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 今の店で使っているものよりも美味しいコーヒー豆を探して、焙煎店巡りをしてきた帰りに、コンビニへ寄った。免許だけしか持っていないため、車はコルネリエのものを借りている。コンビニに入る際には、出てくる男とすれ違い、何もしていないのに舌打ちして睨まれた。ヴェルナーも睨み返しそうになったが、自分のいる場所を思い出して堪えた。ここは自治区の外だ。
 そう思うと、些細なことは気にならなくなる。いらっしゃいませと言ったレジ打ちの店員が目を合わせないのも、普通の反応と言えばそうだ。ROTが怖いから、目を合わせないわけではない。目を合わせたくもないのだ。特殊な外見的要因のおかげですぐに見分けがついて相手の対応も変わりやすい。
 机上にばらまかれたレシートと釣り銭を集め、意識的に自尊心を麻痺させて遅めの昼食を購入し終えたあと、車内に戻った。ドアを閉めると、ルームミラーにぶら下がっているぬいぐるみが揺れた。コルネリエの幼い趣味に対して小さく笑みを洩らし、冷やし中華の容器を開ける。

 借りていた車を店の裏手に戻し、サンプルとしていくつか買ってきたコーヒー豆の入った袋を抱えて、裏の引き戸から入った。コルネリエに今日の成果を渡して、ついでに店を少し見回すと、目が合ったサラから呼び止められた。
「今日、仕事、休み? 神代くんがいる」
 カウンター席に来たサラが一瞥した方向には、高校生アルバイトの神代(くましろ)がいた。彼には週に一、二回、ヴェルナーの休暇や、ヴェルナーだけでは手の回らない時にシフトを入れてもらっている。今は夏休みで、平日の日中である今日も頼むことができていた。
 現在のROTには、モンゴル高原周辺の起源による外見的差異の少なさを利点に日本に溶け込もうと努力する人々がいて、それらの中には子供に日本名をつける人もいるが、神代はそれには当てはまらない。ROT自治区に住んでいる数少ない日本人の一人だ。
「新しいコーヒー豆、探しに行ってた」
「少し、付き合ってくれない?」
「何に?」
「暇そうな時を見計らって一緒に事件現場を見に行ってほしいって、おじいさんが言ってたから。誘いに来た」
「それ、見計らってるって言わないから。口に出してる」
「出来たらついてきて」
「ああ、まあ、どうせ帰って昼寝するつもりだったし、いいけど……」
 ロルフが何を考えているのかは分からないが、わざわざ忠告してくれた先日の事を思い出す。彼の顔を立てようと、頷いた。ロルフやサラやメディアを介して聞いた情報だと、どうも他人事に聞こえてしまう自分がいることも確かで、危機感を持つには良い機会だとも思えた。
 だが現場に着いてすぐ、安易な気持ちで足を運んだ自分に嫌気が差した。黒ずみ焼け焦げた灰塵を砕きながら、近くに横付けされたトラックの荷台へ、家の残骸を移す重機。その作業が終わるのを、トラックの運転手は座席で眠りながら待っている。複数の人間が生きたまま焼かれた気配は微塵も残されていない。ロルフが言ったようにこれが他殺なら、犯人はさぞ心地よい達成感を抱いていることだろう。
 現場は住宅街の一角だったが、庭が広く、四方の家とは家屋が離れていて延焼はなかったようだ。そして離れているからこそ、異常も伝わりにくく、最悪の結果になってしまったのだろう。
「三日前が、ヴェルナーに伝えた七人。そして一昨日が五人、昨日も八人。これだけ死者が続いてるっていうのに、警察は横の連携を取ろうとしていないから関連性に気付かない」
 サラがいつもの呟くような口調のまま、重機の作業音に負けないように声量を上げている。
「最初に殺されたのは、過激な排他主義者。彼の妻と子供三人も、深夜の出火で全員逃げ遅れた……ということになってる。他の犠牲者も似た扱い」
「事故じゃなかったのか?」
「証拠がほとんど残っていない。過激派の案件に人手を割きたくない。殺人事件とした場合、色々不都合になる人間がいるみたい」
「待てよ。過激派っていったって、単にROTの排他主義の伝統を守ろうとしている人たちの事だろ? 別にテロや他宗教への攻撃を行ってるわけじゃない」
「そう。そのはずなのに、過激派という名前をつけて煙たがっている連中がいる。ROTがROTであることを自覚し、少しでも自治区内でのナショナリズムが高まりをみせると困る連中が」
「殺したのもその連中?」
「殺した相手はわからない。けどその可能性はある」
 元々過激派というのは、過激派という言葉に脊髄反射的な嫌悪感を見せる民衆感情を利用し、ROTの伝統を消したがっている連中が勝手につけた名前だった。
「つまり、ここの家族は、排他主義者ってだけで殺された可能性がある」
「そういうこと」
 サラは、それからずっと、黒炭を掻き回す重機の先端を睥睨していた。

 現場を後にして、サラが自宅から呼んだ車で、リースまで送って貰った。白く角ばったデザインの車から降り、サイドミラーに向かって手を挙げてから、踵を返した。まだ日は沈み切っていない。白背景に黒で『閉』とだけ書かれた看板がかかったドアノブを回す。ドアが開くと、アルバイトの神代が店内から姿を見せてぶつかりそうになった。
「あれ? ヴェルナーさん。今日は休みじゃないんですか?」
 お互いが咄嗟に踏ん張って、ぶつかることはなかった。ドアの端を掴んで開けたまま、脇に避けて神代の通り道を作る。
「コーヒーのことで相談があって」
 ヴェルナーの作ったスペースを通りながら原付のキーを取り出した神代が、振り返った。
「避けさせてスイマセン。お疲れっす」
「お疲れ」
 店内に入り、後ろ手にドアを閉めた。
 コルネリエは箒で床を掃いていて、ヴェルナーに気付くと動きを止めた。
「家に帰ったんじゃなかったの?」
 不思議そうに訊いてきたコルネリエの、近くの席に、腰を下ろした。
「さっき、サラに連れられて火災の事件現場を見てきました」
 コルネリエは箒を持ったまま近寄ってきて、見下ろすようにしてヴェルナーに目を合わせた。
「あの話、やっぱり本当だった?」
 コルネリエには既に、ロルフの家を訪問したあと、聞いた話の内容を伝えていた。
「本当かどうかは判断できませんが、警察が疑っていた様子は全くないですね。既に家屋の解体作業が始まっていたので」
「そうね。少しでも疑っているなら、そんなに早く解体作業を進めたりはしないかも」
「で、わざわざ戻ってきた理由なんですけど。俺、犯罪被害か何かの専門家に相談してみたいんですよ。サラの話だと、標的になっているのは排他主義者らしいんです。もし本当にこれからも事件が続いていくなら、何か起きたりする前に、合法手段で疑惑を公にして、相手を動きにくくしたいんです。じいさんに言えば簡単に知り合いを紹介してくれるかもしれないけど、あの人は排他主義者のこともあんまりよく思ってないみたいで、いまいち信用し切れなくて。コルネリエの知り合いに、誰かいませんか?」
「知り合い、ねぇ……。ROTの世迷言に付き合ってくれるお人好しなんて、そうはいないと思うよ。今の時点では、じいさんの頼りない情報以外に何も根拠がないわけだしさ。それに、どうしてヴェルナーが、そんな事件に首を突っ込まないとならないの?」
 先程からコルネリエは鎖骨の辺りにかかった茶髪の先端を指でつまみ、口元へ持っていっていじっていた。アイロンを使って巻いた髪の毛先を、更に丸めている。
「それは」
 浮かんだのは、サラの顔。しかし明瞭な言葉にはできず、詰まった。それを見て、コルネリエは軽く首を曲げた。
「一人、いるよ。お人好しが」
「いるんですか?」
「覚えてない? 私があの男と裁判で争った時の担当弁護士。美晴ちゃん」
「美晴さんか!」
 思わず大きな声が出る。盲点だった。
「美晴ちゃんならこういう問題は専門なはず。ちょっと待ってて、連絡とってみる」
 箒をヴェルナーに押し付けたコルネリエが、調理場の奥にある階段から二階へ上っていった。
 コルネリエの対人恐怖に一区切りをつけてくれた人が相談に乗ってくれるならば、自分たちだけでは考え付きもしない突破口が見出せるはずだ。ヴェルナーは箒を握りしめた。
 サラのために……何が、してやれるだろうか。



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