50 王女か 王女の人形か


「神官長は代々、直接、自分の知識を相手に共有させる能力を継承します。おそらくこの知識を得たあと、他人にそれを信じてもらうために継承されてきた能力なのでしょうね。もちろんわたしも例外ではありません。これから、それを使ってログナ様に直接、わたしの見ている映像をお伝えします」
「は?」
「言葉で伝えられる気がしないのですが、あえて言うなら、わたしのなかにある特定の情報を、魔力のかたちにして、相手の魔力線を通して魔力核に叩き込む……という技です」
「さっきよりはわかるな」
「ログナ様、あなたが第一線で戦ってきたのは分かっています。しかし、わたしも、別の場所で、毎日戦ってきました。廃人になる恐怖と隣り合わせの状況で。神官長が表に出ないのは、別に、特権をふりかざしているわけではないんですよ。ある日突然廃人になってしまったら、別の人形が必要になるからなんです」
 ラヴィーニアはひどく冷めた表情のまま言った。
「意味が、わかりますか?」
 自らの兄の死や、侍女たちの遺体を前にしても一切動じず、むしろ解放されたことを喜んでいたラヴィーニアのふるまい。
「お前……王女じゃ、ないのか?」
「いえ。おそらくわたしは、ステイシスの娘で、王女です。母や兄と、よく似ていると言われてきましたから、少なくともわたしはそう思っています。でも、その記憶も、先代の神官長である母に植え付けられただけかもしれません。代わりの人形は、いくらでもいますから」
 さて、とラヴィーニアはログナに正対した。
「覚悟はできましたか。それとも、おやめになりますか」
「いや。奴らを倒すために、情報が正確かどうかを知っておきたい」
 ラヴィーニアが、何の前置きもなく、ログナの右手を、自らの両手で包み込むように握った。途端に、普段は魔力を送り込むための通路から、魔力が逆流してくるような気味の悪い悪寒が走った。悪寒の根源は右腕から首を通って頭の方に伝っていく。魔力核があるといわれている辺りに鈍い痛みが走った瞬間、ログナは、うめき声をあげた。
『魔王すら斥候にすぎなかったというのか』
 黒々とした髭を触りながら、かすれた声で呟く。場面が飛び、
『なかなかやる』
 妻と子供三人、信頼する側近がすべて惨殺された血だまりの中で、全てを喪った男は四体の人型魔物と対峙している。場面はふたたび移ろい、
『力なき王の時代に現れるべきだったんだ、貴様らは』
 満身創痍の男が構えた、柄だけの剣。そこから伸びた青白い光の帯が、激闘のすえ避ける力すら失っていた最後の人型魔物を、押し潰した。
 同時に、ラヴィーニアの顔が正面に戻ってきた。
 男の精神に無理やり同化させられているかのような状況から、唐突に放り出された。
 ログナは頭をかきむしりながら、戦場で培った自制心を最大限に働かせて、叫び出したくなるのを堪えた。
 深呼吸を繰り返して、荒くなる一方だった息をどうにか落ち着け、顔を上げる。
 ラヴィーニアが微笑んだ。
「さすがです。初めてで、あの苦痛を耐え切るなんて。賢王ロシュタバの記憶を、自分の記憶のように感じたでしょう? これが、始祖リリーの編み出した秘術です」
 その通りだった。おそらく五百年前のその出来事が、まるでいま目の前で起こっている出来事のように感じた。ログナはロシュタバで、ロシュタバはログナだった。
 顔中に噴き出した汗を手で拭いながら、また何度か深呼吸した。
「ラヴィ……ラヴィは、なんで、平気なんだ。いまの、ロシュタバだけじゃない。あの石板から、何人もの人間の記憶を、突然、頭にぶち込まれたはずだ」
 憎悪と無念とわずかな達成感が、まだ胸のあたりに渦巻いているのを感じながら、ラヴィーニアに訊いた。
「わたしは生まれたときからこうした訓練を毎日させられてきました。さすがに今回のようなことは例外ですが、膨大な情報を受け入れるのは慣れています」
 おそらくいま、初めて、ラヴィーニアが王国に対して常に冷めた姿勢をとっている理由の一端に、触れた。
「わかった。俺の負けだ」
 満足げに頷いたラヴィーニアが歩き出したので、ログナも、前を行くイシュとレイたちに追いつけるように、一段と早く歩き始めた。
「ロシュタバの他にも、いまのわたしの頭の中には、リリー・ノルグの記憶の一部、彼女の孫で初代国王のラディス・ロドの記憶の一部があります。また、彼女たちが認識していた歴史や、彼女たちの考察した事実についての知識もあります」
 途中でイシュに追いついたので、もう一度背負い直しながら、ラヴィーニアの話を聞く。
「それによると、人型魔物たちは、千三百年前のリリーの代と、五百年前のロシュタバの代に、それぞれ一度ずつ出現しました。一度目のときは、『異界の門』が開いた気配を察知したリリーがあっさりと鎮圧しましたが、二度目はロシュタバの代に開き、リリーよりも魔力の劣る――というよりも、リリーが凄すぎたんですが――ロシュタバは、気づくことができませんでした。人型魔物たちは夜闇にまぎれて王城内に侵入して、ロシュタバの妻と三人の子供をすべて殺しました」
「すると、旧王の乱は」
「ええ。幽閉された先代のガレットが呼びかけ人となり反乱が起きたことになっていましたが、実際には、人型魔物四体がロシュタバの暗殺を狙い王城に侵入、逆に撃退された事件だったようです。旧王の乱でガレットが処刑されなかったのはなぜか歴史学者の間で議論になってきましたが……余計な混乱を与えないためのでっち上げだったのですね」
 ラヴィーニアの言ったことを整理しながら歩く。普段の彼女からは想像もつかないほど饒舌だ。
「そもそも旧王の乱には以前からおかしな点がいくつもあったんですよ。処罰の対象となった反乱者の名が、架空と思われるものだったり……」
「待った」
 先程の歴史の説明からずっと、我慢してラヴィーニアの言っていることを頭に入れ続けていた。だが、まるで歴史学者の講義を受けているような雰囲気に、ついに我慢しきれなくなったログナは、ラヴィーニアの言葉を遮った。
「ラヴィ、教えてもらっていて悪いんだが、さっきからやたら話が長い。もう少し要点を」
 まだ話し続けようとしていたラヴィーニアは、ぐっと言葉を呑み込み、申し訳なさそうな表情になった。
「すみません。趣味が歴史書漁りなもので……。えーと、そう、人型魔物の弱点ですよね」
「ああ」
 ようやく話が戻って安心したところで、レイたちの背中が見えた。
 ログナが呼びかけると、レイたちは歩く速度を緩めた。
 全員の前で、ラヴィーニアはようやく本題に入った。
「人型魔物の存在が確認されたのは、リリーの時代とロシュタバの時代の二度だけです。リリーは、人型魔物が『異界の門』から現れたので門を閉じた、お前の代にも現れるかもしれないから注意しろと、孫のラディス・ロドに対して言い遺していたようです。ロシュタバもリリーの記録を見つけていたのでしょう、同じく『異界の門』を探して、閉じたらしいですね」
 その話を聞くと、レイがログナに目を向けてきた。
「たしか、フォードもそんなことを言っていた。早く門を見つけて閉じなければならないとか」
「その門を閉じる方法は?」
 ログナはレイの視線を受けてからラヴィーニアのほうへ目を遣った。
「わたしが受け容れたのは記憶の一部なので、門そのものの構造や、場所、形状、封じる方法はあいまいです。『異界の門』は、リリーの代とロシュタバの代ではそれぞれ違う場所に出現しているようですしね。ただ、わたしが先代から学んだ魔法の中にそれらしきものがあるので、門にさえ辿りつければ、わたしにも閉じることができるかもしれません」
「『異界の門』、なんだか、気味の悪い名前ですね。別の世界があるとでも言いたげな」
 トライドが呟く。
 王国を滅亡に追い込んだ人型魔物は、異大陸の魔物だとばかり思ってきたが、『異界』の魔物という可能性もあるらしい。世界の構造にまで話が及ぶとなると、その手の知識の疎い自分には、考えが追いついていかなくなってくる。
 無視もできないが、現状、あまりその言葉にとらわれ過ぎないようにしたほうがいいだろう。自分たちのすべきことを見失わないようにしなければならない。
「何にせよ」
 と、戸惑い気味の隊員たちに向けて言う。
「俺たちのすべきことは単純だ。このままレイエド砦まで戻ってクローセと会い、フォード隊やレイ、テルセロの受け入れを認めさせる。それから協力して人型魔物の現在地の把握、討伐計画を練り、倒す。できれば魔物の支配下に置かれたノルグ族も救出する。最後に、『異界の門』を見つけて、閉じる」
 実際にはそう上手くはいかないだろうが、出来る限り話を単純化した。
 ログナの言葉に、レイが頷いた。
「だいたいの方針はそれでいいだろう。細部はフォードたちと合流してから詰めよう」
 隊の一番後ろを歩くラヴィーニアのほうを見ると、口を少し開いたり閉じたりして、まだ何か言いたくてうずうずしているようだった。ログナの言葉を律儀に守り、余計なことを言い出さないようにしているのだろう。
 ログナは少し歩く速度を落としてラヴィーニアの隣に並んだ。
「悪いな。さっきはお前の話を聞いてやれなくて。今なら聞いてやれるぞ」
 そう声をかけると、みるみるうちに明るい表情になったラヴィーニアは、さっそく、旧王の乱についての歴史講義を再開した。身振り手振りを交えながら、いかにロシュタバの隠蔽工作が素晴らしいかを力説しつつ、王国側の資料のみによる歴史的事実の証明の難しさにも触れ、ロシュタバに騙され続けてきた歴史学者たちを擁護した。やがて旧王の乱について一通り語り終えると、次はロシュタバと魔物の戦いについて語り始めた。人型魔物が出現する前、先ぶれとして現れた魔王をロシュタバが直々に出陣し倒した際には魔物の暴走が起こった記録はなかったという。十年前の魔物の暴走すらもガーラドールやヴァーダーらによる謀略だったのかもしれないという推測を、熱っぽく展開し始めた。
 それからもラヴィーニアの歴史談義はとどまることなく続いた。喋り疲れたラヴィーニアが静かになったところで、ようやくログナは口をはさむ機会を与えられた。
「ヴィラ砦での戦いから、ずっと訊こうと思ってたんだ」
「はい、なんでしょう?」
「どうしてそんなに一生懸命、俺たちに協力する? 歴史について考えるのが好きなのはわかったが、ぶっ倒れるまで魔物と戦うなんて」
「そんなことですか」
 ラヴィーニアはこともなげに言った。
「生まれて初めて、与えられた名前と役職名以外で呼んでくれた人たちだからですよ」
「与えられた?」
「わたしに感謝しているなら、呼んでください、あの名前で」
 ラヴィーニアが少し、打ち解けた口調になった。
 愛称で呼ばれることが嬉しい人間もいるのだと、ぼんやり考えた後で、ラヴィーニアの置かれてきた状況が頭によぎった。
 ラヴィーニアと呼ばれ、王女ということになっているけれど、本当は違う人間かもしれない存在。代替可能な、人形。
 けれど、『ラヴィ』は違う。ログナたちと出会った『ラヴィ』は、この世にひとりきりしか存在しない。得意げに魔法能力を見せびらかし、魔法陣の構築を快く引き受け、ヴィラ砦でログナたちを必死に助け、歴史について嬉しそうに語った『ラヴィ』は、目の前の少女、ただひとりだ。
 そのことを、ラヴィーニアは言っているのだろう。ルーアの厄介な馴れ馴れしさが、ラヴィーニアに、思わぬ幸せをもたらしていたらしい。
「ラヴィ」
「もっと情感を込めてください」
 ログナは苦笑いしたあと、きちんと言い直した。
「ラヴィ」
「はい、なんですか?」
 ラヴィーニアは笑いながら言った。



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