イントロ

 適当なMCをしている間に腕を休めていた木戸が、次の曲の前奏を始め、小さな声で「旧車」とマイクに吹き込んだ。狭いライブハウス全体が一気に盛り上がる。私は木戸のギターに合わせて小刻みに頭を揺らし、ドラムの与田とベースの及川が演奏に加わった所で大きく跳んだ。
「ろくでもねぇ新車はいらねぇ旧車旧車旧車が欲しい空を覆う腐ったガスは次代の夢だ人間以外は皆死ね!」

 後半はほとんど記憶がない。アンコールが終わって、気付いたらぶっ倒れていた。
 顔にかけられた濡れタオルを取り、上半身を起こした。六畳ほどの狭苦しい控室には、ドラムの与田だけがいた。
「ほっぺた、それどうしたんだよ」
「ああ、大丈夫、気にしないで」
 先日できたあざを隠すため、左頬には大きめに切った湿布を貼っている。唇の左端に隠し切れていない切り傷が見えてしまっているのはしょうがない。
「平気ならいいけど。あとな、少しは加減しろ。木戸と俺で運ぶ羽目になったんだ」
「ごめん」
「お前がそうやって引っ張るからタムがさぁ、また駄目んなったよ。アンコールのとき破れた」
「それは私のせいじゃない。力みすぎなんだよ」
「まぁ、ボーカルがこんなだから木戸も及川も黙ってついて来てくれんだろうけどな」
 結成四年のこのバンドでは、私と与田の二人だけがオリジナルメンバーだ。ギターとベースは、結成から二年も地方の一バンドとして燻っていることに嫌気がさしたようで、二年前に脱退した。与田だけが、「お前とやってると曲作んの面白いから」と言葉少なに残留した。二人で曲を作りながらギターとベースを毎日探し回り、ギターとベースの脱退から七ヵ月後にようやく見つかったのが、ドラムが別バンドに引き抜かれてバンドが組めないでいたギターボーカルの木戸と、ベースボーカルの及川だった。彼らは私の歌声を聴いて納得したらしく、ボーカルは諦めて演奏とバックコーラスに専念してくれることになった。
「ただ私自身が楽しんでただけ。今日のライブは。ほんと、たのしかった。木戸も及川も息ぴったりで気持ちいい」
「そか。……じゃ、俺、帰るわ。明後日、いつものとこで打ち合わせ」
「スネアとかは?」
「もう車に積んである」
「何もないのに待っててくれるなんて、いいとこあるね与田。手伝わせるためかと思った」
「ボーカルがぶっ倒れてんのに、スタッフさんに押し付けてく訳にもいかねぇだろ」
 与田は少し照れて控室を後にした。彼の背中に軽く手を振った。
 与田が消えたあと、私は何気なく時計を見た。十一時半を過ぎていた。慌てて荷造りをし、控室を飛び出す。ライブハウスを閉める準備をしていた顔見知りのスタッフさんに謝り外に出、軽く息を吐いた。
 それからしばらく冬の寒空を半袖で歩き、手近に見つけたバス停のベンチで腰を下ろす。バッグから着替えとしょうが紅茶の入った保温機能付きの水筒を掴み取った。『スカッド』というバンドの名前ロゴが入った黒い半袖シャツを脱いで下着姿になった後、汗を絞った半袖で身体を拭いてから、バッグに入っていた長袖と腕に抱えていたフェザーダウンを着る。ベンチに置いていた水筒を開けると、蓋をコップにしてしょうが紅茶を注いだ。気休めに過ぎないかもしれないが、知り合いのボーカルに薦められてこれを飲み始めてから、喉の調子が良くなった気はする。
 しょうが紅茶を飲み終え、手持無沙汰になった右手がスキニーパンツのポケットに伸び、煙草を探る。しかしそこで、もうやめたんだったと気付き、煙草を吸う代わりに貧乏ゆすりを始めた。他人にいじらせて変なクセがついたりするのは嫌だからボイストレーニングに通ったりはしていないが、長く楽しみたいなら喉を大事にしろと尊敬している先輩に対バンの打ち上げで言われてからは、酒も煙草もやめた。自分の判断で、がなるような歌い方もやめた。本当に上手い歌い手はそんなことをしなくても聴き手の心を捉えられる。何の保証もない戯言かもしれないが、先輩の歌い方に影響された私は、そう、勝手に考えている。
 なかなかバスが来ない。貧乏ゆすりをやめ、時刻表に視線を移した。暗くて読めない。携帯を開いて時刻表に液晶の光を当てた。バスは九時の運行が最後だった。

 一時間以上かけ、ようやく最寄り駅を探し当てた時には終電が行ってしまっていた。仕方なく、駅員すらいなくなった無人駅のホームのベンチに座った。タクシーを頼めるような金は無い。ここが宿だ。しょうが紅茶を飲んでもその効果は一時的で、すぐに冷気が全身を苛み始める。携帯から親に電話をかけるという手もあったが、つい先日、バンド活動がばれて父親に室内を引きずり回されたことを身体は覚えていて、早々に選択肢から消えた。仕方なく、カバンからキャンパスノートと鉛筆を取り出すことにした。
 頼りない夜灯の下での作詞活動は思いのほか筆が進む。静かすぎて耳鳴りがするくらいの状況が、普段よりも集中力を高めてくれているのかもしれない。曲は結成当初から、私が作詞、与田が作曲というスタイルだ。ドラマーが作曲を担当するバンドはあまり周りにはいないから、影の薄くなりがちなリズム隊が割合大事にされているバンドとも言えるだろう。そして曲の評価は高いが、詞の評価は、正直、高くない。ライブハウスのベテランスタッフと歌詞の話になった時、もっと内面を出していった方がいい、と言われたことはある。
 鉛筆を止めた。内面。そんなもの、私にあるのだろうか。それとも私が見つけられていないだけで、今も苦しい作詞の作業をしている場所より、もっと深い所にあるものなのだろうか。知り合いの作詞家に聞いてみたいと思ったことは何度もある。だが、それを人に教わったら駄目になる。そんな直感が、質問を発する段になると邪魔をした。
 そもそも内面という言葉自体が、曖昧すぎる。私は余計なことを考えるのをやめ、空を仰いで目を閉じた。



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