37

 また叛乱が起きた。
 正確には叛乱ではない。彼らはただ武器を所持していただけだ。来るべき戦時に身を守るため購入した武器類。それは全て叛乱の兆候とされる。更に、叛乱者とみなされた者たちが武器の供出を認めなければ、自分や"彼ら"の餌食になる。
 日本が攻め込んでくるという情報が囁かれたこの二週間、村々の一斉捜索と武器商人の取締りを、軍は並行して行っていた。日本の呆れるほどの残酷さ、無慈悲さはメディアを通じてすり込まれているため、一般の人々は必死になって、中国から流れて来た武器商人から武器を買い求める。武器を買う資金があるのはその土地土地の主たる者たちに限られてはいたが、民にまで武器が行き渡れば、本当の日本軍の姿が露呈したときにそれらと結託する可能性もあり、放置するのは非常に危険だ、という判断だった。
 
 
 二階建てで、普通の家より少し奥行きがあるような、小さな家。玄関から入ってすぐにあるリビングの机の上には、この家を隅々まで探索された結果として、二十を超える重火器が身を横たえていた。武器類の隣には、村人の名前を書いた名簿が添えられていた。武器が全ての村人に行き渡るように、と配慮のできる立派な地主だろうが……これほどのものを軍に隠し通せるはずはなかった。
「武器の供出を認めろと言っている。これで最後だ。認めなければ叛乱とみなして殺す」
 地主の着ているボロ布の襟を右手で引っ掴んで、壁際に追い込んだまま、加奈は言った。顔が触れるか触れないかのところで睨むと、彼は窮鼠の瞳をこちらへ向けた。
「い、嫌だ! 軍は……軍は! 散々食料を奪っておいてなお、奪い足りないと言うのか!」
「………」
 加奈はその瞳を見て、少し躊躇った様な表情を見せた。その顔色の変化を見つけた地主は、一気に畳み掛けた。
「軍は何もしてくれない……それなら、わしはわしの村を日帝から守る! 自分たちの手でな!」
 言い終わると、彼は首を圧迫する加奈の右手首を強引に振りほどいた。続けて加奈の首を絞め、今度は逆に加奈を壁際に追い込む。いくら老人とはいえ、過酷な労働で鍛えられたその腕力には、全くといっていいほど抵抗できない。舌打ちをした彼女を気にせず、彼は懐へ手を伸ばして、小さな拳銃を取り出した。加奈がそれを避けようとする前に、銃弾が彼女の脇腹を直撃する。加奈は緩んだ男の手を振り払うでもなく、ただその場に倒れこんだ。
「……やった。軍人を一人殺った、殺ったぞ!」
 火を噴いた拳銃から、脇で不安そうに見守っていた老婦人に目を向け、興奮した様子の彼はもう一度、うつ伏せに倒れる加奈を見る。さらに喜々とした表情で正面玄関を見遣った。彼の目が、顔が、凍りついた。
 そこに立つ異形の者を目にしたからだろう。
 彼は、加奈の仲間だった男に対して何度も何度も発砲し、拳銃が弾切れを起こしたところで、机上に散乱する重火器に手を伸ばそうとした。だが、その伸ばそうとした手が届く前に、彼の頭は吹き飛んだ。
 
 加奈は地主の目が自分に向いていないうちに、腰から取り出した銃を使った。手に持った銃を放り、脇腹を押さえてよろめきながら立ち上がって、呟いた。
「いつまでこんな事してなきゃならないんだよ……」
 押さえた脇腹の傷は、通常の人間が起こす反応とは違って出血の量が極端に少なかったが、立ち上がったことでその傷に激痛を憶えた加奈は、治療を受けるために玄関を出ようとした。
 そして、昔の同僚が変わり果てた姿で道を塞いでいたのを見て、彼女は思わず声を張り上げた。
「どけ!」
 発作の痛みに耐え切れず逃げ出した人間を見るだけで、自分への戒めとなる。
 私は――絶対に逃げたりしない。
 
 
 
 加奈は玄関を出て、門の前に横付けされた軍用トラックに戻った。トラックの荷台に乗っている衛兵に声をかける前に、腕時計をちらと横目で見た。次の発作まで……だいたい一時間はある。ふっと息を吐いてから、兵士に声をかけた。
「衛兵はいる? 治療を頼みたいんだけど」
「……申し訳ないです、衛兵は別の現場に」
 加奈は舌打ちした。
「ならいい。……私の配下が近くにいるかもしれないから呼んで」
「了解しました。……おい、カナ曹長の部隊、誰か居ないか!」
「は、はい!」
 加奈の名前を下手な発音で発した兵士の声に反応し、遠くで返事が聞こえた。押収した武器の処理をしていた彼は、孝徳だった。孝徳は兵士から治療道具を渡されると、加奈に近付き、生真面目な顔で仕事の内容を訊いた。
「……銃創の治療をして。さっき脇腹に受けた」
「脇腹ですか? それならもっと高度な治療を受けないと……!」
「黙れ」
 加奈はそれだけ言うと、上着を脱いだ。孝徳は戸惑った表情を崩さない。
「……見たほうが早い」
 中に着ていた薄手のシャツを捲り、傷口を孝徳に見せた。彼の表情が、みるみる驚愕の色を強くしていく。
「……先程受けた傷のはずでは?」
「そうだけど」
「この前の発作と……何か関係がありますか? 前から引っ掛かってたんですけど……」
「理由が気になるか? ……軍の裏側に触れる話になる。それでもいいなら訊けばいい」
 立ち上がった加奈の言葉に、消毒液をガーゼに染み込ませる所だった孝徳は、身を硬くした。以前もこの新兵は自分に対する質問をしたが、そのときは巻き込みたくないと勝手に考えて話さなかった。だが今回は二度目。軍中でも秘匿中の秘匿事項となっているステイジ案件を、故意でないにしろ何度も問い詰めていれば、それだけでもこの兵士の身が危うい。語気を強めて、加奈は孝徳を睨んだ。
「それが嫌なら……二度と私に話しかけるな」
 孝徳の手から奪い取った消毒液の瓶と包帯を抱え、加奈はおぼつかない足取りで家の裏手に回った。彼女の言葉に、孝徳は強張った顔のまましばらく立ち尽くしていた。
 
 
 
 
 
 
 しばらくして、自分の脇腹を治療するという行為に四苦八苦している加奈のもとに、孝徳が現れた。空は綺麗な夕焼けに染まり、地平線上延々広がる畑と、その間にところどころ見受けられるあぜ道とを照らしている。
 何で来たんだ……と加奈は心中に零してから、孝徳を見上げる。
「……本当に来るなんてな」
「どんな理由があるにせよ、命に関わる傷になるかもしれないんです。放って置けません」
 あまりにも凛とした声が、加奈の頭に木霊する。大抵の兵士だったら、自分と少し話をした時点で、苛立ちや怒りといった感情を表し、自分の前から消え去ってくれる。今回もそのはずだったが、孝徳は尚も食い下がった。普段の真面目で冷静な勤務態度が嘘のように、彼の姿勢は上官に食って掛かる血気盛んな新兵そのものだった。自分とは違う生き物を見る目で孝徳を見詰めてから、加奈は言った。
「そんな偽善で私に近寄るつもりならやめろ。迷惑だ」
「……まずその傷を治療させてください」
「迷惑だって言ってる! 十六になったばかりのお前が、裏側に首を突っ込むなよ……! この軍で飯を食ってくつもりなら覚えておけ。付く人間は間違えるな。……お前は、私のせいで潰されるような人材じゃない。少し考えれば分かるだろ。どうしてあれだけの経歴を持つお前が私なんかに……!」
 あれだけの経歴……ほとんど一点の曇りもない、朝鮮のエリートへの道を歩めるはずの経歴。ここに転属されたのも、恐らく実践での経験がある程度必要だから、という理由でしかないのだろう。自分とはかけ離れた境遇への嫉妬も手伝って、語尾はますます怒りの色を帯びていった。
「そんなの分かりません……。少なくとも私が今まで見てきた人間の中では、加奈さんが一番、真っ当な人間のように思えたんです。それに、あなただってまだ二十三で……」
 彼は加奈の嫉妬も怒りも、全て受け止めたかのような表情をしていた。ただ寂しそうな目で見ているだけ。どこまで行っても気に入らない奴だ。お前に、私の何が分かる。親しくする人間親しくする人間、全てが消えていく私の気持ちが……。
「だから、それが付く人間を間違ってるって事だろ! 私は、他人と馴れ合うのなんて、もう御免なんだよっ! 何で分かってくれないんだ……!」
「一生かかったって、分かりません……。あなたこそ、どうしてそんなに頑なになるんですか……?」
 精一杯の声で叫んだ自分を、とうに純粋さを失った自分を、あまりに真摯な瞳が射た。その瞳に昔の同僚たちが重なった気がして、加奈は一瞬にして怒りのやり場を失った。
 少し潤んだ目を伏せた加奈に、孝徳は治療しますから、と言って手を伸ばす。
 だが加奈は、彼の脇腹へ伸びかけた手を払い退け、さらに彼を突き飛ばした。続け様に走り出そうとした加奈は、治療途中の脇腹の激痛に襲われ、壁に寄りかかる。軽くよろめいただけの孝徳は、だから言っているのにと零しながら、近付いてきた。舌打ちした加奈は、脇腹の傷口が痛みを発し続けているのを感じていた。
「……まず、治療が先だ。話が訊きたいなら、その後で訊け」
 さすがにこれ以上放って置くのはまずい怪我だと分かっていたので、加奈はそう言った後、その場に腰を下ろした。その顔には、諦めの色が浮かんでいた。
 
 
 
 
 
 
 孝徳はしゃがんで、加奈の脇腹に傷薬の染みたガーゼを当てている。治療しにくいからそれも脱いでください、と言って殴られた彼は、Tシャツを左手で捲くりながら、やりにくそうにしていた。
「……肩にある傷、あなたの境遇と何か関係が?」
 先程腰を下ろした際に見つけたのか、孝徳が言う。
「……どうなっても、知らないからな」
 加奈はため息を吐いてから自分のTシャツの肩口を掴むと、その辺りの肌を露出させた。
「0006−A……」
 
 
 治療を終えた孝徳は、加奈と間隔を空けて座った。押収が終わったこの家の周囲に誰も居ないことを確認した加奈は、不機嫌な声でストレイジの話をしていった。実験の概要から、今のストレイジたちの状態まで、大雑把に。
 
 
「……本当にそんな実験が?」
 全てを聞き終えた後、誰しもがするであろう反応を、孝徳がした。
「もう朝鮮にいるストレイジで正気を保っているのは私だけになったと思う。あいつらは公害による畸形でもなんでもない。変異型って言って……これから"兵器"として使い潰されていくんだ。笑い話だろ? あれだけ必死に……敵兵の屍肉まで啜って生き延びて抗った結果が、この扱いなんだよ」
 言葉を失う孝徳の前で、加奈はナイフを取り出した。そして、自分の手首を軽く切る。
「この血を飲めって言われたら……お前、飲めるか?」
 腕を孝徳の顔の近くに差し出してから、言った。
「……」
「普通、飲めないだろ。でも私たちはこの血を飲んで、生き延びてきた。兵糧供給のない、馬鹿みたいに過酷な前線で。ストレイジの実験に関しては……異常なんだよ、何もかもが」
 浅い傷口から溢れる血を舐めて、孝徳の顔を窺った。彼の顔は少し血の気が引いていたが、相変わらず硬い表情で目の前の雑草を見つめていた。
「いつまでもこんな話してても……面白くないか」
 少しだけ言葉の節々に滲む棘が弱まった口調で零した加奈は立ち上がり、自分を見上げた彼に言った。
 だが、そろそろ仕事に戻ろうと一歩足を踏み出した瞬間、心臓が一度だけ大きく脈打った。地主の家の外壁に手を付き大きく息を吐き出すと、全身から痛みを伴う何かが発せられて、それらが脇腹の辺りに集約されていき……体ごと締め付けるような激痛が加奈を襲った。加奈は反射的に空いている左手で脇腹を押さえた。
 またか……と無感動に考えながら、家の外壁に添えられた右手からは、徐々に力が抜けていった。
 
 
 
 
 
 
 大連港の埠頭に降り立った夏樹は、小隊ごとに分かれて編成を確認している群れの中から一郎を見つけ、小さく手を振った。
 ――しばらく、お別れか。
「寂しいか?」
 脇で厳つい顔の兵士に軍医としての配属先を訊き、メモしていた小野の声に、静かに頷く。それこそあの面子とは四六時中顔を突き合わせていたし、せっかく千絵という話せる相手を見つけたのだから、寂しくないはずはない。
 歩き始めた小野の後ろに付きながら、夏樹は辺りを軽く見渡した。艦から積み下ろされる武器弾薬の類や、輸送される戦車など、相手を破壊するためだけに存在するものが、嫌と言うほど目に付く。
「しばらく歩くぞ。……それにしても、車も付けてくれないなんてな」
「仕方ないです」
 愚痴をこぼす小野に相槌を打つ。
「六十二になる老体を労わりもしないんだこの軍は」
「労わられたいんですか?」
「そういう問題じゃない。こっちは本業を休んでまで来てやってるんだからな、そのぐらいの待遇はあってもいいんじゃないかってことだ」
「……文句多いですね。誰かに聞かれたら妙な言いがかりつけられるかもしれませんよ」
 
 適当な会話を繰り返しながら歩いていると、大連港を出るための大きな街道に差し掛かった。最後に港を見ようと振り返った夏樹は、そこで初めて、自分たちの後ろを付いてきている兵士の存在に気付いた。
「……先生、あの人たちは?」
 耳元で小声で尋ねると、小野は思い出したように彼らを手招きした。二人が近付いたのを確認して、彼は言う。
「護衛をしてくれる兵士だ。紹介するのをすっかり忘れてた。右側のこいつが……」
「奈良原(ならはら)です。よろしく。小さいころに会った事があるんだけど……忘れちゃったかな?」
 人懐こい笑みを浮かべた壮年の男性が、小野の言葉の後を引き取り言った。彼は手を差し出そうとしてから遠慮がちに夏樹を見て、手を引っ込めた。
 一応気遣ってくれたのだろうが、それではどこか手持ち無沙汰だったので、夏樹は自分から手を差し出した。
「よくは憶えていませんけど……懐かしい感じがします」
 夏樹の言葉を聞いた彼は、夏樹の右手を軽く握って、愛嬌のある笑窪を一層深くした。
「で、俺は桂木(かつらぎ)。俺らは昔から宗一さんにお世話になりっぱなしでね……ストレイジや準南の情報収集を担当させてもらってるから、気になることがあったら何でも訊いてくれよ」
 声を聞いて視線を移すと、こちらはどこかぽっちゃりとした中年の男性だった。桂木と名乗ったこの男性は豪放に夏樹の肩を叩くと、肩からずり落ちそうになる小銃を担ぎ直した。いきなり大柄の桂木に叩かれ、びくりと身を震わせた夏樹は苦笑すると、軽くお辞儀をした。
「桂木さん、夏樹ちゃんが怖がってるよ……そんなに強く叩かなくても」
「大丈夫です。ちょっとびっくりしただけですから」
 夏樹が自分よりいくらか身長の高い奈良原に視線を合わせていると、隣で桂木が声を上げた。
「あ、小野さんが」
 夕暮れの陽が照らす街路に、小野の背中を確認した桂木が小走りになった。
「時間がないんだ、早くしろ」
 小野は歩みを止めずに言う。
「自分が紹介したのに……」
 不満げにそう零した夏樹も、桂木に倣い走り始めた。




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