序幕

「松木、状況はどうだ」
「第十一師団全隊、無事下山。ご命令通り札幌へと進軍させる準備を整えました」
「そうか……ご苦労だった」
 先程まで専守自衛軍第十一師団の野営地だったこのスキー場跡地から、戦火にさらされ燃え上がる街並みを見渡していた岩波師団長はこちらを振り向き、哀しげな表情で微笑んだ。
「この街ともしばらくお別れか……」
「そうですねえ。でもまたすぐに戻って来れるはずです」
 眼下に広がる薄緑色の芝生、ところどころに咲くエゾスズランに、ちょうど頭の上に来た太陽がこの美しい景色に輝きを与えている。非常時の野営地になる際に形状を変更した斜面は、下から攻め上ってくる敵の動きをよく確認できる。こちらにある程度の対空兵器があれば、敵の歩兵部隊の進行を食い止め、ここは前線として活躍できたはずだ。 だが今実際に保持していた対空兵器は、何とか持ち出せた『ホーク』一基のみ。今更嘆いても仕方のないことではあったが、対策がしっかり出来ていればここまで早く岩見沢基地を奪われることもなかった。
 そして、このなだらかな丘からは、岩見沢の市街地が一望できる。
 燃え上がる市庁舎、東山公園。
 少し手前に視線を戻してみると、晴れた日には石狩平野を見渡すことが出来た自慢の観覧車が折れ、ゴーカートのあった周辺が炎で覆い尽くされた三井グリーンランドが広がる。そこでは日曜ということもあって、多数の家族連れが巻き込まれ死傷した。救援の要請を受け、いち早く現場に駆けつけた専衛軍の隊員たち。そしてあの場所で命を落とした多くの命の為にも、必ずここは取り戻さなければならない、と岩波は決意を新たにした。
「……行くか」
 最後の装備品をしまい、すっかり薄くなった頭髪に帽子を被せた岩波は、自分にけじめをつけるかのように一人呟いた。 数歩先に進んでいた松木一郎は、彼の呟きを聞きながら、ある音がだんだんと大きくなっていることに気付いた。
 その音は、地下からこみ上げてくるかのような振動と共に、近付いて来つつある。
「……? 音がする……」
「ん……何がだ?」
 次の瞬間、松木と岩波は体ごと吹き飛ばされるような衝撃波に襲われた。
 先程まで草木を彩っていた日差しを浴び、轟音と共にその機体は姿を現す。
 丸みを帯びたかわいらしいフォルムとは対照的に、相手に恐怖心を与えるような洗練されたデザインの固定翼は二本のミサイルを搭載している。
 さらに、その攻撃力は百年以上前から改良を重ねられ、歩兵部隊や輸送ヘリなどではとても太刀打ちできる代物ではない。
「ハリアーV……!」
  襲撃を予定していたというのはこの機体だったのか。せいぜい軍用ヘリ程度だと侮っていたのがそもそもの間違いだった。
 機体が姿を現した瞬間、早めに撤退を指示した岩波の判断が正しかったことが証明されたが、数秒後にはもう既に、二十八ミリ銃砲を彼に向けていた。生身の人間がこんなものの直撃を受けたら、一発目で体に大穴が開いてしまう。
「岩波さんっ!」
 我に返ったとき、やや岩波から離れてしまっていた松木は、急いで引き返す。
 だが反応するのが遅すぎた。間に合わない。
 そしていまにも銃撃が放たれようとしたそのとき、松木は背後から空気が割かれるような気配を感じた。
 地上からの地対空弾による援護……?
 だが、松木の抱いた淡い期待はゼロコンマ数秒で打ち砕かれた。そのハリアーは突然飛来した物体にすら冷静に対処し、機体を旋回させ、あっさりとかわしたのだ。
「化け物が……!」
 松木はそのパイロットに向けて非難の声をあげながら、レベルの違いを一瞬で感じ取り、恐怖を覚えた。
 しかし、松木の期待を裏切ったばかりの地対空弾は、空中で半円を描きながら再びハリアーを襲う。その軌道すら予測していたかのようなハリアーは、またもや紙一重でかわす。だが、まだ地対空弾は生きていた。かわしても、かわしても喰らいつくかのようにハリアーの後方に張り付く。航空ショーを見ているかのような気分になった松木だが、この隙に下山を開始した。
 一向に速度が落ちない上、あまりにしつこい追従を受けたハリアーのパイロットはやがて精根尽き果てたのか、ついには左翼に直撃を受けた。
「やったか……?」
 味方識別の為の作業――マーキング――が施されていない機体を徹底的に追い続ける、最新鋭の自動認識型地対空弾『ホーク』。その追跡能力・追跡速度は他軍の地対空弾に性能面での追随を許さない。
 元師団長により、この岩見沢基地の武器科が独自に開発を模索していた地対空弾だった。
 この基地が真っ先に襲われたのも、あるいは『ホーク』が原因かもしれない。
 兵器が完成し、量産できれば、日本の専衛軍は制空権を確保したようなものだ。それは敵にとってかなりの不都合だったのだろう。
 すっかり安堵していた松木は、唯一の対兵器の爆撃を受けたハリアーが、徐々に体勢を立て直していることに気付いていなかった。いくらハリアーでも、通常の地対空弾を受ければひとたまりもない。その立ち直りの速さは、『ホーク』の決定的な弱点が露呈したことを意味していた。
「何をしてるっ! 走れぇ!」
 岩波の怒声が、耳元で弾けた。




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