four S ―叶わなかった平和―

15


 ぐったりした七尾を左肩に担いで、例のゴミ箱の前に戻って声をかけると、新山が顔を出した。後ろをついてきた小西ももう、石黒の説明で納得している。七尾がクリーチャーの核を埋め込まれている状況から見て、石黒のほうに説得力があると感じたのだろう。
「CH計画って、知ってますか?」
 新山はゴミ箱から身を乗り出しながら、
「ええ」
 と答えた。右手を差し出すと、それに素直につかまって、新山は地面に降りた。
「とっくに潰した計画よ」
「スイが、腹にクリーチャーの核を埋め込まれていました」
 体についたゴミを払っていた新山が、動きを止めた。
「こいつは、人として生きていけると思いますか?」
 新山はすぐに顔を上げて、
「一度、スイを地面に横たえてみて」
 小西に手伝ってもらって、言われた通りにする。
 石黒と小西が心の準備をする時間もなく、新山は、七尾の腹に同化したクリーチャーの核を見た瞬間、
「無理ね」
 と即答した。
「この子は死ぬまで、人型クリーチャーのままよ」
「そんな……」
 小西が呟く。
 石黒は頭が白みかけるのをどうにか堪えて、新山に
「どうにかならないんですか」
 と重ねて訊いた。
「見たところ核と適合しているようだから、七尾翠としての意識を保っていられるとは思う。伊世は、人間の意識を保ったまま兵器として使えるようにすることを目標にしていたから、訓練すれば、自分の意志で武器を出し入れできるかもしれない。ただ、この身体になったことを他の団員が知ったら、受け入れてもらえるかどうかはわからない」
 スイの隣にしゃがんでいる新山は、七尾の腹の核を軽くなでた。
「武器を手に入れたら国境警備隊本部に向かおうと思っていたけど、情報部の連中を殺さないといけなくなった。このままだと4Sの突撃隊員が実験体になる」
「協力します」
 石黒は間髪おかずに申し出た。
「みかげさんが武闘派なこと言い出すの、珍しいっすね。阿久津のおっさんの説得は任せてください。あの人、いつも体調悪そうで放っておけないんすよね」
 小西が腕を十字に組んで、ストレッチを始めた。
 みかげは微笑みながら
「ありがとう」
 とつぶやいて、すぐに笑みを消した。
 顔を見せないように新山を肩に担いだ小西を先行させ、七尾を肩に担いだ石黒が後を追った。
 武器はアサルトライフルが二丁、拳銃が四丁、新山と七尾の服の隙間に詰め込んだ手榴弾が十五個、アサルトライフルの弾倉が二十。
 道を塞いでいる新種のクリーチャーを手榴弾で吹き飛ばしながら本部棟を正面突破し、孤立していた突撃隊の隊員たちを救出していった。彼らとともに作戦室を目指すと、作戦室はすでにクリーチャーに包囲されていた。
 バトルスーツの使える者が前面に立って戦い、包囲を解いて作戦室に突入した。部屋の中では、いままさにA型に取り込まれかけている兵士を助けようと、阿久津の指揮で一斉射撃が行われている。毒物をまき散らすE型がいないのがせめてもの救いだったが、猛禽類を模したB型が舞い踊って類人猿を巨大化させたようなC型が腕を振り回す様は4S本部の中枢のひとつとはとても思えない惨状だった。
 どうにか部屋中のクリーチャーを掃討し、それまでずっと顔を隠していた新山が顔を見せたときには、場が色めきたった。けれど小西と石黒が、血気にはやって新山に銃を向けた突撃隊員を制し、これまでの経緯を新山に説明させると、結局は新山が最高指揮官となって事態を収拾することになった。
 そのあいだも、七尾はずっと、眠ったままだった。

 他の隊員が慌ただしく作戦室に残った武器を拾い集めて、負傷兵の手当てをし、決められた部隊ごとにわかれて連携を確認している。
 最前線でクリーチャーを殺し続けた石黒はいったん休息をとることにし、七尾を作戦室の隅に寝かせた。
 いつでも対応できるよう、バトルスーツは起動したまま、ナイフホルダーから取り出した抜き身のナイフを握ったまま、七尾の寝顔を眺める。
 ……こんな大事なときに眠りこけやがって。
 七尾が次に起きた時、本当に自我を保っていてくれるのか。膨れ上がっていく不安を悪態をついてごまかし、七尾の額を指ではじいた。彼女の穏やかな寝息につられてか、眠気が襲ってくる。かくりと揺れては慌てて目を開け、かくりと揺れては目を開けを繰り返しているうち、部屋の中に、内線の着信音が鳴って、石黒はすぐに立ち上がった。
 騒がしかった部屋も一気に静まり返り、内線通話の受話器を新山が受け取り、すぐスピーカーに切り替えた。
「研究部部長、石黒伊世です。突撃隊のみなさん、こんにちは」
 その声を聞いて、石黒は息が詰まった。
 伊世だ。死んだはずの、伊世の声だ。
「みかげの話はよおく聞かせてもらったわ。でもおかしいわね。どうしてわたしが生きているのかしら?」
 部屋の中がざわめく。
「答えは簡単、その女が嘘をついているからよ。わたしはその女に殺されかけた」
 生きているはずがない。
 確かにあの時、新山の銃弾は伊世の頭をとらえていた。
「阿久津くんは知っていると思うけれど、その女はもともとはレナント人。待遇の悪いレナントから寝返った女よ。今回、レナント上層部の首が切られて、この女の寝返りを咎める者はいなくなった。レナントに再び寝返るために一芝居打っているに過ぎないわ。そのためには手土産が必要。さんざんレナントを苦しめてくれた4S突撃隊員の死体がね」
「情報部の江田だ。この話は嘘ではない。君たちがその女の言うとおりに動いた場合、我々は君たちの行動を反乱とみなして、ただちに攻撃行動に移る準備ができている」
 伊世の声に変わって、低い男の声が聞こえる。
 江田の言葉と同時に、ほぼ壊滅した作戦室のモニターのうち、唯一動いている大型モニターの画面が切り替わった。本部棟、研究棟、ガレージ、本部全体の外観が映って、あらゆる場所という場所に、クリーチャーの大群がひしめきあっている。
「広報部も総務部も、我々が正しいと言ってくれている。特殊監査委員会は全会一致で新山みかげの裏切りを間違いないものと断定した。さあ、どうする。今ならまだ、新山の首を持って来れば投降を受けつけている。君たちの判断に期待する」
 そうして一方的に、通話が切れた。
 石黒は機先を制して声を張り上げた。
「俺はみかげさんにつく!」
 七尾のそばから離れて、作戦室中央の電話の前で、呆然とモニターを見つめる新山に近づいていく。
「俺はレナント人が大嫌いだ。伊世の言うとおりなら、みかげさんは、俺たちの仲間をたくさん殺したレナント人だ」
 新山の肩が揺れ、不安げな目が、こちらを見てくる。
「けど、みかげさんは違う。みかげさんは、何度も何度も俺たち突撃隊員の窮地を救ってくれた恩人だ!」
 新山の肩に手を置く。
「それに、俺にはレナント人よりももっと嫌いなものがある。それは、クリーチャーを使って戦争を引き起こしたレナント軍だ。無差別に人を襲う、クリーチャーを生み出したやつらだ!」
 つばを飲み込み、油断のない目を向けてくる突撃隊の隊員たちを見回しながら、話を続ける。
「伊世は俺の叔母だけど、あの女は手を出してはいけないものに手を出した。人型クリーチャーを生み出す計画、クリーチャー・ヒューマン・プログラム。実際に俺と小西は、人体実験で生み出されたクリーチャーと戦った」
 ぼけっと口を開けている小西に話を振ると、小西は慌てて口を閉じ、何度もうなずいた。
「はい、それは間違いないっすよ! A型の中に人の姿が見えて疑問に思って、殺した後に調べたら、中でレナントの軍服を着た男が死んでたんです」
 内線の着信音がまた、鳴り始めた。
 どこかで盗聴しているのだろう。
 石黒は受話器をとってすぐに戻した。
 プー、プーと間の抜けた音が、スピーカーを通して部屋中に伝わる。
 何人か、笑った隊員がいた。
 石黒も軽く笑いながら、
「いまいち締まらねえけど、まあ、そういうこと。俺は伊世じゃなくて、みかげさんを信じる」
 そう言うと、石黒の左手を掴む温かみがあった。新山の手だった。彼女は石黒の手をゆっくり肩から外すと、一度だけぎゅっと握ってから、手を離した。
「本当なら、わたしを信じる人だけ残って、と言いたいところなんだけれど。戦争継続派の伊世たちが主導権を握った今、突撃隊の役割は、江田の手駒の特殊監査委員会の実行部隊が担うことになると思う。和平派の突撃隊員たちは、あいつらに消された。あいつらは突撃隊員の命を、なんとも思ってないわ。残ってしまうと、人型クリーチャーの実験体にされる可能性が高い」
 だから、と新山は言葉を区切った。そうして勝気な表情を浮かべて、自分の胸を強く叩いた。
「わたしに! ついてきなさい! そうすれば、ここを、生きて脱出させてあげる!」
 生ごみにまみれ、疲れ切った新山の見せた精一杯の強がりに、小西がはじめとした一部の若い隊員たちが、
「はい!」
 と声を揃え、さすがに声はあげなかった阿久津隊長たちも、大きな拍手で応えた。

 かき集めた武器で、車両の保管してあるガレージを目指して、4Sの実行部隊は進軍を開始した。
 阿久津が指示した防衛場所にいた突撃隊員もすべて救出し、途中にある宿舎で武器とバトルスーツを確保した。
 外はクリーチャーの展覧会となっていたが、死線をくぐってきた突撃隊がほとんど全員そろっている状況で、名前つきのクリーチャーにそうそう負けるはずもない。特殊監査委員会の実行部隊とも遭遇することはなく、そこからガレージまでは一直線だった。
 けれど先行する小西班が、ガレージの側壁を爆弾を使って吹き飛ばすと、すぐに銃撃戦が始まった。
 中に、これまでのクリーチャーとは比べ物にならない大きさのクリーチャーがいて、車を巻き取って次々に投げつけてくる。
「総員一時退避! 班長引き継ぎ後、特級隊員のみ前へ! 一級隊員は特級隊員を囮に保管庫へ突入、隙を見て車両の奪取を! 二級隊員以下は班ごとにわかれて弾薬の整理、負傷者の手当て、休息!」
 かたわらの新山が怒鳴った。
 石黒は、
「スイをお願いします」
 と新山に言い置いて、小西、阿久津とともに、先ほど破壊されたガレージの側壁へ向かった。
 入り口には車両が次々に投げつけられてきて、いつまで経っても入れない。バトルスーツの力を使ってガレージの側壁を駆け上がり、肩にさげた袋から手榴弾を取り出して天井を破壊、そこから下に飛び降りた。手榴弾をクリーチャーへ投げつけながら離れた場所に着地し、アサルトライフルを連射する。そのあいだに、一級隊員たちは二階にある管理事務所に駆け込んだ。
「さすがね、人基」
 触腕を含めて化物じみた大きさだった体がするすると小さくなり、そこから、見知った声がした。
「気でも違ったのか、あんたは」
「母親に向かって『あんた』はやめなさい」
 触腕の隙間から覗いた伊世の笑顔は、少女のそれになっていた。
「どうしてこんな馬鹿なことをした! 答えろ!」
 顔が見えた瞬間、アサルトライフルを射撃したが、盾型に変化した触腕がそれを遮る。
 小西と阿久津も別方向から撃つが、全くきいている様子がない。
 石黒はすぐに理解した。今突撃隊が持っている火力では、伊世は殺せない。
「どうして? あなたならわかっているはずでしょう?」
「わかるわけねえだろ! 突撃隊の仲間を殺して、スイをあんな体にしたお前の気持ちなんて!」
「理由はいま、人基が言ってくれたわ。人間の身体は脆すぎる。姉さんも、今のわたしの身体を持っていれば死ぬことはなかった。戦うことしか能がない下劣な人間たちに殺されることもなかった」
 管理事務所に駆けこんでいた一級隊員の一部が、階段から駆け下りてくる。
 階段側の、伊世の体の左半分が急速に膨張をはじめ、石黒は舌打ちして、肩からさげた袋から手榴弾を二つ取り出した。それぞれのピンを外してから投げ、アサルトライフルで撃ちぬく。空中で爆発したそれは、触腕の側面を破壊し、膨張した部分がぼとりと地面に落ちた。諦めずに右腕も膨張させ始めたので、同じ方法で右腕部も吹き飛ばした。一級隊員がその隙にほとんど駆け下りて、それぞれのもつキーに対応した車に向かった。
 小西と阿久津は、車両に伸びはじめた触腕をそれぞれ撃ちぬき、伊世の体はきれぎれになった。
「邪魔をしないで!」
 伊世の絶叫がガレージに響く。触腕がふたたび生えてきて、落ちた触腕を吸収した。沸騰でもするようにぼこぼこと不気味に蠢いたそれは、瞬く間に質量を増して、辺りの車両を呑み込んだ。伊世の姿はもう見えない。
 ガレージのそこかしこで爆発が起きる。どうやら伊世ではなく、阿久津と小西がやったらしい。エンジンのかかった車が巨大化したクリーチャー――伊世の脇をすり抜け、次々に脱出していく。
「足元に注意しろ!」
 阿久津の声が聞こえて、すぐに足元を見る。車にほんの一瞬、目を奪われた隙に、足元には膜のようなものが広がっていた。間もなくそれは赤黒い色をつけ、石黒の両足を絡め取った。
 一度倒れてしまうと、もう立ち上がることはできなかった。膜のようなものが全身を包み込み、そのまま抵抗もできず、伊世に吸い寄せられていった。
 そしてもはや触腕と呼べなくなった肉塊の中に引きずり込まれた。
 中は空洞になっていて、肉塊で出来た椅子に、伊世が座っていた。
「もう親子喧嘩は終わりよ、人基。大人しくわたしにつきなさい」
「嫌だ」
「どうして? あなたもレナント人は憎いでしょう?」
「あんたはやり方を間違えたんだよ。クリーチャーを戦争に使ったら、レナント人と同じだ。いや、あんたはそれよりもひどい。人間をクリーチャーにしちまったんだから」
「勝手に同志だと思っていたけれど、どうやら違ったみたい。あなたは両親の死なんて、もうどうでもいいのね」
「どうでもいわけないだろ! 戦争を仕掛けたレナント軍人は皆殺しにしてやりたい! けど! レナント人なんてくくってみても、戦っているうち、軍の暴走に巻き込まれただけの無関係の人間だってたくさんいるって気づいた。俺みたいなガキを、もう、生み出しちゃいけないんだよ、母さん……」
「ふふ。久しぶりね。母さんなんて」
 少女姿の伊世は、足を組み替えた。
「レナントは民主体制をとる国家よ。国民の代表者たちの決定によって、戦争が始まった。無関係の人間なんてひとりもいない」
「子供たちは関係ない!」
「姉さんはこんなわたしに、生きる目的をくれた。自殺を思いとどまったのも、研究職に就いたのも、人基と出会えたのも、みんな姉さんのおかげだった。レナントだけは絶対に許さない。死神の子供たちを根絶やしにすることは、世界に対する責任よ」
「そのために、しずさんたちを殺して、スイをあんな体にしたんだよ、あんたは。もうついていけない」
「そう……」
「さっさと殺せよ、報復のために。俺とみかげさんが生きてる限り、死ぬまであんたを狙い続けるぞ」
「そうね。あなたの戦闘経験は、危険……」
 体を締め付ける肉塊が、圧力を増していく。
 しかし途中で、その動きが止まる。
 空洞のはずの場所に、ぐにゅりと何かが入り込む音がして、石黒の脇を抜けて、伊世の身体に向けて一直線に飛んでいった。
 伊世はそれを防ぐために慌てて――この姿になってから伊世が慌てたのは、おそらく初めてだ――周りの肉塊を防御に回した。おかげで、石黒の拘束がゆるんだ。石黒はバトルスーツに限界まで力を入れて、肉塊を引きちぎった。
 そのまま駆け出し、伊世に肉薄する。けれど届く前に、肉塊がせりあがってきて、石黒は外へ向けて押し出された。
 体中に粘液がまとわりついていて、目が上手く開けられない。腕を振り回してバトルスーツにまとわりついた粘液を飛ばし、どうにか目もとを覆う粘液を拭った。
 目の前では、伊世の肉塊に、数多の触腕を突き出している七尾がいた。
「小西さんと阿久津さんはもう退避してもらいました。先輩も、早く、逃げて」
 七尾のその姿は、いままでともに戦場をかけてきた後輩ではない。
 触腕を自在に扱う姿は、まさにクリーチャーだ。
「早く! わたしはもう、伊世に殺されたんです! 先輩はまだ、死んでない!」
 石黒は何も言わずに駆けだした。もちろん、外にではない。二階に向けて。
 背後で、クリーチャー同士の戦闘が繰り広げられている。
 伊世に比べて、七尾の戦闘能力は明らかに一段下に設定されている。長くはもたない。
 二階の管理事務所に駆け込んだ石黒は、ガレージの端の管理番号の鍵を片っ端から掴み取り、二階の窓を突き破って飛び降りた。転がされている車を足で踏みつけながら、まだ無事な車にへばりつく。
 七尾の方をちらりと見遣ると、先程の石黒のように、伊世に取り込まれそうになるのを、触腕をふりまわすことで必死にこらえていた。
 七尾が自分の中でどれほど大きな存在だったかが、胸を押し潰そうとしてくる不安の大きさで、思い知らされる。
 死なないでほしい。
 この女には、戦後の平和な世界を、楽しんでほしい。
 キーを持っている車の扉をバトルスーツで引きちぎり、そのまま乗り込む。エンジンをかけてすぐ、ハンドルを回し、他の車をよけながら、七尾のいるところへ突っ込んでいく。
 伊世は七尾との戦闘に夢中で、こちらを見ていない。
 七尾が、正面にきた。石黒はもう、何も考えずにアクセルを踏み込み、他の車を弾き飛ばしながら、七尾目がけて突っ込んだ。
「スイ、いまからお前の横を走り抜ける。触腕を巻きつかせろ!」
 石黒は大声で怒鳴った。
 七尾の横を通り過ぎる瞬間、七尾に腕を伸ばした。腕には引っかかってくれなかったが、七尾の触腕の一部が後部座席の窓ガラスを突き破った。そのまま触腕がうまく車体に絡みついた。伊世に取り込まれかけていた触腕は、七尾が一斉に体から切り離した。
 石黒はそのまま、クリーチャーとの戦闘で培った運転技術を駆使し、ガレージを脱出した。すでに新山たちは、ずいぶん先まで走ってしまっている。信頼してくれているのか、それとも冷徹なだけなのか。新山らしい判断だ。
 伊世を殺すことはできなかったが、七尾をどうにか救えたことで、言い知れない安堵が広がっていく。
 ルームミラーでちらりと見遣ると、見た目は完全に、触腕だらけのA型だったが、徐々に触腕が小さくなっていき、七尾の顔が見えた。
「こんな化物助けちゃって、どうするんですか、先輩……」
 七尾は呆然とした表情で、ルームミラーに映る石黒の目を見返してきた。
「お前も乗り込んできただろ」
「だって……だってぇ……」
 七尾の声が涙まじりになったのを感じた石黒は、ルームミラーから視線を外した。
「どんな外見でも、お前はお前だろ」
 それからしばらくは、黙って走った。メーターが異次元の速度を示しているので、最後尾にどうにか追いつきそうだ。
 そろそろ泣き止んだか、と思い、後ろを振り向くと、七尾が、一本のふにゃふにゃとした触手で、髪をくるくると巻いてもてあそんでいるところだった。
 石黒は声を漏らす寸前でどうにか堪えた。
 少し我慢したあと、やっぱり言わないと気が済まなくなった。
「おい、気持ち悪いからやめろそれ」
「あっひどい! 先輩! さっきの言葉は嘘だったんですか! 最低!」
「その体とすぐに馴染みすぎなんだよお前は!」
「だって、もうわたしの体ですもん! これからはどんどん使っていきますから!」
「だいたいお前、お前がその体になって、俺がどれだけ心配したと――」