一九一八年七月十一日
第一次世界大戦末期
ROT殲滅戦まで残り《十二日》


 ティナ・リースは、居間で、蒸かしたジャガイモに塩を振っただけの、食事と呼べるか怪しい昼食を摂っていた。すると、大声で自分の名前を叫びながら、下僕の一人が部屋に入ってきた。職務から解放され、静かな正午のひと時を楽しんでいたところだったので、驚いてしまい、思い切りむせた。
 ひとしきりむせ終えるまで直立不動でいてくれた下僕――クラウス・ルジツカは、ティナがむせ終えたことを確認してから、口を開く。
「派遣指揮官としての、出陣要請の早馬が」
「何で? 私はたった今、連隊長の仕事をこなして帰って来たばかりなの。追い返して」
「それが、どうしてもティナ様でないと解決できない事案だとか。包囲されたハイエル村の民間人が人質に取られていると」
 ティナは、舌打ちした。
「民間人を引き合いに出せば断らないと思われてるよね、私」
「断らないのでしょう?」
「当然。ヴェルナーを出しておいて」
「はい!」
 今年十四になったばかりの少年は、スタッカートがつくほど歯切れよく返事をし、俊敏に部屋を出て行く。
 早く準備をしようとして、ジャガイモの残りを一口に突っ込んだ。そしてすぐに後悔した。大きすぎる。うまく咀嚼できず、口元に手をあてもごもごやっている間に、部屋にはティナよりもはるかに背丈の高い大男が入ってきた。下僕の一人で、とても十八には見えない老け顔の、エヴァルト・シーフェルデッカー。
「何をやっているんですか。貴方はいつも食べ方が汚すぎます」
 汚くなんかない、と反論しようと口を開きかけたら、突発的にくしゃみが出てしまった。手で押さえきれなかったジャガイモの残骸が、床に散らばる。こんな時にわざわざくしゃみが出しゃばってくるところが、彼の言う、食べ方が汚い、に繋がってしまうのかもしれない。
「ああ」
 エヴァルトが呻いた。
「ごめん。片付けといて」
 エヴァルトに頭を下げ、口の周りと手についたジャガイモを床に払い落した。
 自室で、脱ぎ散らかしたままの軍服に着替え、胸部用のプレートアーマーと軍刀、拳銃を装着して玄関で軍靴を履く。紐を硬く結んでいると、後ろから遠慮がちに声を掛けられた。
「ティナ、また、出動命令?」
「うん。お母さんは、休んでなよ」
「ごめんなさい。すぐ寝室に戻るつもりよ。でも、貴方が戦場に出向くときくらいは、見送ってあげたいの」
「ありがと。じゃ、行ってくるね」
「行ってらっしゃい」
 体の弱い母親に笑顔を見せ、それから玄関の扉を勢いよく押しのけた。
 庭には既に、逞しい軍馬を曳き、頭部用のプレートアーマーを手にしたクラウスの姿があった。相変わらず、手際が良い。
「お急ぎください。集合場所は、国境にあるハイエル村西街道の中程です。街道の真ん中に集まっているので分かるかと」
 馬を飛ばしてきたであろう伝令に急かされた。クラウスから受け取った手綱を引きつつ鞍に足を掛け、愛馬、ヴェルナーの背中によじ上る。クラウスから頭部用のプレートアーマーを受け取り、被った。
「ハイエルは一度視察で訪れたことがあるので記憶しています。伝令、貴方は南街道以南の村々に、少数でいいので援軍をお願いして来てください。ハイエル村の軍人なら顔が利きますよね? それと、その部隊は貴方が指揮を執って北上させて、南街道沿いに敵を見つけたら、即時交戦してください。……ヴェルナー、行こう」
 頭を軽く撫でてから横腹を蹴って促すと、ヴェルナーは軽快に走り出した。ティナの食べている物よりもいい値段のする餌を食べさせて、毎日の訓練も欠かさない。少し本気を出しただけで、伝令の乗りこなす痩せた馬を軽々と引き離していく。不慣れな人は振り落とされてしまう激しい上下震動をうまくいなしながら、目的地を目指した。
 最大限飛ばして、一時間。ドイツ軍が地方まで敷設した鉄道というインフラにはどう頑張っても勝てないが、早く着いた方だろう。疲れ切ったヴェルナーに水を与えるよう、近くに居た兵卒に指示をし、同時に頭部用のプレートアーマーを外した。何度か首を振って、胸の辺りまで伸びる黒髪を払ってから、ハイエル駐留軍の暫定指揮官を呼ぶ。五十人を率いる、地方の一駐留軍。さほど大きな軍ではない。そこの暫定指揮官ともなれば、中央軍の指揮官として働くティナよりは、ずっと階級が下だ。
「助かりました。至近の中央軍の指揮官は、自慢の腹肉が邪魔をして馬にも乗れないようで、馬車だそうです。中央軍が作った交戦規則があるせいで中央麾下指揮官を呼び寄せなければならないというのに……」
 皮肉たっぷりに呟いた暫定指揮官は、早速状況を説明し始める。
 ドイツ軍に急襲されたのは、間の悪いことに、村外で軍事訓練を行っている最中だったという。ドイツ軍側からの人質処遇通達のため解放された村民の情報に拠れば、二百を超えると思われるドイツ兵が、それぞれ百程度に分かれているらしい。一方は、西街道の行きつく先にある、ハイエル村に渡るための橋に。小規模な川の上にかかった橋は、ここから見える。もう一方は、ROT共和国の支配下である南街道からの援兵を察知、阻止するために、ハイエル村を一望できる小高い丘に布陣。村内にはさらに五十名程が入り込み、村民を一か所に集めて銃器で圧力をかけ、こちらが橋に近づけば村民を殺すと脅しを掛けてきた。武器は、さほど火力のあるものはなく、一番上等なものが単発式ライフルだそうだ。こちらの武器は、ドイツ軍と同じような単発式ライフルに、軍刀が、それぞれ五十。伝令の分を抜いた軍馬が四十九。兵糧とライフルの弾薬が少々。それと、砲弾が村の武器庫に残ったままの大砲が二門だけ。
「なぜ敵は、兵力が五分の一に満たないこちらを潰しに来ないのだと思いますか?」
 状況を聞いたティナは、暫定指揮官を試すような質問をした。
「こちらが焦れて挑発に乗るのを待ちつつ、増援も待っているのかと。二百数十では一時拘束は出来ても実効支配は無理ですから」
「そうでしょうね。私も同意見です。ここは増援が来る前に一気に仕掛けるしかありません」
「ですが橋に近づけば住民を殺すと脅されています。兵力が敵より多く、住民を見殺しにしたうえで勝てる保証があるなら動きようがありますが」
「では、見殺しにしましょう。勝てる保証はありませんが、それしかないです」
 ティナが淡々と言うと、暫定指揮官は目を瞠った。
「何を仰るのですか! 民間人と共にこの地を発展させてきた我らに、勝てる見込みもない戦いで村民、五百余名を無駄死にさせろと?」
 遙かに階級が上、歯向かえば更迭どころでは済まない可能性もある中央軍の指揮官に、暫定指揮官が食ってかかった。
「それは中央軍第十一歩兵師団第三連隊長に対する抵抗と受け取っていいですか?」
「え……ええ、ええ。そう取ってくれて構いませんよ」
 一瞬だけ暫定指揮官はひるんだが、言ってしまったものは仕方ないと開き直ったらしい。言葉を重ねる。
「評判が良い、遠方から駆けつけてくれたというだけで、貴方に期待したのが間違いでした。民を見殺しにするなら、我々は貴方の指揮下に入ることを拒否します」
 断言した暫定指揮官に対し、自然と笑みが零れる。これほどの男が地方の一駐留軍に居るなんて。
「分かりました。兵を貸してくれないのでは困ってしまいますからね。それ以外の策を提案します」
 どんな処罰を言い渡されるのかと身を固まらせていた暫定指揮官の隣に、並んだ。
 男は驚いてこちらに視線を合わせ、それから苦笑を浮かべる。
「もしかすると私は、試されたのでしょうか」
「私程度の小娘が、侮るような真似をして申し訳ありません。村には詳しいみたいですね。丘から馬を使って駆け降り、村に着く速度。あと、街道以外の出入り口を教えてください」
「いや、侮っていたのはこちらの方です。申し訳ありませんでした。では……はい、仕切り直して質問に答えさせていただきます。丘には低木がそこここに生えていて、おまけに斜面は急ですので、もし強引に馬を使っても、人間の足と変わらず、十分ほどかかるかと。街道以外の出入り口は、農業用用水路、ですね。地下から地上へとつながっている場所が、何箇所か。丘の上にいる敵の目を盗むとなれば、橋のすぐ下に、一本あります。しかし橋に近づいた時点で人質は全員殺すと、解放された村民を通して脅され……」
「ああ、もういいです。ありがとう。策を思い付きました」
 その言葉に、暫定指揮官はまた目を瞠った。展開の早さについていけず、挙動不審になる年上の男を見るのはいつでも楽しい。髪の毛先を口元に持ってきて、指先で丸める。くす、と笑みを零し、すぐに毛先から手を離す。
 疑問符を浮かべたままの暫定指揮官に号令を掛けさせ、暫定指揮官を含めた四十九名を、ひとところに集めた。縦に十列、横に五列。全員に見えるように右手を掲げ、まずは人差し指を立てた。
「作戦を説明します。一つめ。私の指揮下に入る兵士は二十三名です」
 中指を伸ばし、立てた指を二つに増やす。
「二つめ。暫定指揮官は、同じく二十三名を連れて、用水路を通り、人質のいる広場を包囲」
 そして薬指も立てる。
「三つめ。砲術士一名、馬の調教師一名はここに残り、丘に向けて空砲を打ち鳴らす」
 最後に小指。
「四つめ。私の指示に従えば必ず勝てます。信じて下さい」
 この説明だけでは、疑問を露わにする兵士が、四十八名増えただけだった。
 ティナはまた小さく笑みを零し、手を下ろす。
 それから、各役割分担ごとに兵士を集め、直接指導し、分からない者があれば分かるまで付き添った。最初は訝っていた兵士たちも、作戦を説明するたび、目に光を取り戻していった。急造の策に絶対の自信があるわけでは、もちろんなかった。しかし、負けるに決まっている、と考える四十九名に勝機はない。この人についていけば勝てるかもしれない、でもまだ不足している。仲間の為に是が非でも勝つしかない、と思っている四十九名でなければ、五倍以上の兵力差を打ち破るのはとても無理だ。
 指揮下兵士、二十三名を連れて、ティナは橋へと向かう。暫定指揮官が率いる部隊は、背の高い雑草の中を、匍匐(ほふく)して移動。川沿いを目指す。砲術士には、空砲を鳴らすよう、馬の調教師には、軍馬を利用するよう通告。行動開始はそれぞれ別の時間を指定した。ティナの持っていた懐中時計を砲術士に貸し、仕事が終わった後は調教師に渡すよう伝えてある。もちろん二人とも、時が来るまではこの場に匍匐姿勢だ。
 ティナは、敵の射程距離に入ろうか否かといったところで跪いた。投降の意を示すため、だ。既に、ロープで両手を後ろ手に縛ってある。何事かと、銃を構えながら近づいてきたドイツ兵は、おそるおそるこちらに声を掛けた。ドイツ語を話せるティナは、膝の動きだけで前に進んだ。相手の部隊長と思しき人物に話しかける。
「我らは村民を見殺しにはできない。投降する。処遇は如何様にも」
 後ろ手に縛られたまま、その場で、頭を下げた。
「ははは、そうか、投降か」
 部隊長と思しき、立派な階級章を軍服につけたドイツ兵が、高笑いを響かせる。
「ROTという民族は揃いも揃って腰抜けのようだな。戦いもせず、村民の為に投降などと。自らの勇気のなさを村民のせいにしている、ただの欺瞞だろう」
「……怖いんです。怖くて仕方がないんです」
 ティナはそこで、ずっと瞬きをやめていた目から、一筋の涙を零して見せた。
「どうか、どうか命だけは助けて下さい」
 部隊長は呆れたように欠伸を零した。
「おい、お前ら。一人ひとりを前後で挟んで、広場に連行しろ。ROTの上層部連中と交渉する際のカードになる。国境沿いの兵士を簡単に見捨ててしまえば、他の国境を守る兵士の士気は下がるはずだ」
 部隊長がそう言うと同時に、空砲が付近一帯に轟いた。
「砲撃か?」
 慌てた部隊長が周囲を見回すが、空砲なのでもちろん被害はない。
 落下してくる砲弾を探していたドイツ兵は、そのことにすぐに気付き、お互いを馬鹿にし、笑い合った。
 空砲が止むと、辺りはまた静けさに包まれた。
「どこかで戦闘が起きているのかもしれないな……。第二分隊の一人は、丘の上の部隊に注意するよう伝えに行け。そこから決して動くなと。それ以外は、投降兵のチェックを」
 部隊長が指示を出すと、ドイツ兵は一斉に動き出した。
 ドイツ兵が少しやりにくそうに、ティナの体を一通り触る。作業的で、なんともなかった。しかし部隊長は違った。もうチェックが終わったのを知っているはずなのに、厭な手つきで下腹部の辺りを重点的に撫でまわした。気持ち悪さしか感じていなかったが、咄嗟に、吐息を零してみせた。部隊長は満足げに笑う。戦場には似つかわしくない、間抜け面。
「お前、感じやすいのか」
 いかにも恥ずかしがっているという仕草で、首を横へ振る。
「はは。強がるな。……夜まで大人しくしとけよ」
 耳元で囁いた部隊長は離れ、隊列に戻った。
 彼が全員の手首を縛った、という設定の駐留軍兵士一名は、ドイツ兵に、両手を念入りに縛り上げられた。それからティナらは、前を歩くドイツ兵と、後ろから銃を突きつけるドイツ兵に挟まれ、村民が集められている広場に移動させられた。生きている村民は手足にロープを巻きつけられている。逃げようと、あるいは抵抗しようとしたのだろう村民は、射殺され、一カ所に積み上げられている。それぞれにそれぞれの営みがあったはずの死体は、ざっと見ただけで、二十人。何の権利があって、こんなことをしているのか。領土を奪いたいという野心さえあれば、こんなことが許されるとでもいうのだろうか。改めてドイツ軍に対する怒りが沸いてくるのを感じた。ドイツ軍だけは、絶対に許さない。
 唯一の希望であったはずの駐留軍が投降したと知った村民は、一様に俯きがちになったり、苛立ちをぶつけてきたりした。だが中には兵数を数えてから、首をかしげ、もう一度数えてから、ああ、という形に口を開いた村民もいた。彼はその後すぐに、他の村民と同じように俯く。聡明な村民だ。ぬるいボティチェックをしていた、ドイツ兵よりもずっと。
 橋に展開する部隊は、ティナを含めた投降兵を広場に送り終えると、また所定の配置に戻っていった。広場に居た監視役のドイツ兵は、ティナらを、村民とは別の場所に立たせた。そこで、内向きになり、円状で固まるよう命令する。背中越しに伝わってくる冷たい視線。交渉カードとは言っていたものの、少しでも妙な動きをすればすぐに射殺するつもりだろう。
 目の前にある、駐留軍兵士の背中に額を寄せ、じっと待つ。後ろの駐留軍兵士も、同じように、ティナの背中に額を押し付けてきていた。
 呼吸をするたび、息苦しさがせり上がってくる。死に近づいているような、息苦しさ。真夏に密集している蒸し暑さだけが原因ではないだろう。背中を濡らす汗は、普通の汗だと思い込みながら、待つ。
 橋に展開する部隊が、所定の位置に戻っていく姿を想像し、想像し、所定の位置に戻ったと感覚的に確信した瞬間。自力で抜ける縛り方をしていたロープを解き、素早く両手を前に持ってきて、渾身の力で指笛を吹いた。同時に、四方八方から、怒号と射撃の音が聞こえた。ドイツ兵を振り返ると、一名が射殺されたらしく、五十以上いるはずの人質監視班は、完全にそちらに気を取られていた。
 読みが当たった。人質を殺す、といった前提条件はあくまで平常時だ。緊急時には人質の事など目に入らなくなる。同時に、ティナは軍服の胸元に手を突っ込み、拳銃を取り出した。他の駐留軍兵士も続々とロープから手を抜き、徒手空拳でドイツ兵の背後に殺到した。暫定指揮官の率いる兵に気を取られ、単発式のライフルを必死に撃ち、必死に弾を装填していたドイツ兵は、無力だった。白兵戦となれば単発式のライフルなど役に立たない。ティナは、状況が状況でも冷静に発砲し始めた三人のドイツ兵に拳銃の照準を合わせた。速攻で二名を不意打ちし、神がかり的な装填能力で投降偽装兵三人を撃ち殺していたドイツ兵も、背後から射殺。その間にもまた、実際よりも人数を多くみせかけるための雄叫びが上がる。一回攻撃を加えた後は村の建物に隠れ、ライフルの反撃をやり過ごしていた暫定指揮官配下の兵士が一斉に広場へ飛び出し、軍刀で切りかかったのだ。
 慌てて銃剣を装着しようとして銃剣を取り落としたドイツ兵、ライフルの銃弾装填に手間取るドイツ兵。少しでもミスを犯した者から順番に、為す術もなく蹂躙されて、数を減らしていく。ティナは乱戦に紛れて身を屈め、暫定指揮官から、死んだ駐留軍兵士の持っていた軍刀を投げて寄越してもらった。鞘から刀身を引き抜いて、ドイツ兵に縛り上げられた兵士のロープを切り、それから村民を拘束しているロープを切り落としていった。完全にドイツ兵を掃討すると、他の駐留軍兵士も加わっていく。橋の部隊も控えている中、五百余名ともなると、手際の良さが生死を分ける。ロープを切った後、それぞれに、声を出さず、付近の民家に入れるだけ入って行けと指示させた。息を切らしながら全員のロープをどうにか切り終えると、ティナは、生き残りの駐留軍兵士を集めた。白兵戦の最中に浴びた血と、際限なく滴る汗を拭いながら点呼を行い、兵士の安否を確認した。死んだのは四名だった。負傷者四名は村民の手によって民家に運ばれている。
 丘の上にいるドイツ兵は、異変に気付いているはずだが、降りてはこなかった。ここから降りても既に間に合わず、村内で敵の待ち伏せに合う危険性を感じ取ったか。あるいは何があっても動くな、橋の部隊が対応する、とでも命令されているか。相手から来ないのならこちらから赴くまでだ。残った駐留軍兵士と共に、南街道の終着点に聳える小高い丘へ向かう。手はず通り、低木の合間を縫って、ばらばらに駆け上がった。既にこちらの行動は筒抜けになっているだろう。途中で進軍を止めさせる。山と呼ぶには小さな隆起だが、斜面は急で、低木に手を掛け足を踏ん張っていないと立っていることすら難しい。ライフルを持っている駐留軍兵士は伏せさせ、射撃姿勢を取らせた。敵も上からライフルを撃ちかけてくるが、多数ある低木によって銃弾が阻まれ、上手く当たらない。
 そして再び、待った。低木を避けた銃弾に運悪く当たり、腹や肩や顔の半分を吹き飛ばされた何人かの駐留軍兵士が、断末魔の叫びを上げ、のたうち回っている間も。
 衛生兵を向かわせそうになる優柔さと、戦闘不能になった味方を切り捨てる酷薄さがせめぎ合いを繰り返す中、丘の向こう側から声が上がった。
 伝令が南街道沿いに展開する部隊をかき集め、遠方からもよく見える小高い丘まで辿りつく。伝令は、指示されていた通り、そのまま攻撃を仕掛ける……。思い描いていた絵図が、絶妙の間で決まったと悟り、ティナは大きな声を発した。
「かかれ」
 重傷者を見殺しにする選択肢を、選んだ。駐留軍兵士は、一斉に、駆け上がる。ライフル装備の兵士から分けさせた、二十の軍刀を装備したティナの部下が、丘の上に布陣する敵軍に斬り込む。ライフル装備の駐留軍兵士には、軍刀を使う駐留軍兵士を誤射しないような布陣をさせておいた。照準に迷って中途半端な射撃になったドイツ兵らを、銃弾と、軍刀が、呑み込んでいく。背後をも、伝令のかき集めてくれたであろう南街道連合軍に突かれ、指揮系統が混乱した丘の上の部隊は、広場でのドイツ兵の二の舞を演じた。
「ティナ・リースに全権を戻ぉすっ! 全軍反転!」
 丘の上のドイツ兵を付近から駆逐すると、ティナは叫び、反転を促した。これで、暫定指揮官の兵士もティナの指揮下に入った。
 丘の下から突撃を敢行してくる、橋に展開していたはずのドイツ兵を迎え撃つ。馬鹿なことに、橋には一人のドイツ兵も残っていない。くす、と笑みを零して、髪の毛先を丸めた。今頃は、広場急襲時、陽動のため四十九頭の馬を橋へ向けて放った調教師が、空砲を放った砲術士が、村民を安全地帯へ逃がそうと駆けていることだろう。
 ライフルが、低木に邪魔をされて威力を半減させることは、敵軍の晒した醜態で証明済み。ライフルの部隊を引かせ、丘の上、急な斜面からは垣間見ることすらできない場所に、伏せさせる。そして軍刀を持った駐留軍兵士を前面に立たせ、敵が来るのを待つ。
 数に任せた突撃。軍刀装備の駐留軍兵士に対し、一人の勇気ある兵士――蛮勇を振るったドイツ兵が、撃ちかけた。すぐに軍刀を持った駐留軍兵士も、引かせる。ライフルに臆して逃げ出したと勘違いでもしたのか、それに続いて、ライフルを手に駆け上ってくるドイツ兵。走りながら放たれた命中率の低い銃弾が体をかすめても、ティナ指揮下の駐留軍兵士は動じない。
「てっ!」
 低木が邪魔しない所までドイツ兵を十分に引きつけ、ティナはまた、号令を発した。単発式のライフルが、掃射される。そこへ、軍刀装備の駐留軍兵士がまた飛び出す。ティナ自身は、弾を込め直していた拳銃で、銃を構えるドイツ兵を確実に始末した。
 それからすぐに、勝敗の帰趨は決した。



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