52 顔合わせ


 雪がちらほら舞う中、今後のことについて話し込むログナ、レイ、ルーアのあとについて歩いていると、カロル兵団の兵士に、
「よく生きてたな」
 と、ややつっけんどんに声をかけられた。確か、カロル兵団の捕虜になっていたとき、ログナの乗せられた荷車を曳いていた兵士だ。
「はい。どうにか……」
 予期しない声掛けに、思わず足を止めたトライドがそう返すと、
「ヴィラ砦の戦い、うちではもう語り草になってるんだ」
「へ?」
「後片付けは俺たち下っ端がやらされてな。お前のとこの隊長が守っていた東門、あれはとんでもなかった。折れた両手剣、片手剣が何十本も落ちてて、そばに新種や龍族種の死体の山があって……。魔法土だけであんな真似ができる化け物、見たことがない」
「はい。すごいんです、うちの隊長は」
 トライドは、ログナが褒められて嬉しいような、情けないような、複雑な思いでその話を聞いた。彼の足元にも及ばない自分をまた、思い知らされたからだ。ルーアと二人で守った南門、トライドは常に生死の境にいた。
「トライド! 置いてくぞ!」
 そのログナの声が聞こえ、トライドは慌てて返事をした。
「じゃあ、失礼します」
 兵士は最後に、トライドの肩を叩いてくれた。
「いい顔つきになったぞ、お前も」
 トライドは、兵士の気遣いに素直に笑って頷き、ログナたちの後を追った。
 トライドが連れられているのは、カロル兵団の幹部たちとの会議へ同席するためだ。トライドにはいろいろな経験が必要だ、とログナは言った。
 魔王討伐隊参謀という肩書をもらったルーアも、一緒についてきている。ルーアはいつも通り、臆することなく平然と、ログナとレイの議論に参加している。その調子で血の気の多いヴィーヴィに何か余計なことを言って、話をこじらせそうな気がしてならない。あまりルーアには同席してほしくなかった。
 けれどトライドの心配は杞憂に終わった。
 ルーアに関係なく、話は初めからこじれていたからだ。
「あなたを呼んだ覚えはありませんが。わたしはログナとログナの部下を呼んだんです」
 かつて魔王との戦いで、仲間として戦ったはずの二人。
 頭巾を脱いでいるミスティが、顔を合わせるなり、椅子から立ち上がって吐き捨てた。
 以前ログナが囚われていた建物の、二階にある部屋で会議は行われるようだった。
 机は王国で見慣れたような四角いものとは違い、丸みを帯びていた。椅子は左右対称に五脚ずつ並んでおり、右半分の椅子は、手前から、フォード、シャルズ、ヴィーヴィ、クローセ、ミスティの順に埋まっている。
「あなたはわたしたちを盗賊団だということにして、被害者ぶってログナに泣きついたらしいですが……。先に攻撃を仕掛けてきたのは、騎士団の馬鹿どもなんですけどね。緒戦で騎士団に何十人殺されたと思っているんですか?」
 レイも負けずに応戦する。
「正体不明の軍勢が複数の砦を占拠しているとの情報を得て、派遣しただけにすぎない。王国の所有する砦を勝手に占拠する者がいるとすれば、それを排除するのは正当な職務の範囲内だ。それから王国の砦をさらに奪い、兵士を殺し返してくれたのはどこの誰だ?」
「よくもそんな口を……。グテル市を見捨てたのはあなたたちじゃないですか! 生き残った子供たちが、毎日、毎日、魔物に怯えていたのに! それなのに、グテル市周辺の砦が奪われたときにだけ、兵を寄越すなんて……。平和な王都で、腐った王族を守ることだけに必死で、判断力が鈍っていたんじゃないですか?」
「黙れ!」
 レイが、誰も座っていない椅子の後ろを早足に通って、ミスティに詰め寄った。
「騎士団があの戦いで壊滅して、お前たちに賞金がかけられ、多くの街が消えてから、わたしがどれだけの……」
 けれど掴みかかろうかというほどの勢いはそこで止まった。
「いや、お前に言っても無駄か。ただ反抗すればいいと思っている、能天気なお子様には」
 レイの挑発によって、空気が一瞬にして張りつめる。
 ミスティが、何も応えずに、レイを見ている。
 魔法剣を使える突出した実力者同士の、いまにも戦闘が始まりそうな状況を前に、トライドは息がうまく出来なくなった。
 フォードは皮肉たっぷりの笑みで二人のやりとりを眺め、他の三人は、当惑した表情で二人の口論を見上げている。
 助けを求めるようにログナに視線を投げようとすると、
「いい加減にしろ!」
 耳をつんざくほどの怒声が、間近で弾けた。
 思わずのけぞる。右耳が嫌な音を響かせ始めた。
 ミスティの肩が――レイの肩までが、びくりと震えた。
 二人ともが、ログナに、なかば呆然と視線を向ける。
「こんな調子じゃ、次が人類最後の戦いだな」
 ミスティとレイが、気圧されたことを恥じるかのように、それぞれログナを睨みつける。
「この気持ちは、十年もずっと島に隠れていた人にはわからないでしょうね」
 ミスティが、動揺を押し隠すように口を開いた。レイは何も言わなかったが、同じようなことを言おうとしていたのは仕草で分かった。
 ログナは動じずに言った。
「前にも似たようなことを言われたな。たしか、お前に殺されかけたとき」
「はい。言いましたよ」
「あのとき俺は、お前に負けた悔しさで、言われた通り、この十年間が無駄だったと思いかけた。グテル市の生き残りを救ったお前や、何万人もの人間の支えになったレイに比べれば、吹けば飛ぶような十年間だしな。けど、俺は、恥じるようなことは何もしてない。孤児を育てて、キュセ島のために尽くした十年を、無駄とは思わない」
 ログナはそう言うと、一息入れた後で、
「殺されたのはお前らじゃない」
 ミスティとレイの顔をそれぞれ見比べた。
「殺されたのは兵士だ。お前たちを信じて戦った兵士だ。そいつらの死を無駄にしたいなら、勝手にやってろ。俺は防衛準備に戻る」
 用意された椅子に見向きもせず、身を翻したログナを、
「待ってください!」
 ミスティが呼び止めた。
「すみませんでした。感情的になったのは謝ります。だから、席についてください。レイも」
 小さく、小さく付け足したレイへの言葉に、ログナは、足を止め、ミスティの言葉に応じた。
 丸い机の左半分に、手前からトライド、ルーア、レイ、ログナの順に座った。
 ミスティは四人が席に着いたのを見計らって、今後予想される敵の攻勢と、それに対する防備について、話し始めた。
 カロル兵団の総兵力は、千人と少しだという。
 トライドたちが初めにカロル兵団と戦ったとき、迎え撃った兵士たちはたった八名だけ。加えて、ヴィラ砦防衛戦でも兵力を出し惜しみしたところから見て、その程度だろうとは思っていた。
 けれどフォードが偵察活動の結果導き出した敵の数の予測が、トライドの予想をはるかに越えていた。上級魔物がおよそ十万、ノルグ領兵士がおよそ二千人、らしい。
 できれば、この情報を知らずに戦いたかった。魔物だけでも厳しいというのに、ノルグ領の兵士がこちらを上回っているというのがまずい。ノルグ領の兵士は、どの兵士も風魔法を中心とした攻撃的な魔法を得意としている。魔物は、ひとりで百体を倒すようなこともできる。けれど簡易結界魔法の使える人間は、そうはいかない。相手が二倍以上いるとなると、対応は難しい。
 そのうえ、敵軍にいるヴァーダーはおそらく、簡単に城壁を破壊できる。魔物と人間の混成部隊で、破壊された城壁から内部に侵入されてしまった場合、十万を超える魔物は、押し留めようのない暴力性を発揮するに違いない。
 トライドは、フォードが提供する情報を耳に入れながら、何か自分が提案できることはないかと、必死に考えをめぐらせた。
「もう無理ですね。人類は滅亡ですよ」
 頭を抱えたルーアが、投げやりに言う。
 たしなめようとすると、
「まあ、そう思うのも無理はない」
 シャルズが苦笑いした。このなかで最年長の彼は、どこか所作にも落ち着きが感じられる。
「俺たちも同じ結論に達した。だが、ひとつだけ、いい要素がある」
 フォードはシャルズの言葉を引き取ってそう言うと、ミスティに視線を投げた。
「こっちには、ミスティがいる。こいつは、ラシード砦で人型魔物と遭遇した。そうだな?」
「ええ。わたしにあてられた人型魔物はさほど強くなかったのかもしれませんが、細切れにしてやりましたよ」
「はあ? お前、強すぎだろ。少しくらい魔力よこせ」
 ログナの言いようが、まるで子供だ。トライドは笑いそうになったが堪えた。
「だから、そういう自虐的な言い方をしないでください。何回注意させるつもりですか?」
 軽い冗談にしか聞こえないのに、ミスティの反応がおかしい。なぜか、不機嫌に低い声を出した。
「カロル兵団の団長様って、冗談も通じないわけ?」
 ルーアがミスティの不機嫌に引きずられ、不機嫌な声を出す。不機嫌の連鎖だ。
 ミスティはルーアを見下すように、
「わかってる、そのくらい」
 とやり返した。
「今のが冗談になるのは、わたしより弱い人間が言ったとき。ログナが言ったって、冗談にはならない」
「あいつがミスティ様より強い? 冗談やめてくださいよ、ミスティ様。確かにちょっと強いのは認めますけど、あんなのただの防御馬鹿ですよ」
 ミスティとルーアが、同時に睨みつける。ヴィーヴィは、
「な、何ですか、ミスティ様まで……」
 と言ったきり、黙り込んでしまった。
 騒々しいやり取りが終わったところで、レイが、
「まともに会議も進められないのか」
 その呟きに、ミスティが不愉快そうに眉根を寄せた。
「やめとけよ。ふざけたのは謝るから。ミスティの存在以外にももうひとつ、良い要素がある」
 レイに謝ったログナが、仕切り直す。
 ログナは腰に提げていた麻袋に手を入れると、その中から、小刀を取り出した。『始まりの石』でできた、あの小刀だ。
「この小刀は『始まりの石』でできている」
 カロル兵団の幹部たちの顔色がかわった。フォードの表情も、初めて崩れた。
「お前、どこで、それを」
「あんたなら、少し考えればわかるはずだ」
 フォードはログナの言葉を受けてしばらく黙りこんだあと、
「北部城塞に、出てきていたのか?」
「ああ。少しでも勘付かれれば魔物に狙われるだろうから、ずっと存在を隠して保護していた」
 ミスティたちはよくわからないようだが、魔物には絶対に気付かれてはならないことだということは伝わっているのか、黙って聞いている。
「これを削り出して分配する許可を得た。クローセ、お前、まだ結界魔法の腕は衰えてないんだろ?」
 話を振られたクローセが、少し驚いたあとで、気心の知れた相手に対する含み笑いを浮かべた。
「わたしには地味な仕事をさせるだけさせて、また、おいしいところだけ持ってくつもり?」
 ミスティもくすりと笑う。
 昔の魔王討伐隊の空気感が伝わってきて、少し、うらやましい。
「悪いな。本式の結界魔法でなら、いくら相手が強くてもそう傷はつけられないはずだ」
 全員が頷く。すぐ横にいるルーアの横顔も、明るさを取り戻している。
「あ、ログナ、次の話に移る前にひとつ。グテル市とレイエド砦の一部くらいまでなら結界を張れる自信はあるけれど、さすがに、それ以上になると難しいと思う。そちらからもひとり、結界魔法の得意な術士を出せない?」
 この会議中、ずっと話す機会がなかった自分に、ようやく口を開く機会がやってきた。トライドは左手を挙げながら、
「それなら」
「僕が、なんて言わないよねえ?」
 隣にいるルーアが、左手首をがっしり掴んで、笑顔で妨害してきた。
「お前は駄目だぞ。大事な戦力だ。前衛で働いてもらう」
 ログナの声に追い討ちをかけられ、トライドの提案はあっさり潰された。
 けれどログナに戦力として計算されていることは、嬉しい。
「クローセの支援には、この小刀の所有者を出す。あいつの攻撃魔法は魅力なんだが、動き回る体力がない」
「わかった。王国からこの小刀を託される人間だから、きっと不足はないでしょうね。結界の維持に必要な兵士はこちらで用意しておくから、あとは迎撃に関する簡単な取り決めを」
「では、迎撃についてはわたしから」
 クローセの言葉を受けて、今度はミスティが話し始めた。
 防備の話はログナ、攻撃の話はミスティ。少し、今の二人の役割分担を表しているようだ。
 トライドはミスティの言葉に耳を傾けた。



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