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 岩見沢市は、ベットタウン的側面も備えた中規模都市だ。日本経済の再興に合わせるように札幌の人口は過密化し、住宅の価格は高騰。そこで一部の上流階級を除いた一般市民は、札幌に拠点を置く様々な企業に通勤するため、周辺の都市に住むようになった。昔の東京にも見られた光景である。
 一郎は札幌にある警備会社に就職したため、以前から住んでいたこの土地を離れることなく通勤することが出来た。
 道路網の整備によって、通勤時の混雑は一時ほどではなくなったし、通勤にかかる交通費も毎月会社から支給される。ほとんど岩見沢から通うことに抵抗はなかった。
 
 そして今、武田と宮沢は行き場を失った多数の車両を尻目に、国道十二号線上を移動していた。
 整備されていたはずの道路は所々に亀裂を生じ、砕け散ったガラスやコンクリートの固まりがばらばらと落ちていて、とても車が通れるような状況ではない。
 片道二車線道路の、左右に広がる高層ビル群。既にガラスの落下などによる被害は収まったように見受けられたが、ところどころに目を覆うような死体が転がっていた。
 一郎が目を覚ましたのは、そんな国道十二号を岩見沢から半分程度進んだ所にある江別駅の中だった。駅と言っても人々が行き交う大規模なターミナルなどではなく、売店と改札のみが構内にある比較的小規模なものだ。駅の駐輪場には自転車が無造作に置かれ、その脇にはひっそりとたたずむ旧式の自動販売機がある。
 普段は活気も何もないところだが、今は違った。
 怪我人がひっきりなしに運び込まれ、辺りは喧騒に包まれている。
 担架が幾度となく行き交い、医師らしき人の服には返り血が多量にこびりついている。
 そんな駅の機能を停止した切符売り場の隅に、宮沢と武田は腰を下ろし、行き交う人々に踏まれないように一郎と少女を肩半分程度重なるように寝かせた。もちろん傷口の場所に配慮して、だが。その配慮が出来たのが不思議なくらい疲弊していた宮沢と武田は、そのまま眠りに落ちた。
 
 

          ◆

 
 
 長い間眠っていた一郎は、駅の天井から差し込む朝日に照らされ、ようやく目を覚ました。辺りは静まり返っていて、人の気配はない。
 いつものように起きあがろうとするが、右肩の痛みをこらえることは出来ず、また仰向けの状態に戻ってしまう。力を抜いた後、ふと、銃創のある肩と反対の肩に異物感を感じた一郎は、左肩に視線を移した。そこには見慣れぬ少女の寝顔があった。
 一郎は驚いて起き上がってしまい、包帯に赤い染みが浮き出ていないか確認したほどの痛みに、悲鳴を上げるのを必死でこらえた。
 まず目に付いたのは、肩にかからないくらいのショートヘアーだった。銀髪とも白髪(はくはつ)ともとれる一郎が初めて見る色をしていた。
 その髪を宿したほっそりとした輪郭に合う大きさの目は、うっすらと開いているようにも見えるが、閉じているようにも見える。規則的に吐き出される吐息は、整然として少しの乱れもない。一郎はその規則的な吐息を聞いているだけで疲れてくるような気がした。
 しかし、何より重要なのは、上腕部に朝鮮の国旗が、胸に朝鮮軍のバッジがあるということだった。
 それを確認したとき、少女が目を覚ました。
 朝日に照らされ、瞼を擦るその様子は同年代の少女そのものであり、こちらを凝視しているその様子も、まぎれもなく同年代の少女だった。一郎がどうしていいのかわからず苦笑を零すと、少女は思い出したように立ち上がり、腰のナイフホルダーに手をかけ、すばやく後退する。
 一郎も少女の動きに反応し、シース・ナイフを抜き、構える。が、構えたときにはすでに、少女は一郎の急所へ突きを繰り出していた、一郎はそれを面積の広いブレードと呼ばれる部分でかろうじて受け止め、何とか回避する。刹那、思い出したかのように肩に激痛が走り、その痛みがわずかな隙を生じさせてしまった。少女は腹へとナイフを食い込ませようとする。
 そこで、目が合った。刃渡り十センチ程度の小型ナイフの先端が腹に入ってくる感覚は、止まる。一郎は、そのナイフを支えている手を自分の手と重ねる。返り血で染まったその手は、かすかに震えていた。
 重ねた手を使い、一郎は自分の体からゆっくりとナイフを引き抜く。
 少女の目をしっかりと見据えたが、激痛に立っていることができなくなり、その場に崩れ落ちた。
 
 

          ◆
 
 

 目の前で苦しむ少年の姿が、胸の奥底に沈んだ痛みを呼び覚まし、一切排除してきた感情を揺らす。そんな目をしないで……と思っても、その目から視線を外すことが出来ない。気付いたときには、傷口をガーゼで圧迫し、固定していた。任務のことは一時的に忘れていた。"あの時"出来なかったことを、体が自然に行う。ガーゼを押さえていない方の手で顎がやや上向けになるような状態にして気道を確保。頚椎を痛めないよう慎重に作業をする。そして顔の位置を固定したまま、ガーゼに当てていた手を離し、人工呼吸の必要性を確かめる為に胸の辺りが動いているかを確認する。
 しかし、この少年の場合、循環のサインがあった為、しっかりと安静にして、止血を終えれば命への危険はないようだった。担架で病室に運べばいいだけだ。
 担架を病室から借り、医師と共に戻ってみると、少年は目を開けて、なにか言葉を発しようとした。少女はそれを制止し、医師と共に担架に移す。
 
 
 担架で彼を運んだ病室は、簡易ベッドとベッドの脇にある椅子で部屋の大部分が埋まってしまうような空間だった。
「……ごめんなさい」
「いいよ、そんなに深い傷じゃないし。治療してくれてありがとう」
 彼の目をまともに見ることのできなかった少女は、外にある駐輪場が見える窓へと視線を移す。
 肘を窓枠に乗せ、掌の上に顔を置いたその少女の顔はどこか苦渋に満ちていた。
 
 

          ◆
 
 

 頬を幾度となく叩かれ、意識を現実に取り戻すと、そこには自分をのぞき込む三人の男の姿があった。武田にゆっくりと上半身を起こして貰うと、すぐ左には駅の外にある駐輪場が見える窓があり、窓の外には遺体らしきものが積まれた簡易ベットが、至る所に散乱している。
「よかった……。気が付いたみたいだな」
 宮沢の安堵した顔を見て、一郎は自分があの後再び眠ってしまっていたことを知った。
「敵だと勘違いした……らしいな。血だらけの医者が、俺らを起こしに来たときには驚いた」
「……でも、刺した後、この子が医者を呼びに行ってくれたんだ。他意はないと思うんだけど……」
「宮沢がこんな奴を連れてくるから……。朝鮮軍なんだから、俺らを敵だと認識するのは当然だろ。体の自由を奪いもしないでそのままにしておくなんて信じられない。……おい、お前……名前は? 日本語、分かるか?」
 武田に話題を振られた少女は、あまり喋ることに慣れていないらしく、しばらく言葉を探すように視線を泳がせ、しばらく経ってから言葉を絞り出した。
「小山田千絵(おやまだ ちえ)。本国籍は日本だから……日本語は話せる」
「日本人? なんで日本人が朝鮮の軍なんかに……」
「私が小さいとき、両親が死んだ。今の親は引き取って育ててくれた養父。軍に入ったのは徴兵」
 千絵の話し方は、ぽつぽつと単語を零すかのような話し方だった。そこには何の感情もこもっていなかったし、こめる必要もないというような印象だった。
 
「意識を回復されたようですので、これで失礼いたします」
 しばらく俺たちのやりとりを見守っていた医師は、笑顔で会釈をして、この場を去っていった。
「ありがとうございました」
 宮沢も立ち上がり、会釈をする。去り際に見えたが、その医師も宮沢と同じように、白衣の下に専衛軍の軍服を身にまとっていた。
「何故専衛軍がここに?」
「ようやく重い腰を上げた北海道の知事が、岩波連隊長を師団長に任命したんだ。元々岩波師団長は統率に優れた人なんだよ。今回だって、任命されてからすぐ撤退の命令があって、それから半日も経たないうちに岩見沢から撤退を成し遂げた」
 宮沢は一通り説明し終えると、全部あの軍医に聞いたんだけどな、と付け加えた。
「岩波って人、信頼してるんだな」
「ああ。部下からの信頼も厚いし、みんなが慕う一番の理由は、ただの一兵卒からの叩き上げってことだ。幹部候補生出身の他の上司とは、比べものにならないくらい経験も豊富で、上からも期待されてる。まあ、上の連中は大抵この世に存在しないだろうけどな……」
 小野から、何かあったら頼るように言われたのが、父親の親友だった岩波という男だった。結局、専衛軍の救援が来る前に壊滅してしまったから頼ることもなかったが、一郎は父という人間がますます分からなくなってきていた。
 
 

          ◆
 

 
 小山田千絵。どこかで聞いたような名前だった。しかしそれを思い出そうとすると、自分自身で掛けた箍(たが)のようなものが記憶の流出を阻害しようとする。  
「……動けるのか?」
 そんなことを考えながら、武田は窓際の壁に寄りかけていた体を起こし、出かける支度を始めた一郎に向かって話しかける。彼は包帯を取り、着ていた警備員の服を脱ぐ。彼が上半身裸になり、整った筋肉がさらけ出されると、今までぼんやり彼のことを眺めていた千絵は少し顔を俯けた。
「なんとか」
 白地にワンポイントのロゴが入った真新しいTシャツに着替えた一郎は、静かにため息をついて、器用に傷口を包帯で覆っていく。
「……警備員の服は着ていなくていいのか?」
「札幌で、同僚の安藤って奴と合流する。ある程度の必要な荷物も持ってきてくれるように頼んでおいたから、受け取った後に着替える。妹と弟も付いてくるけど……足手まといにならないか?」
「気にするな。それに、札幌なら、俺らと目指すところは同じだ。一緒に行こう」
「ありがとう。じゃあ、そろそろ行くか」
 
 
 
 一郎の発した声を受けて、宮沢と武田が立ち上がる。そして、他の二人に続いて一郎が医務室を出ようとしたとき、千絵は簡易ベッドに腰掛けたまま、空を眺めていた。
「千絵……?」
 初対面の少女をどう呼ぶか迷い、結局呼び捨てにした一郎は、立ったまま様子を窺う。するとその声を聞いた彼女は、こちらを振り返った。少しだけ視線を合わせ、すぐに目を逸らす。
「……あなたは、自分が刺されたことをなんとも思わないの?」
 一郎は彼女の横顔から視線を外し、彼女と同じように、外に植えてある一本の木を見据える。その木の幹に何匹かの蝉が止まっているのか、蝉の鳴き声が辺りを包む。自らの存在を主張しているかのようなその声は、言葉の出てこない今の一郎には少しだけ有り難かった。
「……だけど、しっかりと治療してくれた」
 再び、この医務室を蝉の鳴き声だけが包み込む。 
 千絵は一本の木を見詰める視線を外さない。
 
 
 
「一郎、早くしろよ」
「ああ……分かった」
 ドアの外から聞こえた武田の呼ぶ声を聞いて、一郎は千絵に向けていた体を出口へと向け、早く行こう、と促した。
「……少し待って」
 背後で荷物が動く音がして、もう一度千絵を見る。自分よりも多くの包帯に巻かれた千絵が、一郎の背嚢を背負おうとしていた。
「いくら怪我してたって、そのくらいは持てるよ。貸して」
「そのくらい? ……これ、結構重いよ」
 一郎はその背嚢を受け取った。身長は千絵より少し高いくらいだったが、昔から力にだけは自信がある。
「あの……本当に大丈夫? えっと……」
 控えめな声で、千絵が後ろから呼び止めた。
「あ、まだ名前言ってなかったっけ。俺、多々良一郎……これからよろしく」
 背嚢を背負ってドアノブに手をかけた一郎は、そう言うと、扉を押し開けた。
「……あ……うん」
 背後から何か言いたげな雰囲気が伝わったが、武田にもう一度促されたので、仕方なく歩き始めた。

 
 
 江別駅を後にした四人は、再び札幌へと歩み始める。一郎の体を気遣いながら、ゆっくりと進む。
 夕暮れを迎えつつある空は、崩壊したビル群を照らし出し、赤々しく、力強く輝いていた。




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