第6章 ロド族の道 ノルグ族の道
44 炎


 テルセロらは、籠城を続ける王都北部城塞内で組織された決死隊だったらしい。
 十日近くかけて魔物の生息域を突破し、カロル兵団という敵対者に助けを求める。ほとんど望みがない任務に志願した彼らは、王都北部城塞に敷かれた重厚な包囲をかろうじて突破したが、しつこく魔物に追い込まれて散り散りになったそうだ。さらに、別の場所から――おそらく王都から――レイエド砦へ向かっていた魔物にも南を挟まれ、その絶望的な状況のまま、ここまでやってきたという。
 フォードは、王都北部城塞が襲撃されることを予見していたのだろう。だから、ログナ支隊を救い、レイとともに防衛に向かわせるつもりだった。だが、敵の行動の方が早かった。
 本当なら全滅していたところを救ってくれたフォード隊には、大きな借りが出来てしまっていた。包囲をかろうじて突破して、何日もかけて救援を求めてきたテルセロたちを無碍《むげ》にすることもできない。激戦を終えたばかりだったが、すぐに出発することとなった。
 怪我と疲労が目立つナフドらノルグ族兵士は連れて行くのをあきらめ、決死隊隊員とともにフォードに任せる。ログナ、イシュ、テイニ、ルーア、トライド、ラヴィーニア、そこにレイとテルセロがログナ支隊の一員として加わる編成になった。
 そしてヴィラ砦の残骸からまともなものを見つけ出して装備を整え直し、出発も間近になったとき、ずっと何かを言い出しあぐねていた様子のテルセロの口から、衝撃的な言葉が発せられた。
「すみません。なかなか言い出せなかったのですが、北部城塞を包囲しているのは、魔物だけではありません。ノルグ族もです」
 イシュやテイニたちのほうを見ないようにしながら、テルセロはログナに向けて、言ってきた。
「ちょっと待ってください! そ、そんな、そんなわけないですよ!」
 テルセロの視線を自分へ向けようと、テイニが、テルセロの肩に手をかけて言った。
「もしかして、あなたも、ギニッチ団長補佐のような……」
 テルセロは諦めて、テイニのほうに向き直った。
「俺は、前騎士団長である祖父の教えを受けて育ちましたし、半分農民だったので、ノルグ族への偏見はないつもりです。だから、伝令やギニッチ様のことが信じられず、包囲を突破する際に、よく観察しました。それでもやはりあれは、ノルグ族の人々でした」
「う、嘘です。嘘ですよ、そんなの……あの、お優しいラユ様が、そんな」
 テイニは呆けたような顔のまま、地面にへたり込んでしまった。
 ラユというのは、現在のノルグ族長の名前だ。たしか老齢の女性だった。ログナでもそのくらいは知っている。
「それじゃあ、わたしたちは……」
 テイニが口ごもる。
 その先を言いたくないのだろう。ログナも、聞きたくなかった。
「わたしたちは、処刑されるんですか?」
 イシュは、事実確認をするように淡々と、訊ねた。視線は、大まかな方針決定は任せてもらうと宣言していた、レイに向けられていた。
 いまイシュが確認したことは、決して、大げさな事ではない。
 ノルグ族が反乱を起こした場合、ロド王国は、徹底的な弾圧をもってこれに望むことを、公言している。昔、ロド族の指揮官によってノルグ族の兵士が殺された際に起きた『北辺領の暴動』では、暴動に加担したすべてのノルグ族が処刑された。
「はいと答えざるを得ないだろうな、普通の」
 レイの言葉に、ログナは片手剣に手をかけ、少し魔力の回復したらしいイシュは右手から黒い霧を吐き出させた。
「逸《はや》るな、戦闘馬鹿ふたり」
 レイは呆れたように言って、ログナとイシュをそれぞれ睨んだ。
「普通の騎士団長なら、と言おうとしたところだろうが」
「紛らわしい言い方するんじゃねえよ」
 ログナは早とちりした照れ隠しに、悪態をついた。イシュは表情を変えずに黒い霧を右手に戻した。
「普通の騎士団長なら、イシュやテイニに攻撃されればひとたまりもないだろう。が、わたしは違う。ログナ支隊にいるすべてのノルグ族の兵士が結託してわたしの寝首をかこうとしたところで、絶対にそれは無理だ。よって、実際に反乱に加担するまで、処刑する必要がない」
 レイは自らの力量への自信を隠しもせずに、言い切った。
 少しの間の後、ログナは笑った。隊全体にもささやかな笑いが広がる。
 ログナが仕切り直して、問いかける。
「それより、お前ら、どうする? 他のノルグ族たちと一緒に休んでおくか?」
「わたしは行きます」
 とイシュはためらいもなく答えた。
 テイニは、驚いたようにイシュを見た。
「そんなに簡単に決めてもいいのか?」
 ログナが訊ねると、言われなくてもわかっている、とでも言いたげな顔で、イシュは答えた。
「テイニが言うように、あのラユ様が反乱を認めるとは思えません。現場へ行って、事実確認をします」
「もし本当だった場合は」
「敵は……倒します」
 言い切ったあと、その言葉の苦みに耐え切れなくなったのか、イシュは今すぐにでも自ら舌を噛み切ってしまいそうな、苦渋に満ちた表情を浮かべた。

 隊員たちの疲労も考え、一日目は早めに夜営の準備を終えた。風魔法で切った木を薪に、炎魔法で火をおこし、道すがらに摘んだ雑草のスープを作り、殺した魔物の肉を焼く。それらを食べ終えた後は、レイを含めてほとんどの隊員がすぐに眠りに落ちた。
 見張り番を申し出たログナは、誰も手を付けずに残った龍族種の肉に、仕方なく手を伸ばす。滋養はあるはずだが、まずいうえに、硬く噛み切りにくい。上級魔物の中でもことさら厄介な攻撃性を持つくせに、肉はまずく、加工しにくい皮をもつのが龍族種の特徴だった。レイがいると格段に戦闘が楽だが、それでも疲労の蓄積した身に龍族種は辛かった。その戦いの報酬がこのやたらと飲み込みにくい肉だ。
 どうにかこうにか肉を腹にねじこんだ。愚痴の一つも零したくなる身を、暖かな炎にさらしていると、ログナの右斜め前のあたりに、イシュが座った。火があると魔物が寄ってくるが、このあたりの敵はレイがあらかた片付けた。眠っている間に体を冷やさないことを優先して、火は灯したままにしてある。ふたつあるうちのもう片方の焚火の周りで、火の粉が飛ばない程度にまで離れて眠っている。
 イシュは膝を抱えて座り、しばらく何も言わずに炎を見つめていた。
 ログナも何も言わず、ときおり火に薪をくべに立つ以外は、じっと炎を見つめていた。張りつめた冬の静寂に混じる、木の弾ける音に、耳を澄ませていた。
 やがてイシュがぽつりと零す。
「眠れなくて」
 それからまたしばらく、イシュは黙った。
 結局、イシュだけでなくテイニも、変わらずログナたちについてくることになった。ノルグ族の仲間を、仲間殺しの場に引きずり込みかねない、イシュの決断を尊重する形で。
 前に、イシュの感情は死んでいない、とトライドはテイニに対して言った。その通りだとログナも思っている。
 ログナは炎に照らされたイシュの横顔を、炎に対するときと同じように、じっと眺めた。スルードの花の刺青《いれずみ》をまとった無表情の奥底で、いま、どんな激しい感情が渦巻いているのだろう。
「初めは……」
 イシュが言う。
「初めは、ログナ様がよく理解できませんでした。レイ様もおっしゃっていましたが、賞金を懸けられていた王国のために、どうしてそこまでして戦うのか。それで、考えながらログナ様と一緒に戦っているうちに、だんだん、わたしと同じなのかなと思うようになったんです」
「同じ?」
「仲間のために戦う。陳腐な言葉ですが、わたしの戦う理由は、突き詰めればそれだけです。ノルグ族の仲間たちを、絶対に死なせない。守りたい民族がロド族なだけで、ログナ様も、きっと、同じなんだろうなと」
 でも、とイシュは続けた。
「ログナ様は、ギニッチ団長補佐から、ノルグ族のわたしたちを守ってくださいました。不利な状況の中、ラヴィ様のおっしゃる通り、さっさとノルグ族を切り捨ててしまえばよかったのに、それをしなかった。じゃあ何のために戦っているのかなと、また、最初の疑問に戻ってしまいました。レイ様が亡くなったと聞いたときの落胆ぶりを見て、レイ様のために、騎士団員を守っているのかとも思いましたが、レイ様が亡くなったと聞いてからも、ログナ様は戦い続けました」
 イシュはあまり喋り続けることに慣れていないからか、どこかたどたどしく、ぎこちない喋り方をする。加えて言葉がなかなか出てこないときもあったが、ログナはじっと待った。
「わたしは、ノルグ族を守るためだけに、戦ってきました。だから、ノルグ族を傷つけることになったとき、わたしには……戦う理由がなくなってしまう気がするんです。実際にノルグ族の反乱を目の前にしたら、ここまでよくしてくれたログナ様を、簡単に裏切ってしまうんじゃないか、って。ログナ様を殺そうとするんじゃないか、って。それが、怖いんです。ログナ様、わたしは何のために……いえ、ログナ様は何のために戦っているんですか? それがわかれば、少しは、自分の中でも、整理が付けられそうな気がするんです」
 イシュはどうにか最後まで言い切った。小さな樽を腰のベルトから取り外して、中に入っている水を勢いよく飲み始めた。そこまで喉が渇くほど喋ったとは思えないのに、なかなか口を離さない。
 ログナは苦笑しながら、目の前の火に視線を戻した。ぼんやりとした熱が伝わってきて、夜更けの寒さを忘れさせてくれる。イシュが慣れないことをしてまで伝えたかった思いを、じっと考えた。
 火の勢いが弱まってきたころ、手元の薪をくべたあとで、イシュのほうに視線を遣った。
「俺が、戦う理由は、単純だ。とは言っても、十年、前線から離れてたからな。ついこの間、ミスティと話すまで、すっかり曖昧になってた」
 イシュは膝を抱えるのをやめ、姿勢を正して、ログナのほうへ体を向けてきている。
「十年前の魔王討伐戦で、退路を確保してた騎士団が壊滅して、俺たちは、全滅しかけてた。俺の命は、十年前に消えてるはずだったんだ。退路を確保するために自爆するような馬鹿が、いなければな。あいつには仲間を鼓舞するときの決め台詞があった。『剣を取れ。俺たちの存在理由はただそれだけだ。ただそれだけでしかない』」
 ログナは、火に照らされた彼女の横顔に、軽く笑いかけてから、続けた。
「俺は、あいつのぶんも、魔物を倒さなきゃならない。あいつが生きていたら、きっと、死ぬまで、戦い続けたはずだから」
「そう、ですか」
 イシュはなんとなく、納得できないような顔つきをしている。
 意図的に省いた話があった。
 ここから先は気恥ずかしく、あまり話したくなかったが、髪を軽く掻いてから、言葉を継いだ。
「これは、両親と、カロルにもらった力なんだよ」
 やや俯いていたイシュが、顔をあげた。じっと、ログナの目を見てくる。
「俺は、魔物に両親を殺されて、キュセ島のじいさんたちに拾われた。じいさんたちはよくしてくれたし、俺もじいさんたちのことが好きだった。でも、俺は、魔物を殺しまくってやるって、ずっと思ってた。だから、漁師になって欲しがってたじいさんたちの願いを無視して、王国軍に入るためにキュセ島を出た。俺は生まれつき、ほんの少しの魔力しか持ってなかったけど、魔物が憎くて憎くてしょうがなかったから、戦うことを諦めきれずに、訓練を、死ぬつもりで頑張った。だから、今の力の半分は、殺された両親にもらった」
 ログナは、自分の過去を語る気恥ずかしさを我慢することが出来ず、イシュから目をそらした。
「でも、当時の俺は、仲間を守るなんて発想はみじんもなかった。成績を常に一番で維持して、さっさと実戦部隊に入って、魔物を殺しまくることだけが目標だった。ノルグ族だって平然と差別してた。その俺のままだったら、イシュはもう、俺の所には居なかっただろうな……。そこで会ったのが、カロルだった。あいつは、昔っから馬鹿だった。訓練で組んだとき、自分の成績が落ちても、怪我をしそうになった俺をかばった。こいつは馬鹿だ、大馬鹿だ、そんな風に思ってた」
「昔のログナ様、ちょっと、嫌な人ですね」
 イシュが控えめに呟いた。
 ログナは笑う。
「そうだな。さっさと実戦部隊に入るためにはなんでもやる、すげえ嫌な奴。友達なんていなかった。でも、あいつは……あいつだけは、いつも、俺を心配してくれてた。まあ、その辺からは、よくある話だよ。初めての実戦であいつに命を救われて、それからは、だんだん仲良くなってな。いつの間にか、あいつの背中を守る事が俺の仕事になってた。だから、今の力のもう半分は、カロルにもらったんだ。憎しみで手に入れた力だったけど、あいつと出会ってからは、俺と同じ思いをするやつを、少しでも減らすのに使いたいと思った。俺たちが戦うぶんだけ、誰かの命が助かるのは、なんとなく、いい気分だしな」
「気分、ですか」
 イシュに視線を戻すと、先ほどまで緊張した面持ちだったイシュは、少し脱力したように言った。
「お前は、ノルグ族の仲間を守れたとき、どう思う?」
「嬉しい、です」
「俺も、同じだ。誰かを守れたときは、嬉しい。だからまた、守りたくなる。お前との違いは範囲だけ。俺が守りたいのは、カロルが守ろうとしたもの全部だってこと」
「戦う理由は、カロルと……カロル様と一緒に過ごした時間が、生み出したんですね」
 イシュは、詳しい理由を省こうとしていたときとは違って、本心から、そう言ってくれているように思えた。
「まあ、そんなとこだ。もし反乱が本当だったとしても、お前は、戦わなくていいよ。人間殺しは俺がやる。人間で俺の防御魔法を完全に破ったのは、ミスティだけだ。俺は人間相手には負けない」
 イシュの苦しみを想像することしかできないログナが、そう気遣うと、イシュは首を振った。
「いえ、わたしも、戦います」
 ログナは驚き、声を低くして、イシュをたしなめた。
「やめとけよ。戦っているとき、敵にならないとは言い切れないって、さっき、言ったじゃねえか。イシュ、お前は、自分が守ろうとしてきたものを、自分で壊すことの意味が、わかってるのか? これまでの自分が、消えてなくなるってことだぞ」
「そうですね」
「ノルグ族を殺す俺が許せないんだったら、憎んでくれて構わない。けど、戦闘中に敵に回るのだけは、やめてくれ」
「大丈夫です。わたし、ログナ様の話を聞いて、やっぱり、ノルグ族は殺せないと確信しました。だからと言って、ログナ様の敵にも回りたくありません。だから、別の形で、戦います」
「別の形?」
「今はまだ漠然とした考えなので、北部城塞に近づいたら、話しますね」
 イシュはそこまで言うと、少しのあいだ火を見つめてぼんやりしてから、立ち上がった。
 ログナは火の中心に目を遣り、
「眠れそうか?」
 と問いかけた。
「はい」
 イシュが自分の寝場所に向かう足音を感じながら、だんだん強まってきた眠気を堪えていると、足音が引き返してきた。
 どうしたのだろうと思ってそちらを見遣ると、イシュが、少し、言いにくそうに体を動かしたあと、口を開いた。
「あの、本当は喜んでは駄目ですが、昼間のあの……。レイ様相手に、片手剣に手をかけてくれて……うれしかったです。おやすみなさい」
 慌てて身をひるがえした彼女の背中を見て、ログナは笑った。
「おやすみ」



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