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 穏やかなリズムを刻む波頭に、まだ日の出ていないすがすがしい空気を宿した空。
 そんなごく平凡な早朝の日本海をひた走るイージス艦"たけしま"。ステルス性に優れていると言われる平坦な甲板のあちこちには、物々しい雰囲気を漂わせ、いつでも対空兵器を射出できるように整備された砲台がある。その砲台とは対照的に、あくびをしながら船上の警戒をしている乗組員。ここ三十年近く敵といった敵と遭遇していない戦艦を多数抱えている海軍では、そういった状態に陥ってしまっている船員も少なくない。
 しかし、その平穏な日常は、ここへ来て終わりを告げた。
 艦内に無機質でやけに音の大きいサイレン音が響き渡り、その音に急かされるかのように船員たちが甲板へと向かう。非戦闘要員は、直ちに動向不明の物体と、その国籍の確認作業へと移る。
 配置の終わった直後、三基のミサイルがたけしまの上空を通過していく。しかし、すでに射出された迎撃装置は的確にその弾道を把握し、弾道上で、まるで敵を待ち構えるかのように浮上している。その正確無比なミサイル防衛システムは、三基のミサイルを空中で爆破し、演習通りの結果を残した。
 三基撃墜の報に安堵した山並は、少しの間目を離してしまったフェーズドアレイレーダーを確認し、言葉を失った。先程から鳴っていた警報は、戦闘配置の為だけの音ではなかった。三基が射出された後も、後続のミサイルが射出され続けていたのだ。そして山並が本部にその解析画像を送信した後、数基のミサイルがたけしまに直撃した。もちろんそのことを彼らは知らない。気付く前にたけしまが日本海に沈んでいたからだ。

 たけしまが撃破されてからすぐ、最後にその艦から発信された情報が、防衛庁本部に届いた。そしてその情報により、正体不明の物体は核を搭載している可能性のあるミサイル兵器であることが確認された。そして対策を始める間もなく、東京に一基の核弾頭が直撃した。
 核弾頭により空間ごと圧縮された東京は、少し間隔をおいた後、天高くまで舞い上がったキノコ型の爆炎により、消滅した。そして関西の主要都市は、朝鮮にそんな技術があるとは思えないという理由で開発自体が疑問視されていた、新型テポドンにより焼け野原になった。この攻撃で、一瞬にして約四千万人の命が奪われた。しかし、その事は遺体の数を数えて分かったわけではない。関東の爆心地付近には悪意ある放射能によりまともな遺体すら残っていなかったし、関西でもあまりに膨大な瓦礫の山があっただけだった。そのため、二〇四六年時点での人口をもとに予測するしか方法はなかった。
 後世には古代の核戦争に使われたとされる"アグネアの武器"の再来と伝えられることになるこの核兵器の犠牲になった人々は、遺体という形ですらこの世に残れなかった。
 自らの政治への無関心など棚に上げ、自分の周囲の利権でしか政治家の善し悪しを判断できない国民に、今回のこの惨劇を引き起こした政府の対外政策を、誰にも一方的に責めることは出来ない。さらに、韓国と武力併合を果たして数年あまりの朝鮮を追い詰めた経済制裁。朝鮮の指導者キム・ヨンジェの苛烈な思想と指導力。結局のところミサイル防衛の明確な連携を取ることのできなかった日本とアメリカ。様々な要因が日本の不利に働き、この結果をもたらした。
 


          ◆

 
 
 北の要地、北海道の日本海側を守る精鋭部隊第十一師団の副拠点である岩見沢駐屯地。
 ここからは第七回の朝鮮防衛対策の為の会議に赴いた札幌の川田師団長を護衛する為、二百ほどの兵を派遣している。一万以上もの兵を抱える十一師団にとってはそれほど影響のあることとはいえないのだが、何しろ出向いているのは少将以上の高い信頼を置かれている人物ばかりだ。
 もちろん第十一師団分隊、岩波連隊長もその例外ではなく、師団長の留守を預かる重要な職務に就かされた。そして会場の物々しい警備が物語っているように、今回の会談終了後には朝鮮に対して何らかの圧力をかけることが予想されていたし、誰もがそう思っていた。
 そんな中で、突然、会場警備の本隊との連絡が途絶した。岩波の背に得体の知れぬものが走った。

 次の瞬間、ビルが倒壊したかのような轟音が、辺りに響き渡った。
 表情を険しくしていた岩波は、その突然の揺れに倒れかけたが、報告をしていた松木一郎上等兵に支えられ、何とか体勢を立て直した。
 基地内に遊園地の警備員からの緊急用の無線が入った。何者かの爆撃により、遊園地の大型観覧車が倒壊したらしい。なんとか持ちこたえるので、救援を要請したいとのことだった。
 民間の警備会社と連携するなど、昔では考えられなかったことだったが、大手になればなるほどその機動力は凶悪犯罪に対応する為、重要になってくる。そして唯一武器の携帯が認められている業界最大手から救援要請が来たのだから、よほど困難な状況に陥っているのだろう。
 その緊急連絡が流れ終わる前に、血気盛んな新兵が、真っ先に基地を飛び出していった。
「宮沢! 武田ァ!!」
 叫んだときには既に、昨日支給されたばかりの背嚢と小銃を背負い、基地を飛び出した宮沢と武田の背中しか見えなかった。
 


          ◆
 

 
 夏の太陽が草葉を輝かせる森林公園。そこの整備された道を、迷彩服を着た二人が疾走する。夏休み真っ只中の日曜日ということで、そこかしこに人だかりが出来ている。そんな人だかりの中でも、緑の迷彩服に、自動小銃を担ぎながら、専衛軍のロゴの入った帽子を被って走る二人は特に目立つ。不審な目で見守る人々に今すぐここを退避するように伝えながら、宮沢と武田の二人は尚も走る。
 やがて森林公園を抜けると、三井グリーンランドが見えてきた。
 だがそこには、二人が以前視察に来たときに焼き付けた姿が、どこにも見当たらなかった。
 誰も乗っていない傘の吹き飛んだメリーゴーランドに、 池に突っ込んだSLに似せた小型機関車。どこからともなく流れてくる、鼻をつんざくような異臭を放つ黒煙は、この場の凄惨さをそのまま現しているかのようだった。
 黒煙に紛れ込んで、宮沢の肩を何かが叩いた。近接戦闘の訓練を幾度となく繰り返されてきた宮沢は、すぐさま体を捻り、肩を叩いた手首を掴んでねじり上げる。武田はその者の背後を取り、銃を背中に食い込ませる。
「動くな」
 

 
          ◆

 
 
 病院内にその人間とは思えぬ形相をした"物体"が運び込まれてきたのは先生が基地についてのことを説明しているときだった。
 先生は爪が剥がれ、髪が根こそぎ抜け落ち、下半身は脱糞やなにやらで黄色いしみがそこかしこに出来た人を見るや否や、その男性を背負って現れた恋人らしき女性から男性を譲り受け、すぐに緊急用の診察台へと向かい、一郎は女性のほうにも被爆の可能性があると判断し、背負い込んで先生の後に続いた。先生が背負う男性の背中は見ているだけで吐き気を覚えるほどの有様だった。
 その後のことは良く覚えていない。男性は死に、女性が軽症で済んだことしか覚えていない。病院のトイレで吐いたことしか覚えていない。今までそのような体験に疎い生活をしていた一郎には、消去されるべき記憶になってしまった。
 看護系の学校に通っていた夏樹は、少なからず衝撃を受けたものの、俺に比べてまだましな反応だった。吐いたりしないし、なによりその記憶を忘れてはいない。
 その日の朝、結局眠れなかった一郎は家に戻って次郎に詫び、会社に出勤して上司に非礼を詫び、次の勤務先の情報を承った。この警備会社には、安定した勤務場所などない。日々変化する情勢に合わせ、ときには事業者から直接の要請を受け、その場その場におのおの割り当てられるのだ。
 そして、今回の勤務場所は、三井グリーンランドだった。
 


          ◆

 
 
「動くな」
 一郎は、すぐさま拘束されたことで、ある種の自信が音を立てて崩れ去る感覚を味わった。いくら自分以外の軍人を見つけて油断していたからといって、このあまりに無様な格好は、四年間やってきた中で初めての経験だった。
「……救援を要請した警備員の者だ」
 少しでも動いたら骨の一本程度軽く持っていかれると感じた一郎は、その無理な体勢から何とか声を絞り出した。その言葉が届いたのか、背中に押し当てられていた銃の矛先が、静かに離れていく。
「すまない」
 先程の手馴れた動作に反して、若々しくさわやかな声が発せられた。
 風が辺りに吹きぬけ黒煙が舞い上がり、眼前に現れた姿はまさしく専衛軍だった。
 一方はかなり背が高く、がっちりとした体に長めに整えられた髪が印象的だった。そして細く鋭い眉に、少し高い鼻。その眼は一郎と同じく切れ長で、違うのは美形と言っていい目鼻だ。もう一方は、一郎と同じくらいの背の高さで、百七十はない。筋肉のつき方にはばらつきがあり、五厘刈りの頭でなければ新兵そのものだった。そして、長身の方が口を開いた。
「もしかしてお前……ここの警備員か? 闘えるのか?」
「一応。小銃の取り扱いの訓練は受けているけど、こんな状況での戦闘は初めてだ」
「そう……だろうな。俺も初めてだ」
「俺は宮沢。こっちは武田だ。多分同い年だから、仲良くやっていこうぜ。よろしく」
 長身が右手を差し出した。 「俺は多々良一郎。十八歳でここの警備をやってた」
 二人と順々に握手を交わした後、すぐに一郎は警備員の顔に戻る。
「遊園地に来ていた人たちを一箇所に集めてるんだ。護衛を手伝ってくれ」
 
 倒壊した観覧車の残したわずかな隙間に、人々が寄り添うように座っていた。子供や老人、若い男女など様々だったが、その人数に宮沢は驚きを隠せない様子だった。
「二、四、六、八、十、十一……これだけか?」
「ああ。……これだけでも何とか集められたほうなんだ」
 他の人は……と口を開きかけた宮沢は、すぐに口を閉ざした。あの異常な臭いは死臭だったのだ。夏休みの平均来場者数は一万人以上。失われた命の大きさが改めて感じられた。
「少し待っててくれ、話をしておきたい奴がいるんだ」
 一郎は少し遠慮がちにそう言うと、観光客の中でやけに目立つ制服姿の二人のところへと歩いていった。一郎は表情を崩さずに詰襟姿の彼とワイシャツに紺のスカートという身軽な服装の彼女を見据え、何やら話し込んでいた。彼と彼女も真剣な顔つきで頷き、そして一郎は彼の胸を軽く小突き、こちらへと戻ってきた。
「……妹と弟だ」
 宮沢の訝しげな表情を捉えた一郎はそう言った。
 
「あれを見ろ」
 束の間の休息を破ったのは、武田の低く良く通る声だった。
 武田の指が示していたのは、輸送機からロープを下ろし、次々と降下してくる兵の姿だった。その腕には朝鮮の国旗が刻まれていた。
「……手伝ってくれ。あの人たちはたぶん、安……いや、他の警備員が、助けてくれる」
 一郎はそう言うと観覧車の残骸の上に置いておいた、弾薬類の入った背嚢を担ぎ込み、そのすぐ近くに立てかけてある自動小銃を手に取る。ヘリが飛んでいた場所を確認すると、宮沢と武田に先行して走り出す。決して大柄とはいえない一郎の、標準でも二十キロは超える背嚢を背負った素早い走りに、宮沢と武田は感嘆の声を漏らしながら後に続く。
 一郎はさっき降下してきたのは恐らく九人程度で構成された分隊だろうと推察した。いくら抵抗にあったとはいえ、ここが落ちるのは時間の問題だ。遊園地の制圧にこれ以上人員を投入するとは思えない。専衛軍が来れば当然敵も応援を要請するだろうが、今はまだ対応しきれていないはずだ。
 ……対応しきれていない?
「……あんたら、本当に専衛軍か?」
「……命令を聞かずに来た」
 一郎の疑問に、宮沢は、少し考えるようなそぶりをみせた後答えた。
「正気か? 除隊されるぞ」
「そんなのはどうでもいい。あんなちんたらした上の指示待ちの専衛軍様に付き合ってたら、救える人も救えない。ここ最近、あの窮屈な軍隊に、うんざりしていたんだ」
「……静かにしろ。もうすぐ降下地点だ」
 武田は冷静に二人のことを制止し、園内を走っていたであろう周遊車の影に誘導した。
 周遊車の背後にはスワンボートが散乱している大きな湖があり、敵に背後を取られないという点では、非常に戦いやすい場所だ。九人に三人で対応するのだ。その程度の地の利がなければあっさりと全滅してしまう。
「一郎は左、宮沢は右を警戒してくれ。俺は周遊車の中から正面を警戒する」
 武田はバスのような構造をした周遊車の、割れた右側の非常用のドアから飛び乗ると、そのまま音も立てずに気配を消した。
 目線を周遊車から左前方に戻すと、目の前にはゴーカートが出来る小さなサーキットがあった。ここには被害がないようだが。隠れられる場所といったら、ゴーカートの陰くらいのものだ。まさかそんな読み取りやすい場所にはいないだろう。
「敵が読み取りやすい場所にいる可能性がある場合には、専衛軍ならどう対処する?」
 すぐ隣で頭を伏せながら外の様子を伺っていた宮沢に訊いた。
「ほら」
 宮沢は、体を伏せながら器用にポケットから取り出した手榴弾を、投げることが出来る状態にしてから――すぐに投げなくては爆発する状態にしてから――一郎に投げ渡す。一郎は一瞬慌てたものの、その楕円状の物体を、的確にゴーカートの陰になっている場所へと投擲(とうてき)した。そしてゴーカートと共に、三人の血まみれになった兵士が宙に舞う。
 その爆風にまぎれながら、別の場所に待機していたらしい二人の兵士が突っ込んでくる。投擲をした後すぐに銃を構えていた一郎たちにとっては、その奇襲への対処はたやすかった。的確に急所を打ち抜き、周遊車への接近を許さない。頭を打ち抜かれた兵士の脳が当たり一面にばらまかれたが、それはもう気にならなかった。
 そして、先程の投擲と今の銃声でこちらの場所が割れたのか、正面から三人の兵士がこちらがギリギリ狙えない程度の物陰に隠れつつ、確実に近づいてくる。こちらは相当慣れがあるようだ。武田だけに任せておいては彼が窮地に追い込まれる。
 しかし、援護しようと立ち上がったその時、後ろから銃声が響き渡り、肩に痺れるような激痛が走った。食い込んでくる弾の感触があった。倒れこみながら、敵三人が誰もこちらに向けて銃を構えていないことを確認して、一郎は突然の衝撃に過剰反応した体を止めることができずに、意識を失った。
 
 

          ◆
 
 

 宮沢がゴミ箱の陰から少しだけ体を見せていた右端の兵士へ向かって発砲するのと同時に、背後からも銃声が響き渡った。
 兵士に当たったかどうかも見ずに驚いて振り返った宮沢は、一郎が肩から血を出してうつぶせに倒れる瞬間を見た。
 銃声があったのは湖の右の方からだ。湖は水中以外に隠れる場所はないので、浅瀬にいることは確かだった。そして立ち上がり、自分の耳が感じた方角へ銃を連射した。連射された弾が首と頭に命中したその兵士は、まだ十三歳程度であろう、少年兵だった。
「武田。ゴミ箱の影にいる一人が出てきたときだけ援護を頼む。お前はその一人を撃ったらすぐに一郎の応急手当をしてくれ」
 宮沢はどうにか少年兵の残像を頭から振り払い、周遊車の中で敵の様子を伺っていた武田にそう言うと、敵の服がわずかに見える、ゴーカートの残骸へ向かって走り出す。
 予想通りゴミ箱の陰から、血のついた手ぬぐいを肩に縛り付けた女兵士が銃を構えてきた。素早い動きとは対照的にその顔は、予想以上に幼い顔立ちをしており、撃つのを躊躇したが、武田が援護してくれたお陰でなんとか切り抜けられた。
 そしてそのままの勢いでゴーカートに向かって手榴弾を放り投げ、耳をふさぎながら体を伏せる。こちらへ向かって銃を構えていた兵士たちは、爆風とともに浮き上がり、絶命した。

 戻ろうとした時、先程の少女がいた。気絶しているものの、幸いにも肩と足を撃たれただけで、弾は貫通しているし、しっかりと救命措置をとれば、命に別状はなさそうだ。気絶して益々幼く見える少女に、撃ち殺した少年兵の残像とその姿をだぶらせた宮沢は、一も二もなく肩と足の止血をした。武田には情報を得るためと言い、少女をゆっくりと背負い上げ、一郎を背負った武田と共に歩き出した。一郎が気にかけていたあの弟と妹は、一郎が言っていたように他の警備員が助けてくれるだろう。
「どこに行くつもりだ?」
「とりあえず、札幌だな。あそこには十一師団の本部があるし、医療施設も充実している」
 二人は異臭と炎に包まれた三井グリーンランドを、ゆっくりと進んでいく。
 専衛軍がここに到着して朝鮮軍の兵士の死体を確認したのは、その五時間後だった。




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