41 ヴィラ砦防衛戦(3) 決壊


 敗残兵が、続々とヴィラ砦へ逃げ込んできている。東門の上で旗を振っているのも、とうに敗残兵に切り替わっていた。
 ログナ支隊の兵士や敗残兵は、壁上から次々に援護してくれているが、ログナの攻撃と同じように、焼け石に水だった。いくら殺しても、次から次に湧いてくる。梯子まで辿り着けなかった敗残兵が悲鳴を上げて魔物に食い殺されるのを横目に、ログナはひたすらに弓を放ち、剣を振るった。休憩をする間もなく、ひたすら体力を削られていった。体の動きが鈍ってきたと自覚できる程になったとき、南東に布陣していたラヴィーニアが、自らに簡易結界魔法をかけた状態でやってきた。
「休息を」
 と言った彼女の手には、例の球体があった。
 ログナは荷車に向かい、積んであった小さな樽《たる》を手に取った。頭から水を被って汗と返り血を洗い流し、二樽目で水を勢いよく飲んだ。むせながら、今度は麻袋に手を突っ込み干し肉を引っ張り出して食いちぎった。三樽目の水で流し込むようにして食べた。
 以前、ログナたちの前で見せたラヴィーニアのあの球体が、手の中に納まる大きさになっていた。戦闘で魔力を使いすぎたのだろう。ラヴィーニアはそれを周囲にいくつか作り、近づいてくる敵にぶつけて退けている。
「少しだけでも座ってください」
 ログナはラヴィーニアの言葉に甘えて地面に座り込み、矢の補給をしながら、東門の前を改めて見渡した。
 ログナが殺した龍族種十二頭をはじめ、魔物たちの緑色の血がいたるところに水たまりを作っていた。魔物の死が、折り重なっている。上半身や下半身が離れている魔物や一部が潰れている魔物などからは、通常時なら吐き気を催すだろうにおいが立ち上っているに違いない。いまはもう、嗅覚が麻痺してしまっている。
「助けてくれ! 助けてくれえっ!」
 魔物の隙間を縫って、甲高い声で叫ぶ敗残兵がこちらへ駆けてくる。
 まだ生きている敗残兵がいたことに驚いたが、魔物に囲まれても、走ることを諦めなければ、このようなことも起こり得る。諦めればそこで終わる。
 ラヴィーニアは一旦、球体を振り回すのをやめ、その敗残兵の周りにいる魔物に向けて、両手を掲げた。両手から、液体状の光魔法が、放物線を描いて飛び出し、周囲の魔物に降り注ぐ。空中で液体から半円状になったそれは、鋭いとげを一瞬で生やして、魔物たちの身体に突き刺さった。ヴィーヴィの水魔法に、似て非なる攻撃。ログナが生まれて初めて見る術だった。敗残兵は助けられていることにも気付かずにひたすらラヴィーニアのほうへ向かって走り続けた。
 やがて、ラヴィーニアのすぐそばにまで敗残兵がたどり着いた。安心の為か走るのを緩めた彼に、ログナは、
「まだだ!」
 と叫んで、背中の弓に手をやった。
 ラヴィーニアの光魔法を吸収してぶよぶよに膨れ上がった、あの半透明の新種の魔物が、体から球を吐き出した。ラヴィーニアの目の前で、球の直撃を食らった兵士が、膨張したのち、弾け飛んだ。
 一瞬、呆然と立ち尽くしたあと、
「ふふ……あははっ」
 至近距離で返り血を浴びたラヴィーニアが、敗残兵の弾け跳んだ場所を向いたまま、突然笑い出した。
 壊れたか。
 立ち上がったログナは、すぐに予想を裏切られた。
 笑うのをやめて無表情になったラヴィーニアは、横顔をログナに向けたまま、顔や胸のあたりの返り血を右手の手袋で拭うと、それを舐めまわした。続けて、口の端から血を垂れ流しながら、右手を掲げた。そして急激に回転している球《きゅう》を空中に作り出すと、ラヴィーニアは血まみれの舌を出した。カロル兵団の団旗と同じ、『無』の記号の刺青《いれずみ》が彫られた舌に、こびりついた血が吹き上がり、球に吸い寄せられるようにして、絡まり始めた。途端に、回り続ける球が、ひと回り大きくなり、ふた回り大きくなり、最後にはログナの背丈くらいの大きさまでに成長した。ラヴィーニアは右手を、下から上へ、何かを放り出すように振った。赤黒く変色したその球は、魔物の群れのど真ん中へ送りつけられた。
 赤黒い球は赤黒い閃光とともに爆発し、その場所には地面が大きくえぐれた跡だけが残った。周囲には、無数の魔物のちぎれた体が散らばっている。魔力を吸収するはずの半透明の新種だろうとお構いなしに葬り去ってしまった。
 ラヴィーニアは蔑むような皮肉たっぷりの笑顔を浮かべたあと、一瞬、体から力を抜かしかけ、足を踏ん張って堪えた。ログナの視線に気づくと、いつもの微笑に戻って、
「すみません。しばらく壁上で横になります」
 と言いながら、よろめく体をどうにか引きずってきた。
「助かった!」
 ログナは走って、ラヴィーニアの後ろ背を狙っていた半透明の新種を斬りつけながら、言った。
 ラヴィーニアが魔法でえぐった場所の手前で立ち止まる。明らかに異質なこの魔法を目にして、人間なら、それ以上の進軍はためらっただろうが、魔物にはそんな威嚇は効かない。むしろ先ほどよりも密度を増して、東門に攻めかかってくる。これまでラヴィーニアが押さえていた南東方面の敵も、なだれ込んできた。あの魔法は恐ろしい威力だが、そのぶん、膨大な魔力を食うのだろう。戦闘に慣れていないラヴィーニアに、過度の期待をしていたつもりはないが、やはりここでの離脱は痛い。
 青色の新種を、鱗の新種を、ルダスを斬り捨て、龍族種に、ミングスに矢を叩き込み、休憩して得たぶんの体力が、また擦り減っていく。
 そこへまた、逃げ込んでくる敗残兵がやってきた。
 ログナは今度こそ助け出そうとその敗残兵のほうへと駆けていく。
 しかし敗残兵は、
「そこを動かずに! 俺も手伝います!」
 と叫んだ。
 髪をごく短く刈ったその男には、見覚えがあった。
「テルセロか! 恩に着る!」
 テルセロは風魔法を使って自分の持つ槍を浮かせると、穂先以外の部分を魔法土で覆って上段から龍族種に投げ込んだ。風魔法の後押しを受け凄まじい速さで飛んで行った槍は、龍族種の体を突き破り、テルセロの方に戻っていく。戻ってきた槍を掴み取り、まだ倒れていない龍族種に、再び投げつける。龍族種もやられたままではいない。灼熱の火炎が、槍を弾き飛ばす。テルセロ自身は簡易結界魔法を張って攻撃を防いだ。その間に、地面に落ちた槍は、魔法土とともにまた持ち主の方へと戻っていく。うまい使い方を考えるものだ。
 しかし敵は龍族種だけではない。殺到する敵に対してどうする、と、戦いながら横目で見ていると、今度は、腰に備え付けた矢筒に手をやって、矢束を空に投げた。魔法土で覆われた矢を、自身の周囲に浮かせ、そしてそのまま、幾十本もある矢を、一斉に魔物の上へ降り注がせた。全方位への攻撃だ。
 あとは、槍と同じように戻ってきた矢から、折れていない矢だけを選別して、同じことを繰り返している。きっと、魔力そのものは……才能は、大したことがないのだろう。けれど、自分なりにできることを探した結果、この戦闘方法に落ち着いたに違いなかった。
 ログナはその姿に、苦心して防御魔法を磨き上げた自分を重ね、なんとも言えない親近感と心強さを感じた。
 テルセロが作り出してくれた隙を利用して、
「おい! 壁の上、誰かいるか!」
 龍族種の咆哮や、あらゆる魔法のぶつかる音、魔物の鳴き声、うめき声、イシュが何度も吹く指笛など、とにかくさまざまな音がまじりあう戦場で、自分の声を届けるために、目一杯怒鳴る。
 風魔法の太刀を飛ばしながら、一人でずっと東門を担当しているログナ支隊の兵士が、顔をのぞかせる。
「なんでしょう!」
「今はどこに魔物が集中してるかわかるか!」
「ラヴィ様が離脱してから、南門に集まってます!」
「わかった! テルセロ!」
 後半をテルセロに向けて言った。
「なんでしょうか!」
「ここはいいから、南門を頼めるか! 二等騎士が踏ん張ってる!」
「わかりました! では、援護を!」
 壁上の兵士が、風魔法をテルセロの周囲に集中させた。ログナは魔法土で周囲の敵を防ぎながら、テルセロの援護に弓矢をありったけ飛ばした。
 無事にテルセロが走り抜けていくのを確認しながら、ログナは、十数本目の片手剣を拾った。両手剣と合わせれば、二十本以上は壊したに違いない。残りも少なくなってきた。だが、テルセロの参戦は、そんな不安を消し飛ばしてくれた。
 もうしばらく耐えれば、ラヴィーニアも休息から復帰する。もっと耐えれば、万に一つもないかもしれないが、クローセが、レイエド砦内の兵士を説き伏せ、ログナたちの救出のために出撃してくるかもしれない。
 敗残兵を収容して、ヴィラ砦の防衛に参加する人数は膨れ上がった。最後まで戦い抜けば、何だって起こり得る。いま、この場に、テルセロがやってきたように。
 けれどそう気合を入れ直したのも束の間、何かが崩れ去るような轟音と、悲鳴のような叫び声が、それぞれ西門と南門の方角から聞こえた。
「何が起きた!」
 ログナは青色の新種を斬り捨てながら、壁上の兵士に向けて叫ぶ。
「に、西門が、完全に破壊されたように見えます!」
「南門も一部崩落!」
 続けざまに入った報告に、ログナは、終わりのときが近づいていると、認識せざるを得なかった。
 こうなることは、わかっていた。
 来るべき時が来たということだろう。
「西門と南門を守っていた連中は!」
「南門は無事! 西門は生死不明っ! あ! 西門を突破した魔物が! た、た、退避!」
 壁上のログナ支隊の兵士がそう言った途端、ログナの背後にある石壁が、派手な音を立てた。すぐに視線を遣ると、石壁が内側から突き破られるところだった。飛んでくる石壁を魔法土で防ぎながら、右へ転がって魔物の突進を避ける。
 そこから飛び出してきたのは、見上げるほどの高さの大型魔物だった。赤色の体毛に包まれたがっしりとした四つ足で、体当たりすることしか能のない、ミロベイという魔物だった。
 体当たりしか能がない。言い換えれば、この巨体から繰り出される体当たりは、とてつもない威力だということだ。
 時折、普通の魔物の大きさと、かけ離れた魔物が出現することがある。それは大型魔物と呼ばれ、ログナが前線で戦っていた十年以上前にも存在した。当時も、滅多に出現することはないが、魔王討伐隊、あるいはレイしか、まともに太刀打ちできるものはいなかった。
 大型魔物は油断ができない。老人を庇うためだったとはいえ、あのレイが重傷を負ったのも、一つ目の大型魔物が相手のときだった。
 ログナは急いで東門壁上への梯子を上り切り、ミロベイの姿を探した。
 ミロベイは方向を変えて、今度は東門から北門へ突き抜けるような方向へ、駆け出し始めていた。
 ログナは、近くにやってきた壁上のログナ支隊兵士に、
「東門壁上の南側に敗残兵を、北側にログナ支隊の兵士を集めろ。急げ」
「わかりました!」
 歩いていると何かを軽く踏みつけてしまい、それを見ると、むしろの上に寝かされたラヴィーニアの手だった。目を閉じたまま、息苦しそうに呻いている。あの魔法を使った後遺症だろうか。
「大丈夫か?」
 返事はない。
 なぜ王女がここまでして、と思いながら、ログナはむしろごとラヴィーニアを抱え上げ、走って安全な場所に移し、また走って先程の場所に戻った。
 牙の突き出した醜くくも豪壮な姿が、はっきりと確認できる大きさになったとき、
「逃げないと危険です!」
 という声がどこからか聞こえたが、無視して、射手が身を隠す場所に、足を乗せた。そして、小型弓を構えて、石壁よりも高いミロベイの両目に向けて、それぞれ矢を放った。並みの人間なら、外せば突進に吹き飛ばされて死ぬ距離だが、自分には防御魔法がある。死の気配に動揺することなく、平常心で放たれた矢は、両目を射抜いた。無様な悲鳴を上げたミロベイの突進は弱まったが、それでも突っ込んでくる。
 ログナは手に両手剣を持ったまま、石壁から飛んだ。ミロベイの頭が石壁にぶつかるかぶつからないかのところだった。ログナはミロベイの額に向けて、両手剣を突き出した。ミロベイ自身の勢いがあり、ログナが何をしなくても、深く深く、突き刺さる。やがて両手剣は、剣そのものが見えなくなるほど深く、ミロベイの額の中に呑み込まれた。
 魔法土で全身を覆った体が弾き飛ばされ、そのまま少し空を飛び、落ちた。
 少しのあいだその衝撃にふらついたが、魔法土を解除して、周りを見る。どうやら、東門の近くに落ちたようだった。
 東門の壁上から、心配そうに覗く兵士たちの様子を見ると、もともと目を射ち抜かれて弱まっていた突進が、死んだことでさらに弱まり、石壁は、ミロベイの突進を耐え切ったようだった。
 兵士たちに向けて軽く手を振り、内側の梯子から、壁上へと上って行く。
 その途中でふと南門へ視線を遣ると、太陽を背にした大型魔物が、両腕を滅茶苦茶に振り回し、南門を破壊しているところだった。
 逆光でぼんやりとしか見えない大型魔物によって、おもちゃのように破壊されていく南門を見ながら、
「今日で終わりか」
 ログナは小さく呟いた。



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