15 三ノ砦救援


 ルダス数頭と見たこともない魔物たちの処理をログナに押しつけて、イシュはその俊敏な動きで先へ先へと向かっていった。
 そのイシュを懸命に追って吊り橋を渡り、ログナは息も絶え絶えに三ノ砦にたどり着いた。
 かつて、ロシュタバが中央に召喚された隙をついたノルグ族長は、この場所、三ノ砦まで突き進み、討ち死にした。何もないように見える空間を兵士とともに進み、ある程度まで行ったところで、石造りの堅固な城壁の中から突然出現した魔法兵たちの集中攻撃を受けたという。三ノ砦の城壁のなかには人が通れるほどの通路があり、内側から押せば石が簡単に外れて外へ出られるようになっている。
 その仕掛けのために、やや防御力の低い城壁が、すでに突き破られていた。ログナから見て、城壁の右奥、隅のほうに、兵士たちが追い込まれている。四ノ砦へと続く、鉄鉱石で出来た重厚な扉は、固く閉じられているように見えた。つまり、ここにいるのは、死ぬために残った兵士たちだ。
 そうまでして守らなければならない人間とは誰か。簡単だ。現在の王の嫡孫《ちゃくそん》であり、この、王国で最も安全な王都北部城塞を割り当てられていた、エル・ロド将軍しかいない。
 イシュはすぐさま両手を構え、大規模な闇魔法を発動させた。右手から吐き出される黒い霧が、左手から発生する風の後押しを受け、まるで魔物たちを呑み込むように広がっていく。遮る城壁もろとも包み込んだところで、イシュは、静かに左手を下ろした。
 そして残った右手を、まるで眼前に迫った何かを掴み取るように大きく、素早く、動かした。すると、それまで広がっていた黒い霧が急激に収縮を始めた。最後に空中に残った不気味で大きな黒い塊が、まるで鼓動でもするかのように脈打っている。その中から、まず城壁の残骸が落ち、次に、爆発するような勢いで、おびただしい血が、肉の破片が、黒い霧の中から飛び出した。
 イシュはしばらく立ち尽くした後、その場にすとんと腰を落とした。駆け寄ると、イシュは気を失っていた。ログナは驚かなかった。これだけ暴れまわって、意識を保っていられる方がどうかしている。むしろ、イシュの腕がカロルのように吹き飛んでいなかったことに安堵した。
 ログナは、イシュを抱き上げて城壁まで走り、壊された部分から見えている城壁内部の通路にイシュの体を横たえて、三ノ砦に入った。
 小雨が、降り出してきていた。
 三ノ砦では、魔物と人間の臓物がまじりあい、異臭が立ち込めていた。雨でも抑えきれない、十年ぶりに体験するあの臭い。顔をしかめながら、口だけの呼吸に切り替えた。
 イシュの攻撃から生き残った魔物たちが、隅の方で固まり魔法を放ち続けている兵士たち目がけて、殺到していく。
 小さく細い雨粒とともに、血だまりを踏みつけにする。甲冑を着た年若い兵士と、見たこともない魔物の胴体部分が折り重なっているのを踏み越える。ゆっくりと両手剣を引き抜く。
 その音に気付いたのか、一部の魔物たちがこちらを振り返った。四本足の、爬虫類を思わせる体をした背の低い魔物たちが、這うようにしてこちらに突っ込んでくる。これも、見たことがない魔物だ。ログナは全身に防御魔法を巡らせ、足元に群がってくるその魔物を斬り捨て、蹴り飛ばし、踏み潰し、ねじり切った。
 魔物の注意が分散したのを好機と見たか、残った十数名の兵士たちが、隅に固まるのをやめて、一挙に攻勢に出た。
 出丸で交代交代に休息を取り、その後、三ノ砦まで突っ込むつもりでいたのに、イシュの暴走でろくに休息の間がなかった。足が地面に貼りついたようで、もう動かなくなってきている。ログナは、両手剣を地面に突き立て、背中の収納箱から弓を取り出した。そしてその場から、弓で魔物たちを仕留めていった。先程見た、青い皮膚でイボだらけの気味の悪い新種や、上半身が皮膚ではなく透明な膜のようなもので覆われ、臓物と太い背骨が見えている別の新種や、ルダス、ミングスなど、様々な魔物が地に伏していく。
 矢筒に手を伸ばし空気を掴み、矢がなくなったことに気付いたとき、小雨に負けない派手な炎魔法が背後から飛んできて、魔物たちに降りそそいだ。振り返ると、ルーアとトライドが炎魔法と光弾を滅多打ちにしていた。魔法の挟撃によって、魔物たちは瞬く間に数を減らしていく。安心したログナは、弓をしまい、その場に立ち尽くして、荒い息を整えた。防御魔法だけは解除せず、魔物たちが倒れていく様子を眺めていた。

 魔物の姿があたりから見えなくなった頃、周囲を警戒しながら駆け寄ってきたルーアとトライドに、
「城壁の中の通路にイシュがいるから、起こして来てくれるか」
 指を差しながら言った。
 ルーアは当然のごとく無視して、
「隊長、ご無事で何よりです」
 と言った。
 トライドが、ログナの指差した方へと走って行った。
「あの馬鹿のせいで、予定が狂った」
 棒になった足を地面から引き剥がし、生き残りの十数人のもとへと向かう。
「本当ですよ。あんなに堂々と命令無視する馬鹿、初めて見ました」
 ルーアが口をとがらせながら言う。
 ただ、とログナは思う。イシュが突っ込まなければ、ここに残った兵士たちは、とっくに死んでいた。魔法で挟撃したおかげで早く済んだが、兵士たちが全滅していたら、三ノ砦ではかなりの苦戦を強いられたに違いない。
「処分を考え直そうとしてませんか?」
 不自然に空いた間を察知したのか、ルーアが牽制するように言った。
「そう怒るな……。俺も頭が痛い」
 そう言って生き残りに目を遣ると、向こうから近づいてくる十数人の顔が、確認できるようになった。
 全員、ノルグ族だった。
 ログナはある言葉が喉元までせり上がってくるのを感じた。
 それは王国の一員としては、決して言ってはいけない言葉だった。
 ロド教の五芒星の首飾りを引きちぎり、地面に放り捨て、踏みつけにしたくなる衝動に駆られた。
 しかし五芒星の首飾りがなければ、魔力の少ない自分は、魔法を発動させることができない。
「助かりました」
 嬉しそうに口を開いたのは女の剣士だった。さっぱりと短い髪をした彼女は、どこか眠たそうなその目でログナのことを頭から腰のあたりまで眺め、もう一度腰のあたりから頭までを眺めた。
 女はすばやく後退した。仲間もそれに従う。
「ログナ……マグリット?」
 女は片手剣の柄に手をかけて、言った。
「騎士団長から連絡があったはずだが」
「聞いていません。魔物暴走の原因を作った人間が、なぜここに」
「あー、待って待って待って」
 ログナが防御魔法を密かに発動させると、脇にいたルーアが二人の間に立った。
「わたしは王国騎士団本部所属の二等騎士、ルーア・アーチェンス。いまはログナ隊長のもとで働いている。まずは話を聞いて」
「この中に、イシュという名前を聞いたことがある者は」
 ルーアが作ってくれた間に、言葉をすべりこませる。
「右頬にスルードの花の刺青がある人間のことを言っているのなら、わたしの友人ですが」
 ルーアは手で、イシュが歩いてくる方角を示した。彼女はトライドの右肩に左手を置きながら、ふらふらと歩いてくる。
 イシュは多くの視線が自らに集中していることに気付き、イシュの友人だという女にも気づいた。先ほどまでの気の抜けた様子が嘘のように、トライドの支えもなしで、力強い調子で歩き始めた。女のもとへ一直線へ向かうと思ったが、イシュは方向を変えて、ログナの前に来た。そして彼女は地面に左膝を突いてしゃがみこんだ。左手を、立てた右膝に置き、右手を地面につける。それは、国王や王族に拝謁する人間がとる姿勢だった。
「申し訳ありませんでした」
 イシュの目がまっすぐに下から伸びてくる。
 ログナは立ったままその目を見下ろした。
「その媚びるようなしぐさをやめろ」
「わたしは、どうしても、ここで帰るわけにはいきません。彼女たちをこの異常な状況から離脱させるまでは。王都に帰ったのち、どんな罰であろうと受けます」
「死罪だろうと?」
「はい」
 間髪入れずに応えたイシュに対して、ログナは、
「立て。あのノルグ族たちに、事情を説明して来い。お前の話なら信じるだろう」
「わかりました」
 イシュは言われた通り、ノルグ族の兵士たちのほうへと向かった。
 ログナはそれから、隣にいるルーアに向き直った。
「ルーア」
「はい」
「闇魔法に囚われている状況で、よくトライドを援護してくれた。イシュの処分は保留にして、帰還したのち騎士団長に委任する。それで今は堪えてくれ」
「なんとなく、わかってましたけどね。隊長は部下に甘そうだから。隊長の判断ならば、従います」
 ルーアは静かに言うと、四ノ砦への道を塞ぐ門扉に視線をやった。
「隊長は、現在のこの状況を、どうご覧になっていますか」
「異常だ。あまりお前たちを脅かしたくはないが、俺は、ある考えを持ってる」
「魔王が復活した、ということですか?」
 ログナは、ルーアの指摘に驚いた。まだ若く、魔王の討伐が決定されたころの状況は歴史としてしか触れていないはずだが、既にその可能性に目をつけたあたり、さすが、レイの目に適《かな》っただけはある。
 だが、実際に魔王と対峙したログナは、その考えよりも一歩、踏み込んだ想像を強いられていた。
「褒めてやりたいところだが、俺のはちょっと違う。複数の新種と、統率されたような魔物の集まり具合から考えて、別大陸の魔物、あるいは魔王が侵攻してきた可能性が高いと考えてる」
「別大陸の?」
 ルーアの声が少し裏返った。
「新種の存在が大きい。ロド王国が千三百年かけて収集してきた魔物の情報に合致しない存在が、この砦だけで四体も確認されている。ここにある死体を調べれば、もっと多いかもしれない」
「でっ、でも! さすがにおかしいですよ! 隊長のその考えは。魔物が船を使ってこの大陸までやってきたとでも言うんですか? 魔物にそんな知能が……いえ、知能があったとしても、外洋を渡る航海技術まで手にしているとは思えません!」
「ああ。わかってる。だが、探検家たちによって別大陸が強力な魔物たちの支配下にある、という事実は明らかにされているが、いつごろそうなったのか、魔物が本当に海を渡れないのかはわかっていない。ただ漠然と、ロド大陸を包む聖なる海のおかげで魔物たちは来られない、そう信じ込まされてるだけだ。何か、大きな変化が……ロド大陸の人間が、魔石を発見し、魔法の使用を始めたような大きな変化が、別大陸の魔物たちに起きていたのだとしても、俺たちにそれを知るすべはない」
「それが、いま、だと?」
「隊長」
 話の途中で、イシュがこちらに戻ってきた。
「どうやら、四ノ砦の内部にも、敵が入り込んでいるようです」
「何?」
「信じがたいのですが、あの平らな鉄の門扉を、駆け上がって乗り越える魔物を見た者が」
 ルーアとログナは、顔を見合わせた。ログナは、すぐに門扉の方へ歩き始めた。
 鉄製で出来た門扉の目の前に、縦四列、横三列、代表としてイシュの友人が一人、先頭に立って、きれいに隊列を組んでいた。
 徐々に雨脚が強まっている。顔にかかる雨粒を拭いながら、
「土魔法の使い手は何人いる? 手を挙げてくれ」
 と、褐色肌の面々を見回した。
 ノルグ族は風魔法が盛んな民族で、土魔法の使い手はあまり見かけない。
 ここでも、手を挙げたのはわずか二人だった。
 ログナは、隊列を組んだ兵士たちに両端へ散らばるように言い、手を挙げた二人とトライドを手招きして、門の正面に立たせた。
「三人で、門の向こうまでの道を掘れるか?」
 ログナの質問に、ノルグ族の男女ふたりのうち、男のほうが答えた。
「雨のせいで土がぬかるみ、扱いにくくなっているので、三人では難しいです。掘った穴を維持するくらいなら、どうにかやってみせますが」
「そうか……体力的にかなりきついだろうが、イシュの闇魔法で破ってもらうしかないか」
「いえ。できます」
 きっぱりとした言葉の響きが聞こえて、地面を見つめていたログナは顔を上げる。
 声の主はトライドしかいないのだが、実際に確かめるまではトライドの発した声だとは思えなかった。
「さすがに立ったまま通れる大きさは無理ですが、隊長が這って通れるくらいの穴なら」
「本当か?」
「はい」
 トライドが、戦闘中とはまるで別人のような、しっかりとした口調で言った。
 ログナは初めて自主的に動いたトライドに、任せてみようと思った。
「任せる」
「ありがとうございます。では、風魔法が得意で、まだ余力のある方、四人ほどお力添えを」
 彼はしゃがみこんで、左手で地面の様子を探りながら言った。
 別れた隊列の間で兵士たちがお互いの顔を見たり、行こうとするものを押し留めたりしながら、代表を決めた。五人が、彼に近寄って行った。
 トライドは五人目、イシュが近づいてくるのを見ると狼狽したように声をあげた。
「いや、イシュさんは来ないでくださいよ! あれだけ暴れたんですから!」
 先ほどまでの真剣な表情との落差に、ログナは笑った。兵士たちの間にも小さな笑いが広がり、場の雰囲気が和らいだ。
 ただ一人何がおかしいのか分からないといった表情で突っ立っているイシュの腕を、兵士の一人が引っ張って、どけさせた。
「僕がこれから、土の圧力を緩めます。皆さんは僕が合図をしたら、それぞれここと」
 トライドは右手で土の上に横の直線を描いた。
「ここと、ここと、ここに」
 最初の直線の左側と右側と下側に、直線を描く。四角形だ。
「風魔法を叩き込んでください。それと同時に、土魔法の使い手のかたは、土を外に吐き出させてください。僕も手伝います」
 トライドが風魔法の使い手たちを誘導して、四角形をそれぞれ割り当てさせた。
 左手、右手、右手。土魔法の利き手を地面に押し付けたトライドたちが、風魔法の使い手たちのすぐ後ろに控える。
「お願いします。三、二、一」
 トライドが合図をすると、地面に鋭い風魔法が叩きつけられた。
 土魔法が発動し、同時に、地面から大量の土が、溢れだした。風魔法の使い手たちはすぐにその場から離れていたので、土はかからなかった。
「女のかた、土の固定化を。男のかた、僕と一緒に掘るのを続けてください」
 近づけないのでどのような状況になっているのかはわからないが、穴の方から、次々に土があふれ出してくる。
「男のかた、固定を」
 土が穴から溢れて流れ、土が穴から溢れて流れを繰り返す。
 土はときおり、風魔法の使い手たちが吹き飛ばして周囲の地面に均している。
「できましたよ」
 何の前触れもなく、トライドが言った。
 穴に近づいてみると、這って行くには十分すぎるほどの大きさの穴が開いていた。
 ログナは、雨水とまじりあった汗を顔中に浮かべているトライドの肩に手を置いて、
「よくやった」
 とねぎらい、弓と両手剣をその場に置いた。這っていくには邪魔だからだ。片手剣は腰から外して、右腕に抱え込む形にした。
「俺が向こうに行って、丸太を切って閂《かんぬき》を外してくる。それまで待機していろ」
「お気をつけて」
 すでにログナの防御魔法の頑強さを知っているからか、トライドたちは異論を挟まなかった。
 ログナは上半身を穴に入れて地面の底に手をつき、そこから少しずつ前に進み、体全体を穴に入れた。魔法を使ったとは思えないほどきれいに整地された空洞を這っていき、やがて行き止まりになったところで、先に片手剣を出して土に立てかけた。自らは体をねじりながら立ち上がる。片手剣を腰のベルトに差し直し、目の前にある穴の縁に手をかけ、よじ登る。もちろん防御魔法も忘れずにかけている。
 這いつくばって出たところで、ログナは一瞬、自分の目を疑った。
 ノルグ族をまとめて死地に追いやり確保したはずの安全な光景はどこにもなかった。
 大きな爆発に巻き込まれでもしたかのように、兵士たちの遺体が、辺りに飛び散っている。折り重なっている遺体の中には、仕立てのいい甲冑を身にまとった王族直属の精鋭部隊、近衛《このえ》兵たちの遺体もあった。なぜか黄緑色に変色して、溶けた蝋がもう一度固まったような状態の者までいる。いったいどのような攻撃を受ければ、こうなるのだろう。常軌を逸した遺体の状況に、吐き気を催し、目をそらす。
 目をそらした先、遺体の数々の中心に立っているのは、一体の魔物。
 ログナはすぐさま片手剣を引き抜き、体を反転させた。片手剣に防御魔法を込めながら、城門の突破を防ぐために配された、五本の大きな丸太を絶ち切った。そして閂を押し上げる。門が開きかけたので押し返し、
「門はまだ開けるな!」
 と怒鳴った。
 改めて魔物に向き直ると、それはもうすでに、間近に迫っていた。



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