トライドの実力


「疲れた……」
 ルーアが不満を口にしながら馬から降り、厩舎《きゅうしゃ》の中で割り当てられた区画に馬をつないだ。
 行きは砦ごとに馬を変えて三日間の強行軍、戦闘をこなしてすぐ帰路につき、また三日間、休みらしい休みもなく馬を乗り継いできた。明日も、昼過ぎか夕方くらいまで、馬に乗る。いくら走っているのは馬でも、人間側にも負担はくる。
「隊長、人使い荒すぎますよ」
 辺りはもう暗い。
 王都にほど近い、ここザグバ砦で三日分の休息を取った後、再び王都に戻る予定になっている。
「現役の騎士がこのぐらいで文句を言うな」
 ログナはそう言いながら、かがり火の焚《た》かれているほうへ歩き出した。ログナの右をトライド、前をルーア、後ろをイシュが歩いている。
 鉄でできた、ログナの胸くらいの高さまである台のてっぺんに薪が入れられ、燃えている。複数あるかがり火の近くには兵士たちが飲み食いする机と長椅子がいくつも置いてある。数十名ほどの兵士たちが笑い合い、ときに罵り合う声でにぎわっている。
「あ、こちらです! お食事をご用意しておきました!」
 兵士の一人が大きな声で呼ぶ。
 兵士たちの幾人かがこちらを見たが、すぐまた、目の前の食事と会話に夢中になる。
「砦まで来ると、やっぱりほっとしますね」
 かがり火に幼さの残る横顔を照らし出されたトライドが、心底から安堵した表情で言う。
「そうだな」
 ログナも軽く笑みを浮かべて同意した。
「おいしそう! お腹減ってたんだよねー」
 先に席に着いたルーアが、嬉しそうな声をあげた。
「いっただっきまーす」
 他の三人が席に着く前に、ルーアは遠慮なくフォークを手に取り、目の前の料理に突き刺した。祈りの言葉もなかった。
 ログナはルーアの左隣に腰を下ろした。ルーアの向かいにトライド、ログナの向かいにイシュが来る。
「いただきます」
 ログナも祈りの言葉は唱えなかった。ロド教を棄ててはいないが、魔法を使うためにそうしているだけだ。
 トライドは目の前の皿を静かにどけると、五芒星の首飾りを外して、そこに置いた。親指で胸のあたりに五芒星を描いてから、
「始祖リリー、無事に食事をとることができるのは、あなた様のおかげです。始祖の賜《たま》わす慈悲深き御恵みに感謝いたします。いただきます」
 と言って五芒星の首飾りに向かって礼をした。
 イシュは、トライドが祈りをささげる横で、地面に膝と両手をつき、額を押し付けていた。しばらくその姿勢で固まった後、何も言わずに立ち上がり、何も言わずに席につき、何も言わずに食事を始めた。ノルグ族の食前作法だ。
 ログナは目の前の葉物野菜にフォークを差し、口に運んだ。あまりおいしくないが、野菜は、魔物の肉とは違って数に限りがある。肉の方が精がつきそうなものだが、不思議と、肉ばかり食べる兵士のほうが体の調子が悪くなることが多い。摂れる時に摂っておかなければならない。
「隊長、何まずそうな草なんか食べてるんですか! これ最高ですよ。食べてみてください」
 ルーアが平皿をこちらに押し出してきた。薄く楕円形に切り分けられた魔物の肉だった。濃い色のたれがかかっている。まずそうな草呼ばわりされた野菜へ伸ばしかけていたフォークを、そちらに向ける。フォークを刺してみると柔らかかった。しっかり時間をかけて煮込んであるようだ。
 口に入れると、とろけるような柔らかさだった。少し辛みの利いた、ちょうどよい甘さのたれが、じわりと口の中に広がる。歯ごたえが物足りず、肉を食べているという感覚がなかったが、味そのものは美味しく感じた。
「結構うまいな」
「ですよね! ほら、トライドも」
 自分で作ったわけでもないのに嬉しそうに言ったルーアは、今度はその皿をトライドの方に押し出した。
 他の料理を探そうと顔を上げると、硬そうな骨付き肉を食いちぎっているイシュが目に入った。手が汚れるのも気にせず、豪快にかぶりついている。彼女はログナが見ているのに気付くと、
「いけます」
 とだけ言って、またかじりついた。
 ログナは肉ばかり食べる部下たちを横目に、一通り野菜を食べた。
 味付けの濃い肉料理に移る前に、しばらくぶりに魚を食べておきたくなった。
 平皿や深皿に魚やその切り身や小魚を探すが、どこにもなかった。
「おーい!」
 ログナは手を挙げて、近くの机の皿を片付けていた給仕係を呼んだ。
 片付けを途中で放り出して駆け寄ってきた給仕係に、
「魚はないのか?」
 と訊ねた。
「魚は、ここ半年くらい、見てないですね……。いろいろなところで漁船が徴発されているので、とんでもない値段になってます。おそらくいまは、王都かキイラ軍港でしか食べられません」
「そうか……ありがとう」
 長期保存の出来る、塩漬けや干物くらいならあるだろうと期待していたログナは、少し気落ちしながら、わざわざ来てくれた給仕係に礼を言った。
「いえ、また何かありましたら」
「ねえ、お酒は?」
 立ち去ろうとする給仕係をルーアが呼び止める。
「あ、いま、お持ちしますね」
 そう言って、給仕係はまた慌ただしく、走り去って行った。
 魚がないことに気落ちはしたが、納得はした。漁船を徴発されて生きるか死ぬかの状況になっていたキュセ島の状況があったからだ。ルーたちは今頃、どうしているだろう。うまくやっているのだろうか。キュセ島に帰るためにも、キュセ島で漁を再開するためにも、レイを全力で手助けして早く問題を解決したいという思いが、一層、強くなった。
 間もなく、注ぎ口と蓋がついた小さな樽と、木製のマグカップが四つ届いた。ルーアは嬉々として樽に手を伸ばし、その中に入った酒をマグカップになみなみと注いだ。
 すぐに口をつけると、息継ぎもせずあっという間に飲み干してしまった。
「んー! おいしいー!」
 この砦に着くまでの不機嫌はすっかりどこかへ吹き飛んでしまったようだ。
 ルーアはさっそく二杯目を注いだあと、他の二つのマグカップにも注いだ。
「どうぞ」
 ログナの前とトライドの前にそれぞれマグカップを置く。
 もちろん、イシュのことは無視している。イシュも気付いているはずだが、涼しい顔をしてやり過ごしている。
 この二人はどうすれば……と、悩みかけたところで、唐突に、弦楽器の音が鳴り始めた。ばらばらに雑談していた兵士たちは、その音に気付くと雑談をやめた。心が浮き上がりそうになる陽気な音色に、自分で勝手に歌詞をつけて歌い出すものもいる。
 何が始まるのだろうかと見ていると、ひとりの兵士が、机の上に土足のまま立ち上がった。
「いまから、恒例の一騎打ち勝ち抜き戦を始める! 賭け忘れた間抜け野郎はいますぐ名乗り出ろ」
 男はふらついてその場で二、三度足踏みし、机の上に乗った器を蹴り飛ばした。スープが机の上に派手にぶちまけられたが、誰も気にしていない。
「まずはユルゲン! ハイモ!」
 男が再び叫ぶ。するとかがり火に照らされた開けた場所に、二人の男が進み出た。手には、普段訓練で使っている木製の模擬剣を持っているようだ。他の兵士たちが罵詈雑言や指笛を使ってうるさくはやし立てる。
 それまで軽やかでのんびりとしたものだった弦楽器の音色が、激しさを増した。同じ音が繰り返されて、徐々に速度が増していく。ひときわ強く弦が弾かれた。同時に二人の男が模擬剣を構える。一瞬、音が消えた。そしてもう一度強く弦が弾かれた。それを合図に、二人の男が模擬剣を激しく打ち合い始めた。実力が拮抗しているようだったが、つばぜり合いになったところで片方がうまくさばき、相手の右肩に模擬剣を打ちこんだ。
「そこまで!」
 と進行役らしい男が叫ぶ。
 そこからも次々に男たちが登場しては模擬剣を打ち合い、相手を打ち負かしていった。
 初めは部下の手前もあり横目にちらちらと見ていたログナだったが、途中から、昔の血が騒ぎだした。ある勝負では、模擬剣を弾かれてもう終わりだと思ったところで、徒手空拳になった男の方が猛然と相手に駆け寄った。男が模擬剣の振り下ろされる前に体当たりをして、相手の模擬剣を奪いに行ったところでは、思わず立ち上がり、
「よく行った!」
 と叫んでしまった。
 男は結局、模擬剣を奪うことができずに負けてしまったが、ログナは他の兵士たちと一緒になって、惜しみない拍手を送った。
「隊長、子供みたい」
 酒のせいで顔の赤いルーアの、笑みまじりの声がすぐ隣で聞こえた。
 ログナは、無言で座り直した。
 冷静になってみると、場がこれ以上ない程に盛り上がり、観戦している兵士たちのあいだにも、ろくでもない高揚感が広がっているのが感じ取れた。
 ログナはふと気づいて辺りを見回し、女性兵士の姿がないことを確認した。
「ルーア、イシュ、お前ら、先に宿舎に戻った方がいいぞ」
「え? どうしてですか?」
「こういうところに女がいると……あれだ。わかるだろ? だいたい」
「隊長、ちょっとそれ、どういう意味ですか!」
 酔ったルーアが、ログナの気遣いをどうやら何らかの非難と取ったらしい。
「おい、今、女の声聞こえなかったか?」
 ログナは頭を抱えた。余計なことを言わなければよかった。
「うん、確か、こっちの方……あっ」
「いた!」
「おい、やめとけ、そこの人たちは」
「ねえー、そこの子」
 ログナとルーアは後ろを振り向いた。
 するとルーアの右隣に一人の男が座ってきた。もたれかかるようなかたちで、男がルーアと肩を組む。
「触らないでよ、酒臭い」
 ルーアは肘で男のことを押しのけた。男はそのまま、軟体動物のようにふにゃふにゃと動き、机の上に仰向けになった。
「なあ、俺いまユルゲンに賭けてんだけど、もしユルゲンが優勝したら、俺たちと遊んでくれる? おごるからさあ」
 男は仰向けのまま芋虫のようにルーアの前に移動しながら言った。料理をぐちゃぐちゃにしようとおかまいなしだ。
 ルーアは、なぜかトライドを一瞥してから、笑った。
「ユルゲンって人が本当に優勝したら、考えてあげなくもないかな」
 部下の恋愛にどうこう口をはさむつもりはないが、ルーアが簡単に男になびくようには思えなかった。酔っているのだろうか。
「本当?」
「うん」
 その場で男が起きようとした。そのまま起きるとルーアの顔にぶつかる……いや、触れる。ログナがさすがに男を叩き出そうと腰を上げかけると、
「やめてください」
 机の上に素早く飛び乗ったトライドが、男を押さえつけた。起き上がれずに頭を打った男は、トライドを見て、
「なんだ、てめえは。てめえの女かこれは、違うならすっこんでろ」
「ちっ、違います! ち、違いますけど……旅の仲間です」
「申し訳ありません!」
 ようやく、男の仲間が引き取りに来た。引き取りにきた男の仲間は身を低くしながら、
「酒の席の事ということでどうか穏便に……。この馬鹿すぐ連れて帰りますんで」
「いいから、早く連れて帰って下さい!」
 トライドが珍しく……というよりも、ログナの前では初めて、怒った。
「余計な口挟むなガキ! その女、嫌がってねえじゃねえかよ。ユルゲンが優勝したら、その女と、飲み直しに行くからな。嫌なら飛び入りでユルゲンに勝ってこい! てめえの貧相な体じゃ勝てるわけねえけどな」
「申し訳ありません! すいません!」
 男の連れがますます腰を低くして、男を引きずっていく。
 男が去って行ったあと、トライドが司会役の男のもとへと歩いて行き、
「参加します!」
 怒りさえ感じるほどの大声で、一騎打ちへの参加を申し込んだ。どうやらルーアに絡んだ男が言ったとおり、飛び入り枠があるらしかった。
 突然の飛び入り宣言に、兵士たちは大いに盛り上がった。最初から出場予定の人間よりは二試合ほど多いらしいが、勝ち抜けば優勝もできるようだ。
 ひたすら食べ続けるイシュを置いて、ルーアとともに、戦いが良く見える位置まで移動した。初戦は、ログナよりは小さいが、立派な体躯をした男だった。ふだんの頼りない様子、戦場での心の乱しよう、レイがまとめていた戦闘能力評価、どれを取って見ても、魔法を使わず剣一本でトライドの勝てそうな相手とは思えなかった。
 けれど始まった途端、ログナは思わず目を剥いた。
 トライドは男の模擬剣を模擬剣で一太刀受けたが、見事にいなして男の体重を剣先に逃がし、そのまま素早く反転して、男の首に模擬剣の腹をぴたりと当てた。
「そこまで!」
 縦に大振りしてきた相手の模擬剣を軽々と避けると首に模擬剣の切っ先を当てて、
「そこまで!」
 じりじりと一定の距離を保って強引に打って来るのを待っている相手には、あえて強引に行き相手に先に打たせ、それをいなした。態勢の崩れた相手の頭に模擬剣を軽く当てて、
「そこまで!」
 トライドの実力を知り、模擬剣を何度も振って、力押しに突破口を見出そうとした相手に対しては、利き手を模擬剣で強く叩いて、模擬剣を取り落させた。
「……そこまで」
 結局、トライドが優勝してしまった。
 トライドの名前を叫び盛り上がる男たち――飛び入りの兵士が優勝するというわずかな可能性に賭けていた男たちを尻目に、ログナたちはもといた机と長椅子の場所に戻った。
 ルーアは、トライドの座っていた場所に、座った。机に背中を向けて、トライドが来るのを待っている。
 トライドは特に何かを成し遂げたような達成感もなく、淡々とした表情で、ログナたちのもとへと戻ってきた。
「ルーア」
 そして自分の席に座る酔った女の名前を呼んだ。
「いくら酔ってても、ああいうの、やめなよ」
「ああいうのってどういうの?」
 ルーアが楽しげに言う。
「もういい」
 トライドは静かに怒って、一人で宿舎のほうに歩き出してしまった。
 ルーアが足を動かして机に向き直り、ログナに視線を向けてきた。
「どうですか、隊長? 実戦のときも、ああならいいんですけどね」
 美味しい肉料理をすすめてきたときより、酒を飲んでいるときよりもずっとうれしそうに、ルーアが言った。
「お前、酔ってないだろ」
 呆れまじりに言うと、ルーアは笑っただけで返事をせず、また酒に手を伸ばした。



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