27 ◆

 ヴェルナーは、絵里、コルネリエとともにロルフ邸に辿り着き、ロルフと面会した。そこでロルフの部下より、現状の厳しさを改めて説明された。
 東京湾で拿捕された密輸タンカーは、排他の所属と名乗り、爆薬を輸送していたと、訊かれてもいないのに答えたそうだ。テロの首謀者は排他主義者の幹部の一人ということになり、日本政府は、ROT自治区に対し、厳重な経済制裁を科すことにした。封鎖は横暴すぎるとバッシングしていた新聞の社説も論調を急転回させ、ROT自治区への物資支援に動こうとしていた世界各国の政府や国連、NGOは一斉にその動きを止め、日本政府の判断に委ねる構えを見せているらしい。
「日系企業のオフィスで被害にあった人々の遺族――ROTがやったと思い込んでいる、本当に家族を喪ってしまった被害者たちは、インタビューでROTを糾弾した。その様子は世界各地にも流れた。また、オフィスビル群の中には"偶然"メルヒオル・グレーナーを頂点とする多国籍企業、IPUG傘下の中堅企業がオフィスを構えていて、その社員の中で予め設定された"生き残り"は、かねてからの打ち合わせ通りであろう、証言を発した。数日前、配管工事と偽って怪しい人間がうろついていた、もしかしたらあれが排他主義者だったのかもしれない、と。もはやROTはどこにも助けを求められない。自衛隊も、警察も、マスコミも、企業も、今や全てがROT叩きに余念がない。封鎖線の目の前で、敵実行部隊に撃たれ、死んでいく民間人を見ても何もしない。野蛮な連中だと蔑んでいる」
 ロルフの部下は、淡々と事実を並べていき、そして最後に、サラが彼女の護衛とともに、敵陣内に取り残されていることも話した。彼女はある重要な人物を護送していたが、乗っていたバンが狙われ、急襲を受けているということだった。既に部下が救出に向かっているが、その場所は敵の支配下にあるため、敵を押し返すには今一歩、ということらしい。
「アニ、貴様も単独で救援に向かえ。人数が多いほど救出の可能性は高まる」
 部下の説明が終わると、ロルフは高圧的な口調で言い放った。サラや自分に対しては決して向けない鋭い眼光だ。
「何で私があいつの」
「向かえ!」
 それまで不遜な態度を崩さなかった絵里の顔から、余裕が消えた。口元が、震えだした。明らかに、ロルフの怒声がきっかけのように思えた。
 絵里が口を開かないので、ヴェルナーが代わりに答えた。
「絵里だけを行かせるつもりなら、俺もついて行きます」
「私も、行く」
 ヴェルナーとコルネリエの言葉に、ロルフは首を傾げた。
「アニのことを心配しているのなら、杞憂に過ぎない。この女は人を殺すことと、保身に関しては、サラよりも長けているからな。会議に参加していた面々は敵兵を道連れにして全滅したというのに、こうしてむざむざと生き恥をさらしているのがその証拠だ」
「孫に対する言い方ですか、それが!」
 ヴェルナーは思わず、声を荒げた。使用物扱いされていることを自認するほどに絵里を追い込んだのは、ロルフだ。サラの高校生活を奪ったのも。
「熱くなるな、リース家当主。君も百年前の再現はしたくないだろう。戦争に参加した当主が死亡するという悲劇の再現は」
「それとこれとは話が別です。あの虐殺行軍の最中に絵里一人が赴き、生きて帰ってくる、ましてや正気で帰ってくることができるとお思いですか」
 三年前に自らがしていたことを気に病んでいた絵里、一度目の虐殺を受けて見たこともない形相でパニックに陥っていた絵里、二度目の虐殺を目の当たりにして眉間に皺が寄るほど強く目を閉じていた絵里。日常生活では何事に対しても平然としているから忘れがちだが、絵里だって、普通の人間だ。
「さあ、どうかな。私は護送対象が無事に帰還すれば孫たちがどうなろうと構わない」
「そんな人間の命令は聞けません」
「生意気を言うようになったな」
 前に酒を酌み交わしたときの笑みはどこにもなく、ただただ見下すような視線に、目を逸らしたくなった。
「軍人崩れに素人が対抗するには、銃しかない。人を殺す覚悟もない人間は、お引き取り願いたいが」
「殺せます。奴らがROTを全滅させるつもりなら、大人しく死んでやる義理はありません」
「君の曾祖母の姉。百年前を生きた彼女には、稀有な軍事的才能があった。それでも死んだ。君は、人がどんなに簡単に死ぬものか、本当に理解しているのか」
「虐殺の現場を見ました。覚悟はそのとき、固めたつもりです」
 ロルフは何が可笑しいのか、微笑を浮かべた。
「……そうか。ならばその覚悟とやらを見せてもらおう。安島と森を呼べ。同道させろ」
「ですが彼らは生還したばかり……」
「これ以上ここの守備からは割けない。だが、護送対象を喪っては、ROT自治区は終わる」
「は、了解しました」
 後半を部下に向けての命令としたロルフは、もう一度、こちらに目を合わせてきた。
「失望させるなよ」
 薄ら寒い、赤。
 今度はしばらく目が逸らせなくなったが、間近で聞こえた舌打ちに、意識を引き戻された。
「こんな連中、連れていくだけ無駄なんじゃないですかぁ?」
「市街戦なら、的は多い方がいい。一人あたりの生存確率が上がる」
「あ、それもそっすね。さすが隊長」
 隊長と呼ばれた男と、隊長と呼んだ男は、どちらも自警団の制服を、返り血でべったりと汚していた。
「その血、どうしたんですか?」
 コルネリエが、訊いた。
「あ? 知るか、ボケ女。次俺らに気安く口利いたら殺すぞ」
「無事ですよ。ご心配どうも」
「優しいですねぇ隊長は」
「森、敵はこの方たちではない。履き違えるな」
「ま、隊長がそう言うなら」
 森と呼ばれた男は靴の爪先を床に何度かぶつけてから、居間の出口に向かった。
「あなた方の銃はこれです。弾倉も二本ずつ」
 ロルフの呼び方からすると安島が、大きめの拳銃を、こちらに向かって差し出した。椅子から立ち上がり、受け取る。弾倉は、一本ずつ両ポケットに入れた。コルネリエも、同じように銃を受け取った。絵里に借りていた銃は、彼女に返していた。
「貴様はこれだ」
 ロルフが、部下を介して絵里に武器を渡した。本物の軍隊が使っていそうな、大きな自動小銃だった。
「ヴェルナー。昔話をなぞるとしたら、まず死ぬのはコルネリエだ。繰り返したくないなら、護ってみせろ」
 初対面の森にボケ女呼ばわりされて不機嫌なコルネリエは、背負っていたバックパックを、ロルフに向かって投げつけた。部下が間に割って入り、受け止めた。
「昔話昔話うるさい。自分の身くらい自分で守るよ、クソジジイ」


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