12 王都北部城塞


 王都北部城塞の歴史は古い。王都北部城塞というありきたりな名前そのものは、王国初期の、資料とよべるかどうか疑わしいような書物にも散見される。
 この王都北部城塞が正式な歴史書に初めて姿を見せたのは、およそ五百年前の王国暦七八八年。歴代の中でもっとも暗愚であることに誰も異論は挟まない、国王ガレットの残虐な行為の数々によって人心がロド王国から離れたときだ。反対に、王国から離反した勢力を取り込んだノルグ族は、民族としての最盛期を迎えていた。
 その危機的状況に向かい合うことになった当時のロド王国将軍は、のちに賢王と呼ばれることになるロシュタバだった。彼はガレットの次男として軍権を掌握《しょうあく》していた。ひとたび戦場に出れば縦横無尽の活躍をしたという風聞が、当時の騎士団員の日記に残っている。ただ、国王であり父親でもあるガレットや、第一王子である兄ヴィスから警戒されないよう、普段は彼らに負けず劣らずの俗物を演じた。手柄はあらかた当時の騎士団長グルドに譲り渡していたため、現場を知らない家臣たちの目には、国王や第一王子と同類だと映っていたようだ。騎士団長グルドはおかげで多くの声望を集めたが、のちに謀反の嫌疑をかけられ、凄惨《せいさん》な拷問のすえ斬首されている。
 そんな狡猾な一面もあるロシュタバは、迫りくるノルグ族を防ぐため、王都北部の守りを一任された。ガレットが王都を捨てて遷都するための時間稼ぎにあてがわれたという説もある。ロシュタバは老朽化していた王都北部城塞を対ノルグ族の軍事拠点に決め、そこから数十度も出撃してノルグ族の勢力伸長を抑えながら、敵が来ない間は自ら監督をして城塞の修復、増築を重ねさせた。
 あるときロシュタバが国王の呼び出しにより不在となった隙をついて――この召還そのものがノルグ族による謀略だったという指摘もある――ノルグ族が王都北部城塞に攻め寄せたことがあった。
 のちに国王となるロシュタバは、国王として魔法剣を使いこなした、ロド王国史上二人目の人間だった。彼のほかには、ロド教の始祖リリー・ロドの孫であり、ロド王国を建国したラディス・ロドがいるだけだ。傑出した武力を誇るロシュタバがいない、そんな千載一遇の好機を逃すまいと、ノルグ族は族長自らが出陣する大規模な攻城戦を仕掛けた。一説によれば四万のノルグ兵に対して王国兵はたった五百人だったという。しかし、落とせなかった。ノルグ族がロシュタバの軍略に翻弄されている間に、王都北部城塞は防備を固め、兵数による力押しでは攻略が困難なものになっていたのだ。
 乱戦の中でノルグ族長が討ち死にし、以降、ノルグ族は勢威が急速に衰えていった。
 ロシュタバの恵まれた才能に薄々勘付き、警戒していたガレットも、この結果には満足した。ロシュタバが王都北部城塞にこもって直接指揮を執るようになってから王国軍が連戦連勝だったのは、ロシュタバの能力が圧倒的に優れているわけではなく、王都北部城塞のおかげだとわかったからだ。
 ガレットがその時の安堵を悔いたのは、それからほどなくしてのことだっただろう。ガレットはロシュタバとその家臣たちによって、第一王子ヴィスとともにその座を追われ、生涯幽閉された。
 王位についたロシュタバは族長を喪ったノルグ領へすぐさま親征して降伏させ、完全に支配下に置くことに成功する。ロド王国中興の祖、賢王ロシュタバの治世の始まりだった。ロシュタバの治世では、生きることを賛美する詩や絵画、物語などが花開いた。これは常に魔物との戦いにさらされてきたロド王国にとってみれば、極めてまれな事だった。

 魔王や魔物の来襲によって幾度となく破壊されたため、当時から様変わりはしているだろうが、ロシュタバゆかりの王都北部城塞はいまも立派に要塞としての機能を果たしている。果たしているはずだった。
 しかし、二台の馬車に分乗したログナたちが付近に到着したときには、すでに魔物による大規模な侵攻が始まっていた。砦の足元を通る道路から見上げただけでもわかる。王都北部城塞は魔物たちで埋め尽くされており、三ノ砦あたりまで突破されているように、ログナには見えた。
 急峻《きゅうしゅん》な斜面と狭い通路、城壁を挟んで両脇にずらりと建てられた櫓《やぐら》から弓矢や魔法を浴びせかけて侵入者を阻む一ノ砦。その一ノ砦から二ノ砦のあいだには地形を利用した深く長い堀が作られており、二ノ砦の正門付近に架けられた跳ね上げ式の橋が上がってしまうと、人間には通行が不可能になってしまう。長い梯子《はしご》などを使って向こう側の城壁に渡ろうとしても、城壁の上に並んだ弓兵と魔法兵がそれを阻む。どうしてもここを落としたい敵方が兵力に恃《たの》みそれすら突破したとしても、まだ二ノ砦の入り口にたどり着いたに過ぎない。王都北部城塞は万事がこのような調子で、二ノ砦、三ノ砦、四ノ砦、五ノ砦と突破して最後にようやく、指揮官がいる本詰所まで辿り着ける。本詰所が建っている場所は断崖絶壁で、五ノ砦まで突破しないかぎり侵入することはできない。
 人間だけでなく魔物相手にも機能してきたその幾重にもわたる防備が、いま、打ち崩されかけていた。
 あまりにも、魔物の数が多い。一ノ砦から入るのは無理だと感じたログナは、御者《ぎょしゃ》に方向転換をさせた。三ノ砦と吊り橋で繋がり、王都側からの補給物資を受け入れるために存在する支城のほうからなら入れるだろうと判断したからだ。
 すぐにその判断が甘かったことに気付く。支城の方は、すでに魔物によって陥落していた。切り落とす暇もなかったらしい吊り橋には、三ノ砦の兵士たちをめがけて突き進む魔物たちで渋滞ができている。
 それでも一ノ砦よりは魔物の数が少ない。迂回させ、支城から離れた位置にある短い石橋を渡らせた。
 なぜ統率者を持たず、兵站線《へいたんせん》などという概念を持たないはずの魔物たちがこの城塞に集まってくるかと言えば理由は簡単だ。人間という餌を食らうため。魔物は各地で突発的に出現することがある。そこで、目立つ餌が必要になってくる。王国軍兵士たちがここにこもるのは、王都の住民たちの前にまず自らに注意を向けさせるという自己犠牲の方法論だ。そういったことを考慮に入れても王都北部城塞の防備は固く、王都にいるよりも安全と考える人間もいた。
 しかし今回の魔物の集まりようは、異様の一言に尽きた。その異様さの前に、王都北部城塞の防備は、完全に打ち崩された。
 御者の頭越しに状況を確認していると、突然、馬が暴れ出した。魔物の姿に気付いたのだろう。御者が必死になだめるが、馬は勝手に方向転換をして、逆方向へ走り出そうとした。それなりの速度で走っていた状態から、馬車に繋がれたまま急激に方向転換できるはずもない。馬は足をもつれさせて転倒した。同時に、車部分も転倒し、ログナとトライドは馬車から放り出された。
 ログナはすぐに異変に気付き防御魔法を使ったおかげで、手を擦りむかずに済んだ。けれどトライドは間の悪い事に、右手の鉄製手袋を脱いで、ぼうっと燻製肉を食べているところだった。左手は大丈夫だったようだが、右手を擦りむいたようだった。擦りむいたといっても、このあたりの土は砂利が多く、強い衝撃が加われば馬鹿にできない怪我を負うことも考えられる。
「トライド、手を見せろ」
 外套についた土ぼこりを払いながら、言う。
 言われた通りに差しだされたトライドの右手は、砂利が手のひら全体に刺さり、むごいことになっていた。
「剣、握れるか」
「握れます」
 刺さった石を取り除きながら、いちいち顔をしかめている様子を見る限り、虚勢を張っているようにしか見えない。
「いつもは、少し怪我したくらいで大騒ぎするくせに」
 いつの間にか近くに来ていたルーアがひやかした。
 ルーアとイシュが乗っていた方の馬はまだこらえ性があったらしく、無事だった。
 イシュは馬車から降りたその位置で、ただじっと立っている。
「い……いつもは、いつもだよ。いまは違う」
 トライドは自分に言い聞かせるように呟いた。
 仕方ない、といった表情で、ルーアが、右手に刺さった石をひとつひとつ左手で抜くトライドのすぐ隣に立つ。トライドが腰から提げている小さな麻袋から、応急措置用の酢と軟膏、それぞれの入った小瓶を取り出した。
 石を取り除き終えたトライドがそれを受け取ろうとすると、ルーアは右手に持った酢の小瓶の蓋を取った。そしてすぐに振りかける。トライドが右手を軽く引く。トライドの感じた痛みが伝わってくるようで、ログナは顔をしかめた。
 それから、酢の小瓶をしまい、スルードの花の根が混ぜ込んである軟膏を小瓶からひとすくいして、トライドの手のひらへ乱雑に塗り込む。
「はい、終わり」
 手早く処置を終えたルーアから目を切ったログナは、うまく立ち上がれず悲鳴をあげながら暴れる馬に目をやった。それから御者を見る。彼は首を振った。
「足が折れています」
 馬は、魔物との戦闘には使えない。どう調教しても、魔物の前では竦《すく》み上がり、命令をまったくきかない錯乱状態に陥るからだ。一般市民や商人のように魔物から逃げるだけなら有用だが、戦うとなればまったく計算できる生物ではなかった。
 そのため、騎士団とは名ばかりで、騎士団に騎兵はいない。かつてのノルグ族との争いでは、騎馬による速攻を得意とするノルグ族に対抗するため騎兵が用いられていたが、ノルグ族が完全に支配下に置かれている今は、必要性がなくなり、騎士という名前だけが残った。ふだんは他の仕事をしている人間も多い王国軍が、対処できないような案件を担当する職業軍人集団。それが騎士だ。
「お前はもう片方の馬車に乗れ。二人で騎士団長に急報を伝えてこい。王都北部城塞が三ノ砦まで突破されている、支城も落ちた、援軍を寄越せと」
「わかりました」
「聖母リリーの加護を」
「聖母リリーの加護を」
 御者は名残り惜しそうに馬のほうを何度か見ながら、ルーアとイシュが乗っていたもうひとつの馬車に乗った。
 あの馬は、魔物の餌になるだろう。
 ログナは支城に目をやった。
 深くえぐれた峡谷を左手に臨むなだらかな坂が続いている。途上の右手に、人四人ぶんほどの高さの石壁で囲まれた出丸があり、本来ならば、そこで敵を撃退しなければならない。けれどすでにそこは魔物たちで埋め尽くされている。出丸をすぎれば、あとは吊り橋まで一本道で、遮蔽物となる木柵や低い石垣がところどころに築かれていたはずだが、人間相手には有効でも、魔物相手には効果が薄い。
「さて! 行きますか?」
 ルーアが軽い調子で訊ねてくる。
「状況がわかってるのか」
 ログナがそう言い返すと、彼女は笑った。
「このあいだの化物に比べたら、どうってことないですよ」
「僕は怖いです。でもやっぱり、このあいだの敵と比べると……。この四人だったら、どんな魔物とでもやれそうな気がします」
 手に布を巻きつけたトライドが、両手剣を取り出して、素振りをした。少し顔をしかめたが、振り下ろす速さは問題ないように見えた。
 それを確認して、魔物たちの鳴き声が轟く峡谷と、不気味な静寂に満ちたかつての家屋たちに挟まれた、狭い街道を歩き始める。
「そういえば聞きそびれてたんですけど、あのとき、敵と何か話していましたよね。知り合い?」
 ルーアの上官に対する馴れ馴れしい口調はきっと、注意しても直らないだろう。ログナももともと行儀のよろしい育ちではないので、気にしないことにした。
「ミスティだ。名前くらいは聞いたことあるだろ」
「え」
 大声を出す寸前で自制心を働かせたルーアが、自分の口を自分の手で塞いだ。いくら距離があるとはいえ、大きな声を出してしまえば魔物に気付かれるかもしれない。
「確か、魔王討伐隊に、途中から仲間入りした子供でしたよね。十歳で」
 トライドの言葉に、ログナは頷いた。
「あ、その頃の話、ちょっと聞きたいです」
 ルーアが手を挙げて、下ろした。
「今はそんな状況じゃない」
「年齢に関する話だけでいいです!」
「わかったよ。年の話か? 先代騎士団長だったラッツってじいさんが断って、非正規人員だったレイが三十六歳。クローセが二十七、俺とカロルとバルドーが二十二、リルが十八だったか。全体的に若かったが、それでも、ミスティは明らかに幼すぎた」
「この四人の中に十歳の子が入ってたら、選んだ人が正気なのか疑いたくなります」
 ルーアが悪びれずに言う。
「それでも入ったのは、膨大な魔力を必要とするカロルを、無尽蔵の魔力で援護できるのは、あいつしかいなかったからだ」
「昔から魔法剣が使えたわけじゃないですよね?」
「ああ、それどころか、体力もなくてすぐに息が上がって、陸に放り出された魚みたいな走り方をしてた」
「へええ」
「そういうときはいつも俺が子守役で……」
 自然と笑顔になって言いかけ、やめた。
 あのころのミスティは、もういない。
 努力に努力を重ねて、生きるか死ぬかのところで毎日を過ごしてきただろう彼女は、とてつもない力を手に入れた。ログナをはるか見下ろすほどの。
「隊長が子守、ですか。似合わない」
「はあ? 今も子守みたいなもんだろ」
「あ、ひどい。子守が必要なのはトライドだけですよ」
「ぼ、僕だっていつまでも子供じゃ……」
 それを聞いたルーアがトライドの肩に手を載せて、
「寝言は寝て言おっか?」
 と楽しそうに言った。
 砦で休息したときもそうだったが、出会って一か月の他人にする言動ではなかったから、トライドに対するルーアの立ち位置が少し、わかった。騎士団の訓練は出身地ごとに行われることが多い。同郷の出身だと言っていたから、自然と一緒にいる時間が増え、こういう関係性になったのだろう。
 ミスティのことを思い出して塞ぎかけた気分が少しだけ持ち直した。
 このふたりやイシュのいずれかが化け、魔法剣の使い手となれるように、うまく手伝う。それがいまの自分の仕事だ。
「ちょっと元気出ましたね」
 ルーアが、覗き込むようにしてくる。
 自由なようでいて、意外と気を回す人間なのかもしれない。
 部下の気遣いに乗るのもどうかと思ったが、ミスティに手ひどくやられておいていまさら体面も何もない。
「ああ。この間はボロ負けだったが、俺は十年、田舎に引っ込んでたんだ。しばらくは魔物が相手だろうから、そのあいだに勘を取り戻す。で、次は勝つ」
 次。
 次に出会ったときは、殺し合いになるだろう。
 もしかすると、ミスティによる一方的な虐殺の現場に居合わせるだけかもしれない。
 それでもいま、この北部城塞を守りきらなければ、ミスティの前に、魔物によって王都が壊滅し、その現場に居合わせる事すらかなわない。
「きょうは全員が前衛だ。作戦はない。互いに援護し合って、まずは支城を奪還する」



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