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 夜の闇が視界を侵食しつつある中、訓練は続いていた。
 付け焼刃の中隊長が付け焼刃の部隊戦術を叩き込み始めて数日。敵に大きな動きはなくその合間を縫って敢行された訓練のおかげで、動きは多少なりとも形らしくなってきたように感じられ、松木は短時間の休憩を指示した。空模様もようやく怪しくなり、街を制圧する為の条件は整った。前に街を攻撃した際に断片的ながら収集されていた情報をまとめ、五つある対空兵器の場所は把握できているし、さらには相手の装備、人員、夜間の警備配置などもある程度は予測が出来ている。
 やるなら今しかない。松木は振り出した霧雨と目を合わせ、睨んだ。
「集まれ」
 声に反応し、中隊のうちから選抜した十九名が松木の周辺に集合した。
「分かってるか。訓練通りに行かなくても、焦るな。しっかり指示に従ってくれ」
 静かに頷いた彼らの中で、佇まいの違う二人に目を留めた松木は、疲労の色が濃くないことを確認してから視線を外した。別の中隊に収容されるはずであった二人……無口な眼鏡面と妙におどおどしている元小隊長、滝と前川。彼らの巻き込まれた状況を聞いた限りではここに生きているというだけで、それなりの技量を持つものだという証明になる。それは人材不足のこの中隊にとっては非常にありがたいことだった。

 事前に決めた通り、警備の薄い東側へと、哨戒を済ませてある森を伝って移動した松木の率いる部隊は、低姿勢で木々の間に隠れ機を待った。コンクリートだけが幅を利かせて装飾も何も無い家々が目立つものの、区画整理されてはいるこの街は、市民も多数残留……というよりは、空爆等を避けるための盾とされており、国際社会の目を過剰意識する上層部から派手な兵器は使用が禁じられていた。中隊に配布された十の自動小銃と弾薬は敵中に進軍する者で使用し、作戦成功後に展開する予定の拠点を確保するため、自分と他五名は三脚を立てて使用する形態の重機関銃二挺も銃身、三脚架、レシーバーと分割し携行することになっている。
 松木は鉄帽に専用の装具をくっ付けてそこから伸びた数センチの棒を支えにする小型カメラ程度の大きさの個人用暗視装置を、額の辺りから左目の辺りまで下げた。初めて体験する立場に胃が重くなるのを自覚した松木は、それが兵士に伝わる前に、隣で銃を構えた兵士を装置越しに見た。その兵士は頷いてサイレンサー(消音機能)を有する拳銃を薄い茂みの中から突き出し、一人で歩哨に立つ敵兵士へと向けた。
 国営軍の射撃試験でもトップクラスの成績を叩き出した彼の放った銃弾に歩哨が倒れると、背後の兵士達に"三"と指を示して見せた松木が茂みから飛び出し、敵中進軍の九人のうちまず始めに三人が続いた。松木を含めた四人は全速力で霧雨の中を駆け、最初の遮蔽物である建物を目指した。着くと、息切れする間もなく後ろを振り返り、遠くなった森林の茂みから周囲に生体反応はないと断言した"二"を示す指と、その上にある無味な滝の顔を見る。続いて六名が飛び出し、松木たちの後ろに付いた。車一台が通れるかどうかの狭い街路はいくつかの十字路で区切られているものの、ひとつめの対空装置までの道のりはごく単純だった。後はただひたすら直線、三区画分を走破するだけ。
 左右の建物の壁際に五人ずつで分かれた松木は、のっぺりとした家々を横目にまたひたすら駆けた。重機関銃銃身と服の擦れ合う音が妙に大きく響いているように感じ、敵がいつ飛び出してくるかと警戒する心は体力の消耗を早めているようだったが、どうにか律して四区画目手前の十字路まで、一.五キロを走り抜いた。
 悲鳴をあげる体が倒れこまないよう壁に寄り掛かり、背後を走っていた前川に第四区画十字路突破の先導を命じると、彼は情けない表情を見せ、返事の出せない呼吸状態を維持したまま、道路を横断した。そして無事に横断した前川がこちらへ来るように促すと、松木たちも横断し、すぐに合流。今度は松木が先頭を行き、諜報では対空兵器が備え付けてある筈の野外施設がないか、警戒しつつ周辺を捜索する。なかなか見つけられずに居る中、声を掛けられ正面を向いた松木は、向かいの家屋の透き通った窓に写る、完全に油断している敵兵と、自分たちが目指していた兵器を確認した。
 その場からすぐ、"一"と指で示すと、声を掛けた本人である前川が飛び出し、空き地のような場所に無造作に置かれた対空兵器のすぐ横に投げつけた。爆音が区画全体を突き抜け、周辺に居た兵士らを一蹴する。松木は壁際から飛び出すと、三人が周囲の家屋へ牽制弾を撃ち援護している間に、対空兵器へ近づき爆薬を貼り付け、再び壁際まで戻ると、手に持つ起爆スイッチを押し込んだ。全力での行動を繰り返し自分の呼吸なのかどうかも自信の持てなくなった音を無視し、三、二、一、と全員に見えるよう指でカウントダウンをしてから、両手で耳を塞いだ。
 直後、ひとつめの対空兵器は消し飛び、それが"ゼロ"の合図……市街戦開戦の合図となった。





 ゼロの合図と同時に、滝ら後続十名の部隊はオートバイを発進させた。
 茂みの中から飛び出したそれは、食料、弾薬、防護服等、防衛線構築のための道具を詰め込んだ袋を抱える操縦者たちにより、軽快に速度を上げていった。これ程上手く行っていいのかと考える間もなく、滝は操縦に専念する。今頃は間々田副長率いる南側に残った者たちが、発破をかけているころだろう。その行動と連動し、自分たちは一秒でも早く松木たちが待つところへと辿り着かなければならない。あれだけ苦労して計画を立てて実行しても、まだあと四つも対空兵器は残されている。南側からの兵士と合流すれば数の上では互角だが、この街を知り抜いているのは奴らだ。



          *



 狙撃の危険を回避するため周囲の建物を制圧している五名に、自分を含めここで地上からの敵を食い止める五名。三方面を建物に遮られ悪く見れば袋小路となるこの場所は、しかし警戒は容易であり、街の地理に疎い松木らにとって、拠点とするに易い場所だった。いざとなれば、屋内の部隊が入る際に割っておいた窓ガラスから建物内にも逃げ込める。そしてこちらに気を取られている敵は、間々田隊への警戒を薄めるだろう。要するにこちらは囮の部隊だった。
 匍匐状態にある松木は、引き金を絞るのではなく指で押し込むタイプの特殊なトリガーにかけた親指をそのままに、心持ち顎を上げた。射界に入った敵兵二人を自分が射殺して以後、朝鮮側に目立った動きはなかった。
 松木はオートバイ部隊が到着してから射撃を交代し、建物の制圧に行くことになっているものの、森からここまで辿って来た道では制圧活動を行っていないことが気がかりだった。もし敵が潜んでいて、物資搬入の部隊を襲撃したら……。自身、連絡を取って状況確認したくて仕方がないのだが、目を離すとどこから敵兵が現れるか分からないため、果たせずにいた。敵中で十人では、一人でも突破されれば全滅の可能性もある。
 そこで、考えるより先に指が動く。街路の一角から銃口のみを出していた兵士は、松木擁する重機関銃が放ったセミオート射撃を受け、慌てて後退したようだった。銃撃で砕けた、コンクリート片が辺りに散らばった。
 ここへ防衛線を展開してから三十分。考えが混同し始め、射撃の集中力が切れてきたころ、ようやくオートバイの駆動音が聞こえた。区画全体に広がった音に安堵し、自分の射界を確保したまま、二十メートルほど離れた位置にいる前川を呼び寄せると、援護射撃を指示した。彼は頷き、二脚架使用で対応していた小銃を手に持つと、ストッパーを解除して二脚架の両脚を握って外し、松木の射界に沿って走り始めた。今は深夜で、しかも霧雨が降っている。他三人の射界に入ってしまうと誤射の危険がある。
 この僅かに出来た余裕の間に、右手を銃に置いて、左手で滝へ直通するよう設定していた無線を探す。探り当てると、自分の耳元に当て、繋がったと同時に話し始めた。
「制圧は成功してる。援護に前川を寄越すから、派手な青色の屋根の所の路地を左だ。なるべく直角に曲がれ、俺の射界から出たら撃たれるから気をつけろ」
 返事を待たず、無線を戻した。前川が小銃を撃ち放ち続ける様子を確認してから、自身も重機関銃に取り付いたまま、神経を尖らせる。そこかしこで銃声が聞こえるが、袋小路側に着弾した音はないように聞こえる。自分はただ撃つことに集中すればいいだけだ。
 一台目のオートバイが射界に入り、自分の横を通り過ぎる。松木は集中力を切らせぬように後続の五台をしっかりと見届けると、その後の進入が数分もの間途切れたのを見て、前川に口頭で「戻れ」と怒鳴り、再びトリガーに指をかけ、何発か壁際へ撃ちこんだ。
「建物内からの銃撃を受けて四名が死亡しました」
 バイクを停車させ、後方から近づいた滝が松木に言った。彼の言葉に頷くと、松木は指を外して重機関銃の射撃を彼と交代した。
「搬入していた物資は?」
「敵の射撃が苛烈だったので全滅の危険を避けるため放置しました。中身は一週間分の食料とミニミ弾薬五回分です」
「分かった」
 匍匐の状態になり淡々と報告した滝に淡々と返すと、松木は滝が脇に置いた小銃を手に取った。
 滝が指示していたらしく、言う前に既に集まってきていた補給隊員たちへと顔を向ける。
 つい数日前配属された滝とは違い、訓練を共に耐え抜いた仲間を失ったはずの彼らは、涙を浮かべるでもなく、ただそこにいた。その様子に気圧されながらも、感傷は何も手を貸してはくれないと断じた松木は、彼らにさらなる指示を与えた。
「そこの、ガラスが割れた窓から中に入って、朝鮮軍が入り込まないよう一階の入り口を固めろ。誤射されたくなければ合図も忘れるな」
 間々田中隊が全ての対空兵器を破壊し救援に到着する予定時刻まであと二時間、敵指揮官の能力がずば抜けたものでなければ、この短い間に策が破られることはないはずだ。四人は死んでしまったが、ある程度順調に状況は推移している。
 暗視装置をあげて腕時計に目をやると、午前五時二分だった。夜明けの匂いが漂い始めた空間では、もう視界を補助する必要なくなっていた。鉄帽に専用の装具を付け額の上に装着した暗視装置は雑嚢に収納場所がないのでそのままにして、前川が陣取る場所まで走った。集中力の切れかけた松木には、背中の辺りに巡らされた無線の類が鬱陶しくて仕方なく、全ての装備をかなぐり捨てたい衝動に駆られたがどうにか踏みとどまって、前川の傍についた。
「前川」
「は、はい?」
 壁に背をつけ前方に注意していた彼は多少裏返った声で返事を寄越した。中学生じゃないんだからそんな声出すなよと笑ってから、
「俺たちも反対側の建物の制圧に取り掛かる」
 と言った。前川は頷いて小銃の構えを解いた。


 四階建てのビルの一階部分は、久しく使われていないのか、廃墟然とした空気が漂っている。前川に左右を警戒するように指示した松木自身は、彼より数歩先行して歩いていた。足元にも注意して音を出さないように歩いていると、突如前川が発砲した。振り向こうとすると襟首を掴まれ、引き倒される。何が起こったのか理解する前に、近づくコンクリートの床にぶつかる直前、咄嗟に手をついた。
 放置されたオフィスデスクの辺りを無言で撃ち続けていた前川は、弾が切れるとホルダーに入れておいた弾倉に手を伸ばした。するとデスクの辺りで人が蠢く気配がした。
「待ってください! おれです、仲沢です!」
 片手で体制を立て直し、そこから飛び出した人影に小銃を向けた松木は、その声に違和感を覚えた。
「仲沢? お前、間々田の隊にいるはずじゃ……」
「作戦が失敗しました……! 間々田副長は生きていますが、身動きの取れない状態です。それで……おれが救援要請を頼まれて」
「失敗……? 敵はもう気づいていたのか……! そんなはずは……」
「と、とにかく、急ぎましょう。作戦区域は覚えていますよね? そこです。俺は後方の警戒をしますから急いで……」
 正面の仲沢に急かされた松木はとにかくこの状況を脱するため、入ってきた道を経由して全員に知らせようと思い、体を反対へ向けた。すると同時に、聞こえるはずのない銃声が、間近で弾けた。



          *



 撃たれた、と自覚するまでに数秒を要し、その間に松木の体は倒れこんでいた。撃たれたのは首筋で傷も掠めた程度だったが、直後に襲ってきた蹴りが、そうさせていた。松木を背後から襲った仲沢がもう一度射撃の体制を取ると、松木の前を歩いていた前川がすぐさま振り返り、彼に小銃を向け、放った。肩に当たった銃弾に仲沢はかすかによろめく。その体に向け小銃を投げつけた前川は突進して、仲沢の武器に組み付きもみ合いになり、松木が立ち上がるまでの時間を作った。体格のいい仲沢に前川の体が弾かれると、今度は松木が彼の体に圧し掛かった。同時に、小銃の銃口を喉元へ向けた。
「いきなり何すんだよ、仲沢……」
 突然の攻撃に激しく息切れしながらも、どうにか声を絞り出した松木は、間々田などの先輩士官にとにかく懐いているという印象とはまるで違う、今の仲沢の表情に余裕めいたものがぎらと光るものを感じ、体制的には圧倒的に優勢のはずだが、ざわつく心を抑え切れない。
「やっぱ強いですよね、中隊長。でもねぇ、今のうちに投降した方がいいですよぉ……」
「何の話だ!」
 外で囀る鳥が騒がしくなったと思った刹那、銃声や爆発音が明らかに袋小路側……外で滝らが防戦を張るはずの場所に殺到するのが聞こえた。
「ほらね……。生き残れると思いますかぁ?」
「だからどういう意味だ! 答えろ……!」
 へらへらと言った仲沢に対して叫ぶと、滝の回線と繋げっ放しにしておいた背中の無線が騒ぎ出す。松木は脇で同じく仲沢に銃口を向けていた前川を見遣る。彼は頷いて無線を取った。
「滝君か?」
 対応し始めた前川を横目で見、松木は鳴り止まぬ銃声に焦りを覚えながら、再度仲沢を問い質した。仲沢は相変わらず砕けた笑みを浮かべて、
「だから、さっさと投降しろって言ってるんですよ」
「投降しろ? ふざけるなよ……仲沢。次にそんな態度を見せたら殺す……!」
「あれぇ、中隊長が部下を殺したりなんかしていいんですかねぇ。いくら上層部にコネがあってもそれはまずいんじゃないんでしょうかぁ」
 ふざけた口調に松木の怒りが沸騰し引き金に力を込めた時、前川が「早く離脱しましょう」と平坦な声を出した。
「ここではよく無線の声が聞き取れません。ですが、この人の攻撃もありますし、異常が起こったのは確かなはずです」
 やはり平時のびくついた話し方は鳴りを潜めて、冷静だった。
 努めて冷静な前川の声を聞いた松木は、急速に頭が冷えていくのを感じ、銃を向けたまま、立ち上がった。そうだ、今すべきはこいつを殺すことじゃない。重しである松木の体が離れたことで反撃の構えを見せた仲沢を、前川の向けた銃口が牽制する。
 すると松木は突如仲沢の鳩尾(みぞおち)に蹴りを入れた。
 渾身の力を込めて二発目をお見舞いして、さらに小銃の銃把部分をめりこませると、仲沢はあっという間に気を失った。
「……すごいですね。もう……」
「いいから先を急ぐぞ。滝たちの様子を探る」
 袋小路側に響く銃声はさらに激しさを増し、松木は小銃を抱えた腕が微かに震えを宿すのを感じながら、元来た道を引き返した。




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