47 王国騎士団壊滅


 どれだけ潰しても次から次に湧いて出てくる魔物と、ノルグ族。
 ギニッチは炎魔法を操作して、炎の箱を作り出し、側面をぐるりと魔法土で囲った。この技を使えば一度に幾十もの敵を閉じ込めることができる。
 魔力の薄いところを突き破ってくる敵もいるにはいるが、髪や衣服が盛大に燃えた状態で出てくるものもいれば、錯乱状態でただ飛び出してくるものもいる。そこを他の兵士たちに攻撃させれば、簡単に数は減らせる。
 技そのものは、北辺領から魔王討伐隊に引き抜かれた、バルドーが使っていた技だった。三つ年下ながら化物じみた戦闘力を誇っていた同僚のその技を、ギニッチは見よう見まねで習得した。この技で開戦からここまで自分が殺した人数を考えかけ、やめた。箱は三十以上作った。考えるのも馬鹿らしい。
 王都北部城塞にノルグ族と魔物が向かっているとの報告を受けたギニッチは、まず、野戦を挑んだ。いくら王都北部城塞が籠城向きの城とはいえ、援軍が来ない状況では、数多くの非戦闘員を養っていられなくなる。
 けれど野戦では大惨敗を喫した。先頭に立って戦ったあの、黄色と黒の入り混じった毛皮をした人型魔物に、数多くの兵士と団長補佐四人が惨殺された。残された団長補佐は、後方で指揮を執っていたギニッチと、三ノ砦で飛行型魔物の迎撃にあたっていたテルセロだけになっていた。
 そのまま進撃をしていればあっという間に王都北部城塞は陥落したはずだが、敵はそれをしなかった。なぜかノルグ族と魔物に王都北部城塞を包囲させ、兵糧攻めに徹していた。ギニッチはその時間を利用して、テルセロを部隊長とした決死隊を編成、いちかばちか、ここから八日ほどかかるレイエド砦にいるはずのカロル兵団本隊への援軍を求めさせに行った。
 結局はそれも、間に合わなかったが、団長補佐が一人くらいこの場にいたところでどうにかなる相手でもない。テルセロを生かしてやれるのならそれもよかった。いまはもう、勝てるなどと思っていない。非戦闘員を脱出させるため、四ノ砦の城壁を破壊してからは、時間稼ぎのためだけに戦っている。脱出したところで生き残れる保証などないが、ロド族への憎しみに目を曇らされたノルグ族は、非戦闘員だろうと分け隔てなく殺している。城にいても、殺し尽くされるだけだ。
 まさかノルグ族にここまで追い込まれることになるとは思いもしなかった。ギニッチは炎の箱を作りながら、歯噛みした。
 もともと、ノルグ族を毛嫌いしていたわけではない。
 生まれついたのが北辺領だった。
 ただそれだけのことだ。
 北辺領は、王位継承者が代々受け継ぎ、王になった際の予行演習をする土地だ。治安の安定しないノルグ領と、北から襲い来る魔物、二つの動向に警戒しなければならず、相応の能力が磨かれる。
 ギニッチはそんな地域で生まれ落ちて、物心ついたころには兵士としての訓練を受けていた。ただ、ノルグ族長ラユと、ロド王国第一王子ステイシスは、適度な緊張感を保ちながら、案外うまくやっていたので、兵士としての出番はまだ先だと思っていた。ノルグ族は王国軍との兵力差を十分に分かっている。無駄な反抗はしなかった。
 しかし初陣は早くにやってきた。ある日、いつも通り、共に魔物と戦っていたふたつの種族のあいだで、いさかいが起こった。ロド族の指揮官が、魔法の操作を誤り、最前線で戦っていたノルグ族の兵士を殺してしまったのだ。もともとその指揮官はノルグ族に対する当たりが厳しく、ノルグ族の兵士たちから忌み嫌われている存在だった。その殺人がきっかけになって、暴動が起こってしまった。
 そして、暴動の発端になる殺人を犯した指揮官は死に、それ以外にもロド族の五十人以上、ノルグ族に二百人以上の死者を出して、暴動は終息した。それがギニッチの初陣だった。
 ノルグ族のひとりを誤って殺した指揮官は、ギニッチの父親だった。以来、ギニッチの家は、暴動で死んだロド族兵士たちの遺族や、ノルグ族の奴隷剣士たちからそっぽを向かれ、武家としての地位は地に落ちた。ギニッチ自身も、指導と称した理不尽な暴力を繰り返され、悲惨な少年時代を過ごした。すべてはあの暴動のせいだった。父親が悪かったのだと、心のどこかでは思っている。思っているが、そこは、感情で割り切れるものではなかった。ノルグ族と仲良くせよというのは、無理な相談だった。
 あれからしばらく経ち、自分もまた、父親と同じようにノルグ族に殺されかけている。なんとも皮肉な人生だ。
 火炎の箱を維持しながら、他の兵士たちが殺されていくのを、たいした現実感もなく眺めていると、簡易結界魔法だけを使い、するりするりと防衛線を突破するノルグ族の兵士に気付いた。
 ギニッチはその兵士の噂に覚えがあった。顔にスルードの花の刺青を入れた、凄腕のノルグ族兵士がいると。確かここ最近、騎士団長直属になった兵士だ。
「裏切り者のイシュがそちらへ! 逃がしたら、非戦闘員を殺し尽されますよ!」
 ひとりの兵士がギニッチに進言してきた。ギニッチは周囲を見回し、自らが殺したノルグ族や魔物たちの死体ばかりが転がっているのを確認すると、
「少しお前らだけで耐えろ! すぐ戻る!」
 と叫んだ。
 ギニッチは足止めのために炎弾を飛ばす。その兵士は、ノルグ族兵士を抱えて走っていた。ひとりならもっと速いのだろうが、さすがに足が重くなっている。あまり足の速い方ではないギニッチでも、炎弾や魔法土を使って妨害すると、うまく追いつけた。回り込まれたイシュは、抱えていたノルグ族兵士を降ろして、ギニッチに正対した。
「わたしは裏切ってなどいません! 戦うつもりもありません!」
 ギニッチは構わず、炎の箱を作った。この戦場において、ノルグ族はすべて敵だ。
 けれど炎の箱ができてすぐ、それは、闇魔法によって食い破られた。イシュはそれ以上のことはしなかった。簡易結界魔法を使って自分とノルグ族兵士を守っているだけだった。歯を食いしばって、次の炎の箱を作る。それでも結果は同じだった。
 ありったけの火力で飛ばした大きな炎弾も闇魔法に呑まれた。
 ギニッチは歯ぎしりして怒鳴りつけた。
「貴様! なぜ攻撃しない!」
「聞いてください、わたしはログナ支隊の一員で」
「ノルグ族の言い分など聞かん!」
 土魔法で両手剣の刀身をすべて覆い、その塊に炎をまとわりつかせて、駆け出した。その場に立って動かないイシュに向け、思い切り突き出した。それは簡易結界魔法を破ったが、イシュは易々とかわした。そして視界から消えた。勢いよく突っ込んだ体は急には反転できない。簡易結界魔法を使っても距離が近すぎて相手まで防護してしまう。
 判断を迷った一瞬の隙を突かれて、闇魔法で体が覆われ、拘束された。
「わたしは、先行してノルグ族の説得にあたっていましたが、失敗してしまい」
 そこで、イシュの気配が消え、闇魔法の拘束が一瞬緩んだ。どうにか闇魔法から抜け出すと、代わりに、別の気配があった。
「ギニッチ様を援護しろ!」
 共に戦っている兵士たちだった。形勢逆転、次々に駆け付けた援軍が、イシュとノルグ族兵士を囲んでいる。十、十一、十二、どんどん増えていく。
「話を聞いてください!」
 イシュが、哀願するように叫んだ。
 十五まで増えたところで、兵士たちは、一斉に攻撃魔法を放った。
 簡易結界魔法と闇魔法が展開したが、ここまで生き残った精鋭の兵士十五人とギニッチによる攻撃魔法の連打をすべてを防ぎきれるはずもなかった。
「まだ戦いは続くんだ! 無駄撃ちはやめろ!」
 兵士たちの魔力の損耗が厳しいと感じて、指示した。
 やがて魔法の残り香が消えた。深くえぐれた地面には、生前の面影を残さずに潰れた遺体が二つ転がっているはずだった。
 けれどそこには、ノルグ族兵士を守るようにして立ったイシュがいた。
 彼女の着ている革の鎧と、その下に着ている麻の服はぼろぼろだった。いたるところが破け、破けたところには直接肌に傷がつき、血があふれ出していた。
 けれど彼女は、生きていた。額の上あたりで弧状に編み込まれていた前髪は崩れ、長い前髪が、イシュの表情と、スルードの花の刺青を隠している。
「話、を……」
 彼女はそう言うと、力を使い尽くしたようにその場に倒れこんだ。
 行ける、そう思ったところで、飛行型魔物が視界に映った。空から、次々に魔物が落ちてくる。
 飛行型魔物が、その他の魔物を、輸送している。魔物たちがこんな戦術をとるなど、聞いたことがない。
 イシュに集中しすぎた弊害が、あっという間に兵士たちを呑み込んでいく。ルダスの爪に顔を切り裂かれ頭の中身と血液をぶちまける者、人間の肉が大好物のミングスの大群に四肢や臓物を喰い破られる者、青い新種が突然膨らませた口に頭を喰いちぎられる者、さまざまだった。ギニッチは炎弾や両手剣でそれらを次々に殺して行った。
 けれど不思議なことに、魔物たちは、一番弱っているはずのイシュとノルグ族兵士には一切、構わない。
 戦っている間にイシュに近づいていたギニッチは、怒鳴った。
「裏切っていないと言うなら、この状況を、どう説明するつもりだ! 魔物どもは、貴様のことを味方だと認識しているだろうが!」
「ノルグ族を、識別している、のでは……」
 イシュが、そう言って、右手を地面についた。腕をぶるぶる振るわせながら、どうにか彼女は、体を起こした。
「わたしは、ノルグ族の説得に、失敗しました。この状況はすべて、わたしの、甘さが招いたことです。責任を、取ります」
 イシュはそう言うと右手を掲げた。
「遠くに逃げてください。簡易結界魔法をありったけ張ってください」
 もう何十年も前の父の姿が、そこへ重なった。
 ノルグ族に包囲されて死を覚悟し、自爆した父の姿が。
 龍族種を斬りつけた勢いのまま体を動かし、イシュを蹴りつけた。
「英雄気取ってんじゃねえ、クズが! ノルグ族の分際で!」
 龍族種にとどめを刺し、炎弾をありったけ周囲に向かって打ちまくる。
 この期に及んで、命乞いをするようなそぶりは少しも見せない。本当に裏切り者ならば、今の状況で、裏切りではないと言い続けることに、何も、得することはない。もう、イシュが裏切ったとは思えなかった。
 だが、イシュは、ノルグ族だった。
 とても素直に、謝罪するつもりにはなれなかった。
 蹴りつけられたイシュは、泣きながら、言った。
「間もなく、ここへ、ログナ様が到着するはずです。そこまで耐え切れば、大丈夫だったんです。戦端は開かれずに、あの魔物だけが殺されて、終わったんです。それなのに、わたしが、一ノ砦へ逃げ込んで、魔法土を、砕かなかったから……だから、わたしは」
「何をグズグズ泣いてやがる! そんなに自爆してえなら、あの人型魔物を殺したあとに自爆しろ!」
 自分の言っていることがよくわからなくなってきていた。
 殺しても殺しても、魔物が空から落ちてくる。
 握力がなくなってきて、もう、両手剣も持てなかった。
 イシュもできる限り支援をしてくれていたが、もう、立つ力も残っていないようだった。
「なんで最期の会話の相手がノルグ族なんだよ」
 ギニッチは悪態をついて、最後になりそうな炎弾を打ち込んだ。周囲の魔物はあらかた片付いたが、龍族種が残っていた。龍族種を退ける力は、ギニッチには残っていなかった。
 冗談のような話だが、やはりここを攻めている魔物は、ノルグ族とロド族を識別しているらしい。
 何気なく、イシュのほうを見る。涙のあとを幾筋も貼り付けながら、前髪の隙間からのぞく真っ赤に腫らした目で、じっとこちらを見つめていた。
「あなたたちの代わりに……ここで亡くなった、ノルグ族とロド族、すべての人たちの代わりに、わたしは、あの人型魔物を……ヴァーダーを、必ず、殺します」
「はっ……殺せるかよ、ノルグ族ごときに」
 龍族種の咆哮が、背後から聞こえてくる。
「約束します」
 イシュが寂しそうに笑って、また、涙をひとすじ、零した。
 それは自責の念の涙だったのか、死にゆく者への手向けの涙だったのか。
 ギニッチはイシュから目を切り、間近に迫った龍族種へ目を遣った。右手を構えて、炎弾をぶつけようとしたが、魔力が空だった。右手が吹き飛んでしまった。
 左手を掲げて自爆しようとしたが、その前に、龍族種の吐いた火炎に、身を包まれた。
 ギニッチは燃え盛る自らの身体を、他人の身体のように感じながら、自嘲の笑みをこぼした。
 さんざん殺したノルグ族と、同じ死に方をすることになるなんて、本当に、皮肉だ。
「さよなら」
 意識が消えてなくなる直前、イシュの呟きが、聞こえた気がした。



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