62 エピローグ(1) 惨劇の爪痕


 トライドとログナは、魔法土で四角い板を作り、そこに、もっとも重体と思われるフォードを乗せて運んだ。まだ気絶しているミスティとレイとクローセの護衛、簡単な治療は、ラヴィーニアに任せた。レイエド砦のほうの戦いもほとんど終わっていたが、イシュは念のため、先行してレイエド砦に救援に向かった。
 運んでいる途中で、フォードが目を覚ました。
 トライドは頭側の魔法土を持っているので、視線は自然とログナへ向いている。フォードは首と頭を浮かせて自分の左腕を見たあと、力を抜いた。
「おい、あいつは結局誰が倒した」
 フォードは血止めをされて運ばれていることに礼を言うでもなく、不機嫌に言う。
「聞きたいか?」
 ログナが焦らすように言うと、フォードは舌打ちした。そしてため息をつき、投げやりに返した。
「ありがとう、治療してくれて助かった。これでいいんだろう? 教えてくれ」
「トライドの提案で、俺が『始まりの石』の小刀で結界を突き破って」
「そうか!」
 言った途端、フォードが大きな声を上げた。そして右手で拳を作り、自分の太ももに強く叩きつけた。
「そうだ。『始まりの石』なら。馬鹿なことをした。すぐに思いつくべきだった」
 フォードが心底悔しそうに呻く。
「で、結界が崩れたところをトライドが魔法剣でぶった切って」
「待て」
 魔法土を持ち両手のふさがっているログナが、顎でトライドを指すと、フォードはまたしてもログナの言葉を遮った。
「この頼りない男が魔法剣を?」
 頭を上へ向け、フォードがトライドを見てきた。
「頼りないとは失礼ですね。でも、僕もびっくりですよ。魔力が底を突きかけたら、変な光が両手から出てきて」
「変な光、か」
 フォードは笑った。
「それから、イシュが闇魔法で消滅させた」
「なるほどな……。だが、あいつに闇魔法が効いたのか?」
「最初は駄目だった。けど、トライドがイシュに『始まりの石』を投げ渡したら、急に、イシュの体から黒い霧があふれ出して、すごい勢いで敵の身体にまとわりついていって……」
 フォードはログナの言葉の後で何度か頷くと、
「なかなか、機転がきくじゃないか」
 また、トライドの方を見た。
 カロル兵団における会議や防衛準備で何度か顔を合わせたフォードは、いつでも皮肉な笑みを浮かべているような、よくわからない存在だったが、いまは興奮しているのか、感情がわかりやすかった。
「ありがとうございます」
 トライドは素直に礼を言った。
「『始まりの石』、彫られた刺青、原初の闇魔法」
 歌うように言ったフォードは、
「テルアダルすらも聖母の手のひらの上、というわけだ」
 それきり目を閉じた。
 途中で、イシュと救護班の人々が、十数人を引き連れて、レイエド砦の方から駆けてきた。
「レイエド砦の方はもう大丈夫だ! ミスティ様はいまどちらに!」
 救護班の班長と思しき人が、血相を変えている。
 元来た方向を指差すと、全員がすぐに走るのを再開した。
 フォードのことは全くの無視だ。
「こいつはどうする!」
 ログナが聞くと、班長だけが振り返り、
「十五番へ!」
 とだけ言った。

 十五番の迎撃魔法陣のあたりは、怪我人であふれかえっていた。
 新たな患者に気付いた救護班の班員が、
「そこへ寝かせてください。症状は」
 と、努めて冷静に言って、空いている場所を示しながら聞いてきた。地面の上には一応、むしろが敷いてある。
 トライドとログナは慎重にフォードを降ろし、彼の体を乗せていた魔法土を巻き取った。
「魔力の使いすぎによる左腕の爆散。血止めはしてきました。胸のあたりの骨も折れているかもしれません」
「わかりました。後は……」
「だから、大人しく寝ていなさいと何度言ったら! 動いていい怪我ではありませんよ!」
「放っておいてください! わたしは平気です!」
 救護班の班員の声を遮るようなやり取りが聞こえてきた。
「すみません、少し、錯乱しているかたもいらっしゃって……。後はお任せください」
 耳慣れた、声。
「ちょっと、先に」
 トライドはログナとイシュに断ってから、足の踏み場もない患者たちの治療場所を大回りして、声が聞こえた方へ走った。
 そこには、錯乱しているかた、とされたルーアがいた。
 ルーアはなぜか、立ち上がっていた。押さえつけるわけにもいかないのだろう、ほとほと困った様子で、救護班の女の班員がルーアのまわりをうろうろしている。
 失くした右足には、本物の足の代わりに、魔法土で作った足があった。一歩動かすたびに顔をしかめながら、それでも、東へ――主戦場だった東へ進もうとしている。トライドが呆然と突っ立っていると、ルーアのほうでも、トライドの存在に気付いた。ルーアは泣きそうな顔になった後、すっと目をそらした。空気の変化を感じ取ったのか、班員が促すと、素直に座った。
「すみませんでした」
 と班員に向けて言った彼女は、右手の手袋を脱いで、眠っている右隣の兵士のお腹の上に置いた。魔法土で作られた足も消えていた。
 班員が、近づいてくる。
 通り過ぎざま、立ち止まると、
「必死にあなたのもとへ向かおうとしてましたよ。困った子です」
 トライドはお礼を言って、ルーアのもとへと歩いていった。
 ルーアは鎧を脱ぎ、麻の服になっている。治療の邪魔なのか、武具がまとめて積み上げられているところがあったので、トライドも、魔物の返り血で濡れた鎧を脱いで、その上に放った。
 狭いのでルーアのすぐ隣に座ると、ルーアがなぜか、背中を向けた。
 理由を訊ねようかどうしようか迷って、ルーアのうなじの辺りで結ばれた髪を見つめていると、
「ごめん、まだ、体を見られたくない。あっち向いて座って」
「血止めしてるときに見たよ」
「嫌だって言ってるでしょ」
 ルーアははっきりと言い切った。
 こうなったときのルーアには何を言っても無駄だ。
 トライドは仕方なく、ルーアに背中を向けて座り直した。
「ルーアは、まだ、そんな風に思えないかもしれないけど……命があってよかったね、お互い」
「うん……そうだね。命があったのは、よかった」
 背中同士で向き合っている中、ルーアが、寄りかかってきた。
「生きていられるだけで幸せだって言うのは分かってる。でも……でもさ……これからどうすればいいんだろうって……」
 背中越しに、震えが伝わってくる。
「右足も、左腕も、なくなっちゃった。騎士なのに、わたし、もう、魔物と戦えない。トライドのことを、隣で守ってあげられない。それどころか、ただ生活するのだって」
 トライドはしばらく何も言わずに、じっとしていた。
 雪が少しずつ強さを増して、この一日のうちに行われた惨劇の爪痕を覆い隠すかのように、辺り一面を白く染め始めている。
 トライドとルーアの故郷、コンフォールド地方で、雪は一度も降ったことがなかった。あまり裕福とは言えなかったが、自然だけは豊かで、いつも緑に覆われていた。その故郷も今はもうない。とっくに魔物に潰されて、半農の国王軍の一員として戦ったルーアとトライドの家族もすべて戦死した。
 親の世代は、王国の終末期、魔王の出現から始まる、もっとも魔物の攻勢が強かった時期に生きた。生き残っている人間は、本当に少ない。
 そんな、何もかもが死に覆い尽くされてきた世界で、自分たちは生き延びた。
 自分たちより上の世代、一連の終末的な状況で、いくつもの死を背負い、最後まで戦い抜いた人たちに支えられて。
「僕はさあ、ルーア」
 トライドは首を上に向けた。
「いたっ!」
 ごつ、と、後頭部と後頭部がぶつかり、ルーアが不機嫌そうに声を上げた。
 一旦離れたルーアの頭が、また、軽くぶつかってきた。
「ルーアにこれまでずっと守られてばかりだったから、いつかその恩を返したいと思ってた。それなのに、ルーアをヴァーダーから守りきれなくて……そんな、怪我まで負わせて……」
 トライドは言っているうちに泣きたくなってきたが、その気持ちを胸の奥に押し込んだ。泣きたいのはルーアのほうだ。
「でも、僕は、ルーアが生きていてくれただけで……。僕達が、そろって生き残れたことだけで、本当に、嬉しいんだ。これまでルーアが守ってくれたぶん、どうしてもお返しがしたい。ルーアにとって迷惑でも、ルーアのために頑張る。だから……一緒に、頑張ろうよ、ルーア」
 ルーアの体が三度、揺れて、子供のような嗚咽が漏れ聞こえてきた。
 負けず嫌いなルーアは、泣くことすら嫌がる。
 それでも出てしまう押し殺したような泣き声が、トライドの背中を、震わせ続けた。
 雪が、座っているトライドの体にまで積もり始めたころ、ルーアは、鼻をすすった。背中にくっついていた熱が、トライドから離れた。
「見て」
 と、ルーアが言った。
 体ごと向き直る。
 ルーアは、赤黒いしみにまみれた薄緑色の麻の服を着ていた。服は左腕と右足の先を破られていて、患部を塞ぐように、綺麗な布が縛りつけてある。
 魔物との戦いに備えて鍛えられた体は、左右の均衡を失っても、ほとんど静止できていた。
「こんな気持ち悪い体を見ても、同じことが言える?」
 ルーアの目から、次々に涙が零れ落ちてくる。
 トライドは、痛ましい、とも、もちろん気持ちが悪いとも思わなかった。
「言えるよ」
 トライドは一歩近づいて、ルーアの髪に積もった雪を払った。
「だって、ルーアはルーアだから」
 言葉に詰まったルーアの身体を抱き寄せると、
「何それ、意味わからない」
 ルーアが、無愛想に言った。
「さっき、魔法土で、足を作ってたよね。僕、それを見て、ルーアはルーアだなあって思った。大丈夫。ルーアは、きっと、大丈夫」
 ルーアは、今度は涙を堪えなかった。
 トライドの肩に顔を押し付け、胸の奥に響き渡るほど強く、泣いた。
 トライドも少しだけ、泣いた。



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