1章終幕

 その男たちは、突然姿を現した。拠点のひとつであるここ白石へ五人でふらりと姿を現した敵兵に驚く前に、その容貌に衝撃を受ける。男と言うより……男の皮を被った何か、と形容したほうがしっくりくるかもしれない。
 目は白い部分が大半を占めていて、たまに黒い瞳が写る程度だ。明確な意思などを持ち合わせていないであろう頭はしわくしゃになっていて、髪の毛は一本も生えていない。体の方は異常な筋肉の塊に覆われた上半身に、がっしりとした肉付きの下半身。肥大化した体は承晩などは言うに及ばず、常識では考えられない高さだった。
「化け物……」
 千絵もまた、武田と同じ言葉でしかその男を形容することはできなかった。そしてそのうちの"一体"が、視認できた次の瞬間に千絵の眼前に飛び込んでいた。
「早い……!」
 呻いた千絵はすぐに後退するが、敵の蹴りは思いがけない鋭さで千絵の側頭部を襲った。千絵は堪えきれずに軽々と飛ばされ、兵舎の壁に叩きつけられた。ずるずると地面に滑り落ちる間にも、男は迫ってきていた。武田の狙撃が男に命中したのが見えたが、ライフルの攻撃さえも、男には大したダメージを与えられなかった。武田はしばらく連射をしたあと、手榴弾を投げた。しかし、男はそれを片手で掴み、手の内で爆発させた。
「手で止めやがった……」
 三階建ての兵舎の屋上から武田が発したらしい声が、千絵の意識をどうにかこちら側に繋ぎ止めてくれた。
 そして千絵は武田の援護の間に体勢を立て直し、ナイフを右手に持ち、逆手に構えた。
 一郎の上段蹴りが男の背中に入るのが見え、千絵は躊躇無く男の懐へと飛び込み、ナイフを左胸に突き刺した。さすがに物質が留まったままでは"ストレイジ"としての回復能力も鳴りを潜めるらしく、荒い鼻息と共に、くぐもった呻き声が聞こえた。
「離れろ!」
 安藤の声を聞いて反射的に飛んだ千絵は、とてつもない爆発が背後で起きたのを感じた。いくら声を聞いたからと言っても常人では確実に爆発に巻き込まれていたが、その辺りは安藤の計算に入っていただろう。ただ、この化け物とまとめて殺そうとした、という考えも捨てきれないが。
 男は左手首を失っていた。だが、それだけだった。自分を対象にした攻撃には敏感なのか、対戦車用の無反動砲を放った安藤の下へとすぐさま走り出した。
「安藤!」
 一郎は短く叫び、男の側面へ突っ込んだ。男はナイフの刺し傷が増えていっても意に介す様子も無く、右腕で一郎を払い飛ばした。
「ナイフは刺したままにしないと駄目!」
 千絵は、弾き飛ばされて体勢を立て直している一郎に向かって怒鳴った。そしてその間に、まるで家屋の二階から振り下ろされたかのような拳が安藤を襲う。叩き潰され、地面にひれ伏した腹部に、男はさらに右手の拳打を叩き込む。安藤の安否を確認する間もなく、男の真後ろまで迫っていた千絵は攻撃対象が自分に移ることを感知し、少し後退をした。
「ヴォォォォォォォ……!」
 人間の叫び声とは思えない声が頭上で聞こえ、再び後ろに飛びずさる。しかし敵も距離を空けなかった。千絵は敵に背を向けて逃げ出したい衝動を堪え、一郎の攻撃を信じて時間を稼ぐ。そして男が腕を振り上げた瞬間、男のこめかみから突然ナイフの先端が姿を現した。頭蓋骨を貫通したそれは、一郎が投げたものだと分かったが、男が倒れる様子は無い。
 急所がない……?
 千絵は直ったばかりの右腕を頭上に掲げ、男の攻撃を受け止める。
 骨にひびが入るような微かな音が千絵の耳に届くが、折れてはいない。
 武田の狙撃のお陰で男の破壊力が鈍ったらしい。男の背中越しに武田と目を合わせ、ありがとう、と口を動かした。千絵は男の右腕を軽くいなし、左胸に刺したナイフに手を伸ばす。引き抜く間にもライフルの射撃音が辺りを包み込み、千絵はしっかりとナイフを奪い返した。
 背後に人の気配がする、と思った瞬間、千絵は自分の体が何かにつかまれ、宙に浮いていくような感覚を味わった。それは比喩でなく、背後から現れたもう一体の男の手が、千絵の体を持ち上げたていたからだった。
 そして気付いたときには、その浮いた位置から地面に叩きつけられようとしていた。頭から叩きつけられれば……確実に死が待つ、高さから。体はもう一体の男の手を離れると、真下の地面に一直線に向かう。
 だが千絵が落下する衝撃を受け止めたのは、地面ではなかった。思わず閉じてしまっていた瞼を開いて立ち上がると、一郎の手が自分の背と地面の間に挟まっていたことに気付いた。
「あ……ありがとう」
 自分はまだ、一郎の、専衛軍の状況報告を続けているのに。千絵は罪悪感が感情を動かす前に、立ち上がった一郎が視線を投げた方向を、同じく見た。そこには五体のうち四体が自分たちを探している姿があった。
「いいよ、別に。それより……どうすればいいと思う、あいつら」
「どうしようも……ないじゃない。一体だけでもあんなに強いのに、四体もどうやって……」
「来る……! とにかく、最初の一体を倒そう。千絵は急所だと思うところにナイフを刺していってくれ。他の三体は引き付ける……」
 眼前に迫った一体を確認してから体を動かすまでに、そう時間はかからなかった。三体も引き付けるなんて無理に決まってる、という言葉が、喉元で押し戻された。千絵は大きなモーションで空振りした敵に気づかれないよう、大きく迂回して背後に回る。
 一郎はその間にも敵の攻撃を避け続けていて、千絵は援護を期待してちらりと武田のほうを見たが、武田はこちらと空を交互に見ながら無線で何かを話している。
 背後に回りこんだ千絵は、まず、通常の人間ならば脊髄がある辺りにナイフを刺した。男の様子は変わらない。むずがるような左腕の払いをかわしてナイフを引き抜き、今度は首筋めがけてナイフを叩き込む。
 そしてそこも急所でないことが分かり、ナイフを取り戻そうとしたとき、男はこちらに体を向け、千絵は拳打を安藤と同じように腹部に浴び、また吹き飛ばされた。
「逃げろ!」
 受身を取るだけで精一杯の千絵は、武田の叫び声を聞いて、なんとか移動しようとするが、上手くいかない。
 
 その時、空気を裂くような、戦闘機特有の音が耳朶を打った。千絵は武田の言った"逃げろ"が、男から、ということを言っているのではないと、そこで初めて気付いた。
「もう一回行く、そこの三人、早く逃げろ」
 戦闘機の拡声器から出力された言葉が辺りに響き、戦闘機は空中で華麗にUターンを決めた。安藤を抱えた一郎がこちらへ走ってくるのを見ながら、千絵も力を振り絞って走り出した。
「くたばれ、化物」
 戦闘機のパイロットは冷たく言い放つのを聞いた次の瞬間には、爆風が走る千絵の背後を襲い、その上に一郎が覆いかぶさる。
「おおう、綺麗に消し飛んだ」
 一郎の腕が首の辺りにあることを感じながら、地面に倒れこんだ千絵は、嬉々とした声を拡声した戦闘機を見上げた。凄まじい日差しが空を照らす中、その機体が見せた左翼には、しっかりと国際連合の旗印が刻まれていた。




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