40 ヴィラ砦防衛戦(2) 背門の陣
北東からの敵が案外少ないように見えたので、ノルグ族とともに戦うときにだけ使う、指笛を吹く。飛行型の魔物が仲間を集めるときの鳴き声を真似たもの。一方の敵はイシュが確認できる北東から、もう一方の敵は南東からこちらに向かっているということだったから、きっと、北門だけでなく東門の敵も増えるだろう。
けれど東門を守るのはログナだ。
王都北部城塞の戦いのとき、命令違反をしたイシュは、追いすがるログナを妨害するために、走るのに邪魔な敵のみを倒し、わざと魔物たちを残していった。けれど、ルダスや青色の新種の魔物は、ログナの足止めにもならなかった。立ち止まらせることができても、ログナは、両手剣の一振りで的確に複数の敵を倒し、すぐにまた追いかけてきた。
イシュは、ミスティの魔法剣に真正面からぶつかっていったログナを見て、自分よりもはるかに強いと思った。けれど王都北部城塞の支城で、ミングス程度の敵に大苦戦しているログナを見て、自分よりもはるかに弱いと思った。そして、闇魔法を恐れず部下のために殴りかかってきたログナを見て、イシュがわざと残した魔物を簡単に退けるログナを見て、ひとりでガーラドールという危険な魔物に対峙したログナを見て、ようやく評価が固まった。
自分が足りない部分を補えば、この人は、魔王を倒せる器だ。
指笛を吹くのをやめて、左手を構える。そこで、ログナのことを考えていた頭に、あの女が割り込んできた。ルーアに瓶ごともらった香水の香りが、鼻先をかすめたからだ。顔をしかめる。あのときの自分はどうかしていた。あの女に、香水など貰い、礼を言ってしまうなんて。無駄にいい香りなのが、なお苛立つ。
ルーアのことを頭の中から振り払い、突っ込んでくる魔物たちに向けて、目をじっと凝らす。なるべく闇魔法を温存しようとして構えた左手だったが、すぐに右手を添え直した。龍族種がいたからだ。龍族種の吐く炎が直撃すれば石壁など容易く穴をあけてしまうし、体当たりも怖い。
風魔法で吹き上げた闇魔法を、龍族種の方へ飛ばしていく。龍族種は鈍重な体つきをしているため、捉えやすい。まして今は、魔物の群れに追われるようにしてやってくるロド族が上手い具合に囮になっているので、なおさらだ。体が硬いので、魔力は使わされるが、接近さえさせなければいい。
レイエド砦に逃げていく兵士を追う魔物たち、農地を踏み荒らしや石壁を次々に崩落させてレイエド砦の門前へ一直線の龍族種は放置して、こちらに向かって来る龍族種に、次々に黒い霧をまとわりつかせる。三頭を覆ったところで、防御魔法をもつルダスを潰すときよりも、さらに多くの力を込めて、闇魔法を発動させた。
三頭の龍族種の胴体が同時に潰れて、首と下半身だけが地面に落ちた。イシュは、少し、倦怠感を覚えた。この地味な倦怠感は、あまり気分のいいものではなかった。まだ、三頭だ。龍族種は十数頭、いるように見える。
黒い霧を操作して、次の龍族種を狙う。そのあいだに、俊足の、鱗に覆われた魔物が前足と後ろ足を目にもとまらぬ速さで動かしながら走ってくる。闇魔法は、あまりにも素早い動きには、対応できない。右手で闇魔法を発動させながら、左手の風魔法でその魔物を潰そうとした。しかし、魔力を抑えすぎて鱗に弾かれてしまった。諦めて、普通に風魔法を使った。闇魔法を使う右手に最大限、力を注いだまま、風魔法を使う左手にも力を込めたせいで、わりあい強い、頭痛に襲われた。魔力を一度に使いすぎると、頭の奥の魔力核がまるで、警告を発するように痛みを伝えてくる。イシュの急速な成長に、魔力核がついていっていないのだろう、と、魔法研究員に言われたことがある。
頭痛に対してやや目を細めながら、龍族種一体をとらえてすぐに、闇魔法で潰す。目を開いてよく見ると、先程よりも、四体潰した今の方が、明らかに龍族種の数が増えている。魔物の最後尾がまったく見えない。
今までで、一番、厄介な戦場になる。早鐘を撃ち始めた胸の鼓動が、そう、伝えてきていた。
南門には、ラヴィーニアや壁上の兵士を含め、一番多くの援護を割いてもらっているのがわかる。
わかるが、あまりにも厳しすぎる戦いだった。
トライドは接近戦を苦にしないが、ログナのような超接近戦は苦手で、ルーアに至っては片手剣を両手で振り回すありさまだ。次々に魔物があふれ出してくるこの戦場では、壁上の援護に回る役割が、二人には適しているはずだった。けれど、たった十八人しかいないログナ支隊で、そんなことは言ってられなかった。
ずいぶん粘った。飛び込んでくる、鱗をまとった新種や爬虫類型の新種を、炎魔法と光魔法を駆使して殺し、ルーアが必死に隙を作る。その間にトライドが、魔力を龍族種に対してのみに集中させて、下半身を魔法土でがちがちに固めて動けなくする。殺せてはいない。動けなくしただけだ。壁上の兵士たちの攻撃に頼り切ることが前提の戦い方。ただそれだけのことをするのにも、必死だった。
魔法の効かない半透明の新種が、魔法を受けて膨張し、球を吐きだす寸前に滑り込みで片手剣をめり込ませたり、石壁に体当たりをしようとしていた龍族種の正面に割って入り、全力の土魔法で押し留めたりした。石壁と龍族種の間に挟まれて潰される寸前で、壁上の兵士たちの援護があり、助かった。その時は、トライドの名を、悲鳴のように叫んだルーアの声が聞こえたほどだった。
そうやって常に生死の境でうろうろしているのに、敵の数は、全く減らなかった。魔力の回復が間に合わず、疲労だけが蓄積していく。ログナは、片方が戦っている間に片方が休息をとることを想定していたかもしれないが、休息など取っている暇がなかった。
見かねたラヴィーニアが、例の、球を自由自在に動かす攻撃魔法を使って、二人の休む時間を作り出してくれたほどだ。ラヴィーニアもそれまで、一切、休息はしていないのに。
何度か北門の方角から聞こえてくる指笛の音に、魔物たちが反応していたから、その隙をついて、ラヴィーニアは、ログナにも休息を与えに行った。
そして、すぐに戻ると言っていた彼女は、戻ってこなかった。
「あの子、死んだのかな……」
周囲を囲まれてしまって、いまはルーアと並んで石壁に背中を預けている状態だ。離れていては戦場の騒音にかき消されただろう小さな呟きも、どうにか耳に届く。
ラヴィーニアがこのまま戻らなければ、確実に二人とも殺される。
「生きてるはずだよ。あれだけ強いんだから」
「わたしたちとは違ってね」
ルーアが皮肉な調子で言って、イボだらけの青色の新種に炎弾を、ルダスに光弾を当てた。ルーアの魔法も弱いわけではないが、連戦で明らかに威力が落ちている。あまり効率よく倒せてはいない。青色の新種が雄たけびをあげながらこちらに突っ込んできたので、慌ててルーアの髪を掴んで引き倒す。左手を構えて魔法土を鋭く突き出す。刃物のようにとがったそれは青色の新種の開いた口から入りそのまま向こう側に突き抜けた。
ルダスがその青色の魔物ごと切り裂こうと、トライドに爪を振り下ろしてくるが、ルーアが、倒れたままの態勢から炎弾と光弾を連打して吹き飛ばした。
魔法を吸収する半透明の新種がまた沸いてきた。トライドは片手剣を鞘から引き抜き、右手に構えて周囲を警戒したまま、ルーアの方を見ずに左手を差し出す。
「トライド……ちょっとはましになったかも」
その手を掴んで立ち上がったルーアが、トライドの前に出て、左手の手のひらを、向こうへ差し出すようにした。
「ラヴィのまね」
ルーアの左手に、球が浮かび上がる。ルーアが人差し指をちょこんと動かすと、その球は、浮き上がり、さらにもう一度動かすと、敵の方へ飛んで行った。ルーアは同じ要領で次々に球を作り出していく。
半透明の新種が、球を吐きだす前に辿り着かなければならない。
複数、同時に動いているルーアの光弾が、他の魔物を殺したり動きを止めてくれたりするので、一直線に新種のもとへ向かうことが出来た。
片手剣を振り、ぬるりとした感触とともに新種を潰した。突出したせいで囲まれそうになったが、壁上からの援護と、ルーアの光弾が助けてくれた。
ルーアの元に戻ると、ルーアは両手いっぱい、十本の指をそれぞれ使って、光弾を操作しているようだった。
龍族種がまだまだいるらしく、一度の咆哮から、連鎖的に咆哮が発生した。会話でもしているのだろうか。声がかき消されるので、トライドはルーアに向けて怒鳴った。
「そんなのいつできるようになったの!」
「さっき思いついた!」
こともなげに言ったルーアだったが、顔中に汗が浮かび、目をあちこちにせわしなく動かしている。一つの光弾を操作するだけでも集中力が要求されるのに、十ともなると全く他のことに気を配る余裕がなさそうだ。
ルーアも、戦いの中で成長している。自分も負けられない。
「気をつけろ! とんでもないのが来るぞ!」
壁上の敗残兵が叫んだ。
二人とも、間近な魔物を退けるのに必死で、周りを見ていなかった。
敗残兵の言葉の後、大きな影が、すぐにトライドとルーアを覆った。
トライドはその魔物を見上げた。
「嘘だ……嘘だ、嘘だ」
トライドは硬直したまま、口の中で何度もつぶやいた。
ルダスよりもはるかに巨大で、ヴィラ砦の石壁をゆうに超える高さの獣型の魔物が、他の魔物を踏みつぶしながら来た。
レイがどうしても王都を離れられなかった理由、騎士団長しか――魔法剣を扱うレイにしか対処できなかった、大型魔物だ。
四、五階建ての建物が突然、目の前に出現したようなものだった。
ルーアの新技によってやや押し気味になっていた戦局が、一気に覆された。
その魔物が、石壁に右手を振り下ろそうとしていた。
トライドは炎魔法をありったけの火力で飛ばし、右手に当てたが、炎弾が手を貫通しているのに、大型魔物は歯牙にもかけていない。
「逃げろ!」
「逃げて!」
トライドが、ルーアが、壁上のログナ支隊兵士が、敗残兵が、一斉に叫ぶ。
壁上にいた敗残兵の一部は、咄嗟のことに呆然と立ちすくみ、そのまま、右手に潰された。
魔物が右手をどかすと、南門の石壁の一部が、完全に崩落していた。そこには、赤い血が、こびりついていた。