four S ―叶わなかった平和―

14


 激しい射撃音が野外演習場のほうから聞こえる。
 丸腰の石黒は、遠巻きに野外演習場を眺めている隊員に話を聞いた。まだ十八歳の四級隊員・横沢は、石黒に声をかけられると直立不動になった。
 横沢が言うには、野外演習場の武器庫にクリーチャーが出現し、小西が戦っているという。
「戦ってるのは小西だけか?」
「いえ、他にも一級隊員が何名か……あ、七尾さんが最初に駆け付けているところに会いました。何かおかしな様子で、僕のアサルトライフルを無理矢理奪って慌てて武器庫へ……」
「スイが?」
 話の途中で、武器庫の入り口が大きな音とともに崩れ、土煙が上がった。中からオレンジ色のバトルスーツを着た隊員たちが飛び出してきた。
「お前らはいったん作戦室の守備へ回れ! ここは俺がどうにかする!」
 切迫した小西の声が響く。
 石黒は横沢に視線を遣った。
「俺は小西を手伝う。お前は他の一級隊員に従え。死ぬなよ」
「ご無事で、石黒さん!」
 横沢の言葉に頷き返した。
 小西の指示を受けた顔見知りの一級隊員たちが何人か走ってくるが、その中に七尾の姿がない。
 言い知れない不安を覚え、辺りを見回していると、一瞬だったが、確かにゴミ箱のほうから音がした。
 素早く近づき、ふたを開ける。
 七尾だったらこんなところに隠れていてもおかしくない……と思ったが、ゴミ箱の中から外を覗こうとしていたのは、新山だった。
 マスタードソースのべったりついた髪が揺れ、新山は慌てて手で頭を守った。
 ついさっき、勘違いで殺しかけた相手。
 どう声をかけるべきか迷っていると、新山が防御姿勢をほんの少しゆるめて、こちらを見た。
「人基か……」
 こちらを認識した途端、新山は防御姿勢を解いた。
 本当に無防備に、解いた。
 それを見ただけで、涙があふれた。伊世が死んだときにもこらえきったのに、ひとつ、こぼれてしまった。
「すみませんでした。本当に、すみませんでした」
 鼻声でみっともなく言うと、新山は笑った。
 いままでに見たこともない、打ち解けた顔で。
 そしてすぐに、笑みを消す。
「武器庫へ武器を調達しに行ったきり、スイが戻ってこない。様子を見てきて」
 新山の言葉に、鼻水をすすって、武器庫を振り仰ぐ。小西が、武器庫から運び出したらしい武器の数々を使い、攻撃を仕掛けている。アサルトライフルやグレネード弾、榴弾砲、特殊弾射出装置などを次々に使う。だが、そのクリーチャーは止まらない。人型に、蛇のような触腕《しょくわん》が無数にまとわりつき、それらが蠢く様子はA型そっくりだったが、戦い方がまるで違う。触腕を自在に動かして小西の攻撃を翻弄している。
 石黒は走りながら、その攻撃を観察した。小西が見た目からして危険度の高そうな対クリーチャー用の榴弾砲を構えれば、無数の触腕を地面につけてから目一杯伸ばしてかわし、上空といってもいいような高さから、別の鋭くとがらせた触腕を勢いよく伸ばして刺し殺そうとする。小西がそれを避けて防御に回れば、一斉に触腕を伸ばして小西を絡め取ろうとする。小西がアサルトライフルを拾って触腕に叩き込んでも、厚みを変えて盾のように使い、すべてを防ぎきってしまう。
 小西が、こちらに気付いた。手を挙げて、少し耐えてくれという意思表示をすると、小西が頷いた。
 開いていた大穴から武器庫に入り込んだ石黒が、七尾を探しつつそのまま奥に進むと、多量の血痕があった。人基は倒れた棚の影から、訓練用バトルスーツがあるはずの空間を覗き込んだ。そこには誰も居らず、引き裂かれた訓練用バトルスーツがいくつか転がっているだけだった。
 ……いったい、スイはどこに。
 ひとまず訓練用バトルスーツをすべて確かめてみる。ひとつだけ無事そうなものがあったので、服の上からそのまま着た。起動すると、体がしめつけられ、ぴったりと筋肉に吸い付いてきた。大丈夫だ。
 バトルスーツの力に頼り、榴弾を倉庫中からかきあつめ、榴弾砲二丁と榴弾八つを倉庫の正面入り口に並べた。先程クリーチャーが破壊した入り口からは、クリーチャーが無防備な背中を見せている。これほど絶好の配置はそうそうない。小西の頑張りのおかげだ。
 息を一つ吐いて、榴弾砲を右肩に担いだ。右目をスコープに合わせ、背中に向けて射出した。結果を見ずに榴弾を装填し、次弾を叩き込むためにスコープを覗く。ひとつめの榴弾砲は確実に当ったはずなのに、全くひるむ気配がない。
 舌打ちしてから、榴弾砲に次々に弾を装填して、次々に放つ。
 撃ち切ったところで、ようやくそのうちのひとつがきいて、甲高い、耳障りな悲鳴とともに、右半身が吹き飛んだ。
 そして左半身からの反撃がこちらに向かってきたその一瞬、薄くなった触腕のなかから、人の体のかたちが浮かび上がって見えた。
 触腕は背中を中心にぼこぼこと新しく生まれ、すぐに人の形は消えてしまった。
 あの研究室で見た気味の悪い生きものたち、そしてCH計画という言葉が、耳鳴りのように離れない。
 石黒は小西がもう一度注意を引き直してくれたので倉庫の中に引き返した。大型のバタフライナイフをナイフホルダーに差し、アサルトライフルを一丁、それに弾薬を抱えるだけ抱えて駆け戻る。
 クリーチャーの真後ろで、
「スイ!」
 と呼びかけた。
 何も反応はなかった。
 けれど石黒は、確信していた。
 伊世ならやる。伊世なら何でもやる。
 叔母への憎悪が、レナントに対するそれと同じくらいまでに、腹の中で膨れ上がる。
 この状態になってしまったら、助けられるのかどうか、それは伊世しか知らない。
 いくらやっても、もう無駄なのかもしれない。
 それならせめて……せめて、この優しい女が、仲間の誰かを殺す前に。
 石黒は背後の有利をあえて捨て、触腕攻撃を避けながら、小西のもとへ駆け寄った。
「小西! こいつはスイだ!」
 全く攻撃が聞いていないことに業を煮やし、ナイフで触腕を切り捨てようとしていた小西が、攻撃をやめ、寸前で避けた。
「はあ? 何言ってんすか!」
「CH計画っていうのがあって」
 小西と石黒は同時に逆方向に飛びのいた。触腕がぐしゃりと地面に当たり、コンクリートを叩き割った。
「それ、七尾さんが調べてたやつっす!」
 そうか。
 そのせいで。
 自分が独房でのうのうと過ごしている間に、目をつけられたのか。
「スイは、その実験台にされたんだ! 兵士が、武器庫に向かうスイを見てる! けど、スイはどこにもいない! 武器庫には致死量の血痕だけがあった!」
 耳元でがなりたてる射撃音に負けないように怒鳴る。
「待ってくださいよ! その推測じゃ根拠が薄すぎる!」
「CH計画は続いてた! 伊世が研究を続けてた! さっき、榴弾をぶち込んだ時に、人の姿が見えたし、背中に核みたいなものが見えたんだ! こいつはスイだ!」
「けど……けどっ! 七尾さんだとして、どうしろっていうんすか! 手加減なんてしたら、俺たちが先に殺されるっすよ!」
「触腕を全部引き抜く! 構造はA型の触腕と同じだ! 根元が少しでも残ってると再生する!」
「引き抜くったって……大根じゃねえんだから!」
 小西が悪態をつきながらも、七尾に向かって駆け出した。
 小西に飛びかかる触腕の数々を、アサルトライフルで撃ちぬいてそらす。
 やがて小西が無数にある触碗の一本に取りついた。
「らあああ!」
 小西が触腕を背負うように引っ張った。
 すると、触腕が一本丸々、ずるりと地面に落ちた。バトルスーツの力を存分に使って引っ張られたことで、身体への負担が大きくなり、自分から切り離したのだろう。
 小西が肩で息をしているので、そのあいだの攻撃をすべて石黒が引きつけた。
 武器庫の前までひきつけたところで、バトルスーツの力を借りて跳び、武器庫の壁面を蹴って屋根に乗り、ナイフを取り出しながら飛び降りる。そして触腕のひとつを根元から削ぎ落とした。
 触腕に足を掴まれたが、ナイフを逆手に持ち替えてそれも切り落とす。
 七尾の頭の上から、
「へばってんじゃねえ! やるぞ!」
 と小西に怒鳴る。小西が膝から手を離して顔を上げた。
「あー、もー! 特級隊員は人使い荒いんすよ!」
 言葉とは裏腹に、少しだけ、小西の顔に明るさが戻っている。
「お前も特級隊員だろ」
 石黒は触腕のひとつを捕まえて、持ちながら飛び降り、引き抜いた。

 特級隊員二人で七尾の身体を切り刻み続け、ついに、触腕の底が見えた。
 再生能力も弱まり、触腕を根元から切り落とさなくても、新たな触腕が生えてくることはなくなった。
 けれど人の姿がしっかり見えるくらいに現れて、しかもそれがまぎれもない七尾翠のものだったとき、二人は攻撃の手を休めてしまった。
 彼女はぼんやりと正面をみつめている。バトルスーツの腹の部分に大穴があき、そこに、クリーチャーを生み出す核が埋め込まれている。どう見ても、体から引き剥がせるようなしろものではなかった。完全に、同化してしまっている。
 石黒と小西は攻撃を再開し、無言で、触腕を切り落とし続けた。
 そして、触腕が最後の一本になったとき、小西がぽつりと呟いた。
「人基さん……俺、七尾さんを殺すのなんて嫌っすよ。だってこの人、馬鹿だけど……」
 最後の一本となった、弱々しい触腕が飛んできて、小西はそれを、身を引くだけで避けた。
「こんな目にあっていい人じゃない」
 その声はかすれていた。
 石黒は触腕の最後の一つを掴んで、それを手でたぐって歩いた。そして七尾の腹にある核から生えたその触腕を、根元から切り落とした。
「殺すわけないだろ。だって、こいつは」
 七尾の体から力が抜けた。石黒はその体を抱きとめた。
「俺の……」