14 守られてばかりの


 トライドは、ルーアの肩を強く揺さぶった。
「揺さぶらないで。わたしいま死んでるから」
 ルーアが疲れ切った声で呟く。
 安堵したトライドは、ルーアが自分で地面に手をつき、立ち上がるのを眺めた。自分で立てる時に手を貸すと、彼女は怒る。
 そのルーアの横顔を見て、トライドは驚き、思わず凝視した。泣いている。
 トライドに見られていると気づいたルーアが、トライドに背中を向けた。
「ルーア、なんで……」
「あのノルグ!」
 理由を訊こうとすると、ルーアが叫びながら足元の土を大きな動作で蹴り飛ばした。砂埃《すなぼこり》が辺りに舞いあがる。
「油断した! 最悪! 最悪! なんであんな奴に!」
 言葉を区切るたびに、砂埃がまき散らされる。
 トライドはため息をつきたくなるのを堪えた。
 ……心配して損した。
「体は大丈夫?」
 うなじのあたりで束ねられた、尻尾のような髪が勢いよく浮いた。
「人の心配する暇あったら自分の心配して!」
 ルーアは振り返ってトライドを指差すと、そのまま右腕を伸ばし人差し指で胸の真ん中あたりを突いてきた。すぐに腕を下ろした彼女は自身の腰のあたりを掴み、やや体を傾けた。
「焦って土魔法をかけ損ねて剣を折られるなんて、あんたは何なの? 戦場に出たばかりの新兵なの?」
「い、いや、あれは……」
 痛いところを突かれて口ごもる。
 間近で見たルダスの恐ろしさに慌て、魔法をかけ損ねた。まさに新兵だ。
「訓練のときはわたしよりずっと強いくせに、なんで実戦だと毎回毎回わたしが守ることになるわけ?」
「えっと……まあ、なんていうか……本番に弱い、というか」
 先程はトライドの方がため息をつきたいところだったのに、ルーアに先にため息をつかれてしまった。
「いつまでもわたしが助けてあげられるわけじゃないんだよ」
 今までに聞いたことのないくらい、真剣な声音だった。
 それがなぜかは、すぐにわかった。
 この状況だ。ルダスの死体に囲まれている、この状況。
 現役の騎士団員が誰一人、近接戦闘では倒したことのないだろうルダスに、ログナは、超接近戦を仕掛け、あっという間に四頭を叩き伏せてしまった。
 事前にレイから知らされていた通り、ログナは魔力が少なく遠距離魔法が使えない。そんな人間がルダスと戦おうなどと、正気の沙汰とは思えなかった。けれど彼は難なくそれをこなしてしまった。彼が相対してきたものの大きさ、そして、現時点ではその足元にも及ばないだろう自分たちの力量を感じた。
 彼と行動を共にしていれば、次々に信じられないような強さの魔物と戦うことになるだろう。
 そのとき、ルーアや自分には、お互いを必要以上に気にかけながら戦うほどの余裕があるだろうか。
 ない、はずだ。
「わかってる?」
 やや顔を俯けてルーアの視線を避けていると、ルーアが下から覗き込んでくる。
 トライドが頷こうとしたところで、イシュが破壊していった出丸の石壁の隙間から、ミングスが飛び込んできた。
 ルダスたちの死を嗅ぎつけたのか、縄張りに入れずにいたミングスの大群が、次々に出丸の中に入り込んでくる。
「ルーア!」
 トライドの声に後ろを振り返った彼女は、
「やば……」
 両手を構えて即座に魔法を連射し始めた。
 トライドはそれを横目に見ながら、土魔法を発動させ、地面に手をついた。
 魔法土を、辺りの表土の下に潜り込ませて広げていった。
 魔石の効力の限界範囲まで広げたそれを、一斉に吹き上げる。
 その作業と並行して、ミングスのいないわずかな隙間を縫って、簡易結界魔法を伸ばした。ほとんど防御に力を入れていない、ただ目印としてだけ存在するものだ。
「目を閉じて!」
 トライドが怒鳴ると同時に、おびただしい量の土がミングスたちに降り注ぎ、押し潰す。
 巻き上げられた砂塵が、そのまま、あたり一面を覆い尽くした。
 空気中を舞っているだけでほとんど威力のない砂塵は、簡易結界魔法に弾かれる。簡易結界魔法がかかっている場所だけ、よく見える。ミングスは、五感はさほど鋭くない。最初の攻撃を生き残った個体も、その場で立ち往生しているか、見当違いの場所を動き回っているはずだ。
 トライドは目をつぶったままのルーアの腕を取って誘導し、背中を押した。ルーアが先に、走り出す。ルーアの髪の毛の先が左右に行ったり来たりするのを眺めながら、トライドも後を追う。
 トライドは時折立ち止まり、地面に手をつけて、砂塵を巻き上げていった。トライドが伸ばした防御力のない簡易結界魔法に、ルーアが新たな簡易結界魔法を継ぎ足し、補強する。たびたびミングスの体が簡易結界魔法の中に入り込んでいることがあったが、相手が気づく前にルーアが素早く光弾と炎弾で始末した。
 それを繰り返すうち、トライドとルーアは無事に、ミングスの包囲を突破できた。
 だが、背後にミングスがいる事実には変わりない。休む間もなく、そのまま先へ進んだ。
 先、と言ってもそれがログナたちの進んだ方向でなければ意味がなかった。だが、イシュの闇魔法で粉々にされたと思しき魔物たちの死体があたり一面に散らばっており、あえて探す必要はなかった。
 ルダスやミングスのおこぼれにあずかろうと集まってきた、弱い魔物たちなのだとしても、それはトライドやルーアに生み出せる光景とは思えなかった。
「あのノルグも……」
 ルーアが呆然とした声で呟く。
 トライドはそのあとの言葉を自分の中で付け足した。
 ……強すぎる。
「僕たち、なんか、場違いだね」
 つい言ってしまった一言に、隣を歩いていたルーアは、
「絶対追いついてやる」
 と呟き、走り出した。
 それに付き合って走っていると、ぽつぽつと顔に何かが当たり始めた。空を見上げる。雨だ。
 雨のときは、土が雨を吸って重くなり、土魔法の遠隔操作はうまくできなくなる。つまりは、目くらましがもうできなくなるということだ。
 早く抜けなければと思い、トライドも走る速度を上げた。
 やがて、左前方に、吊り橋が見えた。
 魔物の死体の数々は、その先へと続いている。ここまではイシュの闇魔法や風魔法によってばらばらにされた魔物の死体が多かったが、このあたりからは、剣で裂かれた魔物の死体が多い。なかには、幾頭かのルダスと、青色の皮膚をした、見たこともない魔物が転がっていた。やけに細長い顔にかわいらしい目、そのわりに体はルダスに負けず劣らずの大きさで、大きなイボが体のところどころにあり、性器がむき出しになっている。その異形に肌が粟立《あわだ》つのを感じながら、死体を飛び越える。
 魔物たちの重さのせいで傷んだのか、踏みしめるたびに、吊り橋の板から悲鳴があがる。下を見ないようにして、一気に渡り切った。
 直後、ルーアが、光弾を橋に向かって飛ばした。敵を撃退するのだろうと思って振り向く。けれどルーアは光弾を操作して橋の真ん中あたりの板をまとめて吹き飛ばしてしまった。何の相談もなく。ルーアたちのあとを追ってきていたミングスの幾体かが、板とともに谷底へと落下していった。
「あの、ルーア? 隊長、橋壊していいなんて言ってないよね?」
「トライドがいるでしょ」
 ルーアはそう言って前を向いた。確かに、あとから土魔法で修繕すればいいだけの話だ。いまは、魔物に前後から挟み込まれないことが、何より重要に違いない。
 実戦で、すぐに状況判断ができるルーアと、できない自分。恥ずかしくなって俯きがちに、ルーアの後を追う。
「それよりも、おかしいと思わない?」
 先ほどから苛立ち続けているルーアが、橋を勝手に破壊してもまだ収まらないらしい苛立ちを伴ったまま言う。
「新種の魔物にあっさり対処する隊長たちが?」
「それもあるけど……今日だけでもう、新種の魔物、二匹目だよ? 一か所にこれだけの魔物が集まるなんておかしい。まるで王都北部城塞を狙うみたいにさ」
「まさか。知能を持って魔物を統率できるのは、魔王やその側近だけって、魔物学の本に……」
 そこまで言って、トライドは息を呑んだ。
 ルーアもそのことに気付き、目を見開くようにしてトライドを見た。



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