53

 列車以外にも脱出できる方法はあるが、この方法が一番確実だった。
「急げ。列車はもう乗込めるようにしてある」
 地上に残っていた兵士十名には、連絡が来た際に住民を地下溝に避難させるよう指示し終えていた。もうここは何の役割も果たさない。指揮詰所に残っていた兵士たちを全員外に出してから、ジルミは重要な書類と、実験データの入っているUSBメモリを持って外へ出た。周囲に兵士がいなくなったのを確認すると、書類に火をつけ燃やし、USBメモリを足で潰した。地上にいる住民は、全ては助からないかもしれない。シェルター以外は突貫工事で作られた地下溝が、どの程度まで耐えきれるかは甚だ疑問だった。
「……生きてるかな、曹長たち」
 地下溝に敷設された列車を動かすためのキーを指でくるくるとまわしながら、ジルミはそっと一人で呟いた。

 入った連絡に拠れば、米軍麾下の軍事施設で大陸間弾道ミサイルの発射準備が整いつつある兆候を察知したとのことだった。それも、弾頭は核弾頭だという。それだけではここに落ちると断定はできないし、第一どこから情報を仕入れたのか。発射を事前に衛星に察知されるような馬鹿な真似は、米軍がするはずはない。納得できずに食い下がると、十分に留意せよ、との言葉が返ってくるだけで、全く話が進まない。一歩譲ってどう撤退すればいいかを聞いても、何も具体的な退避方法などは返って来なかった。
 だがそれでも信じる気になったのは、背後ではあわただしい怒号のようなものが行き交い、連絡してきた兵士の声が微かに震えていたからだった。こちらは既に核を撃ったのだ。いつ報復されようと、文句を言える筋合いはない。情報が正しいのなら、あと一時間で、瀋陽に核が落ちる。程度の差はあれ、瀋陽からそれほど離れていないこの付近も、破壊しつくされるだろう。狙いは恐らく、瀋陽に大挙して押し寄せた人間兵器の殲滅。
 地下三階の中程に指揮詰所は位置している。辺りはサイレンの音に包まれ、同じ階で聞こえているであろう銃声が遠く感じる。

 前に加奈曹長は言っていた。
 こんな腐った軍隊で地位を得て、何になる。
 
 脱走計画を共に企てた仲間の密告により捕まった彼女が、牢獄で拷問を受けている最中、チョルミンに言った言葉だ。
 どんな激痛を与えられようとも痛みを顔に出さず、ずっと彼を睨みつけていた。彼女は仲間を吐かせるためにとてつもなく長い時間チョルミンに拷問されていた。それでも、決して仲間の名前を口にしようとはしない。自分が勝手に周りを巻き込んだだけだと言った。
 その様子をチョルミンの横でずっと見ていた。

 あの時密告したのは、自分だった。どうしようもない貧乏生活から、一兵卒で終わる立場から脱出したくて、密告の報酬に目が眩んだ。おかげで今は、チョルミンの下で、ギルソンの次に信頼される程になった。だが、チョルミンに指示され軍の機密に触れ、曹長の言葉がようやく身に沁みてくるようになった。腐った軍隊。その通りだ。人を人とも思わない奴にしか、この軍の上には上がっていけない。そういうものだと思い知らされた。
 何が『ストレイジ』だ。何が『agnea』だ。腐ってる。密告した自分も、曹長の言葉を笑った他の連中も。
 
 ジルミは建設途中で放棄された自動改札を通り、ゆっくりと列車に向かい始めた。



          *



 武田は宮沢の後に続いて、背中を刺されてぐったりしている夏樹を背負って階段から降り、土嚢の辺りまで歩いて行くことにした。階段を下りる途中で聞こえ始めたサイレンに、自然と小走りになる。
 どうにか辿り着くと、全員が揃ってこちらを見ていた。確信は間違ってなかった。
「無事か? 早くこの部屋を出るぞ。この先に、ギルソンが通って行った地下三階への昇降機がある」
「朝鮮語は分からない……何が起きたか説明してくれないか?」
「走りながら説明する」
 加奈がそう言って走り始めたので、夏樹を背負ったまま続こうとしたところで、安藤が肩を叩いた。交代する、ということらしい。言葉に甘えて交代し、疲労を感じさせ緩やかなペースで走る加奈に追い付いて、隣に並んだ。宮沢も慌てて着いてきた。
「核が落ちるらしい。どの程度の核なのか分からないが、退避しろという放送だった」
「……核? どういうことだ……。まだ、俺ら以外にも撤退途中の友軍だっているのに……」
「友軍?」
「ああ。まだ三百人近くがこの辺りに残っているはずだ」
「……三百、か……」
 黙り込んだ加奈が、武田から視線を外した。
「……見捨てられたってことか」
 言葉の後を引き継ぐように後ろから追いついた千絵が、小さく呟いた。
 異論はなかった。三百。見捨てようと思えば、どうにでもなる数字だ。
「そんなはずない、とか、言えればいいんだけどな……」



          *



 昇降機は地下三階に下るときもまた、ゆったりとした速度は変えずに下った。今までの昇降機と違いがあるとすれば、周りの風景だ。無機質なコンクリートに覆われていた今までとは違い、円状にくり抜かれた空間を昇降機が下り、その周りにある鉄柵で覆われた階段も下に向かって伸びている。そのために下から吹き上げてくる風も感じられた。この間に、各自は治療を施していた。先程の新型ストレイジとの戦闘で、医療道具はもうほとんど底を尽きている。次に大怪我をする者がいれば……恐らく助からない。
 昇降機が静かに停止した。停止すると同時に鉄柵が一部分だけ開いて、階段への通路ができた。よく分からない仕組みだが、とにかく下へ降りていけばいいのだろう。怪我が酷いのは孝徳だけで、他は少しばかり回復してきている。これならばまだ脱出も可能なはずだ。孝徳は右肩に重傷を負って腕が上がらないが、足は大丈夫。ぐったりしていた夏樹は手を貸して貰えばどうにか小走り程度なら可能らしい。ただ、怪我人のペースに合わせて進んでいくと時間がかかりすぎるため、夏樹はもう一度安藤が背負うことになった。信じられないことに、安藤は先程の戦闘でもほとんど無傷だった。一度体内の構造を調べてみたい。
 階段を降り切って先に進むと、天井が高く、とても開けた場所に出た。上下左右とも配線が入り乱れ、それでいて場違いにも白の基調で床も壁も統一されたそこでは、またもや放置されたコンテナがあり、判断を遅らせそうだった。敵兵が待ち構えているかもしれない、と慎重に隠れながら安全を確認していく。グロックも手元に残っていなかった一郎は、ナイフを手に持ち、警戒しながら走った。 
 攻撃は、直後に襲ってきた。配線だらけの場所から、駅の構内のような雰囲気へ変わっていく、そんな場所だった。柱の出っ張りの陰から、放置されたコンテナの陰から、彼らは姿を見せた。即座に応戦できたのは加奈だけで、他は全員身を伏せることだけに専念しなければならず、圧倒的な弾数が降り注ぐ。一郎は、加奈が盾としたコンテナに飛び込んでしまい、怒鳴りつけられた。
「何隠れてる! 応戦しろ、時間がねえのを忘れたか!」
「ナイフでどう応戦しろって言うんだ!」
「あの昇降機のお陰で、十分も無駄に使ったんだ。援護してやるから行け!」
 軽機関銃を激しく撃ち鳴らしながら加奈が言った。彼女が直接行った方が確実だと思ったが、既に息を切らしていて両肩の痛みを堪えている様子だった。彼女がもうひと睨みしてきたため、覚悟を決めて、銃撃が一時的に止むのを待った。そして止んですぐ、身を屈めて白基調の床を踏み込んだ。柱の陰から二度目の銃撃のため姿を現した敵兵に一気に近づき、慌てた彼が照準を合わせる前に、首筋目がけて横薙ぎにナイフを払った。コンテナから狙いを定めていた敵兵の方は、加奈のけん制により態勢を立て直せざるを得なくなり、一郎は後退しようとした彼の背後に近付き、ナイフを突き立てた。

 
 加奈が声を掛け、再び隊列は元通りとなって地下溝の奥にあるシェルターを目指し始めた。加奈も以前地下溝の図面を見たことがあるだけで、正確な場所は分からないが、一本道で迷いようがない。製造途中の自動改札のような設備を走り過ぎ、二又に分かれた階段の左側を下った。まるで電車が置いてあるような構造だな、と感じたところで、階段を降り切った。
 そしてそこには本当に電車があった。日本で見る形と非常に似通っていて、黄土色と赤色を基調にした配色以外はほとんど見慣れた姿だった。ドアはなぜか開いている。
「どういうことだ?」
 扉の目の前で立ち止まった一郎が、中を覗き込みながら、追いついた面々の前で呟く。座る椅子は赤色で、吊革も垂れている。中吊り広告などは当然なく、使用された雰囲気は全くと言っていいほど感じられなかった。
「……これに乗って、逃げられるのか?」
 振り返って、加奈に問い掛けた。彼女は首を傾げ、全体を見回した。
「分からない。でも先頭車両を調べれば……」
 言いかけたところで、加奈が目を見開いて銃を構えた。しかし遅かった。
「はっ……。この程度なら、ミヅキ、あんたでも捕まえられるな」
 一郎は、いつの間にか背後から首をきつく絞められ、銃を頭に突き付けられていた。



          *



 銃を向けたが、遅かった。気付いた時には一郎が敵兵士――確か、ギルソン――に捕えられていた。彼の背後では、いつの間にか現れた敵兵数名が、銃をこちらに向けている。よく見れば、右隣の車両から移ってきたらしく、開かれた扉が閉じる所だった。
 一郎は体を激しく動かしていたが、銃を頭に突き付けられ、抵抗を諦めた。
「……さってと。ミヅキ曹長ぉ。あんたを脱走罪で……チョルミン様に引き渡す。こいつを殺されたくなきゃぁ……」
 首を絞められ、身動きが取れないでいる彼を、千絵は加奈の右隣から見つめた。どこかで見た光景だ。そう、あの時……。一郎が捕らえられなければ、次郎は。
 再び沸き上がってきた気持ちを振り払い、千絵は小銃を握る手に力を込めた。しかし、この銃ではピンポイントでギルソンのことを狙うなどできそうにない。それに、一郎に当たれば、医療道具が残り一セットしかない現状では、ひとつの銃創が致命傷になりかねない。
「殺せよ」
 考えていると、隣で無機質な声が聞こえた。驚いて振り向く。彼女は、くだらない、とでも言うようにギルソンを見下していた。すっかり忘れていた。加奈は、こういう兵士だ。
「私には関係ないね。そんなの死んだって、どうも思わない。そいつを殺した瞬間にこの軽機関銃でお前のことを蜂の巣にするだけだ」
 肩を軽く竦めて、笑った。
「加奈ぁ!」
 後ろから怒声が聞こえた。夏樹のものだ。安藤に背負われていたはず……と思い見ると、彼女は右足を引きずって加奈の背中に走り寄り思い切り殴った。
「あんた、やっぱり、最低だ……!」
 呻いた加奈が、軽機関銃を夏樹に向けた。背後のギルソンは加奈が気を逸らしても特に気分を害した様子もなく、にやついていた。
「……死にてえらしいな。あんな間抜け、死んだって構わねえだろうが。戦闘に素人が口出しするな。一人より八人の命だ。……脱出するまでは協力してやる。だから私のやり方に口を挟むな」
「待て。お前は投降兵だろう。指揮権は俺が持ってる」
「黙ってろガキが!」
 今度は軽機関銃を武田に向けた。もう収拾がつかない。

「いいのかぁ、んなこと言ってさぁ。間抜けなら、後ろにもいるぜぇ?」
 彼の声に、ギルソンとその背後の兵士に小銃を向けたままの安藤と宮沢に前川、それに千絵以外の全員が後ろを振り返った。加奈にすべての視線が集中している間に、今度は孝徳が人質に取られていた。左腕に包帯を巻いた兵士が、孝徳の首を抱き抱え、拳銃を側頭部に突き付けていた。腕を怪我した孝徳は、一郎とは違い、少しも抵抗できていないようだった。
「……孝徳を離せ。ジルミ」
「それはできません」
 一郎の時とは打って変わって必死な声で囁くが、ジルミは首を横に振った。その変わりぶりに千絵は夏樹と同様の感慨を抱きながら、視線をギルソンに戻した。ジルミは油断なくギルソンの隣を通って車内に入り、後ろに立つ。孝徳は完全に人質化した。それを確認して勝ち誇ったような表情になったギルソンは、加奈を一瞥し、次にその顔を前川へと向けた。
「そういや、面白い話があるぜ、あんた向けの。昨日の夕方なんだけどさぁ、俺のことをご丁寧に病院送りにしてくれた日本の兵士と街でばったり鉢合わせしちゃってねえ? あんまりイラついたもんだから、散々甚振ってやったよ。で……死ぬ直前のそいつの命乞いがおもしれえのなんの。こ……降伏する。だから、……助けてくれ、だとよ」
 ギルソンは後半をふざけた口調で声真似して、可笑しくてたまらない、という顔で馬鹿笑いをした。ひょっとしたら、一郎が見逃したあの命乞いをしていた兵士が例えに出していたのは、彼のことなのかもしれない。聞いていて、気分のいいものじゃない。
「てことでぇ、そいつ……あー、名前は、松木一郎っていうんだけどぉ? オレが殺しといたから。多々良兄妹! 前川君! ご愁傷様でしたぁ。ははっ。いやぁ、残念だなぁ。非常に残念だ。本当に惜しい人物を亡くしたよ。あの若さで、あれだけの命乞いができる兵士は、なかなかいないからなぁ? 涙目で、降伏するから、許してくれ? くっくくく……ハハハハハッ!」
 そこでまた馬鹿笑いする。加奈の後ろに突っ立って、彼の話を呆然と聞いていた夏樹が、見る見るうちに怒りで顔を紅潮させ、彼に殴りかからんとする勢いで一歩目を踏み出したので、右手で銃を構えたまま、慌てて左手で抑えた。前川を窺うと、彼もまた、小銃の引き金に掛けた指を震わせていた。無表情だが、身を震わせた彼の指は、いつ引き金を引いてもおかしくはなかった。
 まずい。このままだと、一郎に当たる!
「あの時俺が、お前を殺すのを止めさえしなければ、中隊長は……!」
「おっと! 撃ったらコイツが死ぬだけだろぉ、前川?」
「前川さん! やめて!」
 銃声が、場に轟いた。





 血を流し倒れたのは、ギルソンだった。後ろから拳銃で撃たれ、即死。前川も夏樹も、口を開けてその様子を見つめた。
 ジルミはそのまま部下に銃を向け、抵抗しないでくれ、と言った。彼の部下は一瞬銃口を彼へ向けたが、すぐに銃を下ろした。
「……生きてこの兵士たちを脱出させることが、僕らの義務だ。曹長を捕える事はどうだっていい。あなたたちに危害を加えるつもりもない。……もし、良ければ。あちら側へ着いたら、この兵たちを捕虜として攻撃されないように取り計らってくれないか? このまま列車を動かしても、行く先で殺されてしまえば意味がない」
「ジルミ、お前、チョルミンに忠誠を誓ってたんじゃないのか?」
「……気づいたんです。加奈さんの姿を見て、ね」
「は?」
 薄く笑うと、彼は雑嚢から何かの鍵を取り出し、全員に見せた。小さな鉄輪からそのうちの一つを外し、武田に投げ渡した。
「手伝ってください。それが、後ろの動力部のキー。差し込んで回せば、勝手に動く。差し込み口はひとつしかないから、行けば分かります。もう、兵士は残っていないはずですが、念のため、数名で行った方がいいでしょう。僕は先頭車両に行きます。僕が信用できるのであれば、こちらにも数名お願いします。時間はあと十五分程です。急いでください」
「分かった。前川、孝徳、行くぞ」
 孝徳と前川が頷き、彼らはジルミの後に続いて、隣の車両に移っていった。



 千絵はジルミが話した朝鮮語の内容を掻い摘んで説明してから、鍵を持った武田の姿を見た。
「私もついていくから。後は……」
「俺も行く。三人いれば、問題なしだろ。一郎と安藤と夏樹ちゃんはそこに居てくれ。何かあれば両方ともと連絡が取れるから」
 宮沢の言葉に全員頷き、千絵はそれを見て、後方へ歩き出した。
 外傷は擦り傷や裂傷だけで戦闘に影響を及ぼすようなものは特になかったが、先程の発作では、またしても喀血があった。もうこの体は、長くないのだろうか。自分が意識しないよう一郎は喀血の痕跡を隠してくれたが、喉に張り付く血の感覚は誤魔化しようがない。あの兵士たちは、動きの速さが自分たちより少し劣る程度だから、気を抜けばすぐに殺されてしまう。それが相当の体力的負担をもたらした。
 前を歩く宮沢も武田も、あちこち痛めていたようだが足取りは正常だった。前戦時より広く大きくなった武田の背を何気なく見ながら歩いていると、ふと彼が振り返って、目が合った。目線も、少し上がった気がする。
「……何見てんだよ」
 ぶっきらぼうに言った声が、靴音に交じって聞こえた。
「ん? なんとなく。体つき、変わったなって思って。まだ身長伸びてるの?」
「そんなの、分かるもんなのか?」
「分かるよ。武田君のことならよく見てるし」
 千絵は小さく笑みを零した。武田は少しの間そんな千絵と視線を合わせると、体を前に向け直した。
「へえ、武田のことよく気にしてるんだな。……武田だって一応狙える立場なんだから気をつけろよ。一郎が聞いたらなんて言うかな。あいつ、意外と嫉妬深いかも知んねえよ」
「な……何、狙える立場って? 見てたら駄目なの? それに、一郎は関係ない」
「武田が勘違いしたら可哀想だろ。それに、一郎の名前出すだけでそんな照れなくていいって」
 宮沢が肩を軽く叩いた。顔が少し熱くなったのが分かったが、無表情を作って、
「からかわないでよ」
 と呟いた。
「な、武田はどう思う? 好きな奴が、他の男の事気にしてたら? 気にされた男の方もあんまり気にかけられたら、そいつが他に本命がいるってわかってるのに好きになっちゃうかもしれないし、迷惑だよなあ?」
「……黙って歩け。宮沢も小山田も、こんな時にはしゃぐな」
 心なしか、怒ったような声が聞こえた。千絵はすぐに謝った。
「……ごめん。はしゃいだつもりは……。気に障ること言ったなら、謝る」
「いいから、黙って歩けって言ってんだよ! 馬鹿か、こんなときに、そんな話して。ちゃんと聞いてたのか? あと十五分しかないんだろう? 早く行くぞ」
 武田は言ってから、歩きを止めて、走り始めた。



          *



「あのとき密告したの、僕なんですよね」
 無言で歩く中、突然話を切り出したのはジルミだった。何の話か分からず訊くと、最初の脱走計画の話、という声が返ってきた。
「ああ……あれか。そっか……お前だったのか」
「……怒らないんですか?」
 先頭車両を目指して三つの車両を越えたあたりで、時刻は十一時四十七分になっていた。もう敵はいないというジルミの話が本当なら、間に合うはずだ。加奈はジルミに視線を移して、無表情で、もう昔のことだから、と言った。
「お前が悪いわけじゃない。あの軍の待遇は、狂ってるから。一般兵に甘んじてるようじゃ食っていけない」
 呟くと、ジルミは立ち止まった。
「本当に、すいませんでした」
 深く頭を下げられた。
「……いいって。もう」
 今更言われたって、怒りが沸き立つわけがない。チョルミンだけに限らず毎日暴行を受け体中あざだらけで、それでも強制収監所には送られず、それからずっと口を噤んでいると、承晩の部下に組み入れられた。過酷な戦場に対抗する戦術を編み出すため再び考える心は戻ってきたが、他人に心を開くことはほとんどなくなった。ただ、あの時から次の脱走計画を立てる間まで、自分は考えることをやめていたから、何も感じてなどいなかった。
 加奈は顔を上げない彼の頭を軽く叩いた。
「気にしてないって言ってるだろ。……ここが先頭車両? そんなのはいいから、さっさと済ますぞ」
 彼は言葉を聞いて、顔を上げた。潤んだ目が自分を射る。どこか気恥ずかしくなって、何も言わずに目の前にある扉を顎で指した。
 ジルミが軽く笑顔になって、扉を開けた。



 扉を開けたジルミは、途端に心臓を突き破られ、血を噴出した。列車の操作席に座って待ち構えていたのか、チョルミンはジルミの絶命を確認するとギルソン以上の陰湿な笑みを零した。そしてジルミに刺さったナイフはそのままに、右腕を抑えて突っ立っていた孝徳の頭を引っ掴んで列車の窓枠にぶち当て窓のガラスを割り、そのまま彼の体を車外に放りだした。銃を構えた前川は、首を掴まれ吊皮代わりの鉄棒に頭を何度もぶつけられ、一瞬にして気絶……あるいは命を落とし、加奈は銃を構えた右腕を折られて、引き倒された。続いて出血をようやく止めたばかりの肩に、踵を思い切り振り降ろされる。
「ぁぐっ……」
「ハッ。くだらねぇ。感情に振り回されやがって。どいつもこいつも」
 彼は吐き捨てると、痛みに喘ぐ加奈を見て、笑った。
「そこで、全員が死ぬのを待ってろ。お前は人間じゃない。ジュンナン様に心臓を握られた玩具だ。類稀な戦術眼を持つ分、まだ利用価値がある玩具……。後で孝徳は内臓まで引き摺り回してお前の目の前で殺してやるよ。生き残るのは俺と、お前のその能力だけだ。感情にほだされる精神なんて、壊せばいい」
 痛みに顔を歪め、薄目で彼を見た。続いて彼は懐からリモコンのようなものを取り出し、ボタンを押した。地下三階全体に何かが外れるような音が響いた。
 彼はそのままそれを加奈の顔に投げ込む。鼻が折れた感覚がした。
「コンテナの施錠を外した音だ。心配するな、奴らの死は揺るがない」
 続いて足を掴まれ、思い切り反対方向に蹴りあげられた。膝の骨が粉砕したような感覚とともに、加奈は痛みに耐えきれなくなり、悲鳴を上げた。



          *



 無言で鍵を差し込み、回す。列車が徐々に振動を始めた。
 気分が悪かった。一郎に思いを寄せる千絵を知覚させられることも、自分がそれを心苦しく思っていることを自覚させられることも。心配そうに、千絵が目を合わせてきた。睨み返して、列車の車体を蹴り飛ばしたい衝動を堪えた。だから、そうやって気のある素振りをやめろって言ってるんだ。
「これで終わりだな。早く戻ろう」
 黙って頷くが、歩き出そうと前を見てから、千絵が声を発したので振り返った。
「……ねえ、宮沢君。先に行ってもらっててもいい?」
「え? あ、ああ。いいけど?」
 軽く謝って宮沢が行ったのを確認してから、彼女は自らの首元に手をあてた。

 わかば園のみんなが、大好きだった。それを壊した……寮長や、遠山さん、須能さんを殺した女。まだ十五歳だった自分の心を徹底的に破壊した女。
 それなのに再びこうして心を囚われてしまっている。
 しかも、彼女が別の男のことを好きだということを、知ってしまっている。 
 彼女は首元の手をゆっくりと動かして、何かを手の平に乗せた。昔あげた、珊瑚のペンダント。
「……これ、貰った時、私、どうにかなりそうなくらい……嬉しかった」
「は?」
 何を言われるのかと思い身構えていた武田は、発せられた唐突な言葉に、思わず訊き返していた。
「ずっと道具の扱いを受けてきて、軍需用品以外に、初めて貰ったものだったから。本当に、うれしかった」
「……いいよ、あの頃の話は、もう」
「私は寮長を殺した。みんな殺した。でも……やる直前まで、葛藤してた。前の夜に決めたのに、このペンダントを見ただけで、やりたくないって……強く思った」
「あの頃の話はいいって言ってるだろ! 何が言いたいんだよ?」
「武田君が、プレゼントを渡してくれた時に、一瞬だけでも期待したの。この人と居れば、何かが変わるかもって。でも、怖かった。準南や承晩のことがどうしても怖かった。逆らえなかった」
「だから、何が言いたいんだ?」
「……言わないと、伝わらないこともあるってこと。武田君がさっきから何かを言いたそうにして苛々してるけど、言われないと、私、人と接するのに慣れてないから、分からないよ……」
「………」
「……ねえ。あの時、武田君、私のこと、どう思ってた?」
 黙っていると、千絵が小さな声になり、真剣な目で自分のことを見つめていた。
 どう思っていた? 決まってる。好きだった。そうでもない奴に、須能さんから言われたって、プレゼントなんかするわけがない。十日程度しか一緒には過ごしていなかったが、好きだった。あの薄暗い、心底にある感情に、それに耐える彼女に、惹かれた。
「……好きだったよ」
「私、あの時、そう言われていたら、たぶん任務は投げ出してた。追われるとしても、武田君と一緒なら、どうにかなりそうな気がしていたから。……言葉に出すのは、とても大変だけど……大切なことだよ。言葉の力は凄いって、今の私は思う。……だから、何か言いたいことがあるなら、隠さないで言って。お願い」
 千絵が寂しそうな目で言った。殺したくなかった。でも殺してしまった。あの時のことを考えているであろう彼女の苦しみが、顔に現われていた。無表情を繕う彼女はもう、遠い過去のものだ。
 それを見て、言葉の続きが、つい零れた。
「……今の千絵が、好きだって言ったら?」


 時間が止まったような気がした。
 目を見開いた彼女は息をするのも忘れたように固まり、武田の方を見つめ続けた。
 心臓が高鳴っている。彼女の口から紡がれる言葉を、聞きたいような、聞きたくないような、そんな気持ち。
 一郎が居るから諦める、なんてできない。
 様々なことに苦しめられながら生きている、今ここに居る千絵が好きだった。






「ごめん。」
 唇を強く結んでいた千絵が、口を開いた。
 答えを聞いて、高なっていた心臓が、急速に冷めていく。

 辛い。でも、すがすがしい。

「そっか。」
 淡々と頷いた。千絵がまだ喋ろうとしている。
 武田は千絵の目を見つめたまま、続きを待った。
「……戻れない。あの時の気持ちには。武田君は優しいから責めないけど、でも! でも……私は無理だよ。あんなことして、武田君の人生を壊して、それで、一緒に居ることなんて……できないよ。ごめん。……全部、私の勝手だよね。勝手に殺して、勝手に罪悪感覚えて」


「……バカみたい。あのとき、言えばよかった。……助けてって、言えばよかった」
 千絵は、最後の言葉のときに俯いて、消え入りそうな声で呟いた。


 何も声を掛けられないまま突っ立っていると、何かが外れるような音が、構内に響いた。
 続いて、悲鳴が前方車両の方から聞こえた。加奈のもの。
「行こう、千絵」
 戦闘の顔つきに戻った彼女を、名前で呼んでみた。これからも、良い話し相手でいてくれと言う、願いを込めて。
 なんだか矛盾している。意識しなくなった途端、名前を呼ぶことが恥ずかしくなくなったなんて。
「うん」
 彼女は一瞬笑みを見せて、走り始めた。



          *



 何かが外れるような音の後に加奈の悲鳴が聞こえて、一郎らは身構えた。椅子に腰を下ろしていた兵士たちの顔が強張り、五人全員が立ち上がり、銃を構えた。
 それから少しの間隔を置いて安藤が階段に銃口を向けた。
「足音が聞こえる」
 囁いた彼は宮沢とともに車内から慎重に歩みを進めて、ホームに出た。
 続いて、別の足音が列車の後方からした。一郎が銃口を向けると、千絵と武田だった。宮沢より少しばかり遅れたが、無事に着いたようだ。何かあったのだろうか。
「何の悲鳴?」
「分からない。先頭車両で何かあったんだろう。敵が残っていたのかもしれない。俺が車内を警戒してるから、千絵たちは外を」
 言ってから数秒も立たないうちに、階段へ銃撃する背後の面々がいた。車両の出入り口に体を向けたまま一瞥すると、そこには腐るほど相手をしたはずのストレイジの新型十数体と、巨大な体躯の変異型一体が現れていた。あんなもの、どこに隠れていたんだ。
 一郎も増援に向かおうとするが、今度は車両と車両を結ぶ出入り口から、男が現れた。慌ててナイフを構え直すと、その男は一気に一郎へ接近して、首筋のあたりへナイフを突き立てようとした。幅の広いシースナイフでそれを弾くと、蹴りを見舞われ床を転がった。立ち上がる間に、五人いた朝鮮軍のうち二人が殺され、三人目の武器が蹴り上げられた所だった。なんて速さだ。一郎が体を反転させ背中に近づくと、彼もまた小銃の銃弾を腹に受けても気にせず体を反転させ、一郎のナイフを受け止めた。承晩が体に仕込んでいた鉄鋼を思い出し、続けざまに顔面を狙うが、腕を捻りあげられ、ナイフを腹に突き刺されそうになった。捻りあげる腕を振り切り、どうにかそれを回避する。
 息切れしながらナイフで切り合いをしている中、狂気の声が再び頭を掻き回していく。
 そこで朝鮮兵……恐らくかつての部下による銃撃が撃ちかけられ、チョルミンは後退した。
「時間がねえってのに無駄に体力使わせやがって……せいぜい足掻け」
 銃弾の再装填の間に悪態を吐いて列車から飛び出した彼の顔にもしっかりと汗は滴っている。あれ程言われていた兵士だが、無敵ではないのだ。希望を持ち直し、朝鮮兵に軽く頭を下げてからチョルミンを追おうとすると、近くの窓ガラスが破られ、派手な音が響いた。驚いて目を向けると、変異型だった。床に倒れ伏す夏樹も視界に入り、舌打ちした。チョルミンは気を取られた隙に姿を晦ました。
「一郎! 手が空いているなら先頭車両に行って、列車を動かして! このままだと持たないし、時間が……!」
 チョルミンの消えた方向に行こうか迷っていると、千絵の声が聞こえた。慌ててナイフを持ち直し、先頭車両に向けて突っ走った。腕時計は既に十一時五十五分を指していた。あと五分。




 先頭車両に着くと、仰向けに倒れこんだ加奈だけが目を合わせてきた。前川は鉄棒の前で倒れこんだままで、奥のジルミという兵士は恐らく死んでいる。背嚢を下ろして、何か小さく呟いた彼女に耳を近づけた。
「チョルミンは?」
「時間がないとかなんとか言って、逃げ出したよ」
「……孝徳が車外に放り出されたままなんだ。見てくれ。あと、前川も、安否確認を」
 加奈がよろめきながら左手で床に手を突き、右足で立ち上がった。右腕と左足は骨が折られているようだった。息切れしながら座席にどうにか体を横たえ、苦しそうに目を閉じた。
 他の車両の扉は全て開いていたが、先頭車両の扉だけが閉まっていた。どうやって外に出ようか迷い、列車の操作は分からないと口に出そうとした。だが加奈は答えられそうにない。そこで思い直し、日本の列車にもついている非常脱出用のレバーを探した。
 扉の近くの座席の下のあたりを調べると、それらしきものがあった。引くと、扉が開いた。
 急いで外を見ると、顔中をガラスで切って血だらけの孝徳が倒れていた。引っ張って、車内に引きずり込む。
 腕時計を見た。あと四分。
「鍵……」
 前川の脈を取って生きていることを確かめてから、一郎は加奈が力を振り絞って指さした死体の手に取り付き、鍵を取った。
 ドアを開け放って操作室に入ると、様々な操作パネルが散りばめられていて、文字で説明が書いてあるようだったが朝鮮語なので読めない。が、鍵を差し込むところは一つしかなかった。焦りをなるべく思考から外して鍵を回すと、操作盤が色づいた。
 そこで銃撃が近くなった。ひとまず朝鮮語が読める千絵ならどうにかなるかもしれないと思い、非常レバーで開けた、ホームに面する扉から外に出た。
「千絵! 交代してくれ! 操作盤が朝鮮語で読めない!」
「くっ……分かった!」
 千絵は目の前の新型をどうにか振り払い、一郎とすれ違いざまに小銃を渡し、車内に滑り込んだ。一郎は小銃を手に外へ出、千絵が相手をしていた新型に銃弾を見舞った。新型の姿はもうあまりない。遠くでは安藤と宮沢が変異型の相手をしていた。
「武田はどこだ!」
「夏樹を助けに行ってくれてる! 一郎も手伝ってあげて!」
 操作盤で指を走らせている千絵が答え、それを聞いて先程夏樹が倒れているのを見たところまで駆け出した。途中で安藤と宮沢に列車に乗るよう怒鳴り、そこに辿り着くと、武田が夏樹を背負って走っている所だった。右足を怪我して大きく引きずりながら、それでも夏樹を背負っている。
「武田、俺が代わる、急ごう!」
 彼は一郎を見つけると苦笑いをしてから、倒れこむようにして夏樹を渡してきた。受け取り、背負う。夏樹はぴくりとも動かない。
 再び走り始めると、武田が早速遅れ始めた。
 一人では二人は背負えない。どうする、と思ったとき、武田が言った。
「行け!」
 躊躇している暇はない。頷いて、腕時計を見る。あと二分。
「すぐ戻るから!」
 怒鳴って、狂気の声も聞こえないくらい、人生で一番の力を込め、全速力で走った。

 夏樹を先頭車両に届け、武田が遅れている、と言うと、千絵は早く連れ戻してと叫んだ。
「この列車、既にオートで発車時刻が設定されていたみたいなの。そこの朝鮮兵が教えてくれた。もう出発するから、早く!」
 駆動音が大きくなり、今にも列車は発車しそうだった。一郎は先頭車両を飛び出した。変異型を相手にしながら後退し、先頭車両に近づいてきた宮沢と安藤にその旨を伝えると、宮沢が全力で走りだしてしまった。安藤一人では変異型を相手にできない。仕方なく、変異型を相手にする。
 あと一分。その間にも続々と、変異型や新型が階段から降りてきているのが遠目に見えた。


 
 少しの間相手にしていると、右足を引きずる武田に肩を貸して、並走する宮沢の姿が飛び込んできた。安堵の息を吐いたとき、発車する、と言った千絵の声が聞こえた。
「早くっ!!」
 よそ見をして叫ぶと、変異型に頬を殴りつけられ、一郎は列車にぶつかった。揺れた頭を律しどうにか立ち上がる。武田に肩を貸した宮沢が既に先に居たのを見て快哉を叫んだ一郎も続こうとするが、安藤の牽制銃撃から目を逸らした変異型が、今度は彼ら二人の背中を襲った。それは肩を組んでいた二人を強引に引きはがした。そこで、発車の前の、列車がガスを吐き出す音が聞こえ、先頭車両以外の扉が全て閉まった。
 一郎が宮沢を助けて列車に担ぎ込もうとするが、彼はその手を振り払い、武田の方に向かった。一郎が振り払われた勢いで車内に戻ってしまうと、入れ違いに千絵が先頭車両から飛び降りようとしたが、列車は徐々に走り出し、先頭車両の一番前の扉はすぐにトンネルに覆われてしまった。
 しかし、日本の電車とは違い、加速が遅滞していた。
 賭けるしかない。そう思い、一郎は咄嗟に後部車両に向けて走った。



 最後尾の車両に向かった一郎は、千絵と協力して全ての扉の非常レバーを探しあて、引いて行った。扉が開く。
 車両は列車が加速する度ホームから離れていくが、最後の砦であるこの車両は、列車の遅い加速を反映し、前の車両とともにまだホームに在った。
 そこで、ホームで未だ変異型を相手にする安藤と、武田を担ぐ宮沢の姿を捉える事が出来た。
「飛び込め!」
 開いた扉から叫んで、手を伸ばす。安藤は自力で一郎のいるところと一つ違いの扉へ飛び込み、車内を転がった。
 視線を前に戻すと、宮沢の手が伸ばされてきたので全力で引いた。宮沢は武田の腕をしっかりと掴んでいたが、武田が列車の動きに追い付けずよろめいてしまい、急激に腕へ負担のかかった宮沢は、腕を離してしまった。
 車内に引っ張り込んだ宮沢が転がり、言葉にならない何かを叫んで起き上がる。


「捕まってっ!」

 一番最後にある扉では、千絵が咄嗟に手を伸ばしていた。宮沢が離してしまった腕を、彼女はしっかりと捕えた。

 
 助かった。
 千絵のいる扉に駆けつけようとしていた一郎がその様子を見て確信したときだった。
 気を逸らしていた安藤がいなくなって次の標的を瞬時に判断していた変異型が、大きな体を武器に最後尾の扉に突進して、彼の腕を軽々と折った。


 武田の手は、千絵の手から離れた。


 そして、黒いコンクリートが、扉を覆った。




「うそ……」
 消えてしまいそうな声で、床にへたり込んだ白髪の少女が呟いた。



 列車はスピードを出し始め、順調に地下溝の深部へと進んでいく。


 武田恒を、ホームに取り残して。




          *
 



 十月七日、午前零時六分。

 
 アメリカ本土から射出された弾道ミサイルが、変異型の巣窟、瀋陽に着弾した。
 核弾頭が搭載されたそれは、瞬く間に爆心地である瀋陽を焼き払い、周りの街々も続々と呑み込んでいった。

 既に廃棄されていたストレイジの旧研究施設は容易く崩壊し、巨大な地下溝も、その衝撃で次々と崩落を起こしていった。


 軍に服属させられていた住民たちが、苦しみ悶え死んでいく。
 人体実験を行う国家への大義ある攻撃が、体を爛れさせて命を奪い、火から逃れようとした人々の死体で川という川埋め尽くさせ、黒い雨を降らせた。
 国家という、実際には存在しない、言葉上での……机上での存在が、その国家ごとの利益を守るために、他の国家に属する人の命を奪っていく。
 
 この虐殺はのちに核使用国家への報復として正当化。正確な死者の数は発表されなかった。
 

 日朝戦争はこの後も十六日まで続行され、そこでようやく幕を下ろした。
 日本は一連の戦いで国民の多くを失い、放射能に汚染された首都を受けて、大きく変わろうとしていた。




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