51 やり残した最後の仕事――魔王討伐隊、再結成


 ログナたちが王都北部城塞へ発ったと聞いてから、二週間。
 ようやく回復したミスティは、いつも他の兵士に出る前と同じように、白い頭巾で目以外を覆い隠している。
 頭巾を被る前にクローセが見た限りでは、顔がいつもよりもさらに白く、顔つきには疲れがにじんでいた。
 クローセはミスティの腕を掴んで支えながら螺旋階段を降りていき、フォードに貸し与えている部屋まで誘導した。
 簡素な長椅子、四脚机の向こう側に、フォードと、シャルズが座っている。こちら側には、フォードの正面に座ったミスティを真ん中に、左側にヴィーヴィ、右側にクローセが座る。
「痩せたか?」
 近接戦闘が苦手だったミスティへ、自らの戦闘術のすべてを叩き込んだ男が、ひとこと、呟く。
 ついこの間、二年ぶりに姿を見せた険しい目つきの赤毛男、フォード。
「はい、いろいろあって。でも、今の状況を打開できるのはわたししかいませんから」
「俺の知らない間に、団長様はずいぶん偉くなったらしい。人類の未来でも背負ったつもりか。忠告を無視して暴走した馬鹿弟子が」
 皮肉をまとったふてぶてしい笑みが、ミスティを慕う三人の苛立ちを、掻き立てる。
「先生……言いたいことは分かります、ですが」
「何度も言っておいたはずだ。人が人を蘇らせる術はないと。お前があれに固執した結果、何が起きた? リルもバルドーも、それに同調した連中も、団を去った。止める者がいなくなったのをいいことに、王国とまで、戦端を開いてしまった。人類の戦力はがた落ちだ。お前のせいで、多くの人間が危機にさらされている」
 ミスティは机を右手で激しく叩くと、何も言わずに立ち上がった。
 そしてフォードを見下ろしたまま、じっとしていた。
 フォードもミスティも、目をそらさない。
 やがてミスティのほうが、何も言わずに涙を溜め始めた。
 嗚咽をかみ殺すようなうめき声を気に留めず、フォードはさらに罵倒する。
「そこの猪娘が二番隊隊長? 指揮もろくに出来ない男が三番隊隊長、死にかけの老いぼれが研究主任だと? 笑わせるな! クローセという優秀な副官を得ながら、なぜここまで使えない組織に仕上げられるのか、その理由を言え!」
 向かい側に座るシャルズは、よく耐えている。クローセは我慢しきれず、闇魔法を発動させようとした。
 それよりも少し早く、つららのようになった水の塊が一斉にフォードへ降り注ぐ。フォードは細かい粒子のようにしてめぐらせた独特の簡易結界魔法を当て、ヴィーヴィの攻撃をすべてかき消してしまった。何も知らずに見れば、フォードが右手を掲げただけで魔法がかき消されたように見えるだろう。
「見ろ、ミスティ」
 フォードは、さらなる攻撃をぶつけようとしているヴィーヴィを目で制しながら、俯き、肩を震わせるミスティに言った。
「どうしようもない馬鹿弟子のお前にも、慕う連中はいる。そいつらを死なせたくないのなら、死んだ男のことをいつまでも引きずるのはやめろ。奴らを潰してから、好きなだけ泣け」
 クローセは、右手を下ろした。ヴィーヴィも戦闘態勢を解く。ミスティの嗚咽も、だんだんと小さくなっていった。
 ログナも、間の抜けた行動を次々にとっていた昔のミスティに、厳しく指導を行っていたが、フォードはその比ではない。ミスティを戦場で死なせないために、という下地のあったログナとは違い、フォードの場合、潰れたらそこまでの人間だった、そんな冷徹な人間観が下地にある。今の言い回しもそうだ。わざわざ、徹底的に追い詰めるような真似をしてから、自分が押し付けたい論理をぶつける。反論の隙を与えない。
「そう睨みつけるなよ。俺たちにはもう、死者への感傷に付き合ってる時間はない」
 クローセの視線に気付いたフォードが、ため息をつきながら言う。
「来る前に鳩舎へ寄ってきた。レイとログナがもうすぐ帰ってくる。準備を急がなければ」
 ヴィラ砦の後片付けで会った際、部下に持たせる鳩を、一羽だけ貸し与えてほしいと相談された。どうやら、その鳩を持たせてログナたちの後を追った部下から、連絡が来たらしい。
「たしかに、計算上はそろそろだけれど……。軍勢を引き連れて戻ってくるなら、まだかかるはずでしょう?」
「間に合わなかった」
 手紙をミスティに差し出しながら、フォードが言う。
「ギニッチを含めた団長補佐五名は戦死、助けられたのは兵士ひとりだけ。敵軍にはレイの左腕を切り落とした人型魔物の姿を確認。名前はヴァーダー。特別、魔力への感覚が優れているせいかもしれないが、イシュとテイニというノルグ族二人が、震えて逃げ出したそうだ」
 ミスティが手紙を読む間に、フォードは投げやりに言った。
「イシュ……イシュというのはたしか、北部城塞で常識はずれの闇魔法を使っていた……」
「ああ。強さの順に言えばおそらく、ミスティ、俺、レイ、ログナ、クローセ、イシュ」
 クローセは、息を呑んだ。
 その実力者が、怯えて逃げ出す相手とは、どれほど強大な能力の持ち主なのか。
 王都北部城塞で、人型魔物に部下を殺され尽くした苦みが、広がる。
 圧倒的な存在に対する怯えが、奥底に、かすかに灯る。だが、その怯えを吹き消すように、
「ちょっと待ってよ! 敵を前に逃げ出すような奴より、わたしのほうが弱いっていうの? 力の順に言うなら、ミスティ様、あんた、レイ、わたしでしょ!」
 ヴィーヴィがフォードに対しても物怖じせずに突っかかっていく。
 猪娘、と馬鹿にされる原因がこういうところにあると、わかっていないのだろうか。
 頭が痛くなってきたクローセは、机に肘をついて手のひらに顎を載せ、二人のやりとりを眺める。
「自惚れるな。お前はクローセよりもずっと格下だ」
 手紙を読むミスティを挟んだ向こうで、ヴィーヴィがどんな顔をしているのか簡単に想像がつく。ヴィーヴィの対抗心をわかっていながら言っているに違いない。余計なことを。
「ただ、このことを聞いて怖気づかない性格だけは、褒めてやってもいい」
「あんたに褒められても、ぜんっぜん嬉しくない!」
 皮肉めいたフォードの言い草に、舌でも出しそうな勢いでヴィーヴィがかみついた。
 ちょうどその二人のやりとりの隙間に、ミスティの小さな声が、滑り込んだ。
「先生」
 さらに憎まれ口を連ねようとしていたヴィーヴィとフォードが口を閉じた。全員がミスティの方を向く。
「先生は、この戦い、我々にどのくらいの勝機があると考えていますか?」
 フォードは少し考えたあと、
「ほとんどないだろう」
 あっさり答えた。
 ミスティは報告の手紙を握りしめて、声を一段階、大きくした。
「わたし、ここへ来るまで、クローセがログナ支隊と結んだ同盟を、解消しようと思っていました。いくらログナの隊だからといって、カロルにすべての責任を押し付けた王国の連中がどんなに死のうと、わたしには関係ありませんから。でも……。わたしは、ここにいるみんなを、守りたい。そのためなら、王国の生き残りとも、手を組みます。利用できるものはなんでも、利用します」
 ミスティはそう言うと、白い頭巾を脱ぎながら立ち上がって、クローセから離れていく。
 ミスティの左耳の下から顎、左頬から唇の左下にかけて、近接戦闘のさなかに魔物の爪に引き裂かれた、二本の大きな傷跡がある。
 長机のないところで立ち止まったミスティは、全員を見渡しながら、言った。
「わたしは、魔王討伐隊がやり残した仕事を――この世界に平和を取り戻すという仕事を、必ず、やり遂げる。勝機がないなら、わたしが作り出してみせる。だからみんな、わたしに力を貸して」
 クローセは、すぐに頷いた。シャルズも、フォードも、ヴィーヴィも、一瞬のためらいもなく、頷いた。
 それを見たミスティは、部屋の壁に張られたカロル兵団の団旗に、右の拳を叩きつけた。
「すべての魔物を『無』に!」
 フォード以外が、声をそろえて応える。
「すべての魔物を『無』に!」

 ログナ支隊が帰還したとの報を受けると、ミスティは、カロル兵団以外の軍勢を一切入れないようにしてきた方針を転換した。ログナ支隊三十名、フォード隊十一名、合計四十一名を、レイエド砦内に迎え入れる指示を出した。
 急峻《きゅうしゅん》な坂の周囲に、敵を魔法で狙い撃つための横穴がめぐらされた場所。その坂の頂上で、クローセとミスティは、ログナたちと会った。
 その中に、十年ぶりに見る、レイの姿がある。動揺してはいけない。そう何度も言い聞かせながら準備をしていたはずなのに、心臓が高鳴る。目頭が熱くなり、前が良く見えなくなる。いますぐ駆け寄って、抱きついて、何度も名前を呼びたかった。けれど今は、兵士たちの目がある。今の自分に、カロル兵団副団長の自分に、そんなことができるはずもなかった。
 十年ぶりという感慨の波を堪え切り、咳払いで喉の調子を確かめると、白い息が出た。
 それからログナを呼ぶ。
「ログナ支隊、隊長、こちらへ」
 人より頭一つ分抜けた長身が、こちらに歩いてくる。
 クローセはその顔を見上げながら、言う。
「ヴィラ砦の防衛戦は見事だった。まさか、一人の死者も出すことなく、戦い抜くとは、思ってもみなかった」
 私語の調子は避け、カロル兵団の団員に訓示を行うときの調子で、言う。
 ログナの表情に、不信がよぎる。
 もう遅い。
 昔馴染みを信頼していたのだろうが、ここまで隊を進めてきたのは、不用意だった。
「我々カロル兵団は今この時をもって、貴隊との同盟を解除する」
 ログナとレイ、隊の主要な面々の顔に驚きが浮かび、ノルグ族の兵士たちが、各様に声をあげた。
「同時に」
 声を高くしたクローセの言葉に、ざわめきが収まる。
「目前に迫った魔物たちを撃退した功績をもって、フォード隊とともに、カロル兵団への入団を認める」
 ログナは、虚を突かれたような顔になった後、顔をしかめて、舌打ちし、クローセを睨みつけてきた。
 クローセは微笑みを浮かべた後、すぐにしまいこみ、
「なお」
 と付け足しながら、右手を上げて、兵士たちを展開させる。クローセの後ろでいくつもの足音が横に広がっていく。
「入団を断った場合」
 顎でログナたちが通ってきた坂を指す。
「ここで死んでもらうことになる」
 坂の下から回り込んでいたヴィーヴィ、ウィルフレド、シャルズがすでに退路を塞いでおり、フォード隊もログナ隊への囲みに参加している。
 右手をこちらへ向けようとした女が、隣にいる男に慌てて腕をつかまれ、下ろさせられていた。その男は、この間まで捕虜にしていたトライドだった。トライドの左隣にいる、顔にスルードの花の刺青がある女も、闇魔法の霧を吐き出している途中で、右手を下ろさせられた。彼の慌ただしい様子が少し、可笑《おか》しかった。
 レイと、目の前にいるログナは、微動だにしない。
「誓約書を!」
 クローセが肩越しに振り向いて怒鳴ると、チャロが俊敏に駆け寄って来て、片膝をついた。一枚の紙切れと下敷きの板、筆記具と、インク瓶をささげ持つようにしている彼女から、それらを受け取り、ログナに渡す。インク瓶だけは手元に残し、蓋を開けて持ったまま、待つ。
「ログナ、この誓約書に名前を。誓約を破った場合、ミスティがあなたたちを殺すことになるから、気をつけて」
「相変わらず、やり口がえげつねえな」
 ログナが筆記具を右手に持ち換え、小さな声で呟いた。クローセの持つインク瓶に筆記具が浸されたあと、黒い手袋に包まれた筆記具が、小刻みに動く。
「褒めてくれてありがとう」
 クローセも小さな声で返す。
 苦笑いしたログナは抵抗するそぶりを見せず、誓約書に名前を書き切った。
 名前を確認したクローセは、誓約書一式をチャロに返し、自らもログナから離れた。ミスティの隣まで下がる。
 少しの沈黙のあと、
「カロル兵団へようこそ」
 白い頭巾の向こう側から、昔の面影を感じさせない冷めた声が、寒空に響く。
「カロル兵団、魔王討伐隊隊長、ログナ・マグリット」



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