自己報酬依存症

失踪




 由佳がいなくなってから三日が経つ。
 捜索願いは既に出し、警察も動いてくれているが、足取りはまだ掴めていない。警察によれば、八月二十八日午前十一時ごろ、静岡駅の監視カメラでトイレからバス乗り場へと向かう姿が確認されている。どうやらそこから消息が途絶えたようだ。
 由佳がいなくなった日から、俺は、蒸し暑いアパートの部屋で……由佳が出かけた時の状態を残したままの部屋で、じっと閉じこもって、警察からの連絡を待つだけの時間を過ごしていた。
 けれど警察の捜査には進展がなく、申請していた長期休暇の残りも少なくなってきた。
 一向に連絡が来ないことにしびれを切らして、日に何度も電話を掛けてみても、面倒そうな言葉が返ってくるばかり。とうとう今日、
「何か分かったらこちらから連絡しますので、もう掛けてこないでください。捜査に支障をきたします」
 と窘められてしまった。
 警察の捜査に任せていればいい、と周囲の人間には言われていたし、自分でも納得したつもりだった。
 けど、もう限界だ。せめて休暇が続く間は、自分なりに足取りを追いたい。
 さっそく立ち上がり、ちょうど自分の身長くらいの洋服ダンスに近づいて引き出しを開けた。
 数か月前に怪我を負った足は、まだ意のままに動くまでにはいかない。部屋に置いてある物の配置を変えないよう、部屋の隅っこでゆっくりと時間をかけて洋服を着替える。こうして着替えていると、二十八日の朝も着替えを手伝ってくれた由佳の、優しい笑顔を思い出してしまう。目頭が熱くなり、ぐっと歯を食いしばった。
 ……手がかりはないわけじゃない。
 このところ、由佳は様々な自己啓発セミナーに顔を出していた。胡散臭いセミナーも相当数、紛れていて、やめろと言おうとしたことはあった。なぜ言わなかったか。通い始める以前の姿が見ていられなかったからだ。会社も辞め、日に日に頬がこけていくのに表面だけは気丈に振る舞って、努めていつも通りの表情を見せていた由佳。そんな状態に戻ってくれとは、とても言えなかった。
 最初は、耐え切れなくなって出て行ってしまったんだ、と思った。けれど警察の捜査では、由佳の友人たちにも何の連絡も入っていないとのことで、その線はいま、否定されている。落ち着いてよくよく所持品を確かめれば、預金通帳など、生きていく為の必需品も置かれたままだった。
 残った線は、自殺か、事件に巻き込まれたか、そのどちらか。
 おそらく警察は、自殺だと仮定して調べている。自殺の線が濃すぎるせいで、切羽詰まっているとはいえない対応に繋がっているのだろう。
 だから俺は、事件に巻き込まれたと仮定して、調べる。由佳が参加した自己啓発セミナーを突き止められれば、糸口がつかめるかもしれない。
 考えながら手を動かして、ようやく着替え終わった。黒のTシャツに青のジーンズ。足に少しでも負担を懸けないように、鞄はリュックサックにした。蒸し暑い夏場用の簡素な支度を終え、近くのタクシー会社に電話を掛けた。十分ほどで来てくれるらしい。
 玄関に向かいかけ、もう一度、部屋を見渡す。
 テレビにソファにタンスにギターに本棚。隙間にはぽつりぽつりと写真立てが置いてある。御殿場で撮った富士山の写真、東京へ遊びに行く途中のパーキングエリアで撮った写真、伊豆へ行った時の写真は……さすがに置いていない。
 少し考えて、テレビ台の引き出しに写真を取りに戻った。しまってある写真の中で、笑顔ではなく、なるべく落ち着いた表情の写真を探した。人に由佳のことを尋ねるときに使うためだ。
 表情の入ったものが多すぎて、なかなかいいものが見つからない。一つ一つ手に取り、見入って思い出に浸りそうになるのを堪えて、どうにか無表情に近いものを探り当てた。それは、珍しく仕事の残りを家に持ち込んできたとき、俺が勝手に撮っていた写真だった。
 あの時は確か、と連想を始めかけ、軽くため息を吐いて立ち上がった。
 
 タクシーで二十分ほど揺られると、静岡駅が見えてきた。のっぺりとした白色の建物の前に広がるロータリーは、人待ちで固まっているタクシーやら、その隙間を縫って発着場に車体を滑り込ませるバスやらが群がり、それなりの賑わいを見せている。ただ車の数の割に、人通りは少なめだ。平日の中途半端な時間だからだろう。いざとなったら片っ端から写真を見せて聞こうと思ったが、これではあまり期待できそうにない。
 北口に近い場所へ横付けしてくれた運転手に礼を言ってお金を払った。足を庇いながらもたもたと降りる。
 俺はまず、監視カメラを探した。由佳の姿が最後に確認された、静岡駅北口の監視カメラ。
 映像は、本人かどうかの確認のため、由佳の両親らとともに見せてもらっていた。角度を思い出しながら、歩く。
 それらしき場所に辿り着いたあとは、そこからまっすぐ歩いて、また外に出た。静岡駅では北口にバスの発着場が集中している。南口はたった二つなのに対して、降車専用も含めると一番から十八番までが北口だ。
 このバス乗り場のどこかから、由佳は消えた。
 
 家にいる間に、由佳の残していったバスの時刻表で、静岡駅に発着するすべてのバスを調べておいた。気が遠くなりそうだったが、平日の午前十一時前後に発車するバス、という条件で絞り込むと、さほど数は多くなかった。けれどそこでふと思いついた。警察が、たったこれだけのバスの中から、三日経っても行き先が割り出せないということはあるだろうか。普通のバスに対してなら、聞き込みや捜査の手は既に及んでいるだろう。普通のバスに対してなら。
 九番ポール、八番ポールと通り過ぎ、バスの案内所に向かう。
 自動ドアを抜けると、正面にすぐ、立って話す対面方式の受付があった。受付の上の、天井がやや迫り出す形になった壁には、運賃表や高速バスの発着時刻が掲示されている。俺はすぐに、受付の女に近づいて話しかけた。
「お聞きしたいことがあるんですが」
「はい」
 女は愛想よく、営業用の笑顔を浮かべた。
「過去にバスが発着した履歴って、保存してありますか?」
 女の笑みが、途端に固まる。
「と、いうのは……」
「えっと……このバスターミナル、どんな業者でも出入りが許可されているわけでは、ないですよね?」
「は、はあ。それは、そうです」
「具体的にお尋ねしますね。八月二十八日に静岡駅が許可した運行計画で、当日に限って運行したバスは、ありましたか?」
「運行計画については、安全対策上、お答えいたしかねます。それに、私どもは運行計画の許可を扱っておりません。担当部署は別にあります」
 なぜだか少し怯えたような口ぶりの彼女は、その部分だけは、きっぱりと答えた。
 言葉の意味をしっかりと考えて、反論する。
「運行計画を許可するのは別の部署でも、バスの案内所に当日の運行予定を教えないってことはないでしょう。それに、過去の運行計画ですよ。安全が脅かされる可能性はないはずです」
「申し訳ありません。教えることはできません」
「なんとか見せてくれませんか」
「申し訳ありません。教えることはできません」
 このまま押し通すつもりだ。
 なるべくなら、名乗りたくはなかったが……。
「人を、探してるんです。三日前に静岡駅で行方不明になった女性です。警察もここへは事情を聴きに来たはずですから、知っていますよね」
「それは……はい、おそらくは」
「俺はその夫です」
 自然と、声が小さくなる。由佳がいなくなった今、あまり口はしたくはない単語だった。
 リュックサックから、写真と、運転免許証を取り出して見せる。名字は由佳と同じだ。
「駅のほうに電話して、対応に当たってくれた佐伯さんという方に確認に来てもらっても構いません。とにかく、情報をください。もう既に警察が突き止めているなら、そう言ってください。そうすれば帰りますから」
「できません」
 俺は驚いて、まじまじと彼女の顔を見つめてしまった。ここまで言ったのに、どうして……。
 それから我に返り、受付のほうへ身を乗り出した。
「二十八日の運行計画を見せてくれるだけでいいんです! お願いします!」
「できません」
 俺は思わず、右の拳で受付の机をたたいた。
「どうしてですか!」
「……警備を呼びますよ」
 女性の手が、机の下に伸びていた。声にも、震えがある。
 自分でも気づかないうちに、相手を脅すような剣幕になっていたのだろう。俺は、机に振り下ろした手を戻し、受付に背を向けた。
 所詮、一般人に出来るのはこの程度ということだ。なるべく他の利用者と顔を合わさないように下を向き、足早にバス案内所を出た。
 未練がましく、受付のほうを振り返る。ガラス戸越しに見えた先ほどの女性は、業務へと戻り、どこかへ電話をかけているようだった。
 このまま帰っても何の意味もない。効果は望めなくても、北口付近で人を捕まえて聞いてみようか……。足を軽く引きずりつつ、また九番ポール八番ポールを横切り、北口へと戻る。

 写真を用意して周りを見回すと、唐突に、メールの受信を知らせる音が、リュックサックの中から聞こえた。
 携帯端末を取り出して確認する。送信者は、無料アカウントの適当な捨てアドレスのようだった。そのまま削除しかけ、件名に目を奪われた。件名は『二十八日の運行情報。他言無用』となっていた。
『当日に限って運行された臨時バスはひとつ。静岡県民厚生ホール行き。申請者はNPO法人・全国救心会。様々な方面から圧力をかけられている。調査には注意を』
 すぐにメール画面を消して、インターネットに繋いだ。全国救心会、と検索すると、公式ホームページらしきものが見つかった。
 そのページの上部には赤字で『全国各地で講演会開催中』と書いてあった。その下に記載された表には、各都市の市民会館のような名前がずらりと並んでいる。だが大都市は皆無で、ほとんどは地方の、それもあまり名前を聞かない市や町が多かった。
 そのはずなのに、開催会場名と日付の横には、決まり文句のように、満員御礼と添えられていた。由佳がいなくなった日、八月二十八日には、静岡県民厚生ホールとなっていて、そこでも満員御礼。開催したばかりで修正するのを忘れていたのか、開催要項のPDFファイルにはまだリンクが張ったままになっていた。
 
 全国救心会、か。
 
 
   *
 
 
 籠の中の鳥。ケージの中のラット。実験装置の中の人間。違いはどこにあるのだろうか。
 実験装置が両脇にずらりと並んでいるだけの簡素な部屋。ドラム式洗濯機を限界まで大きくしたようなフォルムの実験装置は、緑がかった半透明のガラスで覆われているだけ。覗こうと思えば中を覗ける。しかしそんなことをしても何の意味も、面白味もない。彼らはただ、これから先もずっと、同じことを繰り返していくだけなのだから。
 私はただ、指示された通り、侵入者が潜んでいないか、部屋を見回っていればいい。言ってしまえば、それすらも無意味だ。侵入者があれば施設中に張り巡らされた監視装置が静かに作動し、侵入者をおもてなしするように通告してくる。侵入者との戦いで、負傷者はほとんど出ない。
 危険が多いのは、むしろ日常生活のほうだ。私も含めて男だけしかいないこの職場には、時々被験体に手を出しかけたり、連れ出そうとしたりする人間が出る。閉じた空間で世話をしているうちに感情移入してしまうのだ。手を出せば殺される、と分かっていながらふらふらと、毎月のように誰かが吸い寄せられる。現実の女とは違い、物言わぬ被験体たち。彼女らは無防備で、理想的な"お人形"で、組しやすい相手に映るのだろう。
 この間、かつて私をこの職場に推薦した同僚――今は上司となった人間に尋ねられたことがある。どうしてお前は手を出さずにいられるのか、と。
 私は答えた。君は知っているはずだろう、と。

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