48 無力


 四角く切り取られた曇天が、ぐんぐん近づいてくる。
 レイの後に続いて梯子を上りきり、四ノ砦に飛び出した。魔法剣で周囲の敵を殲滅しているレイを横目に、遠距離魔法の使えないログナは、素早く辺りを見回した。
 大きく破壊された西側の城壁、辺りに散らばる兵士や魔物の遺体。
 そのとき、言葉にならない怒声が聞こえ、急いで目を遣った。
 王国軍の制式鎧を身にまとった兵士と、ずたぼろになった革の鎧をまとった兵士がいた。足元には別の兵士が一人、転がっている。
 王国軍兵士のほうが、雄たけびを上げながら、激しく片手剣を打ちつけている。対する兵士は一切反撃のそぶりを見せず、ひたすら王国軍兵士の攻撃を受けている。足元の別の兵士を守るように、一歩も動かず、攻撃を受け止めている。
 ログナは、魔物への攻撃はレイに任せ、慌ててそちらへ駆けていく。
 また、間に合わなかった。何度目かわからない光景に無力感を覚える。以前、初めて四ノ砦に踏み込んだときのような、溶けた遺体はなかったが、無数のむごたらしい遺体に、足を取られそうになった。かろうじて避けながら、近くに行くと、二人の背後にそれぞれ、半透明の新種とルダスが立っていた。なぜか攻撃せずに戦いの様子を眺めていたその二体は、ログナに気付くと、攻撃を仕掛けてきた。片手剣の一振りで半透明の新種を沈黙させ、魔法土でルダスの攻撃を防ぐ。そして片手剣に魔法土をまとわせ、ルダスを叩き切った。
 片手剣を鞘に納め、二人の間に、魔法土を割って入らせる。魔法土に剣が二本、ぶつかる。ようやくこちらに気付いた王国軍兵士の右腕を掴み、片手剣を取り落させた。地面の上に引きずり倒す。
「人間同士で殺し合ってる場合か!」
 王国軍兵士にのしかかりながら怒鳴り、顔を上げた。目の前にある魔法土が邪魔なので、体にまとわせる。ちょうど相手の兵士が、片手剣を鞘にしまうところだった。
 その立ち姿にどこか見覚えがある気がしてよく見ようとすると、
「隊長!」
 トライドが叫んだ。トライドの右手から、炎弾が放たれた。兵士は簡易結界魔法も張らずに、一歩下がっただけでその炎弾をかわした。
 そのとき、長く垂れ下がった前髪で隠れていた顔が、見えた。スルードの花の刺青が、魔物の返り血で見えなくなっているから、気づくのが遅れた。
「待て! イシュだ!」
 トライドは牽制のために飛ばしただけで、相手を殺すつもりはないように見えた。
 それでも、直撃していればただではすまない。つまり、確実に避けられると思って、簡易結界魔法を張らなかった。別れてそう時間は立っていないのに、明らかに、集中力が増している。
 イシュという名前を聞いた途端、ログナが押さえつけている王国軍兵士が、大暴れを始めた。慌てて、押さえつける力を強くする。
「気をつけろ! イシュは裏切り者だ! ギニッチ様たちを殺した裏切り者なんだ! 俺も、あんたらも、皆殺しにされるぞ!」
 言われて見てみると、地面のえぐれた場所に立っているイシュの周囲には、おびただしい遺体がある。頭を食いちぎられた者、肉という肉を喰らい尽くされた者、龍族種の炎に焼かれた者。足元には、テイニと思しき兵士が倒れ込んでいる。
 ログナは、すぐに否定の言葉が返ってくることを期待しながら、イシュに問う目を向ける。いつも弧状に結わいている前髪がほどけてしまったイシュは、その前髪の隙間から、じっとログナを見つめ返してくるだけだった。
 そこで、ルダスの生き残りが、イシュの後ろから走ってくるのが見えた。
「ルダスが来てる!」
 ログナの声を聞いても、イシュは、ぼんやりとしていた。
 イシュが殺される、と片手剣を抜き去りながら思うと、ルダスはなぜか一番近くにいて一番弱っていそうなイシュを、あからさまに、避けて通った。見たこともない奇妙な動きだった。近くに駆け寄って来ていたトライドを、わざわざ攻撃対象にした。
 トライドはもう、ルダスに怯えていた頃とは違う。抜き去った両手剣を構え、ルダスが攻撃に入るときの、最も隙の大きな瞬間、的確に両手剣を振り抜いた。ヴィラ砦の死闘を経験したことで本当の意味での自信がついたのか、上級魔物を一刀のもとに斬り伏せる、優秀な剣士の動きを見せた。
「見ろ」
 と、王国軍兵士の声が聞こえる。
「魔物は絶対にこいつを襲わない。絶対にだ! こいつはノルグ族側に寝返ったんだ。魔物の一味なんだ!」
 ログナは王国軍兵士を押さえつけたまま、立ち尽くすイシュを凝視する。
 イシュはノルグ族の説得に失敗した。それは明らかだ。
 だが、それだけでは説明のつかない状況なのも、確かだった。
「イシュさん、なぜ、あなたを魔物は避けて通るんですか?」
 トライドが、詰問口調で言った。
「わからない」
 イシュは気の抜けた返事をして、頭を振った。
「足元の遺体は、その兵士が言うように、あなたが殺したんですか?」
「うん」
 力ない呟き。両手剣を手に持ったままのトライドが、イシュに近づいていく。
「本当に北部城塞を落とすのに、加担したんですか!?」
「この状況は、全部、わたしのせい。わたしの責任……」
 トライドは、イシュに対して剣を構えた。
「なぜですイシュさん! 僕は、僕たちは、あなたのことを、信頼して……!」
 トライドは確かに実戦を積んだ。だが、あの、あまりにも過酷な実戦を、八日経った今でも、自分の中で整理しきれていない。今の状況を、ヴィラ砦の惨状と重ね合わせているせいで、冷静に状況を把握できていない。
 ログナがトライドを怒鳴りつけようとしたとき、先に怒ったのは、ルーアだった。
「やめなさいトライド! まともに喋れる状況じゃないのが、見てわからないの?」
 レイの魔物の処理を手伝っていたルーアは、駆け寄りながらそう言った。
 トライドは構えを解かず、怯えた目で、イシュのことを見つめ続けている。
 ルーアはため息をついた後で、後ろからそっと、トライドに抱きついた。そしてトライドの右手にそっと自らの右手を這わせた。
「剣を下ろして」
 トライドはそれからも少し、イシュから視線を外さなかったが、やがて、ルーアの言葉に従った。ルーアはトライドから離れると、イシュのほうに歩み寄った。
 前髪の隙間からルーアを見つめるイシュと、全身傷だらけのイシュを見つめるルーア。
 ルーアのほうから、視線を外した。
「どうなっても知らないって、言ったのに。ほんっとに馬鹿」
「そうね」
 イシュもまた、ぽつりと呟いた。ルーアの顔を、眺めたまま。
「なんだよ! なんで剣を下ろすんだよ! 殺されるぞ!」
 構えを解いたトライドを見て、ログナに押さえつけられている男が喚いた。
 イシュに対するルーアの感情と、ルーアに対するイシュの感情が少し軟化したことを見て取ったログナは、
「ルーア、イシュを頼む。トライドはテイニを」
「えー! 何でこいつのことなんか……」
 ルーアは口答えしようとしたが、ログナがじっと見ていることに気付くとやめた。
 イシュの様子を一瞥《いちべつ》し、
「はいはい、やりますよ」
 鬱陶しそうに軽く手を振り、投げやりに言ってから動き出した。上官に対して平然と不満を漏らすその態度に、ログナは苦笑いするしかなかった。変にため込まれるよりはいい。
 イシュはぼんやりとした表情のまま、ルーアに背中を軽く押されてようやく歩き始めた。
 落ち着きを取り戻したトライドのほうは、素直に指示に従い、テイニを抱え上げた。レイとラヴィーニアのほうへ駆けていく。
 ログナはイシュがじゅうぶんに離れたところで、王国軍兵士から手を離した。王国軍兵士はログナの正面に回ると、イシュのほうを指差して、必死で怒鳴った。
「あんたら、おかしいだろ! あいつらは……あいつらは、この城塞にいた人間を、非戦闘員まで、殺しまくったんだぞ! 魔物なんかと一緒になって! あんたらも仲間なのか?」
「俺の大事な部下だ。ノルグ族を説得させるために別行動をとらせていた」
「だから! そこで逆に丸め込まれて、寝返ったんだろ!」
「本当に寝返っていたなら、イシュはどうしてお前を殺さなかった?」
 王国軍兵士は、言葉に詰まった。
「戦ってわかったはずだ。こいつは自分よりも強いと。お前、ギニッチと戦って勝てるのか? お前が言うように、あいつがギニッチを殺していたなら、なぜ攻撃に転じず、ギニッチよりも弱いお前を殺さないんだ?」
「ギニッチ様と戦って傷を負っていたし……疲労があったんだ。だから、いまは、俺のほうが強い! 俺を、殺さなかったんじゃなくて、殺せなかったんだ!」
「ログナ! ここは完全に敵のど真ん中だ。これ以上、魔物が投下されたら対処しきれない!」
 休まず魔物を撃退し続けているレイが、右手で、上空に吹きだまる飛行型魔物を指差しながら怒鳴った。
 飛行型魔物の背中から、次々に魔物たちが降り立ってくる。ログナたちが出てきた地下道の周囲に、魔物が集まり始めていた。
「わかった! ここを安全に脱出する抜け道がある。お前も来い」
 ログナはレイに返事をした後で、王国軍兵士に、なるべく優しく言った。
 頷きかけた王国軍兵士はしかし、首を横に振った。
「俺は王国軍の兵士だ。殺された仲間のぶんも、最後まで戦う」
 ログナはひそかに這わせていた魔法土で、王国軍兵士の足をがっしりと覆った。
 気付いた王国軍兵士がまた騒ぎ出したが、気にせず肩に担ぎ、地下道へ向けて走り出した。
「おい、離せって!」
「お前、名前は?」
 ログナは王国軍兵士に耳を貸さず、名前を訊ねた。
 彼は抵抗しても無駄だと悟ったのか、力を抜き、
「カギラ」
 とだけ言った。
 名前の響きが、ロド族よりも、ノルグ族に近い。それに、ノルグ族であるイシュとテイニと、このカギラしか生き残っていない事実が、漠然と引っかかっていた。ノルグ族には、時折、カギラのように褐色肌をもたない人間も生まれる。
 そう思って、
「名字は」
 と訊ねる。
 ノルグ族を敵視している様子のカギラは、投げやりに応えた。
「名字なんてねえよ。俺も……ノルグ族だから」



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