一九一八年七月二十四日
ROT殲滅戦《順調に推移》

 第六騎兵師団の駐屯地に、第十一歩兵師団の生存兵が続々と収容されていく。この間にドイツ軍も、追撃で伸びた前線を立て直し、進軍を再開しているだろう。
 重傷の兵士が死にゆく様を看取った後、ティナは、第六騎兵師団の兵舎内にある、指揮詰所に向かった。向かう途中で目にしたのは、土埃も付いていない、綺麗な軍服姿の面々だった。歩兵師団と連動して動き始め、今頃は速戦で別地域を叩いているはずの騎兵師団が、全くの無傷、戦闘に参加すらもしていなかったことに、ティナは愕然とした。
 ティナはヴェルナーを兵舎の入口の柱に手綱で繋ぎ、第六騎兵師団の指揮詰所に急いだ。警衛の兵士の制止を振り切り部屋に入ると、真っ先に第六騎兵師団の師団長に詰め寄った。さすがに胸ぐらを掴むことはしなかったが、師団長が顔を背けるほど間近で理由を問い質した。
「リ、リース中佐。落ち着いてくれ」
「落ちついていますよ、私は。冷静です」
「違うんだ。我々も好きでこんなことをしたわけではない」
「何が違うんですか?」
「我々の戦時の所属は第四方面軍だ。分かってくれ」
 ティナはすぐさま、得心した。戦前には、ティナを部屋に入れることすら拒んでくれたあのお偉いさんだ。第四方面軍を総合統括する陸戦司令官を、師団長レベルが部下の前で悪し様には言えない。
「そういうことですか。申し訳ありません、詰め寄ったりして」
「我々も密かに、第一大隊を救援に送り込んだんだが……。戦場で会わなかったか?」
 横から、副師団長が歩み出てティナに言った。師団長も副師団長も、戦時の連携を確認する会議で顔を合わせたことがある。
「いえ、騎兵の姿は一度も見ませんでした」
「そうか……。無線で連絡できればよかったんだがな。あいにく、第四方面軍で使用される無線は、陸戦司令官にモニターされている。恐らく彼らは、敗残兵に混ざって帰ってくるだろう」
 ティナは一歩下がり、可能な限り深く腰を曲げた。
「大変な失礼を! 命令を無視してまで、救援を送って下さったとはつゆ知らず……。無礼をお許しください」
「顔を上げてくれ。結局、救援という目的が果たされなかった事実に変わりはないからな」
 言われた通りにすると、副師団長は眉根を寄せて考え込んでいた。
「なぜ、陸戦司令官は十一歩兵と我々を切り離して行動させたのだろう。そこが疑問だ。騎兵師団と歩兵師団が連携して初めて真価を発揮するというのに。何か他に狙いがあるのか……?」
「狙いも何もないだろう。私に命令した時の言い方では、陸戦司令官は、十一歩兵だけで充分対応可能だと見ているようだったぞ」
「なっ……」
 師団長の言葉に、副師団長は表情を凍りつかせた。ティナも、溜息を吐いて目を閉じた。激しい怒りを通り越し、呆れるしかなかった。
「私が、陸戦司令官に直接会って、真意を質してきます。お二人は、十一歩兵の生存兵との混合部隊の編成をお願いします」
「分かった。陸戦司令官は五騎の指揮詰所に居るはずだ」
 副師団長の声を背に、ティナは走って兵舎の入口に戻り、ヴェルナーに取り付いた。疲れの溜まっているであろうヴェルナーを無理に走らせるのは嫌だったが、そうも言っていられない。
 第五騎兵師団と第六騎兵師団の駐屯地は近い。十分ほどヴェルナーを走らせれば、すぐに兵舎を見つけることが出来た。飾り気のない白いコンクリートに覆われたその外観は、第六騎兵師団の兵舎とほとんど変わらないが、ヴェルナーを縛り付けるような場所がなかった。仕方なく厩舎を探す。暇そうに空を見上げていた厩舎の管理者に所属を明かし、ヴェルナーの手綱を渡した。背嚢から頭部用のプレートアーマーを出したティナは、ヴェルナーの入れられた場所のすぐ近くに置いた。今後は移動の際もつけておきたい。
 走りざまに視界に入る第五騎兵師団の兵士は、血と泥にまみれた軍服や、煤だらけであろう自分の顔を見て、目を丸くしている。五騎もまだ出動していないのか。
 通りすがりの一人に指揮詰所の場所を聞き、息を切らしながら廊下を突っ切る。
「陸戦司令官はここに?」
 指揮詰所の扉の前に立つ警衛二人に、それぞれ目を合わせる。
「何事ですか?」
「貴方達にはどうでもいいことでしょう! ここにいるんですね?」
 ティナは立ちはだかろうとする警衛をすり抜け、扉を押し開けた。
「何だ。騒々しい」
 足をもつれさせながら入った部屋には、何故か、最奥の執務机に腰を下ろす陸戦司令官のみがいた。
「第十一歩兵師団、副師団長、ティナ・リース」
 息を整えるついでに名乗った。
「七光りの小娘か」
 陸戦司令官は、そう言って立ち上がった。この程度の侮辱で頭に血がのぼるほど、丁重に扱われてきてはいない。黙ってその赤い眼を見つめ返すと、陸戦司令官は少しずつ、こちらへ近づいてきた。軍服の左肩周辺には数々の勲章が輝いている。
「親の威光で出世した低俗な輩には、お似合いの格好だな。そんな汚らしいなりをして、何用だ」
「なぜ、十一師団のみを前線へ行かせたんですか」
 低い笑い声が、部屋に響く。
「軍人が戦場へ赴くことに何故も何もない。十一歩兵のみで十分対応可能と踏んだから、送り出したのだ」
「今回の戦いで、十一歩兵師団の二分の一。二千人以上が戦死。師団長、第二連隊長、第三連隊長も戦死しました」
「わざわざ報告せずとも知っている。命令を無視して救援に向かった、六騎の第一大隊のクズどものこともな」
「なぜ対応可能だと思われたんですか? ドイツ軍の技術力について、我が師団の師団長が、開戦前に注意を向けるよう上奏したはずですが」
「図に乗るな! 私に意見することのできる立場かどうか、よく考えてから発言することだ」
「ちぐはぐな展開のせいで、私の部下が二千人も死んだんですよ!」
 そう言って、ふと、思いついたことがあった。第三連隊の不可解な独断専行。
「第三連隊は? 第三連隊の独断も、あなたの指示ですか?」
「そうだ。もたもたやっていないでさっさとワロー村を奪還しろとな。奴は第三連隊長に降格させられた時、私に泣きついてきたんだよ。指示通りに動けば、また戻してやると約束した」
「よくもそんな馬鹿げたことを」
 思わず睨みつけてしまい、歯を食いしばる間もなく、頬に拳骨が飛んできた。一撃をくらってよろけた体勢のまま、歯が折れていないか手で触って確認した。折れてはいない。
「無知蒙昧な下等種族にすら劣る指揮官が何を偉そうにほざく! 貴様らが安穏と穴掘りをしている間に市民の被害が増えたのはどう申し開きするつもりだ!」
「しかし! 我が師団の試算では二週間補給線を維持すれば」
「黙れ! 軍は市民の血税をもって成り立っておるのだ! 何よりも優先すべきは市民の安全だ!」
 まさかここで、この指揮官の口から正論が飛び出すとは思ってもみなかったティナは、ひるんだ。
「ですが、野戦では到底敵う要素がなく……」
「その弱気な姿勢。貴様が無能な指揮官たる何よりの証左だな。自分がただの小娘だということをいい加減に知れ」
「これは、客観的な……」
「客観的! 自分の能力すら客観視できぬ女が、笑わせる」
「聞いてください」
「急に殊勝な顔つきになったな。最後は泣き落としか?」
 ティナは舌戦での敗北を悟り、矛の役割を果たしていた言葉を吐くことをやめた。
「ようやく静かになったか。いくら無能でも中佐は中佐だ。貴様には次戦にも参加してもらうぞ」
「次戦、ですか」
「そうだ。今回の戦闘で失陥したテナン川以北を奪還する。既に第五騎兵師団長らには、別室で作戦の立案をさせている」
「第十一歩兵師団はテナン川以北の戦況は承知しておりません」
「第三騎兵師団が守備していた場所だ。私が直々に指示を飛ばしたというのに将官が不甲斐なかった」
 当然だ。塹壕設置を穴掘りなどと揶揄し、精神論偏重の騎馬野戦を挑んで勝てる相手ではない。精神は立派。だが指揮は無能。軍にとって一番厄介な人物が、自分の新たな上官。上官には恵まれてきたという認識を、いよいよ撤回しなければならなくなったようだ。
「テナン川付近はロッテンゲンの郊外も含んだ、防衛上の要衝。第四方面軍の総力を結集して奪還しなければならない」
「はい」
「作戦は単純だ。第一陣の騎兵部隊が敵を引き付ける囮になり、その間に上流に配置した部隊が川の水をせき止める水門を閉め、水の勢いを削いだのちに第二陣が渡河を決行、騎馬突撃で敵軍を蹂躙する」
 どんな言葉が来ても素直に従おう、自分は上官に、彼の犯した致命的なミスを自覚させることが出来なかったのだから。そう思って身構えていたティナは、予想の上を行く答えに絶句した。
 第一陣は確実に無駄死にする。元々兵力で劣るこちらが、川向こうで手ぐすね引いて待ち構えるドイツ軍にむやみやたらと突っ込んで行っても無駄だ。囮を犠牲にして水門を閉めたとしても、そのおかげで、敵軍の渡河も容易になることが、この上官の頭には少しもよぎらなかったのだろうか。
 先程殴られた頬の痛みが、諫言する勇気をティナから奪い去ろうとした。だが、ここで言わなければ何も変わらない。意を決して再び口を開けた。市民をティナ以上に大切にするこの男が納得しそうな提案をしなければ。
「分かりました。ですがその作戦を決行するなら、失敗した場合、テナン川付近、ロッテンゲンの民が戦闘の巻き添えを食い極度の危険に晒されます。作戦に参加する各軍の一部を招集して付近の民を護衛しつつ街から撤退、敵軍の反攻に備えるべきではないでしょうか。中央司令部に連絡を取れば、民の移動くらい、すぐに認めて下さるのでは」
「この作戦は失敗しない。ドイツ軍に我らROTが劣るはずがないからだ」
「本当にそう思っておられるのですか! 冷静になれば分かるはずです」
「何がだ」
「このまま騎兵を突撃させても何の戦果も挙げられません。今ならばまだ間に合います。民を各軍で護衛し撤退する案を上奏してください!」
「いったいどこへ撤退するというのだ」
 今はまだ安全な街でも、テナン川の下流にあるスイスでも、上流にあるフランスでも、どこでもいいだろう。ティナはまた頭に血が上ってきた。結局こいつの心は、ROTがドイツに劣るわけがないという、民族優位性を隠れ蓑にした自尊心の塊なのだ。先程の、市民の安全が最優先という言葉も、疑わしくなってくる。
「数百万を数えると言われるユダヤの民ですら各地を流浪しているのですよ? どこへなりともゆけるでしょう! 今は大戦中です、見咎められる心配はありませんっ!」
「馬鹿な事を言うな。謂れなき罪を着せられた我らが、どうして父祖伝来の地を棄て逃げなければならん。何より我らは一度たりとて下等種に敗れた事などない。これまでも、これからも」
「その過剰な自信はどこから湧いてくるのですか! せめて馬を移動目的に使い兵力の集中運用を。偵察によれば敵は鉄道を使って兵力を迅速に移送し連合国とも渡り合ってきたと……」
 軍刀が視界にちらついた。
 斬られるのか、と思ったティナの横面を、柄の部分が打ち抜く。拳骨の当たった場所と寸分違わぬ場所だった。
「くどい。貴様が過大評価している敵は、今や連合国に押し込まれているではないか。第二陣がライフルを掻い潜り、窮乏している敵軍の補給ラインを断つ。そこからはこれまで通り、下等種を蹂躙するのみだ」
「馬鹿の一つ覚えか……」
 睨みつけながら、吐き捨てた。十一歩兵は、第三連隊が別個の指示を遂行などしなければ一週間は耐えたはずだ。第三騎兵師団も、目の前の男が居なければテナン川以北を失陥しなかったに違いない。
「貴様は第一陣だ。六騎に入って、緒戦で死亡した部隊長の代わりに第一大隊の指揮を執れ。既に六騎と第一大隊には伝達してある」
 そう言って硬く引き結ばれた口元と、頑迷さが滲む赤い眼光は、説得は受け付けないと、宣言している。ティナは、陸戦司令官を再度睨んでから、目を切った。
 ……もう一度生きて帰ることができたら、真っ先にお前を殺してやるよ。そう言おうとしたが、やめた。今、この男の発した命令への対応策として頭に描き始めたことを実行すれば、生きては帰れないだろう。自分は今日、死ぬ。
 厩舎へ戻り、一番手前の区画に繋いでおいて貰ったヴェルナーに、近づく。名前を呼びながら近寄ると、こちらに気付いたヴェルナーもまた、身を乗り出した。その大きな頭を愛で、額を近づけてきたヴェルナーに対し、ティナも頬を寄せた。
 朝陽がだんだんと日差しを増して昼の訪れを告げようとしているが、近くの街路にたむろしている雀たちは元気にさえずっている。朝の遅い雀たちが、無事に戦禍を免れるよう、密かに祈った。
 それからティナは、足元に転がせておいた頭部用のプレートアーマーを被った。
「死にたく、ないなあ……」
 右腕を失い死んだ曹長の気持ちが少し実感できて、ぽつりと呟いてみる。だがその声は、遠くで鳴った大砲の音にかき消されたような気がした。
 視界を遮る可動式の部分を上に押し退け、視界を確保した。手榴弾の余りだけが入った背嚢を背負う。そしてヴェルナーを厩舎から出して乗り込み、一時的に場所を貸してくれた管理者に礼を言った。
 第六騎兵師団の訓練地を通りかかった時、第一大隊の副大隊長だという男に呼び止められ、今後の方策と大隊の構成について軽く話した。ついでに新たな部下となる第一大隊の面々を前に挨拶しておいた。それから、ヴェルナーを厩舎に入れ、背嚢とプレートアーマーの頭部と胸部をその周辺に放った。
 溌剌とした掛け声が飛び交っていた訓練地とは対照的に、指揮詰所内の空気は、重く沈みこんでいた。
 そのことを不思議に思いながらも、ティナは第六騎兵師団の副師団長に話しかける。彼はすぐに、新たな命令がいつ出されたのか教えてくれた。ティナが第五騎兵師団の兵舎に向かったのと入れ違いに、陸戦司令官からの命令が来たという。作戦の伝達に加え、第十一歩兵師団は解体、生き残りは第六騎兵師団直轄の歩兵部隊として活動せよとも下知があったそうだ。第十一歩兵師団が存続していれば、主要な地位を占めただろう第四連隊長とは、上手くやって行ける気はしなかったので、少しほっとした。
 しかし、部下と上手くやれるかという現実的な苦しさから解放されてすぐ、そんな瑣末な喜びは掻き消えてしまった。指揮詰所内の、沈んだ空気の元凶、戦況を記した書類に接したからだ。
 ハイエル村、四百八十一名、全滅。ローミン村、六百九十三名、全滅。ワロー村、七百五十六名、全滅。ファイエ市、一万五千六百三十五名、音信不通。クロン市、七万六千五百一名、音信不通。マイアン市、十五万五千四百六十五名、音信不通。マロア市、五十八万六千七百九十一名、虐殺の最中と、救援要請。ハイエル村、ローミン村、ワロー村、ファイエ市、クロン市、マイアン市駐留軍、総勢千五百五十名、全滅。マロア市駐留軍、三千名、全滅。マロア市の救援に赴いた第一騎兵師団、第一歩兵師団、敗走……。
 書類には、開戦時からの、被害の一部が数字となって羅列されていた。ティナがその書類を読んでいる間にも無線を通して漏れ伝わってくる戦況。聞いているだけなのに、場に居る指揮官らが戦意を喪失しかかっているのが目に見えて分かる。
 ドイツ軍には勝てない――。そんな空気が部屋に充満していた。
 副師団長に礼を言い、部屋の隅に陣取ったティナは、陸戦司令官とやり合った後に思いついた案を煮詰めだした。
 それは、テナン川周辺の住民を、第一大隊の兵員でどうにか避難させられないか、ということ。小競り合いの際に救ったハイエル村の住民の全滅は、その考えを余計に加速させた。
 しかし当然、軍令を無視すれば重大な刑罰に処される公算が高い。いくら第一大隊員にとっての上官がティナであるとはいえ、その更に上官の陸戦司令官に歯向かおうとする自分に、賛同するような者はいないだろう。
 まだ、午後二時の第一大隊の出動までには、四時間近くある。四日以上眠っておらず、そのうえ戦闘で心労が溜まり、眠気を堪えながらの考え事が限界だと感じた。少し眠れば何かいい案が浮かぶかもしれない。指揮詰所の隅にある椅子を借り、部屋の外で仮眠を取らせて貰うことにした。硬い木製の椅子を持って指揮詰所を出る。指揮詰所は一階の最奥に位置しているため、廊下は部屋を出てすぐ右手に、ある程度のスペースを残して行き止まり。
 ティナはそのスペースに椅子を置いて座り、前かがみになって、膝を抱えた両腕に額を押しつけた。


inserted by FC2 system