中編

 まだ眠っている父と母をそのままに、あくびをしながら部屋を出た。
 もともと気乗りのしない盆休みの帰省が、今年はさらに気乗りがしなくなってきた。
 これまでは亜貴と一緒に遊んでいればいいやと思って、面倒なりに楽しんでいた。
 けれど今年はもう……。
 階段を下りる前に、何気なく亜貴の部屋を見た。ちょうど亜貴が、ドアを押し開けたところだった。目が合うと、慌てたように、ばたんとドアが閉まる。
 悪気はないのだろうけど、あまり、いい気はしなかった。
 一階では、広間に泊まっている祖父の弟一家が、七人そろって玄関に腰かけ、おにぎりを食べていた。
 捕まらないよう軽く挨拶をして居間に行く。掘りごたつ兼テーブルで、祖父の妹一家が八人、これもまたおにぎりを食べていた。
 起き抜けに十五人との挨拶。ちょっと頭痛がするのは僕だけだろうか。
 そこへ、縁側から祖父が入ってきた。
「よっこいしょと。誰か手が空いたら手伝ってくれ」
 暑くならないうちに野菜を取って来たらしく、縁側の真ん中に置かれたかごにはたくさんのインゲンやソラマメ、キヌサヤやトマト、ナスが入っている。
 僕は大皿に載ったおにぎりをひとつ取り、口に運びながら、ミニカーで遊ぶ隼人たちをまたぎ、縁側に行って祖父の隣に座った。
「何すればいい?」
「おお。食べ終わったら、ソラマメを剥くのと、キヌサヤの筋を取るのを手伝ってくれ」
 僕は頷き、縁側に座っておにぎりの二口目を口に入れた。すっぱい梅干しが種を抜かれた状態で入っていて、よだれがどっと出た。作業小屋に行っていた祖父が戻り、ここに入れてくれと言ってボウルを置き、また作業小屋に戻っていく。
 おにぎりを詰め込んでいると、どたどたと階段を駆け下りてくる音がした。
 居間からは階段が見えないけれど、縁側からは玄関が見える。大きな声で
「部活行ってくる!」
 という声とともに玄関の横開きの戸が開き、高校の制服姿の亜貴が飛び出してきた。
 なぜか言いにくさを覚えたけれど、どうにか
「行ってらっしゃい」
 とだけ声をかけた。
「ん。行ってきます」
 亜貴もどこか硬い声でそう返し、自転車が置いてあるガレージに向かった。
 自転車に乗って坂を下りていく亜貴の背中を見送りながら、僕はボウルを膝の上にのせて、キヌサヤの端っこを小さく折り、筋を抜いた。

 隼人や駿やみおんに促されての、格闘ゲーム対戦、かくれんぼ、鬼ごっこ、サッカー、キャッチボール、近くの小川でのザリガニ釣り。元気の有り余る子供たちの遊び付き合わされ、へとへとになって帰ってくると、まだ四時なのに、もう夜ご飯の支度が始まっていた。
 僕はぱんぱんになった足を引きずりながら縁側に腰かけた。
 テレビの音や大人たちの雑談の声が、網戸越しに聞こえてくる。木々を通り抜けた風が来て、気持ちがいい。
 後ろ手をついて少しずつみかん色になってきた空を見上げ、ぼんやりしていたら、
「口、開いてるよ」
 と声がした。
 口を閉じながら見ると、自転車を置いた亜貴が、こちらに歩いてくるところだった。
 制服が風になびき、制汗スプレーだろうか、うっすらと柑橘系の香りがした。
 亜貴がすぐ隣に座ったので、僕は気を利かせたつもりで、やや端に寄った。それが亜貴には少し、気に入らなかったらしい。
「なんで避けるの」
 小さな、だけれどとげとげしい声が返ってきた。
「別に、ちょっと動いただけ」
 つられてこちらの声も、少し、とげとげしいものになってしまった。
「そう」
 同じだ。
 きのう、遊んだ帰りと。
 僕はどうすればいいのか迷ったけれど、とりあえず、話題をそらすことにした。
「お盆休みも部活あるなんて大変だね。バレー、どうだった? きょう練習試合だったんでしょ?」
 亜貴はもものあたりに肘をついて、手のひらの上にあごを載せた。
「ぼろ負け。先輩たちが引退してから、ぼろぼろ」
「そっか……」
 僕はいよいよ何も言えなくなって、黙り込むしかなくなった。じっと足元を見る。
 壁のどこかにとまったセミが鳴き出そうとしてやめ、短い悲鳴を残して飛び立った。中途半端な鳴き声だけが耳に残った。
「テニスはどうなの? 少しは試合に出られるようになった?」
 今度は亜貴のほうが口を開いた。僕は亜貴に視線をやった。
「あ、うん。どうにか。このあいだの練習試合はニーゼロで勝ったよ」
「へええ。珍しい。相手が弱すぎたんじゃないの?」
 と、亜貴の口元がようやくゆるんだ。
「僕だってたまには勝つよ。背だって人並みに伸びたし、なんていうかこう」
 途中で立ち上がり、ラケットをもったように手を丸め、遠くに手を伸ばすようにして、降り抜いた。
「リーチが長くなって、今まで届かなかったボールに手が届くようになったんだよね」
 亜貴は体勢を崩して後ろ手をついた。
「いいな、そんなに背が伸びて。わたしももっと身長あればなあ。レギュラーの子たちはみんな大きくて、わたしなんか、子供みたい」
 亜貴がときどき零す愚痴だった。
 亜貴は特別に背が低いわけではないけど、バレーという競技をやるうえでは、もっと必要なんだろう。
「身長だけよこせ。他は要らない」
「全否定しないでよ」
 二人して少し笑う。
 僕が隣に戻ると、亜貴が足をばたつかせながら、
「でももう、高二かあ」
 とつぶやくように言った。
「高二だね」
 僕もつぶやきを返す。
 前までの距離感にようやく戻れた気がして、僕はほっとした。
 でも亜貴は、そうじゃなかった。
「いとこって、何なんだろうね」
 急に真面目な声をだした亜貴が、正面にあるガレージをじっと見つめながら言った。
 僕は右にある作業小屋のほうに目をそらしながら、
「どうって?」
 と訊ねた。
「家族でもない。他人でもない。なんだかそれって……」
「息苦しい」
 僕は亜貴の言いかけた言葉を、引き取った。
 昨日の夕方に感じたあの想いが勝手に、あふれ出す。
「どうせだったら、他人になれればいいのにね」
 だって他人なら、小さいころからきょうだい同然で育ったことを勝手に意識して息苦しい思いをする、なんてことは、しなくて済んだかもしれないから。もっと素直に気持ちを伝えられたかもしれないから。
 けれど亜貴には、僕の抱えている思いは正確に伝わらなかったようだった。
 何かを口に出しかけた様子の亜貴の方を見ると、亜貴はまた、困ったように笑った。
「そうだよね。いつまでもこんなふうにはしてられないよね。もう子供じゃないんだから。他人に、なっていかないとね」
「え? 何、言ってんの……」
 僕の疑問には答えず、亜貴は縁側から立ち上がった。
 玄関に回って、
「ただいまー」
 と明るい声で言った亜貴の声が、僕の中に重く沈んでいった。