11 老いた二人


 騎士団本部の食堂で夕食を済ませて、男用の湯浴《ゆあ》み場で体を洗って部屋に戻った。それからは夜遅くなるまで、地図や資料とにらみ合いをして待った。
 みたび執務室に向かうと、レイは、庭にいるという話だった。言われた通り、深夜の騎士団本部の庭で、訓練用のかかしに向かって魔法剣を打ち込むレイを見つけた。
 訓練用のかかしは、燭台《しょくだい》に載せられたろうそくの火にぼんやりと照らされている。激しく魔法剣が打ち込まれているのに、傷ひとつついていない。ミスティも同じことをやっていたが、全力で攻撃して対象そのものを傷つけないというのは、魔法の制御が完璧でなければできない芸当だ。魔物相手には役立たない特技だが、人間が相手の場合、武器や防具だけを無力化し、圧倒的な力量差を見せつけることで、血を見ることなく賊を捕縛できる。賊は労役《ろうえき》を科されて生き長らえることになる。
 ひと段落ついたのか、レイは、息切れをしながらかかしの方に歩いていく。かかしに背中をつけて、その場に座り込んだ。近くのろうそくの火が、彼女を頼りなく照らし出す。
「盗賊は、どう、だった?」
 袖で汗を拭いながら、息切れまじりに彼女が聞いてくる。
「ミスティを覚えてるか?」
 ろうそくよりも明るい魔法剣の青白い光が頼りなく揺らぎ、消えた。柄だけの剣を鞘にはめ込む音がした。
「笑えない冗談だな」
 呼吸が落ち着いたレイの、不機嫌な声が返ってくる。ログナは笑った。
「俺と同じこと言うなよ」
「簡単な報告は聞いた。手も足も出ず、両手剣まで折られたというのは本当なのか」
「ああ。ミスティに情けをかけられなければ、全滅してた」
「十年も経てば、剣も錆びつくようだ」
 十年間、島を守るために毎日厳しい鍛錬を己に課してきたというその自負を、ミスティによってずたずたに切り刻まれていた。レイの嫌味を受け流せなかった。ログナは怒鳴る代わりに、
「レイ。試しに魔法剣で俺を攻撃してみろ」
 と言った。
「死ぬ気か?」
「半分の力だ。それでミスティとの実力差を測る」
「ミスティに負けるような男が、わたしの半分の力を耐え切れると?」
 ログナは障害物のない広い場所に立ち、防御魔法を発動させた。いつも通りの早さで、全身が魔法土に覆われていく。
 レイは立ち上がり、剣の柄を抜いて魔法剣を灯した。魔法剣の光は一度消え、それからまた形を取り戻す。最初よりも、ひとまわり小さくなっている。
「死んでも化けて出るなよ」
 レイの低い声と同時に、魔法剣の先から光が飛んでくる。帯ではない。カロルと同じ、線だ。
 ログナはミスティに対した時と同じように限界まで体に力を入れて、その光の線を、腹に受け止めた。
 鈍器を腹に叩き込まれたような衝撃が走る。息が詰まり、ログナはその場にくずおれた。
 威力がなければレイに嫌味を言い返す腹積もりでいたが、そんな余裕はなかった。防御魔法を使っていなければ体を粉々に吹き飛ばされているくらいの威力だろう。
 だが、痛みはあれど、怖さはなかった。
 初めにミスティから受けた攻撃。後から考えると、彼女はあのとき、明らかに手を抜いていた。体に負担をかける魔力は、使わないに越したことはない。この程度で倒せる、という予想があったのだろう。それでも、あの黒い帯状の光を受けたとき、上半身と下半身が分断されると感じた。簡易結界魔法による援護がなければ、その通りになっていたはずだ。
 いまのレイの攻撃には、そこまでの威力はなかった。
「大丈夫か!」
 レイが慌てて駆け寄ってくる。
 レイの手が、膝立ちでうずくまるログナの体を支え、背中をさすってくる。
 汗を垂らしながら腹を押さえて、痛みが治まるまで、レイのされるがままにして待った。
 痛みがようやく治まったところでゆっくりと立ち上がり、
「まずい」
 と呟いた。
 少し離れて立ったレイが、じっとこちらを見ているのがわかった。
「さっきの嫌味に対する当てつけではないんだな?」
「俺も少しは自分を抑えることができるようになったんでね。あいつは、相手をなめきった状態で、帯状の光が出せる」
 言うが早いか、レイは身を乗り出すようにして怒鳴った。
「そんなはずはない! 帯状の光のようなものが出せたのは、わたしでも、腕が吹き飛ぶことを覚悟して力を使った時だけだ」
「蛇頭《だとう》の化物を倒したときのだろ。あれはすごかった。カロルでも、死ぬ間際に放った一度だけだった」
「それを、ミスティは常に出せるというのか」
「そうだ。異常に硬い結界を張って、左手の光弾に力をためながら、右手だけで魔法剣を維持し続け、攻撃に移るときだけ結界を解除する。常に一対多を強いられてきた、そういう戦い方だった。どこにも付け入る隙がない。この国を追放されて魔物の住み処で一日一日を過ごしてきた、それがどんな辛い生活だったのかが、戦っただけでわかる」
 あの無邪気な笑顔をすっかり奪い去るほどの、日常。
 他の三人は――クローセは、リルは、バルドーは、どうなったのだろう。
 生きているのだろうか。死んでいるのだろうか。
 もし死んでいるとしたら、王国に対する恨みは、想像もつかないほど深くなっているに違いない。
「王国自身が王国最大の敵を作り上げたわけか……」
「交渉で話をつけろ。討伐しようなんて馬鹿なことは考えるな。千三百年続いた国が滅ぼされるぞ」
「ミスティに交渉するつもりはあるのか?」
「ミスティが言っていた、なすべきことってのが何なのかが分かれば……」
「なすべきこと……か。なすべきこと、それがロド王国を滅ぼすことだという可能性は非常に高いだろう。わたしたちはそれだけの仕打ちを彼女にした」
「甘ったるい意見を言ってもいいか」
「言うだけなら金はとらん」
「あいつが……あのミスティが、そんなことをするとは思えない」
 レイがかかしに背中を預けて座りながら、笑う。自然とつられてしまいそうになる、心地よい静かな笑い声は、昔のままだ。
「甘いな。耳が腐り落ちそうだ。金をとりたくなった」
 レイはそう呟き、片膝を立てた態勢で月を見上げた。
「十年。人が変わるには十分だろう。わたしは老い、お前も武人としての全盛期は過ぎた。時は彼女に味方している。彼女はまだ二十歳だ。たゆまぬ研鑽を続ければ、これからも成長し続ける。けれど王国側には、今年で四十六になるわたし以外の魔法剣の使い手はいない。わたしやお前を超える使い手の噂も聞こえてこない」
 ログナは少し迷ったが、頷いた。
「お前に預けたあの三人をどう見る?」
「イシュは、相当、強いな。ミスティが相手でも逃げ腰にならなかった。ものになるかもしれない。ルーアとトライドは、魔王戦には連れて行けなかっただろう」
「ミスティの実力がお前の言った通りならば、わたしとお前にイシュが加わったところで、どうにもならない」
「フォードは?」
「ふざけたことをぬかすな。奴は十三年間消息不明だ。もし見つけたらわたしが殺してやる」
「王国軍の総勢は」
「嫌々兵役についている素人が大多数の二十万だ」
「全てに動員をかけてもいいのなら、勝てるかもしれない」
「しかし、そうすれば」
「魔物との戦いに敗れる」
「ロド王国は滅亡する」
「俺やあんたほどの技量をもたない人間は、この大陸で生きられなくなる。他の大陸は魔物の手に落ちてしまっている」
「八方塞がりだな」
 レイがため息をつく。
「王国の存亡を左右する話だ。わたしの一存では決められん。五長会議《ごちょうかいぎ》にかけることになる」
「そのあいだ昼寝し放題ってことか?」
「ただ飯食らいを置いておく余裕はない。魔物の討伐だ。どのように討伐するかはログナの裁量でいい」
「戦略的にいかないと数は減らないだろうが」
「だからそれも含めて任せると言っている」
「投げやりだな」
「ある程度の指針は用意した。あまりにも自由に動かれては味方との兼ね合いもあるからな。まずは王都北部城塞に向かってくれ。最近、魔物が急激に強くなっているとの報告を受けた。周囲には砦があるがいくつか陥落したそうだ。それを取り戻して来い。すでに馬車を手配してある。明日の夜明け、騎士団本部の玄関前だ。新しい両手剣は、御者から受け取れ。小型弓用の収納箱もつけてある」
 焦りと疲れと苛立ちが入り混じったかすれ声で、レイは一息に言い切った。
 騎士団長としての職務をひとりでこなしているうえに、お飾りに過ぎない王の孫を将軍に戴く王国軍の尻拭いもし、さらには自らの技量の維持のために深夜の訓練までしているのだ。この細い体のどこにそれほどの体力が眠っているのかはわからないが、髪の大部分が白髪という、四十六にしては重たい老け方をしたのは、そのあたりの多忙にも原因が求められるに違いない。
「苛々するなよ」
「人材が足りない。わたしは自分の力に自信をもっているが、それとは切り離して人を見ているつもりだ。しかし足りない。お前も、クローセもリルもバルドーもミスティも、本来であれば王国のこれから先数十年を背負って立つはずの逸材だった。お前たちが賞金首になるのを黙って見ていた罰《ばち》が当たったのかもしれないな」
「俺たちが賞金をかけられたとき、あんたは生死の境だっただろ」
「だが、そのあとで懸賞金撤回の要請を五長会議にかけることもできた」
 五長会議は、ある議題について話し合い、多数決で結論を出すという単純なものだ。そこで決められた事柄を国王に上奏し、国王が裁可する形で、重要な政策は実行される。
 五長会議を構成する五人のなかには、現国王パウル・ロドの子孫が三人いる。長男であり王族やノルグ領を統括するステイシス・ロド、宰相として政務全般を担う次男ラデク・ロド、そして王国軍将軍として王国軍を統率する嫡孫《ちゃくそん》エル・ロド。十年前は、武骨な軍人肌、国王の弟のミラー・ロドが王国軍将軍を務めていたが、レイの資料によると、四年前戦死したらしい。残りの二人は騎士団長レイ・アスタスと、神学長リンド・バルテン。
 十三年前、レイが騎士団長に就任することも五長会議によって決められ、十二年前、魔王討伐隊を立ち上げることも五長会議によって決められ、十年前、魔王討伐隊の六人を賞金首とすることも、おそらくレイ不在の五長会議によって決められた。
「王族が生き残るか、引きずり下ろされるかの状況で異を唱えていたら、俺たちとつながりの深かったあんたはあっさり処刑されてたかもしれない」
 五長会議の席でそのままレイを捕えるのは、そう難しい事ではない。
 国王はおそらく、最高機密とされている王国最強の武人、騎士団長の――レイの魔石がある特別な場所に自由に出入りできる。そこを押さえられてしまえば、いくら強大な魔力を持っていても、並みの兵士にすら太刀打ちできなくなる。他国のように貴族や諸侯の力が強まらず、王族が圧倒的な権力を握ってきたのは、王族が魔力の源を掌握しているからに他ならない。その権力を振りかざし暴政を強いた王もあったが、王族内での権力闘争が皮肉にも自浄作用となることがほとんどだ。民は、生かされず、殺されずでここまできている。
「わたしも、それを考えた。言えば処刑されるだろう、と。保身だ。自らの命惜しさから、王族への諫言《かんげん》を怠ってしまった」
 十年前、ともに戦ったミスティの出現と、その予想外の強さに動揺しているのか、いまのレイはどこか感傷的だった。引きずられればろくな方向へ話がいかないだろう。ログナはすぐにレイを慰めなかった。慰められれば彼女は、自罰的なほうへ自罰的なほうへと気持ちを持っていくに違いない。
 カロルが、同じように責任感の強いクローセを叱咤激励する場合によく使っていた、遠回しな言葉を頭の中に思い浮かべる。
「まあ、あんたにとっては、反発して、処刑されていた方が楽だったかもしれないな。壊滅した騎士団を立て直す手間に比べたら、無茶な諫言をして死ぬのなんて楽なもんだ」
 レイは小さく息を漏らして笑った。
「似合わぬ気遣いを」
「昔を懐かしむのはいいが、後悔はよせ。あんたは常に自分にできる最善のことをしてきたはずだ」
「そうだな」
 レイがまた笑う。
「わたしはすべての局面において、最善のことをしてきた。わたしがいなければ、この国はとうに滅んでいただろう」
 自信に満ち溢れた言い草に、今度はログナが笑う番だった。
「そのわたしの目に、狂いがあるはずもない。お前があの三人をうまく導いてくれることを願うとするよ」
「人材がいないなら、作り出せ。それがあんたの仕事だ。俺はそれを育てる」
「あの向こう見ずな馬鹿がこうなるとはな。本当に十年、経ったらしい」
 その不遜な様子を見て少し安堵する。
「わたしはもう少し訓練していく。お前は早く戻れ。寝坊して貴重な馬車を足止めしたら承知しないからな」
「わかった。ほどほどにしとけよ」
「ありがとう。話せてよかった」
「俺もだ」
 ろうそくだけが照らす暗闇の中で、レイとログナは顔を見合わせ、笑った。



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