42 ヴィラ砦防衛戦(4) 幻のような


 西門の兵士たちを助けに行ったイシュが、無事にテイニとナフドを東門まで送り届け、戻ってきた。二人は西門崩落によって魔物のただなかに取り残され、まともに戦っても死ぬだけだというテイニの判断のもと、瓦礫の陰に隠れて魔物をやり過ごしていたらしい。
 どうにか新種の大型魔物の攻撃対象を自らに誘導していたログナは、ともに戦うイシュの言葉を聞きながら、また次の弓を放つ。特別製の矢は使い切ってしまった。ただの矢は、ごくごく小さな傷しか与えていない。
 イシュが闇魔法を発動させ、風魔法を使って、黒い霧を広げていく。けれどそれを察知したらしい大型魔物は、口から息を吐いて闇魔法を吹き飛ばした。ただの息が闇魔法を吹き飛ばせるはずがないから、魔力をこめた息なのだろう。魔物でも魔法は使える。
 イシュがひどく驚いた顔を見せたあと、すぐ無表情に戻って、闇魔法を伸ばす。今度は背後からだったが、気配でも察したのか、それも、振り返った大型魔物によって阻まれた。近くにあった建物の二階部分が、息の直撃を受けて根こそぎ吹き飛ばされた。
「厄介ですね」
 とイシュが呟く。
「どうすれば倒せるんでしょうか」
 今度は大型魔物が攻勢に出る番だった。大型魔物が勢いよくうつ伏せに倒れてくる。
 ログナとイシュはそれぞれ別方向へ走った。
 毛に覆われた柔らかそうな見かけとは裏腹に、建物をなぎ倒しても、痛くもかゆくもないらしい。
 無事に避けたが、今度は、じたばたしているとしか言いようのない攻撃を始めた。手足をばたんばたんと激しく動かし、それだけで建物が十数軒崩壊した。ヴィラ砦の内部には、もうほとんど、瓦礫しか残っていない。
 ログナは、飛んでくる瓦礫を弾きながら、砂煙の中を走り、じたばたしている大型魔物に近づこうとする。しかし周囲に集まってきた魔物たちがそれを許さない。イシュが戻ってくるまでは、幾度かあった攻撃の機会も、魔物たちのせいでものにできなかった。
「イシュ、こいつらをどうにかしてくれ!」
 イシュに指示すると、すぐさま遠目から闇魔法が飛んできた。
 自らの周囲に集まってきた魔物を、イシュの助けを借りて蹴散らしながら、激しく動かす両手を盾にした大型魔物へ近づいていく。
 けれどそこで時間切れになった。大型魔物が、立ち上がってしまった。
 しかも、ログナたちから興味を失ったらしく、東門のほうへと向かっている。
 舌打ちしたログナは、諦め悪く、大型魔物の足元に向かっていく。しかし、次から次へと湧いてくるさまざまな新種、龍族種、ルダス、ミングスが、行く手を阻んだ。
 ログナの隣に並んだイシュは、闇魔法の霧を使って道を切り開きながら、指笛を吹いて必死に大型魔物の注意を引こうとする。
 しかし、それでも、間に合わなかった。
 大型魔物が、例の激しい息を、東門に向けて放った。東門の壁上にいた敗残兵の幾人かが、吹き飛ばされたのが見えた。続けて、石壁の一部を、大型魔物が、蹴りつけた。
 ログナは両手剣を突き立てた龍族種のはらわたをえぐり出しながら、叫んだ。
「こっちだ、こっち向け、馬鹿野郎!」
 大型魔物が、右手を振り下ろす。それだけで、東門の南半分が、消えてなくなった。
 イシュもまた、諦めきれずに闇魔法を伸ばすが、それもまた、東門の残りの半分に向けて吹きかけられた息によって、無慈悲にかき消される。誰かが東門に張った簡易結界魔法も、もろくも突き破られた。
 北側には、下へ降りて戦っているトライドとルーアとテルセロ以外の全員がいる。南側の崩落から逃げ延びた敗残兵、ラヴィーニアやテイニやナフドらログナ支隊の兵士たちが戦っている。
「テイニ、テイニ、テイニ」
 イシュは親友の名を何度も呼びながら、無駄だとわかっていながら、闇魔法を伸ばす。
 それを横目に、ログナは一歩でも大型魔物に近づこうと魔物を切り裂く。
 大型魔物が足を蹴り出す直前、幾重にもわたる簡易結界魔法が再び現れる。それは兵士たちをどうにか攻撃から守ったが、石壁全てを覆い切ることはできず、石壁は、崩落した。
 ついに最後の城壁も崩れてしまった。もう、魔物たちから身を守るものは何もない。ただ生身の人間たちが、魔物のただなかに、取り残された。
 大型魔物の興味が、再びこちらへ向く。東門には、弱った人間たちを求め、北から、南から、東から、西から、魔物たちが殺到していく。大型魔物が蹴りだしてきた右足によって、ログナはそれを押しとどめることができなかった。
 避ける暇がなかった。使いすぎて効果の薄れてきた魔法土で、かろうじて攻撃を受け止める。両手剣ですぐに反撃するが、足に軽い切り傷をつけただけだった。ぼろぼろになった魔法土を戻し、新たな魔法土を生成する。見るからに色が薄く、強度が弱い。不安に思ったログナが、軽く指でつつくと、ぼろぼろと崩れてしまった。
 大型魔物が、今度は左足を、イシュ目がけて蹴りだす。
 イシュは闇魔法を使いすぎたせいか、膝に手をついて肩で呼吸をしている。
「イシュ! 来るぞ!」
 イシュが、そこでようやく気づいて、顔をあげた。簡易結界魔法がイシュの身体を覆う。けれど集中力を欠いたそれは弱く、イシュの身体が軽く浮いて、地面に背中から叩きつけられた。
 両手剣を放って慌てて駆け寄り、仰向けで横たわっているイシュを、抱きかかえた。
「こんなところで、終わるんですね、わたしたち」
 そう呟きながら、ログナの腕の中で、イシュは苦しそうに目を閉じる。
 ログナはそんなイシュから視線を外し、抱えたまま、走り出す。
「人類は、滅ぶんでしょうか」
「どうだかな」
 もううまく動かない足を無理矢理に動かして、とにかく東門の方へ走る。振り下ろされた右手を、斜めに走ってかろうじて避けたが、激しく揺れた地面に足を取られて、イシュを投げ出し、転んでしまった。
 ログナが、軽く挫いた右足首と、ミスティに刺された傷の痛みを感じながら――諦めに支配されかけた体の重さを感じながら、起き上がれずにいると、今度はイシュが、ログナを抱き起こしてきた。そしてログナの右脇に自分の左肩を入れ、ログナの右手を、自らの右肩に回させた。
「諦め悪いな、お前も」
「ログナ様ほどではないですよ。でも、それも、もう、終わりです」
 イシュが立ち止まり、空を見上げた。ログナもつられて見上げる。そこには、振り下ろされる右手があった。
 けれど、死を受け入れようとしていたログナとイシュの身体を、簡易結界魔法が包んだ。それはなかなか強力な簡易結界魔法だった。強力な簡易結界魔法は、包まれた途端になぜだか安心感を覚えるから、わかる。その簡易結界魔法は、見事に、大型魔物の右手を弾いた。
 同時に、東門の方から、怒鳴り声が聞こえた。
「隊長! そこのノルグ! 何、勝手に諦めやがってるんですか! 早く!」
 敬語と普通のしゃべり方を入り混ぜた奇妙な言葉を発しながら、ルーアが手を振っている。
 ログナとイシュは、二人同時に、ふっと息を吐いた。
 ログナはイシュに回していた腕を外し、足を軽く引きずりながら、瓦礫の上をできる限りの速さで走った。少しだけ体力が戻ったらしいイシュも、ログナと並んで走り始めた。
 もう少しでたどり着くというところで、魔物たちが、ルーアたちとの間に割って入ってきた。ルーアたちも必死に攻撃するが、弱った魔法では龍族種をうまく倒せていない。ログナはイシュから片手剣を貰い受け、最後の力を振り絞って、それを思い切り龍族種の胸に突き立てた。だが、横から飛んできたルダスの爪に、途中で片手剣を放さざるを得なくなった。援護があればとどめを刺せたが、ルーアたちのほうに興味を移した大型魔物によって、誰もこちらを見る余裕がなくなっている。
 中途半端に急所へ突き立った片手剣が龍族種の激高を誘ったらしい。咆哮とともに龍族種の火炎放射が発せられた。左の方から強い衝撃が走り、ログナは地面に叩きつけられた。革の鎧の硬さとその隙間のぬくもりが伝わり、視界を覆っているのは人だ、と気づく。
「悪い! 大丈夫か」
 覆いかぶさっていたイシュが、横に転がって、退いた。ログナが身体を起こして見ると、イシュの革の鎧が、炎によって黒く焦げていた。左肩口のあたりがひどい。もう手袋の補強材ほどの役割しか果たさない魔法土で右手を覆い、急いで剥ぎ取る。中の、麻の服は無事だった。龍族種の吐く炎はしつこい。自分のせいで、一生残る傷跡と一生続く疼痛《とうつう》を与えるところだった。ほっと安堵する。
 けれどすぐに、安堵している状況ではないことを思い出した。ログナは慌てて立ち上がり、龍族種へ向かって走る。突き立った片手剣が効いているらしく、動きが鈍い。ログナはそのまま、背中に戻していた弓で、普通の矢を連射しながら龍族種の反撃を封じて、懐に突っ込んだ。片手剣の柄を、両手で押し込む。
 龍族種が倒れたが、奥へ入りすぎた片手剣を引き抜くことが出来なかった。
 まだ魔物はいくらでもいた。東門跡地までの距離も、近いようで遠い。イシュを助けるために駆け出すと、ふらふらしている彼女は、片手剣の鞘を闇雲に振っていた。魔物たちがじりじりと距離を詰めている。ログナは弓矢を放ってイシュに近づく魔物たちの足止めをして、イシュのもとへとたどり着いた。イシュは片手剣の鞘を放り出し、座り込んだ。放り出された片手剣の鞘をログナが拾っている間に、イシュはその場に仰向けになってしまった。
「う……あっ……頭が、痛くて、なんだか、気が、遠く……」
 イシュはぎゅっと目をつぶり、右手で髪の毛をわしづかみにしている。それでも立ち上がろうとするそぶりを見せたが、
「いい。休んでろ」
 ログナはイシュの頭を押さえつけて、再び座らせた。意識が飛ぶ程の激しい頭痛の次は、おそらく、右腕か左腕の爆発、そして自爆しか残っていない。
 ログナは片手剣の鞘を油断なく構えて、周囲の魔物をけん制しながら、左手で矢筒を探った。
 ついに、普通の矢まで尽きていた。
 ミングスが右前足を突き出してくる。ログナは素早く鞘で弾く。ほとんど同時にルダスの爪が襲ってきた。的確に手を突いて弾き、鞘が折れるのを防ぐ。後ろで何かが動く気配を感じ、振り向きざまに鞘を当てる。鞘に殴り飛ばされた青い新種が地面に倒れた。けれど、そこまでだった。ルダスの左手が襲ってきて、爪に革の鎧を破壊された。今だと判断した魔物が一斉に、飛びかかってくる。
 ログナはせめてイシュを守ろうと、鞘を放ってイシュの身体に覆いかぶさった。襲い来る痛みに耐えるべく目を閉じようとする。
 目の前を、青白い閃光が横切った。
 閉じかけていた目を、見開く。
 続けて落ちてきたのは、魔物の、緑色の血しぶきだった。
 ざり、と瓦礫を踏む音が聞こえて、顔をあげた。
 走り続けてきたのか、荒い息を吐きながら、汗の線を幾筋も流しながら、それでも女は嬉しそうに笑っていた。
 短く切った髪に、白髪が多く混じっている。
 左腕は、やはりない。
 けれど、確かにその顔は、その笑顔は、数々の絶望的な戦場を共にした、英雄のものだった。
 ログナはイシュから体を離し、その場に座り込んだ。
「よく耐えた」
 魔法剣の柄を鞘に納めたレイは、近くまで歩いてくると、鎧が壊れて服も破けた左肩に、右手を置いてきた。
 肌に直接、手が触れている。ログナはその右手に、カロルもどきのときとは違う、人の温かみを感じた。
 幻じゃ、ない。
 ログナは、たった一人で王都を守り、想像を絶する苦労と心労を重ねてきただろうその身体を――左腕を失ってもなお人々を守ろうとする小さな英雄を、見上げた。
 それから目を伏せ、レイの右手に、自分の右手を重ねた。小さな、それでいて武骨な右手を握りしめ、何も言えないまま、ただただ涙を零した。



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