5 ログナ支隊出発


 扉が開き、ぴかぴかの甲冑《かっちゅう》を身にまとった青年が入ってきた。全体を短めに整えた金髪と白い肌に、幼さの抜けきらない顔立ち。物腰には油断がないが、視線はどこか自信なげにあちこちをさまよっている。
 続けて、うなじのあたりで長い茶髪を結った女が入ってきた。こちらは先に入ってきた男よりもさらに白い肌だ。歩くたび、結った部分から先が尻尾のように揺れている。
 最後も女。独特な風貌だった。褐色の肌で、肩まで届かないくらいの短い黒髪。前髪のあたりが、ログナから見て右から左に流れる形でやや弓なりに編み込んであり、額がほとんど見えている。右目の下から顎のあたりまでにかけては、青い刺青《いれずみ》が彫ってある。ロド王国の国花であるスルードの花だろう。つぼみのちょうど花開いた瞬間が切り取られている。花びらが重なり合い中心部から徐々に開いていくさまが精緻《せいち》に描かれており、彫った者の技術の高さが一目で感じとれる。まるで芸術品のようだった。
「本当に子守させるつもりかよ。特に左の二人」
 背筋を伸ばして顎を引いて手足を揃え、等間隔を保って横に並んだ直立不動の三人の様子をそれぞれ観察してから、レイに小さく呟く。
「魔法剣の発現に年齢や男女の区別はない。若い方が、発現したときにメリットが大きい」
 レイも声を小さくして返してきた。
 それから三人へ向けて、
「名前と年齢、階級、簡単な自己紹介を。トライドから」
「はっ! 僕はトライド・レイナトといいます、十八歳、二等騎士です。出身はコンフォールド地方、魔法も剣もある程度使えますが、逆に言うとどちらも特に秀でているというわけではありません。状況に応じてお使いください」
「次、ルーア」
「はい!」
 元気よく返事をしたのは、真ん中に立っている女だ。しとやかで物静かという第一印象を抱く風貌だが、口を開くと快活そうな印象が全身を包んだ。
「わたしはルーア・アーチェンス。二十歳で、トライドと同じくコンフォールド地方出身の二等騎士です。魔法に関してはその辺の男に負けるつもりはありませんが、非力で近接戦闘は分が悪いです。隊長に守っていただければ嬉しく思います!」
 満面の笑顔の裏に見え隠れする、口達者で物怖じしない人物像。
 ……厄介な部下になりそうだ。
「イシュ」
「イシュです。ノルグの出のため名字はありません。二十五歳、奴隷剣士長。ご指導のほど、よろしくお願い申し上げます」
 風貌から想像していた快活な様子はみられなかった。話し口は物静かで、声も小さい。変な気負いもなく、落ち着いている。ルーアと同じく、見た目の印象と性格はかなりかけ離れていそうだ。
「あー。俺は、ログナ」
 言った途端、トライドとルーアが身じろぎして、甲冑の擦れる音がした。イシュは動きはしなかったものの、軽く目を瞠《みは》った。
「察しの通り、賞金首だった。今日からは、王国騎士団ログナ支隊の隊長に就任する。階級は団長補佐だったか?」
「ああ」
 ログナはレイに確認をとってから、三人をもう一度見回す。トライドとルーアが、物問いたげな視線をレイに向けている。
「不満か?」
 トライドに話しかけると、レイから慌てて目を切った彼は、首をぶんぶんと横に振った。
「い、いえ。そういうわけでは」
「安心しろ。世間で言われてるほど極悪人じゃねえから。そうだろバアさん」
「極悪人だ。気をつけろ」
「おい」
「わたしはまだ四十六だ。ババアじゃない」
「レイ」
「安心していい。ルーアには人物像を少し話した気がするが、かつてわたしもこいつと共に戦ったことがある。腕も保証する」
 レイはそう言うと、立ち上がり、机を右から回って、ログナの右隣に立った。
「トライド、ルーア、イシュ。ログナに従い、王国に平穏をもたらすよう励め。よいな」
「はっ!」
「聖母リリーの加護を」
「聖母リリーの加護を!」
 トライドとルーアだけが返事をした。
 イシュはノルグ族なので、応える必要はない。ノルグ族の人間を、聖母リリーは護らない。
「下がってよし。ログナもだ。この者たちに部屋まで案内してもらえ」
 ふざけることはせず、ログナも姿勢を正して足を揃え、応答した。
 縦に並んだ三人に続いて部屋から出ようとすると、
「ああそうだ」
 と、レイが言った。三人が足を止め、レイの方を振り向く。ログナもつられて振り返った。
 ログナと目が合うと、レイは姿勢を正して、言った。
「魔王の討伐、見事だった。王国騎士団長として、強大な敵に立ち向かった勇気と輝かしい武勲に、敬意を表する」
「そう思うなら、俺以外の懸賞金も取り下げてほしいもんだがな」
 ログナが目を切るとまた、
「それから」
「まだあんのかよ」
 もう一度振り返る。
「出発までにその汚らしい髭をすべて剃れ。まったく似合っていない」
 ログナは苦笑いしながら、部屋を出た。

 翌朝、早い時間に起きたログナは、レイの言いつけを守り、剃刀を手に取った。
 顔を俯けて、足元に置いた木箱を見る。ここ十年、人相を隠すためずっと生やしていた茶色の髭が、毛玉のように固まっている。その毛玉を見ていたら、いよいよ始まるのだと、改めて実感がわいてきた。
 剃刀を、すでに井戸の近くで使ってきた歯磨き用の小さな刷毛《はけ》と一緒に布でくるみ、ベッドの上に置いていた麻袋に詰め込んだ。麻袋の中には、これもまた、魔物の皮をなめして作った革《かわ》の容器がすでにいくつか入っている。水と、長期保存のできる燻製肉、怪我を治療する酢と軟膏がそれぞれ少量ずつ。それにレイからもらった書類を無理矢理折りたたんで入れてある。紐を引っ張って、麻袋の口を締めた。
 軽くて動きやすい革の鎧の上から、腰にベルトを締め、右腰側に麻袋をくくりつけた。
 ベルトの左腰側につけた装具に、机に置いておいた片手剣を鞘ごと差し込む。この装具も革製。とにかく革、革、革だ。財政の苦しい王国にあっても、魔物の肉や皮は、腐るほど流通している。
 床に置いていた両手剣を引っ張り起こす。両手剣の鞘には、昨日、装備を整える際に装具師に頼んで、木箱をくくりつけてもらった。そこには、小型の弓がすっぽりと納まっている。小型弓は本当に小型で、通常の長弓の半分の半分ていどの全長しかない。
 両手剣を背負うのが、いつも面倒だ。鎧の背中部分に、両手剣の鞘を差し込むための、太い革紐のふくらみがあるのだが、左肩から右腰に流れる形で納めるため、ふくらみ自体も斜めになっている。なかなかそこに入らない。今回も何度か失敗しながら、どうにか、差し込むことができた。差し込んだ後、ベルトを前にまわして固定した。
 ようやく、準備が終わる。仕上げに、手のひらの部分に魔石がはめこまれた、黒い手袋をした。
 魔石は、手を握る動作の邪魔にならないよう、薄く、小さく、横長だ。水色に透き通った、質のいいそれをぼんやりと眺めていると、ちょうど、教会の鐘が鳴った。王都の夜明けを知らせるその鐘は、ログナのいたキュセ島の安っぽく甲高い音色とは違って、重く荘厳な雰囲気を醸し出している。

 建物の外に出ると、まだ太陽が昇り切っていないせいであたりは暗かったが、何も見えないほどではなかった。馬車の通れる広さの道を挟んだ正面には、白い煉瓦造りの四階建て、魔法研究所がある。周囲を所員用の住宅街にふさがれたこの場所には、隙間だらけのキュセ島に吹きつけてくるあの潮風はない。凪《なぎ》の冷たさに戸惑いながら、正面玄関の階段を下りる。
 鐘が鳴ったばかりで、石造りの道路にはまだ誰も歩いていない。そこに、馬に乗ったルーアとトライドがいた。イシュだけは馬から降りて、二頭の馬の手綱を持っている。
 三人とも、昨日の儀礼的な甲冑姿とは違う。ログナと同じ革の鎧を着こんでいる。魔王が相手ならともかく、普通の魔物や人間相手に重い甲冑をつけているとかえって非効率だからだ。たいていの攻撃は騎士団員必修の簡易結界魔法、ログナの場合は防御魔法で防げる。
 違いは、三人は弓を装備していないこと、女騎士のイシュとルーアが両手剣を装備していないこと、そして手袋の色や材質が違うことだ。右手で炎魔法を使うルーアは、右手に鉄製の武骨な手袋をはめて、左手は白い手袋、トライドは右手に鉄の手袋、左手には青い手袋、イシュはどちらもログナと同じ黒い手袋だ。
 馬の手綱のひとつをイシュから受け取りながら、
「お前ら、昨日はちゃんと眠れたか」
 当たり障りのない世間話を誰にともなく向けてみる。
「隊長、どうしたんですか、急にかっこよくなって! 絶対そっちの方がいいですよ!」
 ルーアは、ログナの言葉には応えず、上官に対するものとは思えない馴れ馴れしい口調で言う。
 髭を剃ったことに対して言っているのだろう。
 あからさまな点数稼ぎ。やはり、面倒そうな女だ。
「信じてないんですか? ね、そこのノルグもそう思うよね?」
 ルーアが振り向いて言うが、イシュは返事をよこさないどころか、ルーアに目も向けなかった。じっと馬の体を撫でている。露骨に無視されたルーアの表情が、途端に冷めたものになる。
 『そこのノルグ』。自己紹介で、ノルグ族の出と言ったイシュのことだろう。
 ノルグ族は、魔物に追われ、船を使って逃げてきた別大陸の人間の子孫だ。
 基本的には、魔物に海を渡る能力はないとされている。加えてロド大陸には、ある時期まで魔物が存在しなかったことが、調査によって確認されているらしい。そのため、ノルグ族の船の貨物に大小さまざまな魔物が紛れ込んでやってきた、というのが現在の定説だ。この大陸に割拠していた群雄のほとんどは、外からやってきた魔物との戦いに敗れ、滅んだ。
 そうした経緯から、ロド教においては、穢《けが》れを持つものたちとして、ノルグ族の差別が容認されている。ノルグ族はロド教の成立以降、迫害を受け続け、過酷な環境が広がる北方の山岳地帯に定住せざるを得なくなった。
 時が経ち、険しい山岳地帯に適応した彼ら彼女らは、農作物を安定して育てることのできる土地を求めて幾度かロド王国の支配地域に侵入した。しかし五百年ほど前、賢王ロシュタバによって、ノルグ族の土地は完全に征服された。遠方にあっては反乱を起こすことが予想されるため、ノルグ族は、ロド王国の北辺領近くに強制移住させられた。強制移住以来、ノルグ族の住むロド王国ノルグ地方は、奴隷や奴隷剣士のやってくる土地として有名だ。
 ノルグ族は十五歳になると、隷属の証として、ロド王国の国花であるスルードの花の刺青《いれずみ》を、体に彫ることになっている。大抵の場合は服で隠れる部位に彫る。イシュのように、まるで奴隷の証を見せつけるかのごとく顔に彫る者は、極めて珍しい。魔王との戦いでは多くのノルグ族とともに戦ったが、少なくともその中に、顔に彫っている者はいなかった。
 この事実が、彼女の性格をあらわしているのかもしれない。
「ルーア、お前は、くだらない雑談に乗り気でないものを巻き込むな。イシュ、お前は、同僚の言葉をわざとらしく無視するな」
 それぞれ二人に向けて言う。
 ルーアは不承不承と言った様子で頷き、イシュは目の動きだけで言葉に応じた。
「お前たちは騎士団から選び抜かれた精鋭だという自負もあるだろう。上官としての命令は尊重してもらうが、俺は魔法剣の資質を調査する試験官じゃない。点数稼ぎをする必要はない。他に、出発する前に、訊いておきたいことはあるか?」
 見回すが、三人とも黙っている。
「じゃあ」
 と言いかけたところで、
「ログナ隊長たちは、その……本当に、謀反を企て、騎士団を壊滅させたのですか?」
 トライドが緊張した面持ちで問うてきたので、ログナは笑った。逆に問い返す。
「どう思う?」
 ログナの試すような言い方が癇《かん》にさわったのか、トライドは少しむっとした表情になり、
「異能の六人を集めた魔王討伐隊ならば可能ではないか、と……」
「可能かどうかで言えば、騎士団壊滅は可能だろうな。特に、レイが重傷を負って生死の境をさまよっていたあの混乱のさなかであれば」
 トライドが、顔をこわばらせた。
「剣を取れ。俺たちの存在理由はただそれだけだ。ただそれだけでしかない」
 虚を突かれたようなトライドとルーアの表情。特に反応を見せないイシュ。
 トライドは驚きからすぐに立ち直り、
「なんでしょうか、今の言葉は」
 と訝るように言った。
「十二年前、魔王討伐隊が立ち上げられた時に、隊長が言った言葉だ」
「謀反人、カロルの言葉、ですか」
 イシュが呟く。今日初めて声を聞いた。
 ログナは何も付け加えず、
「出発するぞ」
 とだけ言った。
 昨日、レイの部屋から出て自室に行くと、今回の任務の概要や部下三人の人物像について事細かに記された小さな冊子が机の上に置いてあった。まめなレイらしいと苦笑いしながら内容を読むと、魔物の討伐というあいまいな任務は後回しにして、まず、所在がはっきりしているカロル盗賊団を潰すことから始めろとのことだった。
 添付されている分厚い地図には、駐屯している兵力規模などの情報とともに、カロル盗賊団の根城にしている砦や洞窟の位置と、大雑把な内部の見取り図が描かれていた。そこまで調べていながら制圧できていないという事実が、ログナの気を少し重くさせた。騎士団壊滅から十年、軽々しく動いて人材不足に拍車をかけるわけにはいかないのもあるだろうが、フォードの存在がそれほど大きな脅威ということなのだろう。あの自信家のレイが高く評価する人物は、そう多くない。
 カロル盗賊団が根城にしている砦の多くは、もともとは、魔王がいたころに王国軍が造営していたものだった。カロル盗賊団が騎士団を急襲する形で敵対したその日に、奪われた砦がほとんどらしい。
 カロル盗賊団は人数がそこまで多くなく、各砦に割かれている守備の人員は最低限のものなので、各砦をいくつかつついて敵の動向を探り、フォードが姿を現すのを待つ。姿をとらえたら何にも優先して殺害しろとの指示だった。
 まずは、王国支配下の砦をいくつか経由しながら、最も王国領に近いラシード砦を落とす。
 ログナは手綱を握り直し、馬をゆっくりと走らせ始めた。



inserted by FC2 system