18 戦死


「初めまして。あなたのことは、祖父からかねがね。お会いできてうれしいです」
 自ら持った松明に照らされたテルセロは、真っ黒な髪の毛を短く刈った、さっぱりとした風貌の男だった。志願して殿《しんがり》を務めているというから、もっと猛々しい男を想像していた。ログナより幾分か若い。
「寒くないですか? そんなに短く切ってしまって」
 初対面の男相手にも臆さず、ルーアが言う。
「ん? ああ。まあ、寒いけど。遠征先でも清潔に保ちやすいから、好きなんだ」
 テルセロは自分の頭を撫でながら言う。撫で心地の良さそうな頭だ。
「触ってみてもいい?」
「やめろ」
 手を伸ばしかけたルーアを押し留めて、仕切り直す。
「こちらこそ、会えてうれしい。あんたのじいさんに気に入られるようなことをした覚えはないんだが」
「俺の祖父はラッツと言います。前騎士団長の」
「あのジジイのか!」
 ログナは思わず、大きな声を出してしまった。前を歩いていた騎士たちが何事かと振り返って、また前を向いた。
「はい、あのジジイの」
 テルセロは笑いながら言う。
「悪い。驚いたもんだから」
「気にしませんよ。俺の前でも、偏屈なじいさんでしたから。ところで、俺に何か御用ですか?」
「ああ。早速で悪いんだが、状況を教えてもらえるか?」
 ログナはテルセロから話を振られてようやく、結果を聞くのが怖くてあえて避けていた本題に、踏み込むことができた。
 テルセロは途端に顔を曇らせた。
「はい」
 それは、レイの討伐した大型魔物の事後処理を任せられていたテルセロが、本隊に遅れて王都に帰還し、レイの執務室で報告をしていたときだったという。

 突然、騎士団本部の中庭から、
『団長! 団長!』
 と、裏返り気味の声が聞こえた。
 ただ事ではないと察したテルセロとレイが、二階にある執務室の窓からそのまま中庭に飛び降りると、目の前に、四階建ての騎士団本部と同じくらいの高さがある、巨大な獣型の魔物がいた。
 中庭で訓練をしていた騎士団員二名がすでに殺害されていた。レイはすぐさま魔法剣を使い、その魔物を両断した。
 テルセロとレイは、生き残った訓練中の団員を呼び集めた。そして辺りが急に暗くなったので空を見上げたところ、それまで雲だけしか浮かんでいなかった空が、みるみるうちに飛行型の魔物で覆い尽くされていくところだった。
 レイはすぐに、
『全員、中庭に集合!』
 と怒鳴り、簡易結界魔法を張った。
 テルセロも、生き残った隊員たちも、簡易結界魔法を張りながら、
『中庭に集合! 中庭に集合! 結界をかけ忘れるな!』
 と、それぞれ別の方向へ走り、ありったけの声を振り絞って、呼ばわった。
 中庭の裏手にあるいくつかの団員用宿舎から、次々に、簡易結界魔法を身にまとった騎士たちが駆けてきた。
『緊急事態が起こった。すぐに』
 全員が集まったかどうかのところで、レイがそう言いかけると、またも唐突に、空から熱線が降り注いだ。テルセロやレイ、戦闘慣れした騎士たちはすぐさま簡易結界魔法をありったけの魔力を使って補強したが、まだ年若い騎士たちは、うまく防ぎきれず、簡易結界魔法ごと体を"溶かされて"しまった。溶けてしまった騎士たちが、中庭に溢れかえった。
 レイはその惨状を前に空を見上げた。
『わたしに結界を張れ!』
 レイの怒声を受けて、テルセロはすぐさま言うとおりにした。レイは自らの簡易結界魔法を解くと、目を閉じた。魔石で出来た柄だけの剣を引き抜き、魔法剣を研ぎ澄まし始めた。やがて魔法剣のかたちが本物の剣と見まごうほどに整った時、彼女は剣先を空へと向け、
『解け!』
 と怒鳴った。
 言う通りにすると、次の瞬間、すさまじい威力の魔法剣が――青白い帯状の光が、空に向かって飛んで行った。それらは縦横に動き回って、空を覆い尽くしていた魔物の三分の一ほどを、一気に減らしてしまった。
 飛行型の魔物の死骸が、辺り一面に落ちて、その死骸に紛れて、熱線が飛んできた。
 テルセロは突き飛ばされた。テルセロのいた位置には、代わりにレイがいた。熱線を魔法剣で受け止めたレイが怒鳴った。
『この一帯はしばらくわたしが食い止める! 生き残った者は鳩舎に向かい、各方面軍に、人々の脱出の援護を求める手紙をありったけ飛ばすんだ!』
 地面に降り、レイと対峙しているその魔物は、人の姿をしているように見えた。
『あれ? 強い! そっか、お前が団長か!』
 そして言葉を喋った。
『報告! 報告! 向かいの魔法研究所に滞在していた神学長、リンド・バルテン様が、人型の魔物に殺害されたとのこと!』
 悲鳴や建物の崩れる音、町中で魔法が立て続けに発動する喧騒に紛れて、信じがたい報告が聞こえてきた。
 ……この国で一、二を争う魔法能力をもつ神学長が、殺された?
 テルセロは鳩舎に向かう足を思わず緩め、レイのほうを見た。
 レイは連続して襲い来る熱線を魔法剣で弾きながら、
『敵の狙いは国王と五長会議! その旨、手紙に記せ! 我々で、救援が来るまでの時間を稼ぐ!』
『はい!』

 話しているうちにその情景を思い出したのか、テルセロが涙を流しながら、言う。
「鳩舎から戻ると、そこにレイ様の姿はありませんでした。最後にレイ様を見たまさにそのあたりに、おびただしい血痕があり、レイ様の……レイ様の左肘のあたりから先だけが、騎士団本部の窓枠に引っかかっていました」
 ログナは、思わずテルセロの胸ぐらをつかんだ。
「レイ本人はどこだ! あいつの生命力だ。たとえ腕を失くしても、息さえあればまだ……まだ! 助かるかもしれない!」
「それが……いくら探しても、付近には見当たらなかったんです。一番大きな可能性としては、レイ様が、不利を悟り一旦本部の中に逃げ込もうとしたところ」
 そこでテルセロが言い淀み、俯いた。
 やがて、改めて覚悟を決めたように顔を上げ、テルセロは、口を開いた。
「背後から、喰らわれたものと、思われます」
「そんな馬鹿なことがあってたまるか!」
 ログナはテルセロを怒鳴りつけた。
「あいつは……あいつは、こんなところで死ぬような奴じゃない!」
 テルセロは直立不動で、ログナの目を見つめている。
「王都中を探させろ! 今すぐ!」
「すでに出来る限りのことをやっております!」
 テルセロが怒鳴り返してきた。
「ログナ様、あなたほどの方が、うろたえてどうされます!」
 横面を張られるような、力強い言葉だった。
「敵に関しても、伝えておきたいことがあります」
 体が震え出しそうになるのを堪えて、ログナは目で問うた。
「現場近くで、黒い、帯状の光を見たというものがおります。彼によれば、魔法剣のようだったと。フォードが今回の首謀者ではないかと、俺は思っているのですが」
 ……フォード?
 違う。
 魔法剣にしては異質にすぎる、あの黒い光。
 ついこの間、目の前で見た。
 目の前で。
 体が震え出した。
 ログナは足腰から力が抜けて立っていられなくなり、かがみ込んだ。
「隊長? 隊長! 大丈夫ですか!」
 ルーアの声が遠くに聞こえる。
 目頭が熱い。頬が冷たい。
 別大陸の魔物の言葉が、ミスティの顔が、浮かんだ。



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