働隊を率いることが多くなった。ミスティと最後に直接会ったのは、半年前だったろうか。その半年の間、クローセが北西部から、ミスティが南西部から、王国の所有する砦の数々を攻め落とし続けている。いくらミスティが強いとは言っても、物理的な距離は動かせない。騎士団長レイ、神学長リンドという双璧が王都にいる限り、本拠地からの補給路の確保もせず、単騎で突っ込みすべてを終わらせることはできない。
 本当は、クローセも、リルとバルドーと一緒にカロル兵団を抜けるつもりだった。団長のミスティが下手に出るクローセたちの存在が、ミスティの強さを尊崇する団員たちのあいだで煙たがられるようになりつつあったのも理由にある。何よりの理由は、ミスティがおかしな考えに囚われ始め、おかしな行動に走り始めたからだった。
 けれどクローセは、リルとバルドーにそれを告げられたときのミスティの顔を見て、直前で考えを改めた。
『どうして? どうしてですか?』
 ミスティはすがり付くような声音で言った。リルとバルドーは背を向けていたから気づいていなかっただろう。彼女のその時の泣き出しそうな顔に。
 二人が去ってから近寄ると、彼女は何も言わずにクローセに抱きついてきた。泣きじゃくりながら、子供が甘えるような声で何度もクローセの名前を呼んだ。
 あのときクローセは、たとえミスティが奇妙な妄想に取りつかれておかしくなっているのだとしても、最後まで見届けようと覚悟を決めた。
「もう間もなくすべての梯子《はしご》の設置が完了します」
 副隊長が走ってきた。さほど距離は離れていないから見ればわかることだったが、
「報告ありがとう。三ノ砦に突入する準備をしておいて」
 と返しておいた。
「はい!」
 副隊長は元気よく返事をした。
 最後の一本の梯子が、三ノ砦側の城壁に渡す形で架けられた。梯子をがっちりと押さえ込んだ二人組の兵士たちが配置につく。
 それを見て、縄を持った兵士たちが、梯子の前に並んだ。落ちれば峡谷の断崖が待つ梯子を慎重に上っていく。城壁には、射手が身を隠すための壁と、手や弓を突き出すために設けられた等間隔の空間がある。梯子の広さはそれを織り込んで作られていて、壁を利用して縄で固定することが可能だ。
 もっとも早く上り切った兵士が、三ノ砦側の兵士に気付かれないよう、屈んだまま手早く縄で梯子を固定した。手が小さく挙がる。他の兵士たちも、次に同じ行動を繰り返していった。
 最後の兵士が固定を済ませ、クローセが手を挙げ返すと、向こう側の兵士たちが手首を自分側に倒す身振りで、上ってこいと指示をした。
 兵士たちが次々に梯子に掴まる。しっかりと固定化された梯子を、先頭の兵士が勢いよく駆け上り、多くの兵士たちが続いて行ったその瞬間だった。
 突然、大蛇のようなものが梯子に――兵士たちに襲い掛かった。
 大蛇のようなものは次々に降ってきた。梯子を折り、砕き、破壊して、触れた兵士に絶叫をあげさせた。
 運よく簡易結界魔法が間に合い大蛇のようなものの直撃を逃れた兵士も、梯子という足場を失い、断崖へと転落していった。
「邪魔をするな」
 三ノ砦側の城壁の上に、一体の魔物が立っていた。その人型の魔物は、信じがたいことに、人間の言葉を話した。
 三ノ砦側で梯子を固定した兵士たちの遺体が、魔物の足元に散乱している。
 クローセは両手を前に突き出し闇魔法を発動させ、魔物に向けて黒い霧を素早く伸ばした。他の兵士たちもすぐに立ち直り、遠距離魔法をその魔物に集中させた。
 けれど魔物は炎弾や光弾や風の太刀を受けてもものともせず、三ノ砦の城壁を蹴り、信じがたい脚力をもって二ノ砦の城壁の上へ飛び移ってきた。
 俊足でクローセの闇魔法から容易に逃げ続ける魔物の肩から指先までが、気味の悪いほど肥大化し始める。
 何か、仕掛けてくる。
「全員、後退!」
 クローセは怒鳴った。
 しかし怒鳴ったときにはもう、馬の胴を五つほど並べたような太さの、大蛇のようなものが、二ノ砦のいたるところでのたうちまわっていた。
 思考能力を持っているようにも、どこかに繋がっているようにも見えないそれは、逃げ続ける魔物が生み出したものだった。魔物の肥大化した腕部の肘から先が、ぼとり、ぼとりと落ちていき、腕は次から次へと新しく生えてくる。
 人間の言葉を話したあの魔物は、クローセの黒い霧から逃げながら、肥大化した腕をあたりにばらまき続けている。三ノ砦に近い場所にいて逃げ遅れた兵士や、簡易結界魔法が不得意な兵士たちが、その肥大化した腕になぶられ、熱い、熱いと悲鳴を上げている。
「わたしが殿《しんがり》を務める! 一番隊および四、五、六番隊は可能な限り負傷兵を運びだしてズヤラ砦まで撤退!」
 クローセはいったん魔物から目を切り、厄介な数になりつつある腕に、攻撃の対象を切り替えた。
 だが、破壊しようとした瞬間、最初に落ちた腕が、何もしていないのに自ら爆散した。そこから中の緑色の液体があたりに散乱すると、被害はさらに拡大した。肥大化した腕による攻撃を耐えきった者の簡易結界魔法が、次々に破られていく。その緑色の液体を頭からかぶった者は、液体のようになって"溶けて"しまった。
 二ノ砦に、退路を確保している三番隊以外のすべての戦力を集めていたのが仇になった。兵士たちで埋め尽くされていたために、一度の攻撃で幾人もが死んでいく。
 クローセは絶叫した。
「負傷兵救助はもういい! 逃げろ!」
 そして腕が吹き飛ぶ寸前まで魔力をこめ、簡易結界魔法を発動させた。
 薄紫色の膜が、二ノ砦の半分、一ノ砦と二ノ砦をつなぐ橋までを包み込む。
 簡易結界魔法は、発動させた瞬間、一部でも膜の内側に体が入っている場合、どんな生命体だろうと防護の対象になる。加えて、内側から外側への圧力に弱い構造のため、内側に入り込まれると攻撃に対する防御効果は極めて弱くなる。だがいまは、逃げるだけの状況だから、そんなことを気にしていられない。
 肥大化した腕は変わらずのた打ち回り、自爆して緑色の体液を飛び散らせている。ただ、兵士個人も簡易結界魔法を発動させているから、簡易結界魔法の重ねがけになって防御力は増している。そのため、簡易結界魔法を突き破られる頻度の減った兵士たちは、逃げることに集中できている。クローセ自身は、飛び散る体液やのたうちまわる体を闇魔法で防いだ。
 額から汗がとめどなく流れて次々目に入る。しみるのを堪えて目を開けたまま、辺りを必死に見回すが、あの魔物の姿はすでに消えていた。三ノ砦に向かったのだろうか。
 本体が居なくなったあとも、腕は蠢き続けて次々に爆散し、動けない負傷兵たちを呑み込んでいった。
 闇魔法で自らの周囲を保護し、簡易結界魔法を維持するので精いっぱいのクローセは、何もできずにただ兵士たちが溶けていく様子を眺めていた。

 肥大化した腕の最後の一本が、クローセの間近で爆散した。簡易結界魔法を自らの周囲にだけ張り直し、闇魔法で覆った。緑色の液体はクローセに届かず、ぬかるんだ地面に溶け込み、すぐに消えた。
 クローセはふらつきながら、兵士たちのあいだを歩いて行った。ひとりひとり、無事を確認していくが、生きている者はひとりもいなかった。五体が無事な遺体は、一つもなかった。もっともひどいのが、緑色の液体に溶かされた兵士たちだ。兵士たちは、クローセの脛くらいの高さで、溶けた蝋のようになって固まっていた。もとが人間だったとは思えない。
 クローセは耐え切れずに吐いた。戦場で吐き気を催すことは珍しくないが、実際に吐くのは新兵のころ以来だった。
 口を拭くものがないので、口に残った吐瀉物を唾と一緒に吐き切って、口元が汚れないようにした。
 動く者のいなくなった二ノ砦に、泥をはねる音が響いて、振り返る。
 男にしては長い襟足まである赤毛、敵を引き付けるための真っ赤な鎧に身を包んだ三番隊隊長、ウィルフレドが、小規模な一隊を引き連れてこちらにやってくるところだった。
「クローセ様! 足手まといになるといけないとは思ったのですが、簡易結界魔法が消えたようなので来ました。ご無事で何よ……」
 と言いかけた、ウィルフレドは、そこで絶句した。二ノ砦の惨状を目の当たりにしたのだろう。
「う」
 と呻き声をあげた、まだ年若いウィルフレドは、しばらく間を空けた。彼も吐いたのかもしれない。何度か咳払いした後で、こちらに駆け寄り、クローセの目の前に回り込んできた。
「このまま、三番隊のみで三ノ砦を攻略しますか?」
「他の部隊の撤退は上手くいってる?」
「すでに始まっております。潰走《かいそう》と言ってもいいくらいの惨状です。誰が無事で誰が死んだのかもわかっていません」
「三ノ砦の状況は?」
「それが……物見によれば、支城の方から、猛烈な勢いで三ノ砦に接近している人間たちがいるそうです」
 昔のレイの髪型を真似た長い黒髪を揺らしながら、クローセは、思わず支城の方へ目を遣った。高い城壁に遮られ、こちらからはうまく見えない。もちろん向こうからも、城壁で覆われた二ノ砦の様子は見えていないだろう。
「増援?」
「それにしては規模が小さすぎます。物見が確認したところ、二人だと」
「二人? ミングスとルダスの巣窟をたった二人で?」
「ひとりは風魔法と闇魔法の達人だそうです。遠目にもわかるほどの」
 ウィルフレドが言い終わるかどうかのところで、闇魔法の独特の黒い霧が、二ノ砦からも確認できるくらいの高さまで噴き上がった。
「おい、三ノ砦が!」
 三番隊の誰かが、そう言って指を差した。
 つられてクローセに背を向けたウィルフレドは、三ノ砦のあたりを見上げた。
「なんだあれ……」
 クローセもそちらを見上げたまま、じっとしていた。質量を徐々に増していく黒い霧が、ばくり、と口を開けたように見えた。やがてその黒い霧は高さを保ったまま鼓動するように収縮を始め、やがて大量の血肉を吐き出し、消えた。
 ……レイ様はまだ、あんな部下を手元に残していたのか。
「クローセ様、あれは」
「ウィルフレド隊長!」
 言葉を遮り、彼を呼ぶ声が聞こえた。
 ウィルフレドは恐縮した様子で身を縮こまらせた。
「申し訳ありません、クローセ様。少し、失礼します」
「構わないよ」
 クローセは笑って応えた。
「重要な話し合いの最中だと、見てわからないのか!」
 隊長同士の会話を遮られて不機嫌なウィルフレドは、兵士を怒鳴りつけた。
 並んだ兵士二人は、
「申し訳ありません!」
 と膝をついて詫びた後、そのまま、
「三ノ砦に駆けつけた連中に、心当たりのある者が。こちらです」
 そう言って男が手で示したのが、革の鎧を身に着けた、まだ十三、四歳といった少女だった。幼い顔をこわばらせた彼女は裏返り気味の声で話し始めた。
「せっ、先日、ずっ、ズヤラ砦の攻略前に先行して潜んでいた際、ぐ、ぐ、ぐ偶然、王国軍兵士の、う、う、歌を、き、聞いたんです」
「落ち着け。ゆっくり、要点だけを」
 すっかり怯えきる少女をさすがに不憫に思ったのか、ウィルフレドがやさしく声をかけた。
「は、はい! 草むらに向かって、ひとりでその……お、おしっこをしていた兵士が、『ログナー、ログナー、ログナ・マグリットー。栄光のー、王国騎士団ー、魔物、盗賊、蹴散らしてー』と歌っていました」
 怯えている割に、しっかり節をつけて兵士の鼻歌を再現した少女に呆れがまず先に来て、次に、その歌の歌詞に対する衝撃が、徐々に広がり始めた。
 クローセは少女に近づいた。
「どうしてそれが大事な情報だと思うの?」
「わ、わたしは、潜り込むような仕事が多いので、それなりに敵の情報をもっています。いまの王国軍や騎士団のなかで、たった二人で、ルダスとミングスの包囲を突破するような人間は、現実的に考えると、ログナ・マグリットしか思い当たりません。どのような理由かはわかりませんが、彼が、復帰したのだと思います」
「へえ」
 クローセは呟いた。
「そう」
 ともう一度呟き、クローセは笑った。部隊を潰走させてしまった、その責任を感じて沈み込んでいた気分が、少しだけ、上向きになった。
 クローセは少女に近づいて、手を上げた。少女は殴られるとでも思ったのか、目をつぶった。クローセは彼女の頭に手を置き、軽く撫でた。
「名前は?」
「え?」
 少女は目をしばたかせながら、言う。
「お前の名前だ」
 とウィルフレドが横から言う。
「え、あ……チャロと言います」
「ウィルフレド。この子、一番隊に貰っていい?」
 ウィルフレドは困惑した表情で、最初に話に割り込んできた兵士に目を遣った。
「え、ええと。一番隊に必要なら、いつでも送り出しますが……。こいつで、務まりますか?」
 状況を分かっていないチャロは、ぼうっとクローセの顔を見上げている。
「務まる」
 クローセは微笑んだ。ウィルフレドはまだ困惑気味の表情で、
「では、後で手続きします。攻略の方は、どうされますか?」
「撤退する。ミスティ抜きにあの魔物と戦っても、きっと、死者が増えるだけだから」
 クローセは笑みを消して応えた。
 ……ログナ、無事でいて。



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