45 地下道


 東へ東へと向かっているあいだに、わりあい温暖だった旧グテル市周辺から離れたせいか、寒さが厳しくなってきていた。景色も枯れた草木が目立つ閑散としたものに変わっていく。
 強行軍で七日ほど歩いたところで、部隊の先頭を歩くレイが、街道から逸れたのが見えた。
 最後尾のログナは、他の隊員の困惑を感じながら、ついていく。レイは、背の高い草に覆われた場所へと分け入っていき、そこで、現代の発音とは全く異なる古代語で、いくつかの単語を呟いた。
 するとレイの足元で、何かが動く音がした。
 レイはログナたちの表情を見て、説明不足だと感じたらしく口を開いた。
「大昔、北部城塞からの脱出用に作られた直通通路だ。フォードから教えてもらった。ここから入れば、四ノ砦に出るらしい。つまり、敵の包囲を突破する必要がないということだ」
「もし、北部城塞が落ちてたら、敵のど真ん中に出るぞ」
「この通路の出入り口は呪文がなければ姿を現さない。向こうに出たらわたしがまずは偵察するから、もしものときは、逃げ込んで道を閉じればいい」
「それならまあ……。ここから先はどっちにしたって敵と当たるからな。とりあえず、安全なほうから行くか」
 ログナがそう応えて、誰も特に口を挟まなかったので、レイがそこにしゃがんだとき、
「待ってください」
 イシュがその動きを遮った。
「どうした?」
 問いかけたログナのほうを振り返ったイシュは、
「わたしとテイニは、いったん、ここで隊を離れさせてもらえないでしょうか」
 心変わりか、と早とちりしかけ、一週間前の夜に彼女が出した結論を思い出して、身構えるのをやめた。
「ログナ様には少しだけ伝えましたが……。わたしたちはノルグ族とは戦えません。ですが、わたしたちにできることがひとつだけあります」
「言ってみろ」
「ノルグ族長であるラユ様を説得して、兵を退かせることです」
「それがお前の、戦いか」
 イシュは静かに頷いた。
 ログナはすぐに一時離隊を認めようとしたが、
「待ちなさいよ」
 ルーアが異議を挟んだ。
「出る前にノルグ族だけでこそこそ話し合ってるから何かと思えば……。確かに、同族なら、説得できる可能性があるかもしれない。でも、ノルグ族がもし本当に反乱をしていたら、それにあんたたちが加担しない保証は?」
「そこは……信用してもらうしかない」
 ルーアは不機嫌なまなざしをログナに向けてきた。
「隊長はこれでいいんですか? 現状では不確定要素が多すぎます。そこにもうひとつの不確定要素をぶつけるなんて、いろいろな意味で危険ですよ」
 ログナは、頷いた。
「人間同士で争わないに越したことは無いからな。いい考えだと思う。ただ、説得に失敗した場合はどうする?」
 ログナは途中までルーアに、途中からイシュに向けて言った。
「失敗した場合はすぐに逃げます。いまのノルグ族でわたしに勝てる人はいないと思うので、逃げるだけなら問題ありません」
「よし。一時離隊を許可する」
 イシュが別の形で戦うと言った時から、どんな結論だろうと尊重しようと決めていた。
「ありがとうございます。では、わたしたちは道に戻ります」
 そう言って身をひるがえしたイシュに、テイニが黙ってついていく。
 ルーアは、イシュが目の前を通り過ぎる時に、
「どうなっても知らないからね」
 聞こえよがしに言って、レイのほうを向いた。
 梯子を降りて辿り着いた通路は、地上よりもさらに寒かった。
 もともとあった洞窟を利用したようなとても広い空間が、なぜか、見て取れる。地下道のはずなのに、妙に明るいと思ったら、光の球が壁のところどころに灯っていた。
「なんですかこれ。幽霊でもいるんですか?」
 と言って、ルーアがトライドにしがみついた。トライドはうんざりした様子でルーアを振り払った。
「小さいころ、僕をそういう噂のあるとこに連れてって怖がるのを楽しんでたくせに」
 ルーアは怖がるそぶりをやめて笑った。
 もう王都北部城塞は目の前だ。無駄口を叩いている間に足を動かせと言いたいところだが、足元がつるつるとしていて、とても走れるような場所ではなかった。ゆっくり歩くしかない。
「でも、本当にすごいよ、この魔法技術は。失われた古代文明ってやつかな」
「魔法技術は、昔の方がすごかったんですよ。特にロシュタバが王だったときは、魔物に食べられる人がほとんどいなくて、人口もずっと多かったみたいです。人口が多いということは、それだけ、創意工夫にあふれた魔法を生み出す機会があったということですからね。ロシュタバが亡くなったあとの大混乱で、一気に人類の勢力図が縮小したため、多くの技術が失われてしまいましたが」
「さすが神官長」
 ここには誰もいないから、油断したのだろう、ルーアが軽口をたたいた。
 ラヴィーニアが、さすがに神官長だと思える知識を披露したのは確かで、ここなら魔物の耳が届く心配もないが、軽率だった。
 たしなめようとすると、
「神官長だと?」
「神官長は亡くなったはずですが」
 レイとテルセロが声を重ねた。
「え、あ、えっと……その……」
 ルーアが自分の口から出た言葉にようやく気付いたのか、ログナに助けを求める視線を送ってくる。
 ログナはため息をついた。
 レイとテルセロの顔をそれぞれ見比べ、
「この方の本名は」
 ラヴィーニアの方を向いた。彼女はレイとテルセロのまっすぐな視線を受けて、戸惑ったような微笑を浮かべている。
「ラヴィーニア・ロド様だ」
「何?」
 レイが顔をしかめて、ラヴィーニアを見ている。
 ラヴィーニアはその疑惑の視線を受けて、おずおずと舌を出した。正方形の中に斜め十字。カロル兵団の団旗と同じ、無を意味する記号の刺青。
「挨拶が遅れた無礼、お許しください!」
 レイが早歩きの速度はそのままに顔を伏せた。
 どうやらラヴィーニアの舌に彫られた刺青には、一般人の知り得ない、何か、特別な意味があるらしい。
「レイ様。何度か手紙のやりとりは交わしましたが、こうして、面と向かって話すのは初めてですね。もっとよく見たいので、顔を上げてください。あまりぶしつけに見るのも失礼にあたると思い、知らぬふりをしていましたが、ずっと話しかけたくてうずうずしていたのです」
「ありがたき御言葉」
 レイが顔を上げる。
「初めに、どうしても直接、申し上げたいことがございます。よろしいでしょうか、ラヴィーニア様」
「いまのわたしはラヴィです。そうかしこまられると困ってしまいます」
 レイがきょとんとした表情になり、そのあと、きっとログナのほうを睨んできた。何を吹き込んだ、とでも言いたげな表情だ。ログナはせいぜい涼しい顔に見えるように表情を作り、やり過ごした。
 レイはラヴィーニアに視線を戻す。
「ラヴィー……ニア様。わたくしは武官出身ゆえ、政治のことには疎く、いつも難儀しておりました。そのわたくしを、幾度となく助けていただいた御厚情に対し、改めて、御礼申し上げます」
「レイ様、わたしはあなたの頑張りに触発されただけですよ。あなたを支えられたこの五年間は、わたしの誇りです」
「五年……。わたくしが、初めて手紙を送らせていただいてから、もう、五年になりますか。失礼ながら、まさか、これほどお若いとは思いもしませんでした」
 五年と聞いて、ログナも驚いてラヴィーニアを見た。
 ラヴィーニアは、十五歳くらいの少女にしか見えない。十代前半から、政治にも影響力を発揮していたというのは、神官長では普通のことなのだろうか。それとも、この少女が異質だったのだろうか。
 だが、十歳で魔王討伐隊に入ったミスティも、異質さでは負けていない。ミスティといい、ヴィーヴィといい、ラヴィーニアといい、こうも若い人々がそれぞれの組織を支えているというのだから、まったく嫌になる。大人たちは……自分たちは、何をしているのだろう。
「えーと、よく子供っぽく見られるのですが、わたしはもう、十七……いえ、年を越したので、十八ですよ」
 それでも若い、とログナは思ったが、口は挟まなかった。
「失礼しました」
 レイが謝ると、ラヴィーニアは苦笑いした。
「うーん……。どうしましょう。レイ様、地上へ戻ったら、普通の話し方に戻ってくださいね。呼び名はラヴィで、きちんと呼び捨てにしてください」
「そもそもなぜ、ラヴィーニア様が、このような扱いを……。あの男に、何か、脅されているのですか?」
 ラヴィーニアの苦笑がまた一段と深まったので、助け舟を出した。
「それについては俺から話す」
 ログナはなるべく早く足を動かしながら、ラヴィーニアを王都北部城塞で助けたこと、人型魔物の危険がラヴィーニアに及ばないように無断で連れ出したこと、ラヴィーニアが素性を隠さなければならなくなった経緯を簡単に話した。
 初めは不信感の塊のような顔をしていたレイだったが、話が終わるころにはそれなりに納得してくれたようだった。
「まあ、あの状況では、仕方ない判断か。死を偽装したのはやりすぎだがな」
「隊長が死を偽装したのは、わたしが、隊長の反乱を警戒して、考え出させてしまった条件です。叱責を受けるべきは、わたしです」
 ルーアが緊張した面持ちでレイに申し出たが、レイは笑った。
「ふふっ……ログナがラヴィーニア様を担いで旗揚げか。面白い。やはり、お前をログナにつけたのは正解だった」
「それです」
 レイの言葉のすぐ後で、ラヴィーニアが口を挟んだ。
「その喋り方で、わたしにも接してください。仲間外れは嫌です」
 わがままなお姫様の要請に、笑っていたレイは情けない顔を浮かべた。
 レイが困った顔などほとんど見たことがない。
 ログナはレイの反応を笑いながら、歩く速度の落ちたラヴィーニアを追い抜きざま、肩を軽くたたいた。
「じゃあ、さっさと地上に出ないとな」
「気安く肩を叩くな! それに、男が神官長と喋るなんて!」
 ログナは怒ったレイを小さく指差した。
「レイにこうやって接してもらうために」
「はい!」
 ラヴィ―ニアが微笑ではなく、満面の笑みを浮かべた。

 洞窟の中は走れない分、地上を行くよりも時間がかかっている。
 天井から垂れ下がった奇妙な形の岩や、壁から突き出た岩の先端に気をつけながら、ひやりとした洞窟の一本道を、出来る限り急いで進んでいく。壁に設置された光の玉を頼りに、走ると転ぶほどなめらかですべりやすい足元にも注意する。気を付けることと言えばそのくらいで、一本道なので迷いようはない。軍人でないラヴィーニアの疲労を気遣いながらも、小走りくらいの早さは保った。
 やがて、ずっと一本道だった通路が、二本に枝分かれした。
 全員で一度、立ち止まる。
「どっちだ?」
「わからん」
 レイは首を横に振った。
「僕とルーアで左の道を見てきます。少し休んでいてください」
 トライドがすぐに言って、歩き出した。遅れてルーアもついていく。
「気をつけろよ」
 その背中に声をかける。
「わかりました!」
 いつもルーアに引っ張られていただろうトライドが、なかなか、頼もしくなってきている。初めはどうかと思ったが、順調に成長しているようで嬉しくなった。
 じっと待っているあいだに、雑談でもするかと思ってラヴィーニアに向き直ると、ラヴィーニアがなぜか、口を押さえ、痛みをこらえるように、目をぎゅっと閉じていた。
「おい、どうした」
 ログナが歩み寄ると、レイも気付いてログナの隣に近づいてきた。
 ラヴィーニアは目を開いた。先程までなんともなかった目が、充血している。
 そして口から手を外すと、軽く舌を出した。そこを指でさして、目をつぶった。舌が痛いらしい。
 見間違いでなければ、刺青の部分が、鈍く光っているように見える。
「これは、まさか……」
 レイが何か思い当たることがあるように呟くと、ラヴィーニアも頷いた。
 どういうことなのか訊ねようとすると、
「こっちの道が、北部城塞まで続いているようです! 遠くに梯子が見えます!」
 左側の通路から、トライドの声が届いた。
「後でもう一度、この場所に。今は一刻も早く援軍に入らなければ」
 レイが、右側の通路へ目を遣る。ラヴィーニアも右側の通路を見て、頷いた。
 地上が近づいたことを意識したのか、レイは敬語を排した言葉遣いをした。
「レイ、後で説明してくれるんだろうな」
「ああ。だが今は、北部城塞だ」
 左側の通路を行ってトライドのもとへたどり着いたころ、ラヴィーニアはすっかり痛みが消えたような顔をしていた。
 足場が悪く、気ばかり急いてなかなか思うように進めなかった洞窟を、ようやく後にすることが出来る。
 ログナたちは大急ぎで梯子を昇り始めた。



inserted by FC2 system