隊長代理


 ルーアは、逃げていく爬虫類型魔物を深追いして突出した三班の前衛に向け、怒鳴った。
「三班下がれ! 死ぬつもりか!」
 三班の前衛が慌てて下がり、周囲の人間と距離を保ち直す。
 ルーアたちは前もっての指示通り、斥候を出しながら、適度な距離を空けてログナたちを追った。そして、ログナたちが連れられて行ったと思しき、立派な砦の見える場所まで辿り着いた。
 周囲の詳細な地形図を作成するために、索敵要員を出して魔物の動向を探らせ、魔物が固まっている巣のような場所を発見したのが少し前。いまは、イシュが班長の一班を野営地に残して討伐に赴き、訓練の成果を試そうとしている。しかし二班、三班、それぞれの班長であるテイニ、ナフド以外の奴隷剣士たちが、新種の魔物相手に浮き足立ってしまって、訓練のようにいかない。
 指揮権を持つルーアがひとまず試しているのは、騎士が指揮官となり、奴隷剣士の班を動かすという、ありふれた形式のものだ。けれど、まだ二等騎士のルーアは、実戦での現場指揮を執るのはこれが初めてだった。部隊を動かす際に、つい相手を恫喝するような口調になってしまい、そのたびに髪を掻きむしりたい衝動に駆られる。無能だと馬鹿にしてきた上官と同じことをしている。
 自分には度胸がある、そう思っていたけれど、隊を動かす度胸は別物だということに気付いた。何か判断を間違えば、人が死ぬ。たとえノルグ族が死ぬのだとしても、それは、恐怖以外の何物でもなかった。今すぐテイニに指揮権を与え、思考停止して突っ立っていたくなったが、どうにか堪えた。下手にそのような指示を出せば部隊は大混乱に陥る。
 横一列に並んで、一定の間隔を空けながら前進し、正面にある森林から現れる魔物たちを、殲滅する。それが今ルーアがしようとしていることだった。やることは単純だ。単純だからこそ、難しい。森の枯れ草や裸の木に阻まれてうまく魔法が当たらないうえに、炎魔法はそもそも魔法自体を使えない。何も後先考えなくてもいいのなら、森を燃やして燻し出してしまえばいい。けれど、今の状況における森林は、貴重な隠れ蓑、土木資源なので、そうすることができない。空気が乾燥している今は、予期せぬ大火に発展する可能性もある。
 イシュがいればと考えてしまい、ルーアはさらに苛立ちを掻き立てられた。
 目の前で、草が動いた。慌てて右手の炎魔法を使いそうになったが、寸前で堪え、草むらから跳び上がった爬虫類型魔物を、首を思い切り曲げて避けた。頬をかすめて飛んで行ったそれの着地点を予想して、左手で光弾を放つ。潰れた爬虫類型魔物の返り血を簡易結界魔法で弾いた。
 心音が乱れているさなか、落ち着く間もなく、木が軋《きし》みながら倒れる音と、
「隊長!」
 と呼ぶ声が聞こえた。一瞬、ログナの姿を探してしまい、今の隊長は自分だ、と気づいた。
 声の聞こえる方に目をやると、兵士たちが隊列などもうお構いなしの状態に分散していた。
 その兵士たちが囲んでいるのは、王都北部城塞で見た、気味の悪い魔物だった。頭はなく、皮膚の代わりに半透明の膜が上半身を覆い、奇妙にひしゃげた太い背骨やその周囲を取り巻く臓物が見えている。下半身は白みの強い膜で、二本足だ。
 恐怖に駆られた兵士たちが、指示も仰がず独断で魔法攻撃を始めた。
「攻撃やめ! やめ! 新種だ! 迂闊に攻撃するな!」
 三班班長のナフドが、しわがれた低い声で兵士を叱責する。長年戦場で叫んでいるうちにこうなったと語っていた迫力ある声を聞いても、四人の兵士たちの恐怖は収まらない。ばらばらに魔法攻撃を仕掛けては後退している。
 右に展開している三班の方に気を取られているあいだに、左からも悲鳴が上がった。木が邪魔でよく見えないが、同じような状況だと想像できた。
 ルーアは二班と三班のちょうど間に立っているので、二班が後退してもルーアがそちらに対処すればいい。
「二班! 結界を張り、少しずつ後退!」
 すぐに三班に視線を戻す。風魔法と光魔法の攻撃を受けている新種の魔物、半透明の膜の化け物は、その膜をみるみるうちに肥大化させていく。効いていないどころか、まるで魔法から栄養を吸い取っているかのようだった。一度退かせようと口を開きかけたが、右側では、慌てた兵士が一人、魔物の向こう側に行ってしまっていた。このままだと、彼が、死ぬ。
 攻撃を受けるたびに成長していく魔物、と考えかけたが、そんなはずはなかった。王都北部城塞においてログナはこの魔物を倒していた。ログナがしてルーアたちがしないこと、
「剣! 剣を使って倒して!」
 ルーアはナフドに向かって怒鳴った。
「早く!」
 叫ぶと同時に、もはや地面につくほどまでに上半身の膨張した半透明の新種が、口のようなものを体の中央に開いた。ルーアは、半透明の新種の正面にいる兵士たちの前に、簡易結界魔法を張った。
 酒瓶の蓋が開けられたような小気味の良い音と共に、半透明の球体がいくつも吐き出された。そのあいだに、回り込んだナフドと、向こう側に取り残されていた兵士が、半透明の新種を叩き切った。いくら魔法をぶつけても膨張するだけだった半透明の新種は、あっさりとばらばらになり、沈黙した。いくつもの球《きゅう》は、ルーアの簡易結界魔法を突き破り、ナフドを含めた五人が張った五重の簡易結界魔法のうち、四つ目まで突き破ったが、最後の最後で押し留められ、消えた。
 向こう側に取り残されていた兵士は、無事、こちらに戻ってきた。すぐに左へ目を遣る。こちらは木々が多く視界が悪いが、テイニたちはずいぶん後退したようだった。ルーアと同じ直線状に、半透明の新種がいた。
 二班の中で唯一、主戦力として計算できるテイニは、トライドが捕えられた時の戦闘の傷がまだ治りきっていない。防御以外の行動は避けるように伝えてある。
 ルーアはすぐさま駆け出す。木を避けながら、開けた場に出たところで腰に差した片手剣を抜き去る。片手剣を両手で持ち、そのまま、テイニたちに気を取られたその魔物を縦に切り裂こうとした。けれどそのとき、右の草むらから、また爬虫類型魔物が飛び出してきた。正確に喉笛をかみちぎろうと向かってくる。避けきれない。
 慌てて簡易結界魔法を張っても駄目だと、この間の経験から咄嗟に判断し、両手で握った片手剣を放り出した。そのまま左手を向け、爬虫類型魔物に光弾をぶつける。爬虫類型魔物が粉々に砕け散る。そのあいだに、左の方から、半透明の新種が近づいてくるのが見えた。頭を回転させ続けている中で、咄嗟の判断を二回続けて迫られたルーアは、判断を誤り、空いている右手を使って炎弾をぶつけてしまった。
 口のようなものをばくりと開けて魔法を取り込んだ半透明の新種は、すぐさま球体を作って、ルーアの炎弾を送り返してきた。先程五重の簡易結界魔法を突き破りかけたその球を、伏せてかわす。近くに落ちていた剣を拾い上げ、立ち上がりながら刺しに行こうとすると、
「木が倒れてきます!」
 誰かが叫んだ。球体が背後の木に当たっていたらしい。
 横に跳ぶ。ルーアのいたところに木が倒れた。いや、倒れかけていた。根元から折れた木は、半透明の新種の柔らかな上半身に当たり、跳ね、ルーアとは反対方向に落ちた。魔物の口がまた開いている。火球が、三つ、口の中に見える。三つは避けられない。すると幾重にもわたる簡易結界魔法が、ルーアを包んだ。
 ノルグ族に借りを作ってしまった。半透明の新種の上半身に、その苛立ちをぶつける。火球が分厚い簡易結界魔法に阻まれてかき消えた。剣を突き通してすぐ、ぶよぶよした気味の悪い感触が手に伝わり、攻撃が効いているのか不安になったが、半透明の新種はくたりとその場に倒れ込んだ。
 ルーアは激しく息切れしながら、立ち上がった。
 どこからか、草むらを駆ける足音が聞こえ、森の奥に何気なく視線を遣ると、半透明の新種の群れが、こちらに向かってくるところだった。見える限りでも五体はいる。
 魔物同士に何らかの連絡手段があるのか、もうすでに戦闘態勢に入った半透明の新種たちが、一斉に半透明の球体を吐き出した。
 ……あ、全員、死んだ。
 ルーアはこれから起こる惨劇を克明に思い描くことが出来た。
「撤」
 退、と言う前に、球があっという間にこちらに近づいてくる。
 そこで、魔物が歩くのをやめてもなお、草むらから聞こえていた足音も、止んだ。
 黒い霧が凄まじい速度で眼前に広がっていき、あっという間に視界を覆い尽くしてしまった。



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