6 ラシード砦攻略


 王国支配下の砦に着くたびに、レイが直筆した信任書を見せて休息を取り、馬を乗り換え、先へ先へと進んでいった。
 ひたすらに馬を操り、馬が疲れたらたっぷりと休息を取り、また走らせる。
 一晩、二晩、三晩と砦をめぐり、明けた四日目の朝、王国の支配しているもっとも西方の砦から、ログナたちは徒歩で発った。
 ログナとルーア、トライドは、馬に乗っていた時と同じ格好だ。
 イシュも同じ服装だがひとりだけ、補給物資の満載した人力用の荷車を曳《ひ》いている。同じ王国騎士団所属の者とはいえ、身分の線はきっちりと引かれている。
「イシュ、荷物を……」
 ログナは、キュセ島にいたときのような気楽な考えで、荷車を曳こうと申し出そうになって、やめた。まだお互いをよく知らない状態で、身分の常識を否定して上官が荷物運びを始めては、トライドとルーアの立場がない。
 イシュが、やや首をかしげた。
「いや、なんでもない」
 ログナは適当にごまかし、歩き始めた。
 しばらく黙々と歩いていると、やがて整備された道が途切れて急峻《きゅうしゅん》な斜面に入った。荷車の車輪ががたがたと砂や小石を跳ねる音が、少しずつ、隊列に遅れ始めた。体力自慢で、最近まで険しい土地の開拓を行っていたログナはともかく、日頃騎士団で鍛えられているはずのトライドとルーアが息を切らすような斜面だ。イシュにかかる負担は計り知れない。
 ログナはその斜面を登り終えたところで、
「小休憩」
 と言った。
 徒歩での移動のため、休憩時間をこまめにとる必要がある。本来ならば馬を使用したいところだが、さすがにイシュの運んでいるような重量の荷物を、四頭の馬では運ぶことができない。
 ログナは足元に注意しながら、崖の方に近づいた。
 小さな山と言ってもいいくらいの高さのこの場所からは、平地にある最初の目標、ラシード砦が良く見える。ラシード砦の付近に魔物の住処や村や町は存在しないため、戦略上の重要度はさほど高くない。構造も単純だ。
 川が砦の東と南を蛇行して流れていて、北と西には延々と空堀が掘ってある。空堀は深くはないが幅があり、飛行能力や跳躍力のない魔物ならわざわざ下りてから上るしかない。そこへ集中的に魔法攻撃を仕掛ければ、こちらは無傷で、敵にかなりの損害を与えることが期待できる。だが問題は飛行能力や跳躍力のある魔物の場合だ。魔王との戦いのなかで無計画に乱造された砦のひとつなのだろう、空堀を突破された場合、攻撃を防ぐ設備がまったくない。中に詰めている兵士たちを守るのは、盛り土を固めたいくつかの土塁だけだ。魔物に、さほど流れの激しくない川のほうから攻め込む頭があれば、東から南から空から、いいように蹂躙されてしまう。
「あそこには籠りたくない」
「ね」
 トライドの呟きに、ルーアが反応する。ふたりはログナからやや離れた位置で、同じように砦の様子を眺めている。
「緒戦にはうってつけだ」
 ログナが言うと、トライドとルーアは頷いた。
「盗賊にはうんざりしてたんですよ」
「やってやりましょうね!」
 荷車の音が後ろから近づいてきて、消えた。ログナは荷車を停めたらしいイシュのほうを盗み見た。
 冬の寒さのなかでログナたちは軽く汗をかいたが、イシュは汗みずくになっていた。イシュは口を開けて空気を貪欲に取り込んでいる。
 建前を通すためにイシュには辛い思いをさせたが、この状態になれば大丈夫だろう。
「荷車はここから交代で曳くぞ。戦闘効率が落ちる」
 イシュにも聞こえるように言うと、
「えー! せっかくノルグ族がいるんだから、任せればいいじゃないですか!」
 ルーアが口をとがらせた。
「俺たちは四人しかいないうえに急造の部隊なんだ。ひとりでも戦力が脱落すると厳しい」
 ログナの言葉に、トライドはイシュの様子をちらりと見て、納得したようだった。
「ここからしばらく荷車は僕が」
 そう申し出たトライドとは対照的に、ルーアはきちんと返事を寄越さない。
 トライドがイシュに近づいていくと、
「これはわたしの仕事だから」
 イシュは拒んだ。
 ……まともなのはトライドだけか。
 ログナは内心ため息をつきつつ、
「思いやりで言ってるわけじゃない。戦闘に支障が出るから言ってる。命令だ」
 と付け足した。
 イシュは不服そうに、荷車から退いた。
 この露骨な態度をとる女たちをうまく扱うには、実力を証明するしかないのだろう。

 休憩までに通ってきた急峻な上り坂とは違い、なだらかで長い下り坂が続いたので、特に手を貸すこともなく、荷車はトライドだけで曳くことができた。
 ラシード砦に着くまでに、地図やその他の情報を確認しながら砦の襲撃計画を立て終えていた。簡単な役割分担を説明しながら、トライドの引いていた荷車とイシュが背負っていた荷物を森の中に隠させた。ただ置いてあるだけでは誰かに見つかってしまうおそれがあったので、草木を寄せ集めて偽装させた。
 ログナたちは川が浅い東側の草むらに隠れて、二つ立つ物見櫓《ものみやぐら》の様子を観察する。それぞれの物見櫓にひとりずつ歩哨《ほしょう》が立ってはいるが、その立ち姿は警戒の二文字とは程遠いものだった。しばらく二人の動作を見続けて、こちらに一度も目を向けていないのを確認したところで、ログナは立ち上がった。
「行くぞ。手はず通りにな」
 草むらを飛び出す。魔法土で足の部分を覆い、膝丈まで水位のある川を、走り抜けた。
 渡河を簡単に終え、魔法土を解いたログナは、砦の石壁にぴたりと張り付き、トライドに目で合図した。
 トライドがログナと同じ土魔法を使って、地面の土を大きく盛り上げた。
 ロド王国の人間は、左手と右手に、それぞれ違う魔法を発動させるための魔石を備えることが多い。トライドの場合は右手が炎魔法と左手が土魔法、ルーアの場合は右手が炎魔法、左手が光魔法。イシュの場合は右手が闇魔法、左手が風魔法だ。ログナは生まれつき魔力に恵まれていなかったため、両手に土魔法の魔石を備え、首から下のいたるところに、土魔法を増幅させるためだけに特化した刺青が彫ってある。
 イシュが先行して壁の向こうに渡りる。ややあって、彼女が指示通り、近くの物見やぐらの梯子《はしご》を素早く駆け上る様子が見えた。闇魔法を発動させた彼女の右手の魔石から、黒い霧があふれ出て、物見やぐらの兵士を絡め取る。
 全員、殺さず、捕虜にするよう伝えてある。彼女は拘束した兵士を黒い霧の塊にして運びながら、降りてきた。
 ログナたちも盛り上がった土を踏み台に壁を越えて、向こう側に降りた。
「右土塁の陰に、弓ひとり、槍ひとり。左土塁の上は弓ひとり、槍ひとり。向こうの櫓に兵士ひとり。他の兵士の姿は見えず」
 イシュが状況を報告するのを聞きながら、ログナは手だけ動かし、トライドとルーアに左の土塁へ行くよう指示した。同時に、ようやく敵が侵入者の存在に気付いたのか、警報音のような大きな鐘の音が乱打されている。北方にあるラオ砦の味方に知らせるためか、狼煙《のろし》も上がった。
 ログナは右の土塁に向かって走り出す。右土塁の陰から上へ上り、姿を見せた射手が、弓を放ってきた。一応は訓練されているのか、正確にログナの体に向かってくる。
 避けるのは間に合わないと判断し、魔力を使った。頭の奥のほうが熱くなるような感覚の後、魔力はロド教の五芒星の首飾りを通って、体中の刺青を伝う。手袋にはめてある魔石にまで、すばやく魔力が行き渡る。
 魔石の周囲から変化が起き始める。魔石から噴き出した魔法土《まほうど》が、身体を素早く覆う。土魔法の一種に分類される、防御魔法だ。
 防御魔法で出現する魔法土は、ただの土とは別物だ。硬度は魔法を使う者の熟練度に依存し、ログナの場合は鉄よりもずっと硬い。硬さのほかに際立つ利点のひとつは、魔法土は、魔力で体にまとわせているということだ。使用者の動きに合わせて体の周りを浮遊している状態のため、動作の邪魔にならず、防御と同時に攻撃を行える。さらに、魔法土は使用者の意のままに動くので、目や鼻など露出している部分を狙った攻撃も、いざというときには防げる。欠点として、習得に十年単位の時間がかかり、習得しても使いこなせる保証のないことが挙げられるが、それはどうにか乗り越えた。生まれつき魔力が少なく、他の魔法をいっさい使えないログナにとっては、まさに生命線といえる存在だ。
 射手が手早く次の矢をつがえては放ち、つがえては放ちしてくるが、鈍い衝撃が体にあるだけ。
 やがてログナは右の土塁に到達すると、自分の背丈の四倍はあろうかという土塁に手を出した。魔法土に土塁の土を吸着させ、交互に手を出して土塁を這いずり登る。
 そのあいだにも射手は撃ち続ける。登り終える直前、別の兵士からログナの頭に向かって槍が突き出されたが、その刺突はいまいちだった。首を曲げてよけた。左手だけで土塁にぶらさがったまま、簡単に見切れてしまったその槍の先端を、右手で掴みとる。
 そのまま強く引くと、兵士が態勢を崩した。前のめりになって土塁の下に落ちていく。地面に着く寸前に、イシュが闇魔法で男の身体をとらえて、無事に捕虜にした。
 弓を捨てて剣を抜いたもうひとり男には、奪った槍の柄《え》の部分で腹を突き、ひるんだところをまた、下に突き落とした。
 土塁の下の状況を確認する。すでに三人の男が闇魔法に囚われている。その先の左土塁の陰から、敵を挟み込む位置を確保したイシュとルーアの姿がある。二人は走り出し、トライドは左、ルーアは右から、敵を挟み撃ちにした。たちまち二人の兵士が無力化された。
 これで五人を捕えることができたが、レイのまとめた報告書によれば、まだ最低でもあと三人はこの砦に常駐している。
 ログナは右側の土塁を駆け下りて、土塁の陰にしゃがみこむ。手はず通り進んでいるから、間もなくルーアたちが合流するだろうと思い、左側の土塁に目をやると、ちょうどこちらへ走ってくるところだった。そこで少し、気を抜いた。
 するとこれまでただの地面にしか見えなかった場所に突然蓋があらわれて勢いよく開き、中から人間が飛び出してきた。三方向から、魔法の気配と足音が迫った。
 少し油断していたが、防御魔法は解かずにいたので、慌てずに、片手剣を抜く。片手剣をすべて魔法土で覆って石剣のようにしてから、ひとりの兵士のもとへ走る。光弾、炎魔法が胸と背中辺りを覆う魔法土に直撃した。焦げつくようなにおいがあたりに広がったが、魔法土を貫かれはしない。
 兵士の足を思い切り殴りつけて骨を砕く。大きな悲鳴を聞いた兵士のひとりが、急に走るのをやめた。無様に背中を見せて、逃げる。ルーアとトライドにひとりは任せ、ログナは片手剣を放って駆けだした。何度もよろめき思うように走れていない男の背中に、飛びながら膝をぶつけた。その態勢のまま、圧し掛かる。右肩と左肩の関節を順番に外した。大の男の甲高い悲鳴とともに、戦闘は終了した。
 小さく息を吐く。
「けっこうやりますね!」
 左の土塁の近くから、ルーアの声が聞こえた。そちらを振り向くと、視線が合い、ルーアは笑顔になった。実戦を終えたばかりのルーアに、緊張や疲れはまったく見られない。普段の言動はともかく、実戦向きの性格ではあるようだ。
 反対側では、捕虜を引き連れたイシュが、こちらに歩いてくるところだった。
 イシュはログナの目の前まで来て、立ち止まる。
 片手剣の柄をこちらへ向けた彼女は、その灰に近い黒の瞳で、まっすぐログナを見た。
「噂にたがわぬご活躍でした」
 ……少しは、素直に指示を聞いてくれるようになればいいが。



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