カロル兵団。
 奇妙な名前のこの国は、人類という存在がロド王国とともに滅んだあと、魔族の国として、自覚的に作られた国だった。
 人類ではなく、魔族のできそこないたちが作ったこの国の歴史書のなかでは、さまざまな逸話が伝えられていくことになる。

 カロル兵団の名前のもとになった、凄腕の剣士の話。
 テルアダルとの戦いで命を散らせた、水魔法を使う少女の話。
 車いすを押して東方の町々におもむき、魔物を討伐してまわった不思議な夫婦の話。
 過去の歴史書から、正当と思われる記述のみを取り入れ、第一級の貴重な史料を生み出した女性歴史家の話。
 そして――魔物の脅威を取り除くため、人々の剣となって戦い続けた、魔王討伐隊の話。



最終話



 ログナは片手剣についた血を払ってから鞘に納め、左手を横に動かした。左隣にいたレイの右手に、ぺしりと合わさる。
「だいぶこのあたりも片付いてきました」
 だだっ広い平野を歩くのに飽き飽きしながら、声の聞こえた方に戻っていく。
 夏だということを忘れてしまいそうになる、見渡す限りの不毛の土地。
 ミスティは平らな岩の上に置いた紙へ、書き込みをしていた。文字を書くため、筆記具にインクをつけるため動く手を、ぼんやりと眺める。
「でも、まだまだかかるな。この大陸だけでも、俺たちの代では終わらせきれないかもしれない」
「テルアダルにあんな啖呵を切っておいて、何をいまさら」
 レイが笑いながら言う。
 彼女はミスティの足元に置いてあったカロル兵団の団旗を拾い上げ、こちらに投げ渡してきた。旗には鉄製の棒がついている。ログナはその棒の先端を使って、ぐりぐりと地面をえぐり、深くまで差し込んだ。この旗を目印に、街道が整備されていく予定になっている。街道を整備すれば物資の運搬が楽になり、街とは言わずとも、仮の拠点なら作れるようになり、遠征できる距離も延びていく。
 フォードたちによる西方の偵察や生存者の救助の結果、さまざまな情報が得られた。それらの情報を統合したクローセの提案で、カロル兵団は国として成長していく方針を固めた。生き残った人々を、生き残った兵士たちとともに、豊穣な作物の生産が期待できる町へ優先して入植させる。カロル兵団の主力は、彼らが危険な魔物に襲われることのないように、各地で、魔物を討伐する、という計画だ。テルアダルが死んだことによって、いまのところ、魔物が増えていくことはなくなっているようなので、討伐すればするほど、数は減っていく。
 そして強力な魔物の目撃情報が多い大陸の西方は、すべてを魔王討伐隊が担当している。
 魔王討伐隊第二分隊は、かつてのフォード隊がそっくり移動した。第三分隊隊長は隊長がリル、副隊長がバルドー。第四分隊は、隊長テイニ、副隊長テルセロ。第五分隊はカギラが隊長だ。番号が後ろへ下がるほど、危険度が低い地域を担当する。第三分隊までが大型魔物を担当し、第四、第五分隊は上級魔物のみに割り当てられる。
 そして魔王討伐隊第一分隊隊長は、ミスティ。副隊長はログナで、レイとイシュを合わせて四人が所属している。人跡未踏の最前線へおもむくことになるため、多くの物資補給は望めない。少数精鋭とならざるを得ず、魔法剣の使用者がふたりも割り当てられている特別編成だ。
 結局、ルーたち孤児とは、いつも一緒にいるというわけにはいかないが、いまのところ一週間に一度は、物資補給のためグテル市へ帰ることができているので、特に離れているという意識はない。ルーたちももう十五歳だから、親と四六時中一緒にいなければ生活できない、ということもない。
「こちらも終わりました」
 イシュが黒い霧を右手の魔石に吸い込ませながら、歩いてきた。
「書き終わりましたか?」
 イシュの言葉に、ミスティが頷く。筆記具の先を麻で拭いて、インク瓶を片付ける。そのあいだにイシュは、かごに入れておいた鳩を外へ出した。ミスティから渡された紙を、鳩にくくりつける。
「お仕事、お願いね」
 イシュはそう囁いて、鳩を放った。
 グテル市へ帰るように訓練された鳩だ。ミスティがしたためた調査の途中経過を、クローセに伝えてくれる。
 馬を岩へくくりつけていた細い縄の結び目をほどき、二頭の馬の手綱をそれぞれ、ミスティとレイに渡した。イシュは自分とログナの分の馬を連れてきた。
 馬は魔物の気配を敏感に察知して、怯えて逃げる。上手く使えば、魔物の探知役になるということだ。
「今日はどのあたりまで進めるかなあ」
 既に馬へ乗ったミスティが、平原の向こうを眺めながら言う。
「年寄りにはこたえる」
 レイは言葉と裏腹に、片腕だけで軽快に馬の背中へ飛び乗った。
「ログナ様」
 ログナも馬の背中に飛び乗ったところで、イシュが馬を寄せてきた。
「さっき鳩を飛ばして思い出したのですが、トライドくんから手紙が来ていました。すみません、言うのが遅れてしまって」
「お。トライドからか」
 トライドは、魔法剣の使い手として魔王討伐隊にぜひとも欲しかったが、本人が、ルーアの手伝いができなくなるからと、固辞した。
 代わりに、王都を中心に、東方の町々を回って、魔物の討伐を手伝っているそうだ。


ログナ様、イシュ様へ

 こんにちは。このあいだのお手紙、楽しく拝見しました。イシュさんの表情が柔らかくなってきたとのこと、僕もぜひ見てみたいです。こんなことを書くと、ルーアに怒られてしまうでしょうか。
 こちらから手紙を送るのはひと月ぶりになりますね。大型魔物の討伐が続いて、間隔が空いてしまいました。カルギン(ヴィラ砦を崩壊させたあいつです)の目撃情報があってからなかなか居場所がつかめず、さんざん手を焼かされました。魔物が減ってきたとはいえ、まだまだ、油断はできませんね。
 東でこれなのだから、西は少しも気の抜けない毎日なのでしょう。魔王討伐隊の大活躍、東方にもたびたび伝わって来ています。言うまでもないかもしれませんが、どうか、怪我にだけは気をつけてください。
 いま僕たちは、生まれ故郷のコンフォールドに来ています。ルーアは座ったままでも十分強く、外面もいいので、子供たちに大人気で、僕は少し、ルーアにも、もちろんルーアを独占する子供たちにも妬いています。
 コンフォールドは、旧王国時代の末期、魔物に潰されてしまった街ですが、いまはここに、明るい笑顔があります。
 では、また。
 勇者カロルの加護を。
 復讐者リリーの加護も。


 ログナは小さく笑いながら手紙をたたんだ。
 イシュは、手紙を受け取って麻袋にしまうと、
「わたしのこと、手紙に書いてくださってたんですね」
「ああ、まあ……」
 戦場におけるイシュは相変わらずの硬い表情で、
「柔らかくなっているでしょうか」
 と呟いた。
「前よりはずいぶんな」
 ログナはそう応えて笑っておいた。イシュは戦場では相変わらず無表情でいるが、戦闘の合間にイシュが見せる笑顔にどきりとさせられることが増えた。イシュの笑顔は、ログナの前にいるときより、複数人で話しているときのほうが明らかに少ない。仕事仲間として信頼されているからだと自分に言い聞かせ、勘違いしないようにするのに苦労する。
 それからしばらく馬を走らせていると、先行していたミスティとレイの馬が急に足を止め、引き返してきた。
 魔物が近くにいるのだろう。
 四人は、すぐさま馬から降りて、手近な岩に縄を結んだ。
 雲の切れ間から見える朝日が、魔物たちの異形を照らし出す。
「行きましょう」
 先頭に立ったミスティが、魔法剣を構えて呟く。
 ログナは、片手剣を静かに鞘から抜いた。



(終わり)




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